第5話 踊る金の髪
ピクリとも動かない人形の様な眠り姫を腕に抱いて、汗だくになりながら帰宅の道を辿る。
じっとりと粘り着く湿気と、抱いた少女からインナースーツ越しに伝わる温もりに汗ばみながら歩く。幸い抜け落ちた羽根の様に軽いので、抱き抱えること自体は苦ではない。
(これからどうしようか)
映画のワンシーンさながらに、淡い月の明かりの暗い夜空から降ってきた眠り姫。人形の様な人並外れた容姿を持つ少女。そして父親の名前を呟いた女の子。
(父親って決まった訳じゃない)
カラカラに乾く喉を鳴らす。偶然だ、と創は自分自身に言い聞かせる。思い返せば、珍しく昼間から随分と父親の事を思い出していたから、似た様な音の連なりを父親の名前と聞き間違えただけだ、と。
深呼吸を重ね、顎先から垂れそうになる汗を拭って軽く腕の中の少女を抱え直す。
小さな公園を突っ切れば自宅と言う事実に創は安堵の溜め息を漏らした。
夜明け前の静かな住宅街を身元不明の少女を抱えて歩く、と言う人生において一度あれば奇跡のシチュエーションだ。妙な気も張るし、軽いとは言え人ひとりを抱えて歩くのは割と辛い。さらにこんな姿をご近所さんに見つかったら奇妙な噂が流れかねないし、特に警察に見つかったら即アウトだ。
仮眠を取って起き抜けにこの眠り姫の事を説明しよう、と腹を括っていた創だが、その覚悟は遠目に確認できたリビングについている明かりに打ち砕かれる。
思わず足を止めて深い溜め息をついた。運はどうやら味方をしなかったらしい。
いや、と創は再度腕の中の少女を抱え直すと、逆に腹を決めろと言うことだろう、と止めた足を踏み出す。どのみち腕の中の眠り姫の事は奈緒にも篠宮家も話さなければならないのだ。
しかし後ろめたさから気持ち足音をさせないように公園を抜けるが、創の帰宅を知らせるようにジョンの吠え声がリビングのガラス戸越しに響く。
明かりの明かりの灯るリビングから慌ただしい空気が伝わり創は小さく吐息した。
カーテンが開かれ、まず視界に飛び込んでくるのはジョンだ。彼はいつも通りの出迎えのテンションで、尻尾を振りながらガラス戸の前で足踏みをしている。その傍、少し疲れた顔をした奈緒と、厳しい顔をした宗一と宗春がいる。
が、三人は創の姿を見て大きく目を見開く。
再三問い詰められるんだろうな、と創は苦笑をこぼした。
◆
何から話し始めれば良いのか。困惑した空気が神崎家のリビングには漂っていた。ジョンもそれを理解しているのか、今は部屋のすみで大人しく丸まってこちらを見ていた。
篠宮の二人は奈緒から連絡を貰って神崎家に慌てて訪問した、との事だった。気付いたら創が居らず、お店に出入りしていないか聞いた、とのこと。何かしら思うところがあり、お店が終わってから駆け付けてくれたらしい。
創は大人達の物言いたげな視線の中、ソファに腕に抱いていた少女をゆっくりと寝かせた。穏やかな寝息を立てる少女はソファに沈み込むことなく、ただ、人形の様に横たえられた。
ほぅ、と奈緒と宗春から感嘆の吐息が漏れる。宗一は何も言わないが、視線は横たえられた少女にしっかりと向けられていた。奇異の視線を少女に向け、そしてリビングに立つ創に向けられる。
「……一体全体、どうしたの?」
奈緒が口を開いて空いているソファに腰掛ける。宗一と宗春も彼女に倣う様に腰を下ろし、スペースがないため創はリビングの床に座った。ジョンが腰を上げて創の側までやってくる。
「眠れなくてさ」
創は事の顛末を話し始める。
奇妙な夢を見て寝つきが悪いこと、眠れず散歩に出かけたこと、夜空に夢と同じ光景が広がって気になったこと、空から女のが降ってきたこと、
「それで、父親の名前を知っていた」
淡々と語り、最後に創は絞り出す様に言葉を紡ぐ。奈緒は驚きに息を呑み、宗一はこれでもかと目を見張った。宗春は相変わらず無表情のままに腕を組んで黙っている。
「俺の聞き間違いかも知れないけど、確かに父親の名前を呟いたんだ」
視線はソファで眠る少女に向けられる。最後に言葉を発してから口も瞼も開かれる様子はない。
「それで」
宗一は重々しく口を開いた。
「どうすんだ? この子」
創の視線に倣う様に、彼もソファの少女に目を向けた。
「いくら康久の名前を口にしたからって、それが本当かも分からん。創が言う様に空から降ってきたって言うのも信じられん。それに身元不明ってだけで随分と物騒だ」
もっともな意見だ、と創は思う。
康久の名前を聞いたのも、夜空から降ってきた事を知っているのは創だけだ。
「やっぱり警察に届けた方がいいかしら」
奈緒が困ったかの様に眉尻を下げた。
「警察に届けたところで、どうやって事情を説明するのさ」
創が吐息する。
空から降ってきたので保護しました、で警察が信用するわけもない。
そして何より日本では見た事のない格好だ。スリッドが多く肌の露出が激しい、身体のラインが露わになっているインナースーツ。何をどう説明しようとして、警察から妙な疑いを向けられるのは目に見えている。そして何より、日本の警察は面倒ごとをなるべく引き受けたがらない。
「なんと言うかあれだね、彼女、アニメから抜け出してきたみたいだね」
気の抜けた宗春の言葉に大人達二人は脱力した。
彼が言わんとしていることはよくわかる。大胆に肌が露出したインナースーツは実に現実味を帯びていない。友人達が読んでいる漫画にも、似た様なデザインのスーツを来た少女が出ていた気がする。
「僕が小さい頃にも放送してたなぁ。なんか、液体に満たされたカプセルと一緒にデッカいロボットに乗って戦うんだ。中学生か高校生位の子が、丁度、こんなスーツ着てたよ」
フィールドー全開!だったかな、と宗春は両手を広げる。
その内容は創も知っている。小学生くらいの頃に劇場アニメとしてリメイクされ、今もなお、作品のファンは続編の公開を待ち続けているとのことだ。
確かに言われてみれば、宗春の言う通り、彼女の服装はそのアニメに出てくるパイロットスーツに見えなくもない。
「アニメとか漫画の話はいいんだよ、現実の話をしろ」
宗一の疲れ切った発言に、しかし宗春は肩を竦めた。ソファに背中を預けて、事もなし、とばかりに口を開く。
「実際、もうアニメか現実か分からないよ。オヤジ殿、こんなに可愛い子が空から降ってきたんだ」
「いや……お前の言わんとすることはわかるが、奈緒ちゃんの為にもうちょっと考えてやれよ」
宗一も息子になら深くソファに座り直して深い溜め息をついた。彼の中でもどうしていいのか分からないのだろう。
「そうちゃんは、どうしたい?」
奈緒は少し疲れた顔をして眠る少女と弟分の顔を見比べながら尋ねる。
創は少し押し黙った後、口を開く。
「様子を見たい……少なくとも、この子が起きるまで。父親の事を知りたい」
「康久さんの話は気のせいかもしれないわよ?」
だとしても、と創は奈緒と篠宮の男達の顔を見て言う。
「気のせいかも知れないけど、待ってみたい。父親の事を知ってるなら話を聞いてみたい」
創は少女の顔を見る。硝子細工の様に繊細で、触れたら壊れてしまいそうなくらいに美しい。
明らかに日本人ではない彼女が、亡き父親とどう言う繋がりを持っていたのか、どれだけ父親を知っているか確かめたい。
「それに、奈緒さんやオヤジさん達だって親父の事を知りたいだろ?」
三人は思うところがあるのか気まずそうに視線を逸らした。
幼い創を篠宮家に預けてからの康久の足取りは誰も掴めていない。手紙が寄越される訳でも、人伝てに噂が舞い込んだ訳でもない。
消えて、そして没後に空っぽの棺桶とともに葬儀をしただけだ。空白の八年は誰にも埋められない。
「この子が父親とどう言う関係かは知らない。でも父親の八年を知ってるんだったら、話を聞いてからでも遅くないと思う」
感情が高ぶって語気が強くなる。ジョンが顔をあげて心配そうに創を見やる。彼は鼻先で創の脇腹をつつくと、胡坐をかく創の膝に顎を乗せて目を瞑った。
「そう……ね。私も、そうちゃんと同じ。どこの誰かは分からないけど、康久さんの事を知っているなら少し待ってもいいと思ってる」
奈緒は静かに口を開く。
困った様な恥ずかしそうな笑みを浮かべて眉尻を下げる。
「そうちゃん、少しだけ一緒に待ってみようか。康久さんの話、私も気になるから」
「ありがとう、奈緒さん」
宗一は深い溜め息をついて背中をソファに預ける。天井を仰ぎ頭を搔く。
「わかったよ。大人として目を瞑るのは如何かと思うが、康久の事を知りたいのも事実だ」
視線は創と奈緒から外れソファの上の眠り姫へ。
「ただ何かトラブルがある様なら即刻、警察に連れて行く。そう言う線引きは誰かがしなきゃならんからな」
宗一はそう言って立ち上がった。それをみて宗春も倣うと、創と奈緒に声をかけた。
「まぁ、オヤジ殿もそう言ってるけど、困った事があったら相談してな。なるべく、俺達も力になるから」
彼は気楽な笑みを浮かべて宗一の背中を叩く。
「オヤジだって本当は、康久さんのことは喉から手が出るほど知りたいんだ」
「皆まで言うな。ほら帰るぞ」
宗一は息子の言葉に溜め息をつくと連れ立ってリビングをあとにした。
「宗一さん、遅い時間に連絡してごめんなさい」
「気にしなくて大丈夫だ。創、あんまり心配かけるなよ」
玄関先で靴を履きながら奈緒の言葉に笑みを浮かべた宗一は、創に向き直ると眉を寄せた。
苦笑と共にたじろぐ創の隣、同じく見送りに来ていたジョンの頭を撫でる。
「創は昔っから突然びっくりする様なもんを拾ってくるからな、兄貴のお前がちゃんと見張ってろよ」
「あ、そこはジョンが兄貴なんだね」
宗春の軽口に各々が小さく笑う。
「じゃ、お邪魔しました。何かあったら遠慮苦なく、連絡してくれ」
宗一達は静かにドアを締めて帰っていった。
玄関にはリビングから流れ込んでくるエアコンの冷気と、ジョンの息遣いが残る。
「あんまり、心配かけないでね」
「ごめんなさい」
短い会話の後、奈緒に促されて再度、リビングのソファに座る。
時刻は五時前に差し掛かっていた。後一時間と少しで、創の起床時間だ。話し合いが終わり、どっと疲れと眠気が押し寄せてくる。
「この子、起きるかしら」
「分からない。明らかに普通の寝落ちとは違う感じだし」
奈緒の言葉に創は首を振った。
叩いても揺すっても起きなかったのだ。身動ぐこともなく、彼女はずっと穏やかな寝息を立てて眠りについている。
「……取り敢えず、ソファに寝かせておくのもなんだから、父親の部屋に移すよ」
「そう……いいの?」
創は奈緒の言葉に曖昧な表情を作る。
「奈緒さん、もうちょっと寝たら? 後二時間くらいはあるでしょ?」
「ありがとう、そうするね。そうちゃんは?」
「布団を整えて、シャワー浴びたら少し仮眠する。ジョンにはちょっとだけ待ってもらう」
眠気に顔をしかめながら創は立ち上がる。奈緒は手元のリモコンでクーラーの電源を落とすとリビングの明かりを消す。
「あ、そうちゃん。その子に変なことをしたらダメだよ」
眠れる少女を抱き上げた創に奈緒は、ふと、思いついたかの様に釘を刺す。
彼女の視線は大胆にスリッドの入ったインナースーツに向けられていた。ボディラインにそって張り付く様な仕様であるのにも関わらず、晒される肌色の面も多い。特に胸元からヘソ下までの非常に際どいスリッドはなんのために作られているのだろうか。
呼吸に合わせて女性特有の膨らみが動きいており、引き締まった腹と形の良い臍が目に入る。思わず視界に入れてしまった扇情的な光景に生唾を飲んだ。
と、創の額に軽い衝撃。奈緒がジト目で額に平手をお見ましいていた。
「そうちゃん顔がいやらしい」
「奈緒さんが余計なことを言わなければ、何も気にしなかったんですけどね」
「本当かしら」
「本当です」
不毛な言い争いをしながら、二人と一匹はリビングを後にした。
S.A.R.A.S/サラ 鹿嶋臣治 @kashima_omiharu
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