第五章 残るしこり⑤
新宿警察署の取り調べ室――
先日の夜、コズミックリリーフの最後の幹部と目される人物が自首してきた。
署内の留置所から連れ出し、早朝から尋問を行っていた。
被疑者の他に刑事が一人。机に向かい合い、コズミックリリーフ幹部、青柳鉄男を問い詰める。
詰問の一つは、今回の大事件における被疑者の動機だった。
五味の掲げた理想を成し遂げるために、凄惨なあの事件を引き起こした理由とは一体何なのか。青柳は信者を爆発させるという常軌を逸した行いを、脅すなどして追い込み、間接的に事件を引き起こしたとされる人物だった。それらの事柄はすでに逮捕、起訴された教団の幹部の口から告げられていた。
青柳は、整っていない乱れた癖っ毛を手で撫でてから、淡々と語り始めた。
「子供の頃、阪神淡路大震災を経験し、両親を失いました。以来、宮城県の親戚に預けられましたが、時が経っても、両親のことを忘れるはずもなく、学校も休みがちでした。それでも周りは励ましてくれたり、一緒に遊んでくれたりしました。それが中学生くらいの時でしたかね……」
刑事は黙って聞いていた。
「何年かが経ち、僕も大人になりました。学校にも通えるようになった僕は、いつしか住んでいた田舎の小さな役場で働こうと勉強に励みました。そうして地方の公務員になった僕は、役場で働きながら、穏やかな日々を送っていました。……刑事さん」
と、突然呼び止められた目の前の刑事は、目を見開き青柳の次の言葉を待つ。
「コズミックリリーフ、そして五味の掲げた思想は立派なものであったと今でも思っています。それはなぜか。もしかしたら理解できないかもしれませんが、僕の経験したことを話します。その話の内容に僕が信じてやまないコズミックリリーフへの信仰心が含まれているからです」
刑事は目を見開かせたままだった。先刻述べた地名を耳にした者なら誰でも予測できる。
「震災に遭ったんですよ。阪神淡路から、十年以上経ち、僕はまたあの地で再び災害に遭いました。結婚もして子供もいたんですが。……二人とも津波に流されてしまったんです。そのときのことを受け入れられるかどうか……。今でも受け入れきれない。夜な夜な目が覚めては、両親のことや妻と娘のことを思い出し、吐き気を催すんです。震災後、僕は放心状態が長く続き、心も疲れていました。そんな僕を周りは気遣って、距離を置いてくれましたが、僕としては話を聞いてもらいたかったというのもありました……。意気消沈した僕が何を言い出すか自分でもわからなかったので、距離を置いた方が周りにはよかったのでしょう。わかりますか、刑事さん……」
感情の籠っていない青柳の目が、刑事に注がれた。
「ある日突然ですよ。自分の命よりも大切にしていたものがぱっと消えるんです。掬い取れない水のようになったというか……。だからこの世には抗いようのない、巨大な運命や理がある……。僕は今までの経験からそう思わずにはいられませんでした。そんなとき避難所のボランティアに来ていた五味と出会いました。五味は僕の顔を見るや否や、肩に手を乗せこう言いました」
青柳は遠くを見つめるように言った。
「『もう大丈夫だ。君のことは全てわかっているよ……』」
そして視線を落とし、
「安心感のわく笑みを見せて、周りとの距離感を気にせず、そう言ってくれたんです。五味はよく僕の話を聞いてくれました。家族を失ってばかりで、僕にはもう何もない……。そんなことばかり言う人間なんて面倒でしょう? そこで五味はこう言うんです。抵抗できない大きな事象、免れない運命に対して……『大丈夫だ。私たちには大いなる宇宙がある。この口の中にね。誰しもが持つ究極の生命、それがこの宇宙だ』それが優しさを振る舞うことであると知ったのは入信してからでした。あらゆる内蔵機能が科学的に解明されていっても、脳内、あるいは心というものの瞬間的な思考などは、機械も何も通さずに肉と骨の体から感じとることは、表情から読み取ることはできても、その刹那は可視化できません。五味の言う人の内側の宇宙というのは、存在する宇宙そのもののように不可解で不確かであり、未だ憶測で成り立っている部分もあるからだと言うんです。優しさのみならず、怒りや悲しみ、嬉しさ……。顔や行動にそれを表すことができても、本心では宇宙のように、知り得ぬ感情がある……。いつだったか、五味はそのように述懐していました」
刑事は黙したままだった。
「それ以降は五味のために尽くそうと努めました。五味の見た目や雰囲気にはカリスマ性と言えるほどのものがありましたし、入信した者の中にはそうした五味に魅力を感じ、尽くそうとする信者もいたんです。被災地にボランティアに来るくらいですから、各地で五味の存在に救われたという者も少からずいたということでしょう」
「五味に人を引き付ける独特な魅力があったということか……」刑事がそう言うと、
「そうです。彼に尽くそうとする人間が徐々に増えていき、気付けば僕も幹部と呼ばれる立場になっていました。僕は自分の立ち位置を崩さないよう、五味がやろうとしていることに最大限忠実に動きました」
「それこそ、暴力を奮い恐怖心などを煽って、無理矢理従わせようとした理由なのか?」
ええ、と青柳は黒い目をして深く頷く。やにわに刑事が青柳を睨んだ。
「そんな理由で爆弾を信者に持たせ、あのような凶行に走らせたと言うのか?」
憤慨をあらわにする刑事。青柳は無表情の上に、虚無的な笑みを乗せているようにも見えた。そんなつかみ所のないものを見たからか、刑事は次いでこう言った。
「逃げていたよな? 幹部で恐怖を植え付けていた割には、爆死もせずこうして最後に捕まったというわけだが。そんなあんたの腹積もりとはなんだ?」
「死にたくなかった……」
無色だった青柳の表情が、途端に、悲しげなものに変わった。
「教団での生活がそれなりに楽しかったんです。映像を制作したり、施設内に貼る掲示物の作成とか、機関紙の作成とか皆でそれをやるのが楽しかった……。でも五味は言うんです。あのお粗末な教団製作のアニメに出てくる、ズングリムックリのように、強大な運命の渦に体を張って抗おう。今こそ、内なる宇宙を爆発させるときだ……と……。僕はそれは嫌だった……。震災を二度経験し、家族を失った。でも僕にはまだ生きていく権利はある……。だから僕は逃げたんです……」
そう述べた青柳は、下を向いて涙声を漏らした。止めどなく流れる涙を手で拭い続ける。
青柳のこのような境遇こそ稀なケースとも言えるかもしれない。そうした過去や動機には人間の内外に存在する巨大な影が蠢めき、飲み込もうとする。そうした存在――運命――が、青柳のみならず他の信者をも蹂躙し、常識の範疇を越えた犯行に及んでしまった。
被告人たちの供述から、五味の教えは、最終的にそんな強大なものに対しての復讐や、拮抗を説いていたようだ。
不幸の末に得た幸せが、コズミックリリーフとの出会いだった。そこで得た幸福感というのは、青柳にしてみれば五味の偏見による幸福の獲とく方法だったのかもしれない。
青柳のような不幸を経験した人間は、探せばいるだろう。しかし多くの死者を出した教団の行いに荷担したことは、許されるべきことではない。
この男に後悔という感情はあったのか。妻と娘の顔を忘れたわけではないだろう。そして多くの人を殺したこの男を産み、育てた親の顔も。
止めどなく流れる涙の雫。激しく揺さぶられた様子の青柳の心に、亡くした家族のみならず、運命と戦おうと散っていった五味や他の幹部の顔は果たしてあったのだろうか。
恐らく、と刑事は微かに思った。
青柳が経験した数々の思い出を伴いながら、その涙は青柳の頬を伝っていったのでは、と……。
「教団の素晴らしさを、ここで語りたかったんじゃないのか? お前は……?」
しかし刑事は微苦笑しながら、背もたれに寄りかかり、強気の姿勢に出る。
「素晴らしいですよ……」
疲労からか、すっかり萎びた果実のような青柳の様子は、最後の一踏ん張りで語りきろうとしていたように見えた。しかし、涙は止まらない。
落涙によってできた水溜まりがそこにあるとしたら、妻や娘、両親との思い出が青柳を溺れさせ、苦しめさせる――。
それはこれまで耳を傾けていた刑事にとって、馬鹿げた哀れみであり空想だった。
多数の人間を死に追いやったこの男に微塵たりとも同情を寄せてはならない。
そんな思いを持ってよかったと、青柳の次の言葉で刑事は確信した。
「だから、僕は救われたんです。こうして自首できたことも、全て五味とコズミックリリーフのおかげなんです……」
涙を拭いきれず、苦々しげな表情を浮かべる青柳の声音は、小さかった。
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