一夜のキリトリセン

蟬時雨あさぎ

ある姉弟、あるいは兄弟の話

「姉さん。――天照アマテラス、姉さん」


 神々が住まう、高天原タカマガハラ。その一角にて姉を呼び止める弟が一人。射干玉ぬばたまの美しい瞳に、宵闇を思わせる黒髪。


「あら、貴方から話しかけるなんて珍しいわね。……どうしたの、月読ツクヨミ


 振り返った女性は、艶のある黒の長髪に太陽を思わせる髪飾りを付けている。


「……オレが統べるべき夜は、なんだ?」


 そう聞いた青年の名は月読ツクヨミ――月読尊ツクヨミノミコトである。勿論、尋ねられたのはその姉といえばたった一人――天照大御神アマテラスオオミカミだ。

 そして今、彼女は首を捻っている。


「そう、ねぇ……」


 天照アマテラスは昼を統べる神であり、月読ツクヨミは夜を統べる神である。昼と夜。その線引きをはっきりさせるのが大切だと思ったのだろう。

 また、天照アマテラスは太陽神たる側面を持つように、月読ツクヨミは月神たる側面を持つ。


「それは矢張やっぱり……」


 それを思い出した天照アマテラスは、顎に人差し指を立てながら、にっこり笑って続きを言った。


「月が出ている間ではなくて?」


 その笑みは美しく、さながら太陽が照らしているような明るさであった。

 その様相に、月読ツクヨミもぱあっと微笑む。


「そうか、分かった。……姉さんの言う通り、月の出ている間を見守るとしよう」



  ○●○●○●○●○●○●○●○



「……んで、兄貴はそれを律儀に守ってると?」

「勿論だとも」

「はー……。姉貴も姉貴だけど、兄貴も兄貴だよなぁ」


 とある真昼間。そう溜息を吐いたのは天照アマテラス月読ツクヨミの弟である須佐男スサノオ――須佐之男命スサノオノミコトである。

 因みに、現在進行形で高天原タカマガハラを放逐されている。当の昔に姉の怒りは治ってはいるのだが、なかなか切り出さないでいるらしい。


「? どういうことだ?」

「や、まあ追い追い話すわ」


 月読ツクヨミが久方ぶりに会おうと思ったのはいいものの、会う為に高天原を出ないといけないのは、実のところ意外と面倒な作業であった。主に手続きとかが。

 首を傾げる月読ツクヨミに、呆れ混じりで須佐男スサノオは尋ねる。


「んで兄貴、それは何百年ぐらい?」

「ん……五百年とか、六百年とか?」


 この辺りは流石さすが神々といったところで、人間では考えられない期間を一纏ひとまとめに括るものである。


「それまでは?」

「何となく、暗いときを統べてた」

「そっちが正解だよおおお……」


 片手で頭を抑える弟を、兄は尚も不思議そうに見つめる。姉貴と兄貴はちょっと抜けているところがあるな、と思ってはいたものの、ここまでだとは信じたくない須佐男スサノオだった。しかし今、目の前で不思議そうにしている兄貴がいる。当の本人あにきが、いる。


須佐男スサノオ……何か誤っているところがあるならば、はっきり言って欲しい」


 おずおずと落ち着いた口調ながらも、芯のある声音で月読ツクヨミは告げる。すると、ぐしゃぐしゃぐしゃ、と髪を一頻ひとしきり掻きむしった後、須佐男スサノオは吹っ切れたように顔を上げた。


「ああ、そーかよ。じゃあはっきり言うぞ!?」

「嗚呼、はっきり言ってくれ!」


 その月読ツクヨミの確実に理解していない反応に焼けくそとなった彼は立ち上がる。


「いいか、兄貴も――姉貴もよく聞け!」


 太陽を指差して、末の弟は心の限りに精一杯叫んだ。







「時と場合によってはな、太陽と月は同じ時間帯に空にあるんだよおおお!!!!」

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一夜のキリトリセン 蟬時雨あさぎ @shigure_asagi

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