世界でいちばん重たいヒロイン

naka-motoo

重たいけれども軽やかな

 彼女は転生する際にこう志願した。


「娑婆で一番不幸な境遇に」


 しかも彼女は地獄からではなく、極楽からの転生だった。


 ずっと極楽で暮らし続けることもできたのに。


「なぜに」


 最も重きを置くべき方からそう訊かれ、彼女は答えた。


「救い尽くしたいんです」


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 生まれ落ちたその日に叔父が死んだ。

 1歳の誕生日には祖父が。次の年の誕生日には祖母と父が。

 そして3歳の誕生日には母が死に、彼女と災厄の関連性は疑いを持たないものとして周囲の人間を沈み込ませた。


 できれば、来ないで、と。


 誕生のせいで夫が世を去った叔母の家で扶養された彼女は幼稚園に入った瞬間から彼女の生い立ちを知り得る父兄の入れ知恵によっていたぶりの言葉と行為を繰り返す園友どもにいじめられたのを皮切りに、学校と名の付くものすべてで彼女は不要の人間となった。


 否、いたぶりのためにのみ必要な人間となった。


 だが彼女は屈強な精神力の持ち主で、一度たりとも『わたしのせいだ』などとは思わなかった。


 彼女と彼女の中学の同級生との会話。


「アンジル、死ねよ」

「あなたこそ、いつか死ぬ」

「ぷ。そりゃあ寿命がくれば死ぬだろうよ」

「あなたに天寿は全うできない。随分と近い将来に死ぬ。死んで地獄に堕ちる」

「この、ビッチが!」

「うっ、うっ」


 唇を切り血を流しながらアンジルはそのアンジルというおぞましい渾名を呼ばわれて猫に胸をえぐられた鳩の死骸のように致命一歩手前で帰宅した。


 地獄のような毎日の中、彼女の中学に唐突にひとりの女性がやって来た。


 教室に入って来たカナエと名乗るその女性は30代、あるいは成熟した精神の故にそう見えるだけで20代かもしれなかった。カナエはいつものように罵倒され殴られて唇をその傷と歯ぎしりとで血を流している少女の前に立ち、いたぶりの首謀者と判断した少女の鼻を何のモーションも無く右拳で殴った。


「校長室へ行きましょう」


 鼻血を流す首謀者に見向きもせずふたり並び立って廊下を歩き、真っ直ぐに『アンジル』の目だけを見つめてカナエは言った。


「ねえ、アナタ。名前は?」

「『アンジル』」

「それは貧困な語彙しかないクソどもがつけた渾名でしょう。本当の名前は?」

紫華シハナ

「美しい。あなたにふさわしい名前だわ。年は?」

「14」

「いつも今日みたいに学校に?」

「来てる」

「毎日?」

「はい」

「どうして」

「アイツらを殺すタイミングを図ってる」


 ノックというよりは殴るようなゴツゴツした音でドアを叩くと校長室の中では校長と教頭と各学年の主任が集まってミーティングをしていた。カナエはやはり見ただけで首謀者とわかる女性を校長だと判別し、告げた。


「紫華さん、中学を辞めさせても構いませんよね?」

「な、なんですか、貴女は?」

「校長。この学校にいじめはありますか?」

「な・・・いじめはないと認識しています」


 カナエは無言で3歩前に進み、右拳で校長の鼻を、ぐしゃ、と潰した。


「じゃあ彼女が遭っているこういう暴力もいじめじゃないんですね」


 手のひらで押さえた鼻からボトボトと血を流す校長と、どうすればいいのかという思考もできず呆然とする無能な教師どもをほったらかしにして、「行きましょう」とカナエは紫華を連れて学校を出た。


 駐車場の軽四ワゴンまで歩く途中、カナエは紫華に訊いた。


「ねえ、紫華。アナタ、歌える?」

「歌なんか歌ったことない」

「じゃあ、叫べる?」

「ココロの中なら」


 カナエはにっこり笑う。


「すごくいいよ、紫華。わたしたちの仲間になって」

「カナエさんは何なの? 何がしたいの?」


 カナエは名刺を出した。


 無造作にこう書かれていた。


『株式会社GUN & ME

 プロデューサー 奏多カナタ カナエ』


「わたしは超絶零細音楽レーベルの社員。わたしが社長から受けた業務命令は、『世界一のロックバンドを作れ』よ」

「ロックバンド?」

「そう。ギターとベースとドラムは揃った。あとはヴォーカルだけ。ねえお願い。引き受けて?」

「カナエさん。世界一、ってことは世界中の人を救えるの?」

「さあ。でも聴く人は自分で自分を勝手に救うようになるかもしれない」

「ふうん」

「でも紫華。まずアナタ自身が救われるべきでしょう。アナタが成功するためならわたしはどんな労力も厭わない。何をしたってアナタを成功させる」

「何をしても?」

「そう。この身を削り尽くしてもいい」

「じゃあ、わたしもそうする」

「えっ」

「わたしも聴く人間を救い尽くすために身を削り尽くす」

「・・・・・・ありがとう」


 狭い駐車場の小さな軽四ワゴンに身をかがめてふたりは乗り込み、3人のクソッタレのようにクールで熱いメンバーたちが待つ街へとアクセルを踏み込んだ。

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