迎撃

 寝静まった街の上空に大きな炎が浮かぶのを見て、リグはようやく肩の力を抜いた。街に入った魔物は、ひとまずあの二人が対処してくれるだろう。リグは視線を逸らした。国の兵や〈木の塔トゥール・ダルブル〉の戦士たちも向かっていることだし、放っておいても良さそうだ。

 リグは、反対側の胸壁に移り、喚び出したままのサーシャの隣で、平原を見下ろした。先ほどまでは、星明かりばかりが支配していた夏の草原。背丈を高く伸ばした草の隙間から、あちこちに篝火が灯っている。炎の照り返しが見せるのは、甲冑姿のたくさんの兵士。聴こえる雄叫びと剣戟、矢が宙を切り裂く音。飛んでくる矢を水晶の如き魔術の円殻で弾き、リグは溜め息を吐く。

 すでに敵の襲撃ははじまっていた。あの魔物がこちらの気を引くための陽動であったことは、とっくに気付いている。

 リズが行ったあと、ただちに周囲に呼び掛けたことで、リグたちはクレールの奇襲に冷静に対処できた。あとは守り、退けるのみ。無論、城壁を持つこちらが有利だ。数日間籠城することだってできる。

 ――とはいえ、長期戦は嫌だな。

 できれば今晩中におかえり願いたいものだ、とリグは思う。……そのためには。

 防護壁はそのままに、リグは白い杖を構えた。両手で天に捧げるように持ち、赤い魔法陣を描く。ダガーが作ったものと同じような大きな火球を作り、戦場のど真ん中に放り投げる。ゆっくりと飛び込んできた火球に、敵兵たちは蟻の子を散らすように逃げていく。

 次に、腰袋から棒手裏剣を取り出し、地面へと投げた。リズお気に入りの飛び道具は、遠く離れたところで魔術を展開できる便利なものだ。城壁から少々離れたところに突き刺さったそれを中心に、緑色の魔法陣が展開する。陣の中心から蔦が生え、左右に広がって、城壁の前にもう一つ壁を作り出した。茨の蔦だ。容易には近寄れまい。

 さて、敵はこれにどう対処するだろうか。

 短期決戦に持ち込むなら、相手の心を挫くのが手っ取り早い、とリグは考える。尻尾を巻いて逃げてくれれば万々歳。退かなくても動揺してくれれば、陣営を崩す隙が生まれる。そのための火球と蔦の壁だ。大きな炎は恐怖を与えるし、棘だらけの壁は近付くのも難しい。相手が少しでも『無理だ』と思ってくれたなら。士気が下がれば、こちらのものだ。

 サーシャも、魔法の弓でうまいこと相手を牽制してくれている。地面を射抜いた矢は氷の棘を出し、人を射抜けばその部位を凍らせる。敵は、リグたちの魔術に翻弄されている。

「これまた。ずいぶんと、派手にやりますね」

 感心しているような、それでいて小馬鹿にしたような台詞を投げかけてきたのは、エリオット――塔長の部屋で会った、国仕えの魔術師だ。華奢な身体がこの場に浮いているように見えるのは、周りにいるのが屈強な兵士や戦士ばかりだからだろう。みな弓を引き、相手を頭上から狙っている。

 所属に限らず、魔術師は城壁の中に配備されていた。魔術の使用で無防備になったところを狙われるのを防ぐため。それから、魔法陣を見えにくくすることで、相手に攻撃を悟りにくくさせるためでもある。

 なのにエリオットが歩哨ここにいるのは、指揮する権限を有しているからだ。国仕えの魔術師の中では、いわゆる選良エリートであるらしい。時折垣間見える傲慢さはそれ故かな、と失礼ながらに思う。

「はったりだ。俺にできるのは、せいぜいあの程度」

 巨大な火の玉が落ちるのはさぞかし恐ろしいだろうが、辺り一面を焼き払うまでにはいかない――というか、ならないようにしている。逃げる猶予も与えた。無茶苦茶をする気はなかった。だから、はったりに留めている。

 それに、たとえどれほどの魔力を有していたとしても、いわゆる大量虐殺はリグには向かない。リズなら、もう少し攻撃性のあることができるかもしれないが。

「だったら、貴方があちらに行くべきだったのでは?」

 なんでお前はここにいるんだ、とエリオットが白い眼を向けてくる。まったく腹立たしい。

「無能扱いしてくれるなよ?」

 あまり侮辱してくるようなら、こちらも黙ってはいない。

 杖を持たぬ手を腰に当て、エリオットを見下ろす。彼のほうがリグよりも少しばかり背が低いので、意図せず上からの物言いになる。整った金色の前髪の隙間から見える青の眼に、悔しそうな色が滲んでいた。

 じっと睨み合いをしていると、下からリグを呼ぶ声が聞こえた。赤い縁の眼鏡の位置を調整し、胸壁の隙間から見下ろすと、野性的な壮年男性がこちらに手を振っている。

 目が合うと、カーターは蔦の壁を指差した。

「ここ、開けてくれー!」

 彼の周りには、何人か〈塔〉の戦士がいた。いや、魔術師もいるか。見るからに血の気の多い集団に、リグは肩を落とさずにはいられない。

「開けろって……人の労力なんだと思ってんだ」

 文句を言いながら、数少ない棒手裏剣を蔦の壁に向かって投げる。遠隔で壁を焼いたら、カーターたちが嬉々として敵陣の中に突撃していった。

「な……なんだ、あれは」

 面食らった表情で突撃集団を見たエリオットに、リグは思わず噴き出した。

「何って、戦闘民族」

「魔術師もいるぞ!?」

〈木の塔〉では、実力を振るうのが楽しくて楽しくて仕方のない魔術狂マジック・ハッピーはそれほど珍しくないのだが、西のほうではそうでもないらしい。いや、国仕えには珍しいというべきか。あの中にはルクトール枝部しぶの魔術師もいるようだから。

 クレマンスのいう〝研究室に籠ってばかりの魔術師〟は、エリオットのような奴らを指していたのかもしれない。

 ――一緒にされたくないな。

 クレマンスと、エリオットと。二人に対する反抗心が湧き上がる。侮られすぎて、さすがのリグも腹が立ったみたいだ。

 リグは、スコルを呼び寄せた。グラムを送って戻ってから、平原で敵兵を相手に遊ばせていたのだが、リグのお願いにはすぐに応えてくれる。

「サーシャ、援護は任せた」

 そう〈精霊〉に呼び掛けて白狼の背に乗り、リグも戦場へ下りる。通り抜けざまにもう一度蔦の壁を生やし、それから杖を槍に変えた。幅広の穂先で通り抜けざまに敵を切り払いながら、〈木の塔〉の塔員たちの群に飛び込み、二本の剣を振るうカーターの隣に来たところで、スコルから下りる。

「おーし。来たな」

 張り切って敵を次々と薙ぎ払っていたカーターは、一瞬だけこちらを振り返り、口元を歪めた。

「来たな、じゃないですよ。まったく」

 溜め息を吐きながら応じ、スコルはそのまま戦いに向かわせた。再び戦場を駆け抜ける狼に、敵兵は翻弄される。

「せっかく引き籠もれるようにしたのに」

「馬鹿だな、こういうのは勢いが大事よ。戦いっつーのは、みんな序盤が元気なんだ。だから、早いうちに相手の気力・体力を削ぐ。これが鉄則」

 なんか脳筋の考えそうなことだ、とリグは肩を竦める。異論はないが。

「それと、考える暇を与えねーこと。あのまま蔦の壁に頼ってたら、そのうち攻略されるぜ。それこそ、さっきみたいに燃やしゃ良いとかな」

 何気ない指摘がぐさりとリグの胸に刺さった。自ら敵に攻略法を示してしまったことに、今になって気付いた。

「対人戦に慣れてないのは、相変わらずか」

 リグは押し黙る。指摘のとおりだった。一般的な魔物を相手にしたときは、蔦の壁を焼き払われることなどほとんどない。火を使う魔物が相手のときは、別の手段を取る。魔物は基本的に〝臨機応変〟を知らず、無理だと悟ると諦めて逃げるので、ついその調子でやってしまった。

 人相手では、そうはいかない。思い至らなかったのは、カーターの言う通り、リグが対人戦に慣れていないからだ。

 一方で、グラムやリズは慣れているほうだった。グラムは、別の塔員と野盗退治に行くことがままある。リズは、何故か一部の魔術師に目の敵にされる。

 リグだけ、ずっと安穏と生きている。

「お前が一人なのも珍しいな」

 深いところに落ちかけた思考を、カーターの声が引き上げる。グラムか、リズか。リグが戦場に立つときは、少なくともどちらか一方が居る。

「適材適所です」

「まあ、なぁ」

 大振りで剣を振るう敵の胸元を蹴り飛ばし、カーターは剣を握ったままの右手で後頭部を掻く。その間にも左手は敵を捉えているので、器用なものだ。敵に囲まれてなおその余裕があるのにも、また呆れる。

「どうせ、ルクトールこっちに来てから暴れ足りなかったんでしょ。お付き合いしますよ。貴方の無茶には慣れてるし」

 リグも、援護そちらのほうが向いているし。

「生意気言うじゃねぇか。なら、付いてきてもらうぜ」

 意気揚々とカーターは走り出す。まるで水を得た魚だ。三十半ばだとは、とても思えない。

 豪快に、それでいながら繊細で無駄のない動き。カーターの戦いぶりは、まさに練達ベテランと呼ぶにふさわしいものだった。敵は圧倒され、および腰。そんな弱気な相手に、カーターが苦戦するはずもない。

 とはいえ、リグも見ているだけというわけではなかった。飛んでくる矢を防ぎ、近付く者を炎で牽制し。地形を変えて、カーターの動きに変化を加え。パルチザンも当然振るう。守りと治癒で仲間を補助し、槍術と魔術で敵を懐に入れることなく戦う。それがリグの戦い方。

 久方ぶりとはいえ、カーターもリグとの息は合っていて、だからこそ余裕が生まれるのだろう。ある程度戦場を掻き回したところで、リグのほうに意識を向けた。

「襲撃を決めたからにゃ、何か切り札を用意しているはずだ。早いところ、それを引っ張り出す」

 クレールの襲撃当初から、カーターはそれを頭の隅に置いて行動していた。わざわざ敵陣のど真ん中に飛び込んだのも、そのためだ。先ほどリグは彼らを〝戦闘民族〟と揶揄したが、決してただの戦闘狂ではないこともよく知っていた。

 でなければ、付き合うものか。

「あの魔物は?」

 ルクトール上空に現れた魔物。あれは想定外だった。たまたま直前に気づいたから良かったものの、魔物が街の住民を襲いはじめていたら、事態はもっと混乱していたことだろう。敵が街に侵入することも許していたかもしれない。

 だが、カーターは首を横に振る。

「違うだろうな。あれはただの、最初の石ころだ」

 あの魔物に戦況のすべてを賭けるようなお粗末な戦略で、わざわざ城壁の街を襲うようなことはしないだろう、とカーターは見ているようだ。

「……だが、魔物を使ってきたっていうのは気になるな」

「魔物を、操る……」

 人工物を祖とするとはいえ、魔物も獣と変わらない。躾ければ、操ることはできるだろう。シャナイゼと比べて魔物の数が格段に少ない西の地で、よく試してみようと思ったことだが――

 ……それを何故、今ここで見せびらかした?

 今回のような魔物を使った陽動なんて、二度目はきっと通用しない。どんなものか知らないが、せっかくの技術をこんな形で見せるなんて、対策してくれと言っているようなもの。

 ――いくらなんでも、安易すぎる。

 むしろ魔物を操る技術そのものは、隠すべきものではないということか。

 なら、何をしてくるだろう。

 リグは必死に頭を捻る。手掛かりを求めて辺りを見回し、ふと疑問が浮かんだ。城壁都市を攻略するにしては、敵は剣や槍を握る兵士ばかりだ。街に侵入するための道具がまるで見当たらない。対人戦に慣れていないリグでも、戦で使われる道具くらいは知っている。破城槌や投石機はもはや主役と言って良いはずなのに、今ここに来ても影さえ見当たらない。

 用意できなかった? そんなはずがないだろう。仕掛けてくる側が、準備も整わぬまま突っ込んでくるはずがない。大掛かりな装置を運ぶのに森を抜けるのを避けたのか? でもそれなら、別方面から運べば良いだけで、無茶無謀を実行する理由にはならない。南も北も東も静かだから、装置が使われている様子がない。

 ――代替手段があると考えるのが、自然か。

 問題は、それが何か。

 魔術。火薬。そういったものの可能性を考えてみるが、どうしても魔物の存在が気に掛かる。

 リグのに応えるかのように、闇を引き裂くような声が降ってきた。城壁でリズと聞いた鳥の声とは比較にならない、耳を塞ぎたくなるほどの声量。

 顔を上げると、星空の頂点が黒く塗りつぶされていた。だんだんと闇は広まっていく――否、生き物が降りてくる。

 篝火を照り返して鋭い鉤爪が光る様は、背筋が凍るほどの恐怖を覚えた。そんな爪を持つ脚が、四つ。支えるのは獣の身体。狼か大猫か、肉食獣のしなやかさを感じさせる胴体は、灰鼠色。その背には大きな翼が広がっている。

 体長が人の三倍はあり、地上に降りるとこの平原が庭のようにも錯覚させられた。

 そんな巨大な生き物は、鷲の頭を掲げていて。

「……グリフォン」

 リグが引き出したその名前は、生き物の名前だ。旧世界から夢物語の怪物として語られた、この世に存在しない生き物。

 リグの頭から、急速に血の気が引いた。

「……くそっ、間抜けが! 寝惚けてんのか!」

 頭を掻き毟りながら、悪態をつく。

 魔物だとばかり思っていた。野生の凶暴な生き物をわざわざ調教したことに感心さえもしたものだが、思えばもっと楽な方法がある。

 はじめから、そう作ってしまえばいいのだ。

 アーヴェントも示唆していたではないか。

 クレールが、合成獣キメラに手を出していることを。

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アリシアの剣 森陰五十鈴 @morisuzu

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