69、そしてこれから

「新入生の皆さんはー、指示に従ってーゆっくりと移動をお願いしまーす」


 大学構内の至る所に設置されているスピーカー越しに、新入生を誘導する落ち着いた女性の声が響き渡る。

 季節は春。

 どこからか桜の花びらが風に乗って視界の前を通り過ぎていく。

 眼下には真新しいスーツに身を包み、緊張と不安とそれを上回る高揚感を感じさせる表情で構内を進む新入生たちの群れ。


 ボクはメインストリートに接する校舎の一角の空き教室からその光景を見下ろしていた。

 入学式の新鮮な空気が漂う大学内を見渡して、ボクは一年前、自分が入学したときのことを思い返した。


 三年生へ進級したボクは、周りの同級生たちと同じように進路に悩んで、その結果、普通に地元の大学――この嶺岡大学へ進学した。

 そして可憐は、県外の大学へ進学して、今は一人暮らしをしている。


 県外の大学を選んだ理由について、可憐は詳しいことは話していなかった。

 ただ、一度離れてみたいとだけ零していた。


 ボクと可憐の関係は、あの告白以来表面上は元通りだったけれど、やはりどこかでよそよそしさのようなものがあったことは否めない。

 お互い元通り、普通の幼馴染でいようとしても、一度変わった人間関係が元通りになることは無理なのだと子どもながらに悟った。


 とはいえ、仲が悪くなったとか、そういうことではない。

 今でも時折ニャインで連絡は取る。


 ただお互いのために新たな環境が必要だったんだと、そういうことだと思う。

 高校を卒業するまで一緒にいたボクたちが初めて離れて過ごすこの時間も、始めは奇妙な感覚を抱いていたものだけれど、一年が経つと馴染んでくる。


「おーい、春人。新入生捕まえに行くぞ~」


 ふと、背後から元気な声がかけられる。

 振り返ると、ボクが所属するキャンプサークルの面々が扉の近くから手を振ってきていた。


「……入学式当日の新入生の勧誘は禁止されているよ」

「そんなのバレなきゃいいって。みんなやってるし。春人も去年、入学式当日に勧誘受けたろ?」

「まあね」


 その時のことを思い出して口角が上がるのを覚える。

 ボクは一度窓の外に視線を戻してから彼らに向き直った。


「ごめん、ちょっとこの後約束があるんだ。先に行ってて」

「……もしかしなくても例の彼女だな? 今度紹介しろよぉ」

「しないしない。悪い虫には近付けないよ」

「ひでぇなぁ」


 などと軽口を交わしながら教室を出ていくサークルメンバーを見届ける。


 大学に入学したボクは、何か変わりたいと思って、柄にもなくキャンプサークルに入った。

 これが中々楽しくて、意外にもボクの性分に合っていた。

 入学当初に心配していた友達作りもサークル関係で順調にできたし、揚羽にも勧めよう。


「っと、そろそろいかないと」


 教室を出て、リノリウムの廊下を進む。

 校舎の隣に併設されている食堂の中に入って階段を上る。

 室内の階段から二階へ、そのままテラスへ移動し、そこに設置されている階段から屋上へ。


 全身に吹き付ける春風にほっと息を吐いていると、ぽんぽんと肩を叩かれた。

 本来ならビックリするはずだけれど、ボクはその優しい手の置き方を知っている。


「お待たせ、春人くん」


 肩越しに振り返ると、ボクの予想通りの人がいた。


 高校時代ツインテールだった髪をおろして、髪先にウェーブもかかってとても華やかな髪型に整っている。

 入学式だからスーツを身に纏って軽く化粧もしてとても大人びた雰囲気を感じさせる彼女。


 ボクの彼女、相沢揚羽だった。


「……なんだか、やっぱりその呼び方少し慣れないね」

「もー、第一声がそれなの? もっとほら、言うことあると思うんだけどっ」


 不満そうに頬を膨らませて、揚羽は見せつけるようにその場でひらりと回った。

 ボクは苦笑いをしながら彼女の希望に応える。


「似合ってるよ、スーツ。すごく大人っぽくて、綺麗だ」

「……あ、ありがと」


 やっぱり揚羽は自分で言って自分で照れる。

 この癖は、結局治らなかった。


「もしかして今日家に迎えに行こうかって聞いたら断ったの、大学でスーツ姿を見せるためだった?」

「うんっ。大学のキャンパス内の方が様になってるでしょ?」

「まあ、ね。……あの揚羽が、いつのまにこんなに大きく……うぅっ……、いたっ、痛い、揚羽痛い!」


 噓泣きをしているとほっぺたをつねられた。ひどい。

 ヒリヒリする頬を擦る。

 ほっぺたをつねるために眼前に迫っていた揚羽の顔がすぐ真下にある。

 ボクを見上げてくる揚羽にドキッとすると、揚羽は挑発するような笑顔を浮かべた。


「これからよろしくお願いします。春人せ・ん・ぱ・い」

「はいはい」


 からかってくる揚羽に適当に相槌を打つ。

 それで会話が一度終わって、ボクたちのほとんど密着した距離感だけが残る。


 ……お互い、沈黙のまま見つめ合って、ボクは自然と周囲を見渡した。

 幸いなことに、屋上には人影がない。

 皆メインストリートに出払っている。


 ボクが揚羽の細い肩に両手を乗せると、揚羽はそのまま目を瞑って顎を僅かに上げた。

 柔らかな感触と、春の匂いに混ざって甘い香りが鼻孔をくすぐる。

 一秒程度の軽いキス。

 化粧のためなのか、薄赤く染まった頬にドキリとする。

 再び見つめ合い、ああ、これはよくない流れだと思った矢先、揚羽がくすりと笑った。


「な、なに?」

「あたしの口紅、春人くんに少しついちゃった」

「え、嘘!?」


 口元を触って拭おうとするボクを見て、より笑いを深める揚羽にすっかりムードが遠のく。

 ……ま、まあ全然良かったけれど。

 ここ、キャンパス内だし。


「はい、貸してあげる」

「あ、ありがとう」


 揚羽が手渡してきた花柄のハンカチを受け取って口元を拭う。

 確かに薄ピンク色の口紅がついた。


 ハンカチを返すと、それを受け取った手でそのまま揚羽が腕に抱き着いてくる。

 腕に当たる柔らかいものに意識を割かないようにボクは青空を見上げた。


「……スーツ、皺になるよ」

「この後クリーニングに出すからいいもーん」

「……そっか」

「ね、春人くん。キャンパスデートしようねっ」

「勉強もね」

「……はーい」

「なに、今の間。言っておくけど留年なんてダメだから」

「あたし思うんだけど、春人くんが一回留年したら、あたしと同学年になると思うんだよね」

「おっそろしいことを言わないで!」


 冗談を言い合っていると、一際強い風が屋上に吹き付けてきた。

 地上を漂っていた桜の花びらを乗せて吹き付けてくる。


 ボクたちは、その花びらの行く先を目で追いかけていた。


――――――――――――――――――――――――――――

これにて本作は完結となります。

約二年間の連載にお付き合いいただきありがとうございました。


今後もラブコメやファンタジー作品を投稿していきますので、

もしよろしければ作者プロフィールよりフォローいただけますと幸いです。


また、現在『財閥のお嬢様と始める偽装交際~「これは契約だ」と思っていたはずが、何故か財閥の総力をかけて甘やかしてくる~』というラブコメ作品も連載中ですのでこちらもあわせてよろしくお願いいたします。

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彼氏ができた初恋の幼馴染の妹が最近やたら絡んでくる。 戸津 秋太 @totsuakita

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