希望の夜明け

篠岡遼佳

希望の夜明け


 ちりんちりん、ちりん。


 小さな家の呼び鈴を鳴らすと、いつものように可愛らしく鈴が鳴った。

「はいはーい、いらっしゃい」

 そういって出てきたのは、白く長い上着を着た、茶髪の青年だった。

 ふわりと家の中から、ハーブの良い香りがする。

「おじゃまします」

 そう言うのは、黒いローブを羽織った長い銀髪の少女だ。勝手知ったる、といった様子で、テーブルの席に座る。

 彼女の目の前に湯気を立てるカップを置き、彼はその正面に座った。

「それで、今日はどうしたの?」

「うん、ここのところあたたかくなってきたでしょ。だんだん墓地の草むしりが大変になってきたから、手伝ってほしくて」

「いいよ、わかった。それを飲んだら行こうか」

「ありがと、助かる」


 ――この大陸には、各村単位で、墓守を置く慣習が根強い。

 かなりの力仕事である墓守は、通常男性がなるものだ。

 ただ、この村はそうではなく、墓守の仕事を女性――少女が担っていた。

 黒い姿で、常に墓地の近くに居る墓守は、少々の畏怖を持って「魔女」と呼ばれていた。

 魔女がいるなら、魔法使いもいる。

 青年がそうであった。

 魔女と魔法使いは、対である。

 墓守が魔女であれば、医術の心得がある男性――青年が魔法使いと呼ばれた。

 魔法使いは、中央の都市まで行き、専門の機関での知識を得て、英知の杖を授かるものたちだ。

 癒やしの力は女性の方が生来的に強いため、機関には女性が多い。機関を卒業すると、各々の故郷に帰り、その知識を使うのだ。


 この村でも、本来は男が墓守をするはずだった。

 しかし、彼女は志願して墓守になった。

 両親が相次いで死んだからだ。

 その頃は、まだ青年がこの村に帰っておらず、年を取った先代の魔法使いがおぼつかない手つきで薬を調合していた。

 重い流行病には、その魔法使いではどうしても勝てなかった。

 日々、病状がひどくなり、痩せ細っていく両親に、少女は何もできなかった。

 そして、一人残された少女が村にいるには、何らかの仕事をする必要があったのだ。


「どの辺りからやればいい?」

「えっとね、ここからレイマートさんちのとこまでは私がやる。そっちはノンハンさんちの辺りからはじめて」

「わかった」


 二人は墓地にいた。

 男性が墓守を担当していた頃の名残で、魔法使いである彼の家の周りは、ほとんど墓地だ。

 そこを、魔女である墓守が毎日掃除にくる。

 けして欠かしたことのない日課。それは両親に対する祈りでもあった。


「ここは……もう掃除してあるね」青年が言う。

「ああ、だって、そこリグルさんちでしょ。そろそろ月命日だもの」

「そうか……」


 ――ラータ・リグルは、5歳の少年だった。

 生まれつき胸を患っており、重い発作が起きると息が止まってしまうほどだった。


 葬儀は村のしきたりでおこなわれる。

 墓守は手を出さない。

 けれど、小さな棺にその身が入れられた時、たとえようもなく胸が痛んだ。

 人が死ぬのは、何度見ても、何度あっても、とても辛い。


「……私って、墓守に向いてないのかな」

「どうして?」

「眠ってる人のこととか、考えちゃうの。苦しくなかったかな、つらくなかったかな、いまは安らかにいられてるのかなって、いつもいつも考えちゃって……」

 青年は、雑草とハーブを選り分ける手を止めて、彼女を見た。

「……それなら、少しわかるよ。中央にいた時に、医術のために僕もたくさんの患ってる人を見てきた。僕も考えたことがある。見ている人も辛い、死にゆく人はもっと辛い。ならばなぜ、我々は生きてしまうのか。おしまいがあることを知っているのに」

 彼女に近づき、となりにしゃがみ込む。

「僕たちは、自分の意思とは関係なく生まれ、どんなに願っても死という迎えが来る。

 けれどね、」

 少女の銀髪を、手袋を取った手で撫でながら、優しく青年は続ける。

「”どう生きるか”だけは、自由なんだよ。それを、僕らは何といっているか知ってる?」

「……ううん、わからない」

 少女が彼を見ると、彼は静かに微笑んでいた。

 優しく、悲しさも隠さない瞳で。


「それは、”希望”っていうんだよ」


 とくん、と、胸が鳴った。

 新しい言葉をもらったように。

 繰り返す。

「希望……」

「そうだよ。僕たちは自分のために祈るんだ。残されたものたちは生きるのだという事実を、空にいった人たちに届けたくて」

 青年は少女を見つめて、告げた。

「だから僕たちは目覚めるんだよ。また朝がくるんだよ。

 生きるもののために、何度だって」




 ――その日、夜明けに墓守の魔女は目覚めた。

 今日は少し寒い。

 ガウンを一枚着て、外に出た。


 一面の畑の先に見えてくるのは、朝だ。

 薄明るい地平線、白から薄い橙、透き通るような青から、夜の名残の紫。

 代わり映えしないけれど、何度見てもうつくしいもの。


 ――また昇る太陽の希望がある限り、私たちは目覚める。

 何度失って、何度泣いても、生きている限り。

 私たちは、生きるのだ。生きるのだ。

 とうさん、かあさん。

 私は、まだ、生きています。


 しずくの溢れる目尻を拭って、彼女は新しい朝に深呼吸した。



 今日も墓守の魔女は、すべての墓に花を供える。

 誰も知らない死のその後も、どうか安らかなれと願いながら。


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希望の夜明け 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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