真実は見えるか

賢者テラ

短編

 1944年。

 第二次世界大戦、すなわち連合国と枢軸国との熾烈な戦いは、この頃になると連合国有利に傾き、枢軸側の敗色、特に大日本帝国の圧倒的不利は濃厚となっていた。

 6月13日。突如、サイパン島における日本軍は、アメリカ軍艦載機1,100機による空襲を受け、続いて戦艦8隻、巡洋艦11隻含む上陸船団を伴った艦隊がサイパン島に接近、砲弾合計18万発もの艦砲射撃が開始された。

 ほぼ半壊滅状態に陥った日本軍は、当時のサイパン島における最高責任者・小畑軍司令官を中心に反撃を試みようとするも、様々な不測の事態や戦力の疲弊もあり、反撃作戦もスムーズに運ばなかった。



 そうこうしているうちに二日後の7時、アメリカ海兵隊8.000名が島に上陸。

 日本軍は海岸に戦力を結集し、一斉反撃を行った。

 しかし、米軍の優勢な火力により、2個大隊と横須賀第1陸戦隊はほぼ全滅し、島の北部へ退却した。



 御堂伍長を中心とする小隊は、サイパン島に広がる広大なサトウキビ畑に潜んでいた。

 初めは、奇襲攻撃をかける目的で潜んでいたのであるが、ここではアメリカ軍のほうが一枚上手であった。

 火炎放射器で畑を次々と焼き払っていき、熱さに耐えられなくなって日本兵が出てきたところを銃殺するという戦法は、サイパン島における日本の残存戦力を恐怖のどん底に陥れた。

 事実、反撃を試みた日本側8.000名がたった1時間に野戦砲800発、機銃1万発という米軍の圧倒的火力により、ほぼ全滅してしまうこととなる——。

 


「隊長、どこ行ってたんっすか」

 弾倉をチェックしていた小山一等兵が、さっきから姿の見えなくなっていた上司の姿を認めて安堵の声を出した。

 遠くで、機銃掃射の音がする。

 パチパチと火のはぜる音も聞こえる。

「ああ、心配させて悪かった」

 御堂小隊の隊長である御堂博史伍長は、一面に広がる背の高いさとうきびの根元に座り込む部下たちの元へ、姿勢を低くして駆け寄った。

「……ちょっと、向こう側の地形を見てきた。一面切り立った崖でな、これ以上の後退は不可能だろう——」

 14人いた小隊も、アメリカ軍の火力の前に逃げ惑っているうちに、今では隊長である御堂を含めて5名にまで減ってしまった。通信機器ももはやなく、中央と通信して指示を仰ぐ術もなくなった。



「ここはいっちょ、腹のくくりどころですかねぇ」

 うしろを見れば、さとうきび畑の広がるのどかな風景。

 しかし前方では、じわじわと焼き討ちによる大量殺戮が行われている——。

 さとうきびが焼ける臭いに混じって人肉のこげる臭いまでが混じり、補給もままならず空きっ腹を抱えた彼らの胃にさえ嘔吐感をもたらした。吐く物と言っても、今は胃液くらいしかないが。

 御堂隊長を中心に、最年長の山田。物資がなくても太っちょで、お前は栄養が行き届いていていいなぁとからかわれる伊藤。内地にいたときはギターが上手で女性にモテた、イケメンの高坂。そして、さきほど隊長を心配して声をかけた最も若い18歳の兵・北川——。

 五人は、これで自分たちはもう最後であると悟った。

 徹底的な戦時下の教育を受けた彼らに、『降伏』『投降』の二文字はなかった。

 天皇のために、お国のために死ぬことは、彼らの最も誇りとするところであった。



 逃げ場のない彼らの元へ、アメリカ軍の砲撃の音が近付いてくる。

「お前たち、よくぞ今まで私についてきてくれた」

 御堂隊長は、4名の隊員を我が子を見るような目で見渡してから、小隊としての最後の作戦を言い渡した。

「この状況では、もはや我々の勝利はあり得ん。同じ勝てぬのなら、我らの大和魂を、日本兵としての誇りをアメリカのやつらに見せ付けてやろうではないか。私が、先頭を切って敵軍に突っ込む。その後、私が死んだと思ったら次の者が、そしてまた次の者が突撃するのだ。一人ひとり、祖国への熱い想いを胸に、あの世に旅立とうではないか」

 皆、涙を呑んで隊長の最後の通達に聞き入った。

 そして、それは皆の賛成するところとなった。

 確かに、まとめて討ち死にするよりも、そのほうがひとりひとりの誇りをアメリカのやつらに見せ付けてやれる——

 そう考えた。



「ちっくしょう。死ぬ前にもう一度、富子ちゃんに会いたかったなぁ」

 まだ18歳の北川は、そう言って太陽を仰いだ。

 誰も、彼を『何を言うか! お国のために死ねる。これほどの名誉はないというのに』などと言って叱る者はいなかった。人間としての彼の弱さを、18歳の若さで戦争という命のやり取りの中に巻き込まれた彼の苦悩を、憐れんだのだ。

 当時、結婚もしていない(女性の体を知らない)若すぎる兵が戦地に送られる直前には、特別の計らいで適当な女性と結婚させられるということが行われる場合があった。生きて帰って来れる、などということのほとんど考えられなかった時代だったからこそのはからい、とでも言うべきだろうか。



 北川は、日本を発つ前夜、富子という女性と祝言を挙げ、一夜限りだったが寝床を共にした。

 恐る恐る彼女の肌に触れながら、彼は聞いた。

「ほんまに、ええんか? イヤやったら言うてや。そらうれしいけど、富子ちゃんの気持ち無視してまで抱くなんて、オレはイヤや」

 覆いかぶさる北川の背中に手を回して、富子はクックッと笑った。

「心配せんでええよ。ウチ、北川くんのこと好きやったんよ。だから、ウチのこと抱いて。ほんまは、生きて帰ってきてほしい。他の人に聞かれたら怒られるけど、生きて帰れるんやったら逃げてな。戦わんといて隠れとって。そしてウチとまた一緒に暮らしてほしい」



 北川は、富子を叱れなかった。

 教育として叩き込まれてきたこととまったく矛盾する感情が湧き起こってきて、北川は混乱した。

 一体、何が正しいのだろう。

 国のために命を懸けることのはずだが、今富子のために生きていたいと願うこの感情は何だ——。

 彼は迷いながらも、富子の着物からはだける白い肌に体を重ねた。

 決して、情欲だけではなかった。死ぬ前に女を知りたいからだけではなかった。

 魂の底から、彼女を愛した。

 彼女の笑顔を守るためなら、死んでもいいと思った。

 そしてそれは、同じ思いでも戦争で『国のために死んでもいい』という感情とは、まったく異質のものであった。




 (北川大介の手記より)


 オレは、富子への未練を振り払って、機銃掃射の音がする方向へ駆けた。

 何のために死のうとしているのか分からなくなりながら、それでも走った。

 すでに、隊長を皮切りに、自分以外の者は皆突っ込んで行った。

 目視で確認はできないが、おそらく皆死んだだろう。

 何度か銃声がしてはまた静まり返る、ということが繰り返されていたから。



 また、静かになった。

 自分が最後出て行けば、もう一度激しい銃声がしてそれで終わりだろう。

 米兵が『バンザイ突撃』と呼ぶ特攻をかけて、恐らく皆体中に機銃で穴を空けられたことだろう。

 勝ち目がないのに、狂った雄叫びをあげながら銃剣を振りかざして機関砲や戦車に立ち向かってくるという、その狂信者的な行動に深い精神的ダメージを負う米兵もいたという。

 この時、オレを突き動かしたのは、天皇陛下のことでも祖国のことでもなかった。

 ただ、お世話になった隊長が、戦友がそうしたから——

 そのあとに続くのだ、というそれだけの思いでしかなかった。 



 さとうきびの茂みをひたすらかきわけ進むと、焼き払われて開けた場所に出た。

 信じられない、というような表情をした米兵たちの顔が、一瞬だけ時が止まったかのようにハッキリと見えた。

 自分の命をコンマ数秒後には奪うであろう敵兵の顔を、目に焼き付けた。

 次の瞬間、大きな音がしてオレは気を失った。

 体を弾で射抜かれた、という感覚はなかった。

 痛みも何もなかった。

 言わば、夜に気がつかないうちに眠りに落ちるのとそう変わりなかった。




(真相)


 それから40年後。

 北川大介の元に、一通の手紙が届いた。

 驚いた彼は、手紙の主に会うことを承諾する旨の返事を書いた。

 その人物が指定してきたのは、都内のとある焼き鳥屋だった。

 


「隊長、生きてたんですか!」

 北川は、心の底からびっくりして御堂元隊長と握手を交わした。

 特攻して、亡くなったとばかり思い込んでいた。

「君こそ元気そうだな。手紙、読んだよ。富子ちゃんとは幸せにやってこれたようで何よりだ。もう上の娘さんは結婚したんだって?」

 驚くことは、それだけではなかった。

「みんな、生きていたのか!?」

 サイパンで全員死んだとばかり思っていた5人が、その焼き鳥屋に集結したのだ。

 一体、なぜだろう?

 その疑問への回答は、御堂元隊長の口から直接語られることとなった。 



 ……まずみんな、今日は集まってくれてありがとう。

 中には、地方の遠いところから来てくれた者もいる。

 もっとシャレた場所にしようかとも思ったが、こういうところのほうが話しやすいかと思ってな。



 とりあえず、私は皆に謝らねばならない。

 皆を生かすためとはいえ、ずっとだまし続けてきたのだからな。

 私は、サイパン島で君たちから単独で離れた時があっただろ?

 あの時、実はあるアメリカ兵とばったり鉢合わせしてしまったんだ。

 彼は攻撃してこなかった。

 私は、銃剣を捨てて手を挙げた。

 私一人が死ぬのはいいが、部下まで無駄に死なせたくない、という思いはあったんだ。君たちを何とか生かせるか交渉できたら、したいと思った。

 すると、アメリカ兵は私を敵意なしと認めて陣営に連れて行ってくれた。

 私には当時は分からなかったが、その米兵も上司も、敬虔なクリスチャン(キリスト教徒)だったんだな。日本語の通訳を介して、無駄に殺戮するのは我々の望むところではない、と言ってきた。



 そこで、君たちを生かすために一芝居うった。アメリカ軍の協力のもとでな。

 一度私が君たちのもとへ戻って、一人ずつの突撃を命じたのは、実は生かすための作戦だった。

 君たちは一人ずつ、実弾ではなく麻酔銃で撃たれたのだ。

 気が付いたら生きていて、捕虜になってたろ?

 私が最初から投降しようなどと提案したら、あの時の皆だったら反対しただろ?

 しかも、もし皆が同時に捕虜にされたら、自害される可能性もあった。

 仲間の見ている前でなら、生きて捕まったことを恥としたろ?

 だから、私はそれぞれが顔を合わせることのないように計らった。

 皆はそうして、お互いがみな死んで自分だけが生き残ったものと思って終戦を迎えたわけなんだ。



 いつかは、皆の消息を探し当て、この真相を伝えなければと思っていた。

 やっと、平和な時代がきた。

 戦争当時の価値観は崩れ去り、命の尊さや人権、そして人類がみな兄弟であるという考え方も広まった。

 だから今こそ、私はあの時の真実を語ろうと思ったわけだ。

 本当に、済まなかった。

 君たちのためとはいえ、嘘をついたのだから。

 こんな私を、情けない隊長を、許してくれるだろうか——



 一同は、涙を流した。

 4人は、この時だまされたなどと思わなかった。

 みな、元隊長に感謝した。

 もし生き残っていなければ、何が正しくて何が間違っていたのか、本当に人類が求めるべきものは何か分からないまま死んだことだろう。

 そしてこの平和な時代に妻を持ち子をもうけ、生きることの喜びをかみしめることもできなかっただろう——。

 特に、当時18歳で富子との幸せな結婚生活を夢見ながらも、断腸の思いで戦地に赴いた北川のこの時の感激は、筆舌に尽くしがたいほど大きかった。

「隊長っ、感謝します」

 五人は、みな固く手を握り合った。

 すでに老齢に達していた5人の元日本兵の、劇的な再会であった。

 


 帰り道。北川は考えた。

 今のこの時代は、どうだろうか。

 確かに日本は戦争もなく、平和と言える。

 しかし。

 凶悪化する犯罪・そして広がる経済格差。

 自殺者の増加。社会不安。迷走する若者……

「ある意味、今も昔も戦争なのかもしれんな」

 そう。我々は今も戦争をしている。

 武器なき、見えない何かとの戦争を。

 


 今日も、誰かがその戦いの中で血を流している。

 その時代時代で、一体何が真実なのだろうか。

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