第61話「ホープ・オブ・ザ・フューチャー」

「これが君の望んだことなのかい?」


 シキは何か言おうとしたが、イドが彼女の背中に手を置くと、口を閉じて再びうつむいてしまった。


「家族の関係にとやかく突っ込むべきではないのは分かってる。でも、君のやろうとしていることは、少なくとも正しいことじゃない」

「……じゃあ、何が正しいの?」


 シキはぼそりと呟いた。


「私はどうすれば良かったの? お姉ちゃんにも見捨てられて! 家族もいない! 私はただ、誰かに傍にいて欲しかった……ただそれだけなのに……!」


 少女の悲痛な叫びに、リュウトは胸が苦しくなった。そしてシキの孤独を感じた。なにしろここはシキの無意識の中なのだ。


シキの感情は、リュウトにも影響を及ぼす。飲み込まれれば、一生抜け出せなくなる。

 

リュウトはパンドラの歌を思い出し、なんとか踏みとどまった。


 この歌は、きっとシキにも届くはずだ。


簡単に他人を理解することはできない。苦しみを理解することはできない。でも、だからって拒絶するだけではいけない。


理解できなくても、理解しようとすることはできる。


だからリュウトは、シキに手を差し伸べた。


「俺がいるよ。まだ会って間もないけど、少なくともシエラのところまでは送ってあげられる」

「お姉ちゃんを知ってるの?」


 シキは再び顔を上げた。リュウトは頷いて、


「うん。あの人は、俺たちを救ってくれたんだ。それに、今ならまだ間に合う。さぁ、一緒に戻ろう」


 その間、イドはずっと何も言わず、ただシキの背中に手を回しているだけだった。シキはイドをちらりと見て、リュウトの手を取った。


そして彼女を立ち上がらせると、シキはもう、幼い少女ではなくなっていた。


「……私は大勢の人を傷つけてしまった。その中で死んでしまった人も、いる。だから、もし私がここで消えてしまいたいと言ったら、あなたはどうする?」

「それでも、君をここから連れ出して、シエラに会わせる。そう約束したから」


 シキは観念したように肩をすくめた。


「そう、か。なら、一緒に行くしかないわね。あの人は昔から頑固なところがあるから」

「確かに」


 リュウトが笑うと、シキもそれに釣られたように笑った。


 その時、イドの影が増大し、その腕がこちらに伸ばされているのに気付いた。とっさにシキの手を引いて、イドの前に立ちふさがる。


「諦めの悪い奴め!」

「どうするの?」

「とにかくここから逃げよう!」


 シキが頷くよりも早く、リュウトは彼女の手を引いて走り出していた。ふと後ろを振り向くと、イドの影が触手のように伸びてこちらに襲い掛かろうとしていた。


 上から振り下ろされた触手の一本が、背後の石畳を踏み割って破片を散らす。全身から嫌な汗が吹き出し、リュウトは走るスピードを上げた。


広場を横切って出入口に来ると、そこで待っていたイドをひったくるように抱え上げた。


「おいおい何が……おっと、あれはヤバいな。リュウト、急いだほうがいいぞ」

「分かってるって!」


 リュウトたちが走った道を、一瞬遅れて影が覆う。しかもそこから新たな触手が生えて、こちらを襲ってくる。


「このままじゃ……!」

「りゅ、リュウト君! 足を見て!」

「え……? 嘘でしょ⁉」


 足元に目をやると、走っている石畳が崩れ始めており、そのさらに下には青空が見えていた。


「これって落ちたらどうなる?」

「まぁ、良くはないだろうなぁ」

「他人事だと思って!」


 崩れゆく足元でシキを引っ張っていくのは無理だと判断したリュウトは、その体を抱きかかえた。


「え、ちょっと!」

「首に掴まって!」


 リュウトの首に手を回したシキは、少し頬を赤らめたように見えた。だがそんなことを気にしている余裕はない。


そしてまばらになった石畳を、飛び石のようにぴょんぴょんと跳んだ。


「これって大丈夫なの!」

「大丈夫。歌を追えば、そこにパンドラがいるから!」


 シキが怪訝そうに眉をひそめる。それもそうだろう。今響いているその歌は、リュウトにしか聞こえていないのだから。


「リュウト君……?」

「俺を信じて!」


 リュウトは心配そうにこちらをみるシキと、目を合わせた。


「絶対に、君をお姉さんのところに連れて帰るから!」


 シキはしばし驚いたようにリュウトを見ると、頷いた。


「さぁ、飛ぶぞ!」

「うわぁぁぁ! やっぱりまだ心の準備が!」


 ついに道と街並みが消え、リュウトたちは大空に飛び出した。その背後からは、未だに影の触手が追いかけてくる。


 だがその先に、十字の眩い光が見えていた。あれが、パンドラの用意してくれた通り道だ。これで帰れる。


 シキは首に巻いた腕に力を込めて、ぎゅっと目を瞑った。


 光に飛び込み、視界が真っ白に染まる。


 線は繋がれた。リュウトはシキを連れて、この世界から抜け出した。


◇◆◇


 現実に戻ったリュウトは、抱きかかえていたシキを床に降ろした。後ろを振り向くと、もはや魔導衣ローブのみになっていたイドが、こちらを向いていた。


 リュウトの手を強く握っていたシキは、その手から離れて、イドの元へ一歩進んだ。


「ねぇ、あなたはどうなるの?」

『……消えてしまおうかと思ってる』

「どうして? だってあなたは――」

『私は長い間、この世界を蝕む歪みと戦い続けてきた。だが、そうしている内に、自らも歪んでしまっていたんだ。そういった矛盾を抱えながらも、私は存在し続けることを選んだ。

だが私は、君たちの中に光を見た。歪みのない、まっすぐな光。私は、それに未来を託そうと思う』


 シキはさらにイドに近づいて、その手を取った。


「でも、あなたが消えることなんてない! だってあなたは、私が呼んだんだもの! きっとやり直せるよ! お姉ちゃんが、それを示してくれたみたいに!」

『ありがとう。私には、その言葉だけで十分だ』

「また会える?」

『私はこの世界の一部だ。常に、君たちの傍にいる』


 その足元には、先ほど出会ったペンギンの姿をしたイドも立っていた。


 そして二人のイドは頷くと、何も言わずにその場に掻き消えるようにして、いなくなってしまった。


シキはその姿を最後まで見届けて、手で目のあたりを拭った。

 

それと同時に魔導衣ローブに変身していたパンドラ――彼女は元の少女の姿に戻っていた――が分離してリュウトの左手を握る。その腕に抱かれたクラークは、相変わらず不機嫌そうだった。


 シキがふらりと振り返って、右腕を失くして倒れているシエラの元に近づいた。そして体の傍にがっくりと膝から崩れ落ちると、その体を強く抱きしめた。


「ごめんなさい。お姉ちゃん……本当にごめんなさい……!」


 リュウトはただそれを見ていることしかできなかったが、パンドラの歌はしっかりと届いていた。希望はある。


 すると、シエラが咳き込んで、その目を開けた。


「ちょっと、また見ないうちに胸が大きくなったんじゃない?」

「お姉ちゃん! どうして!」

「さぁ、どうしてかしらね」


 リュウトに気づいたシエラが、こちらにウィンクした。リュウトはそれに応えるようにしてサムズアップをする。


 その時、礼拝堂が大きく揺れた。新たな敵を警戒したリュウトが頭上を見上げると、そこにはトリノ號の船首が飛び出していた。


イドが開けた穴から中に飛び込もうとしたトリノ號が、穴よりも船体が大きかったために突っかかってしまったのだ。


船首を礼拝堂に突き刺すような形になったトリノ號の、その下部にある緊急脱出口から、慌てふためいた様子でイオが飛び出してくる。


「シエラ様! 無事でございますか!」


 それからシエラの右腕がないことに気づいて、


「シエラ様の、う、腕が!」


 オロオロとした様子でシエラの元に駆け寄った。その様子に、シエラとシキは思わず笑った。その突然の笑いが理解できなかったのか、イオがキョロキョロと辺りを見回す。


「大丈夫だよイオ。腕の一本くらい、どうとにもなるさ……艦長たちは?」

「えぇ、みなさん無事です……シキ様も、よくお戻りになさってくださいました。おかえりなさいませ」


 シキは少し照れ臭そうに笑って、「うん。ただいま」と言った。


 パンドラを伴って二人に近づくと、シエラはシキの肩を借りつつも立ち上がった。


 リュウトとシエラ。互いの瞳をじっと見つめる。


 言葉は必要ないと思っていたが、クラークがリュウトの背中を押した。


「ほら、行けって」


 パンドラを見ると、彼女は確かに頷いた。緊張で汗が滲んだ手のひらを誤魔化すように擦ると、高鳴る心臓を抑えつつシエラに向かって一歩進んだ。


 そしてとうとう耐え切れなかったのか、シエラがリュウトに向かって飛び込んだ。その重いが、愛おしくもある体を、リュウトはひしと抱いた。


「バカね……無茶をして……」

「うん。分かってるよ……」


 この世界には、辛いことも、悲しいこともたくさんある。でもそれ以上に、希望もある。


 果てしなく先に見える未来だって、手を伸ばせば、きっと掴める。


 だからこそ、二人は前を向いた。


 その先には、未来が続いていた。


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転生騎士の輪廻賛歌 七時雨こうげい @nanashigure_kougei

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