一夜のキリトリセン
御子柴 流歌
ファインダーという名のキリトリセン
夜空に向かってカメラを構える。
レンズ越しに見た風景は、いつもは長方形で――時々正方形を使うけれど、だいたいは四角い切り取り線で抜き出される。
肉眼で見るのとは違った色彩を見せてくれる。
とても気分屋でもある風景は同じ表情を再び取るようなことはない。
そもそも同じ顔にならない空を、同じ時刻に2度撮ることはできない。
それでも、期待はしてしまうのだ。
- - - - - - - - - - - キリトリセン - - - - - - - - - - -
毎年7月の終わりには、この街でいちばんの花火大会が開催される。
晴れの特異日でもないはずなのに、この日は毎年よく晴れる。
長年続いているものだが、今まで1度として雨天延期になったことがないという花火大会だ。
何年か前には全国ニュースにもなったくらいだった。
ボクも、小さい頃から毎年来ていた。
楽しみだった。
カメラを持つようになってからはとくに熱心にこの日を待ち望んでいた。
ボクのような人はとても多い。特等席とされるところは有料の枡席になっているのにもかかわらず、販売開始から数時間も経たずに売り切れてしまう。河川敷は数キロに渡って人垣ができるくらいだ
よく晴れた夜空と、それを鮮烈に彩る大輪の花。
もちろん花火だけも撮るのだが、ボクは毎年、このふたつの他に何かを含めた風景を切り取るようにしていた。ある時は公園のブランコ、ある時は音楽ホールというように、この街の情景が花火の色で染まっている様子も好きだった。
迷った挙げ句、今年は河川敷を見下ろせる駅ビルの屋上へ行くことにした。メインの観覧場の混雑に参った人たちが流れ流れて、最終的に辿り着くかもしれない程度の場所だ。今もそれなりに人の姿はあるものの、どの人たちも花火を見る目的では無さそうだった。
いい撮影場所はないかと思えば、丁度花火が上がる方角にあつらえたような空間があった。これはラッキー。思わず笑ってしまう。使うかどうかは微妙だが、そんなに邪魔にはならないくらいの小型の三脚を設置する。
間もなくして始まりの時刻を迎えると、街中は皆、嫌なことさえ忘れて空を見上げる。
河川敷やその近くで見るよりは幾分か小さく見えるが、高さというアドバンテージは重要だ。近く見えるのは大事だ。
少しの間肉眼で堪能し、カメラを構える。打ち上がる音も聞こえるので、それを頼りにしながらシャッターを切っていく。
周辺のビルに重なりながら開いていく花。これが今回のターゲットだ。
会場側の準備のため、少しの間打ち上げが止まる。この間を活用して画像のチェックをする。いくつかタイミングがずれているものもあったが、概ね問題無さそうだった。
ふと空を見上げると花火の残滓が空を覆っている。弱い東風に乗って少しずつ街から離れていく煙を見つつ、その方角にピントを合わせて次の花火へと備える。
「キレイに撮れてますか?」
「え? ええ、まぁ……」
不意に背後から女性の声がした。ボクに向かって話しかけているのは明らかだったが、この状態ではそちらを向けない。
「ちょっとごめんなさい、あの……」
「あ、大丈夫です大丈夫です。こちらこそいきなり話しかけちゃって」
とても透明感のある声だった。例え方が正しいか解らないが、以前行った渓谷で流れていた川の源流になる清水――あれと良い勝負ではないだろうか。
そんな透き通った声に勝手にその風貌を想像してしまうが、話しかけられたままにしておくのは失礼だ。できるだけ早く準備を終えて、振り向く。
「お待たせしました……?」
「こちらこそ、急がせてしまってすみません」
「いえいえ、そんなことは、なくて……」
びっくりするほどに想像通りだった。
清楚を具現化したような、ある意味この場所には不釣り合いな、白いワンピースに身を包んだ女性が笑顔で立っていた。
何故だか、どこかで見たことのある雰囲気だった。
彼女はやわらかな笑顔のままでゆっくりとこちらへ近付いてきた。
「どうですか?」
「え?」
記憶を探ろうとするより早く訊かれる。
「花火。撮ってらしたんですよね?」
「ええ、今年もキレイですよ」
何気なく答えたが、その返答に彼女は横を向いて本当に小さく噴きだした。
「あれ?」
「あ、そういう意味じゃなくて……。花火を撮った写真の方を伺ってたんです」
「ああ、そっちか。ええ、そうです。ぼちぼちって感じですかね」
天然ボケのような返しに顔が熱くなるが、とくに機嫌を損ねたわけでは無さそうなのでひとまず安心しておく。
「もしかして、プロの方だったりします?」
「いえ、そんな。……趣味の延長みたいな感じですよ、まだまだ」
「ということは、目指しているってことですか?」
「……一応は」
「やっぱり。だって、使ってるのがスゴそうで」
叶わない可能性の方がだんだんと大きくなってきてはいるが、それでも追いかけ続けてしまうのだ。今はまだ。
「見せてもらってもイイですか?」
「いいですよ」
断る理由はない。
「ありがとうございます」
「ちょっと見づらいかもしれないですけど」
「いえ、全然」
デジカメのモニタを閲覧モードにして彼女の方へと向ける。
「わぁ、すごい……」
今、目の前の空に打ち上げられているものを見ているくらいに、新鮮な反応をしてくれた。臨場感のようなものを感じてくれたのだろうか。これは嬉しい。
1枚1枚で撮ったものはゆっくりと、連続で撮ったものはコマ送りで。
そのひとつひとつに、決して大袈裟ではないのだがとても好い反応を見せてくれる彼女から、目がどうしても離せない。
大きな目。
やわらかそうな頬。
くっきりとした鼻筋。
なによりも、その笑顔。
――やはり、どことなく見覚えがある。
あったとしても、数年にはきかないくらいの昔の話。
ところどころぼんやりとしながら順番に見せているうちに最後の1枚になった。
「あ、ここまでですね」
「すごかったー……。ありがとうございます」
「いえいえ、喜んでもらえたなら」
彼女の笑顔につられて、少しだけ笑い合う。
「今日は最後までここで?」
「そのつもりです」
「だったら私も、ご一緒していいですか?」
「別にいいですけど……、いいんですか?」
「え?」
ボクとしては問題はないのだけど。
「たぶん、退屈になるんじゃないかなぁ、って。それにここって、それほどいい花火スポットでもないですしね」
正直なところ、打ち上げ場所により近いところのビルで撮りたい。それは当然みんなが思うところであり、これまた当然のように花火の最中は付近のビル屋上などは揃って立ち入り禁止にされるのだ。何とか少しでも高いところを、と選んだのがここというだけの話である。
「それでしたら、むしろ私の方があなたの邪魔にならないかって思ってましたし、それに……」
少しだけ言葉を切り、改まった感じでこちらに向き直る。
「素敵な写真をお撮りになっている素敵なところも、見たいじゃないですか」
――そんな素敵なことを言われるとは思わなかった。
不意を突かれて何も言えなくなっているところを肯定と判断したのか、彼女は先ほどよりも近くに並んだ。
途中、花火の切れ目のタイミングで話していて同い年であることが判り、自然と敬語は消滅した。
「そろそろ最後だね」
「そうだね……」
小さな喚声と、シャッター音。ときどき、ふたりで息を呑む音。
そんなことを繰り返している内に、もう最後のプログラムとなる時間だった。
この花火大会のラストを飾るのはもちろん、一番の大きな花を咲かせるもの。それが5回打ち上がる。毎年の恒例だった。
――もう今年も最後の花火。
毎年思うことではあったが、今年はとくに終わるのが早く、そして名残惜しく感じる。
「何か、早いなぁ、って思っちゃう」
「あ、ボクも同じこと思ってた」
「え、ほんと?」
正面を向いたまま少し寂しげに呟いた彼女が、こちらを向いて
「知ってる? 楽しいことって早く終わっちゃうように感じる、って」
「よく聞くね、それ。嫌なことはだらだらと続いて、イイことは一瞬でぱっと終わっちゃうように感じるっていう話でしょ」
「それそれ」
原因は、疑いようもない。
「じゃあ、あなたのせいだね」「なら、君のせいだ」
「え?」「あれ?」
同時に名指し。同時に困惑。
そして同時に、照れる。
「あ、そ、そうだ。メモリーカードの残量チェックしないとー……」
「……さすがにそれは雑すぎでは?」
「やっぱり?」
照れ隠しで余計に恥ずかしくなってしまったが、会話が止まるよりはマシだった。
「……ありがと」
「ん? 何が?」
「なんでもない」
少し気にはなるが、実際に最後の花火に向けたスタンバイの必要はあった。訊くのはその後でもいいだろうか。
「そういえば、その三脚って使わないの?」
「あー、そういえば持ってきておいて使ってなかった」
たまに使うこともあるから念のため毎回持ち運んではいるものの、何となく手持ちの方がしっくりきてしまうのだ。
「だったら……。ひとつ、お願いがあるんだけど」
「お願い?」
「そう。お願い」
「最後の花火で、いっしょに写りたい」
三脚を指差しながら彼女は言う。
「いいよ。たぶんその辺に立てば」
言いながらカメラの調整をしようとしているボクに向かって、『違う、違う』と手で言ってくる彼女。
「『一緒に』、写りたいの」
再び三脚を指差し、さらに続けてボクを指差した。
「……あ。一緒、ってそういうこと?」
彼女は満足そうに、でも少し呆れ気味に肯いた。
程なくしてスタンバイ完了。
恐らくこの辺だろうというあたりを付けて、角度を調整。
トリを飾る花火の前に数発上がったもので最終チェック。
遠隔操作のリモコンの動作も巧くいった。
きっと完璧。
「こんな感じがいいかな」
「え?」
問題点と言えば、被写体のひとつであるボクだろうか。
写るときの体勢のリクエストを受けながら、ふわりとかおる甘い香りに気を取られる。
ふたりで肩を寄せて、互いに頭を近付けるように――――。
――――って、何かコレ、そういう写真にしか見えないのでは?
「1回試してみない?」
「……いいよ」
右手のリモコンのボタンで、シャッターが切られる。
ふたりで足早にカメラへと近づき確認すれば、予想通りに堅い笑顔のボクと、満面の笑みの彼女が切り取られていた。
「これは練習が必要かも?」
「練習って言ってもなー……。セロハンテープでも貼ろうか」
「そんな強制的にやらないとダメ?」
「うーん」
彼女は不満げな声を漏らしながら立ち上がると、そのままボクの腕を引いてまた写真スポットへと立つ。それちょうだいと言うような手招きは、恐らくリモコンを寄越せということなのだろう。ここは素直に従っておくことにする。
シャッターを切って確認。シャッターを切って確認。そんなことを4回くらい繰り返しただろうか。背景に何度かキレイな花火も写っている。そろそろ尺玉クラスの出番だろう。
「あ、今度はイイ感じかも」
「……ふう」
良かった、とかいう台詞も出てこなかった。表情筋がすっかり疲弊してきている。本番になる前に筋肉痛になりそうだ。
5発上がる内のひとつ目でお試ししてみると、先ほどとは比べものにならないくらいにいい顔を作れていた。彼女もご満悦のようで一安心だ。
ただ、花火のタイミングに巧く合わせるのが少し難しかった。連写速度を少し上げる設定にしてみると今度はうまくいった。
「良さそうだね」
「うん」
3発目と4発目で打ち上がる音と光るタイミングを掴む。
予想よりドタバタしてしまったが、何とかモノになったと思う。
いよいよこれで最後だ。
かすかに聞こえる打ち上げの音。
まだまだ暑い日は続くだろうが、これでこの街の夏はひとつの終わりを迎える。
そこはかとない寂寞がやってきた。
――その瞬間だった。
「思い出ができたよ。ありがと」
寂寥を吹き飛ばすような、鮮やかな大輪の花。
そして、頬に感じる柔らかな感触。
となりを向こうとしたその瞬間には、すでに真横に彼女はいない。
カメラの隣くらいのところまで駆けていた彼女は、手に持っていたリモコンを置いて振り返るなり、その透き通った声で叫ぶ。
「またね!」
ちょっと待って、とも言えないままに、彼女の姿は夜の闇に染まった。
- - - - - - - - - - - キリトリセン - - - - - - - - - - -
とても、不思議だった。
思い出そうとすれば、昨日のことのように思い出せる。
たまに、あれは夢だったのではないだろうか、と疑うこともある。
でも、現像されたこの写真が――。
あの時ボクのカメラが切り取った、ボクと彼女と、その後ろの花火が、それを許してくれない。
だからボクはあの時と同じように、夜空に向かってカメラを構える。
最後に聞いた『またね』という言葉を信じて。
一夜のキリトリセン 御子柴 流歌 @ruka_mikoshiba
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