きらきら
冬堤 A子
第1話
ラインは父にねだりました。
「お父さん、お願いだ。来週の土曜日にどうか僕をシャルゴトーの天文台に連れて行っておくれ」
「ライン、いいか。シャルゴトーの天文台へここから行くには、新幹線に乗ってマリオンに行って、そこから船で三時間かかるんだ。残念ながらお父さんたちは仕事があるからついて行ってやれない。それにシャルゴトーの天文台はライン一人で行けるような所じゃないんだ」
ラインはあからさまに肩を落として、別の人に頼むことにしました。
ラインは父方の祖父にねだりました。
「ペチュンお爺さん、お願いがあるんだ。来週の土曜にシャルゴトーの天文台へ連れて行っておくれ」
「ラインはいつも無茶を言う。シャルゴトーの天文台でなければならない理由を教えておくれ。天文台ならこのバネッサにも沢山あるぞ」
「みなみじゅうじ座が見たいんだ。ここらへんの天文台じゃ緯度が高すぎて見えないんだ」
「みなみじゅうじ座が見たいのは分かった。じゃあどうしてみなみじゅうじ座に固執しているんだ」
「ペチュンお爺さんは知ってるかい。みなみじゅうじ座の言い伝えを。来週の土曜日、つまり五月十三日にみなみじゅうじ座を見ると夢を叶えてくれるっていう言い伝えがあるんだ。いま僕にはとてつもなく叶えたい夢があるんだ」
「それは面白い言い伝えだね。わしも若返ってくれと願ったら叶うだろうか」
ペチュンお爺さんはみなみじゅうじ座の言い伝えを小馬鹿にするように言いました。。
「それで、ラインの夢を聞かせておくれよ。わしが叶えてあげられる夢ならサポートしてやろう。」
それを聞いたラインは少しの時間悩みました。
「うーん、やっぱり言えない。もう別の人に頼むことにするよ。ありがとうペチュンお爺さん」
次は見知らぬ商店街のおばさんに頼んでみることにしました。ヒョウ柄のおばさん、アフロヘアーのおばさんなど色々なおばさんが歩いていました。ラインはスカーフを巻いたおばさんに頼むことにしました。
「おばさん、そのカラフルなスカーフ似合ってるね」
「あらそう、坊やありがと」
商店街のおばさんは、まんざらでもなさそうにラインにお礼を言いました。その顔を見たあとラインはキリッと表情を変えおばさんにねだりました。
「おばさん、おばさん。見知らぬ僕の願いを聞いておくれ。来週の土曜日にシャルゴトーの天文台へと連れて行っておくれ」
「ママやパパには頼まないの?」
「残念なことにパパもママにもその日仕事があるんだ」
「お爺ちゃん、お婆ちゃんには?」
「頭が凝り固まってるから、僕のお願いなんて聞いてくれやしないよ」
「それであたしに頼んだってわけ?」
「やさしそうだったからつい。僕はどうしても、シャルゴトーの天文台に行きたいんだ」
女性は少し考えました。
「あたしは連れてけないわ。ごめんなさい。その日は商店街の大事な会議があるの」
ラインはまた分かりやすく肩を落としました。
「あたしは行けないわよ。あたしは。あたしの息子と行ってきなさいよ。あの子、引きこもりなのよ。ずっと家でゲームしてばっかり。でもあの子小さい時から星は大好きなの。一緒に行ってきてちょうだい。心配しないで大丈夫よ、彼はちゃんと地図も読めるしお金も払えるわ」
ラインは嬉しそうな顔をして商店街のおばさんにお礼を言いました。
「ところで、おばさんの名前は?」
「あたしはメキノ。息子はポラリスって名前。面白いでしょ、ポラリスがサザンクロス見に行くって。息子も喜ぶと思うわ。あたしの住所教えておかなくっちゃね」
「三〇五 アラカナ,バネッサね。」
「じゃあ土曜日にあたしの家の前に来てちょうだい。大金は持ってこなくてもいいわ。盗まれちゃ嫌でしょ?」
ラインは嬉しくて嬉しくて舞い上がりそうでした。いつもは上手くできないスキップもその日は、なぜだか出来るような気がしました。
家に帰ると早速準備をし始めました。
(どんなカバンがいいんだろう。皮? エナメル?)
ラインは迷った結果、大きい皮のバッグを選びました。
皮のバッグに双眼鏡、虫刺され、赤いライトの懐中電灯。
ラインは天文台に着くまでにみなみじゅうじ座を見てしまいたかったのです。
当日、ラインはおばさんの住所を手掛かりにおばさんの家を目指しました。ラインには一週間はとても早く感じたに違いありません。
静かな住宅街の中にずっしりと構えた豪邸がありました。ラインは何度も紙と照らし合わせていますが、住所に違いはありません。
呼び鈴を鳴らすとあのおばさんが出てきました。
「いらっしゃい。さぁさ中に入ってお話しましょ」
家の中は素晴らしく整っていました。
(とんでもない家。こんな家に一度は住んでみたいよ。)
白いソファにラインが腰かけると、ラインはソファに包み込まれそうになりました。
おばさんはそんな僕を見て笑いました。
「坊やには少し柔らかすぎたわね」
「ポラリス! 彼が来たわよ。早く出てきなさい」
そうおばさんが呼ぶと背の高く痩せ型の青年が出てきました。
「⋯⋯こんにちは」
(小さいけれどきれいな声。透き通っている)
ラインが思っていた何倍もポラリスは美しい声をしていました。
その場はたわいもない話で盛り上がり、ポラリスは話に詰まることも無く、互いの印象は決して悪くありませんでした。
「じゃあそろそろ、行かなきゃね。荷物持ってあたしの車に乗ってちょうだい」
そう言っておばさんがエンジンをかけた車は赤く光沢のある肌をしていました。
「まるで、アンタレスみたいだね」
ラインはおばさんに向かって言いましたが、おばさんにはピンと来ていないようでした。隣のポラリスだけは分かってくれているようでした。
十五分くらいでワヲン駅に着きました。
「じゃあ、あなたたち気を付けてね。感想待ってるわ」
「はーい」
ラインはキーの高い声で返事をしました。
二人はこれから新幹線に乗ってマリオンに行くのです。
「大人二枚で」
ポラリスは指定席の切符を大人二枚で取りました。それを不思議に思ったラインは尋ねました。
「どうして、大人二枚なの? 僕はまだ子どもなのに」
ポラリスはふふっと頬を緩ませ言いました。
「子供扱いされるのは嫌いだろう。だから大人扱いしてあげようと思って」
あまりにも変な理由だったのでラインは笑ってしまいました。
「ポラリスくんは面白いんだね」
またポラリスはふふっと頬を緩ませるのでした。そんなやりとりをしていくうちに、しっかりと二人の距離は近づいていきました。
「次はマリオン、マリオン駅です。お降りの方はお荷物を忘れないようご注意ください」
車掌の声を聞いた列車内は少しざわざわし始めました。ほとんどの人がマリオンで降りるためです。
「ライン、僕たちも降りる準備をしよう」
ラインたちは開いていたカバンのファスナーを締め、膝の上に荷物を乗せました。
「さぁ、降りよう」
ぞろぞろと歩く人混みではぐれないように、また後ろの人に迷惑が掛からないように、二人はぎゅっと近づいて歩きました。通勤、あそび、いろいろな目的があつまった駅は感情が渦巻いていました。
改札口の向こう側は潮の匂いでいっぱいになっています。海が近いこの駅は潮の風によって錆びやすく、いつも新しく改装されているため、とても綺麗な外観を保っています。
「マリオン駅ってきれいだね」
「ぼくたちはこれからもっと綺麗なものを見に行くのに」
そういってまた頬を緩めていうのでした。
「次は、港に行かなきゃ。駅から近いから歩いていこう」
五月だというのに、外は暑く強い日差しが照りつけていました。けれど二人にとっては、この雲のない晴れた空は嬉しいものでした。だって、夜にはみなみじゅうじ座を見るのですから。
「大人二枚で」
ポラリスはまた大人の切符を買いました。ラインはもう何も言いませんでした。
船は思っていたよりも大きいものでした。最大で百人が乗れるというのです。
二人は二人席に座りました。
三分も立たぬうちに肩を寄せあって寝てしまいました。こんな二人が今日初めてあったなんて誰も想像出来ないでしょう。
先に目を覚ましたのはポラリスでした。もうあと少しで着くところでした。ポラリスは急いでラインを起こしました。
「もうすぐ着くから起きて」
ラインは寝ぼけまなこを擦って、起き始めました。
島の頂上にある天文台は、船からも十分に見えました。
「あれが、シャルゴトーの天文台だ」
大きくありながら、真白の天文台はすらっと見えています。シャルゴトーの天文台を目指してきた人が大半の船内は、沸き立ち、カメラのシャッター音が鳴り止みませんでした。
ギコーっと船が港へとつく音がしてから、三分の一ほどの人が船から降りました。
船は汽笛を鳴らし、島から離れてゆきました。
船から十分見えた天文台は、さらに大きく見えました。
ラインたちが天文台へと歩くにつれて、白い太陽は海へと沈んでいき、辺りは赤黒くなって行きました。反対側の空は青と紺青と黒が混ざり合い、夜の訪れを告げ始めていました。
「もうすぐでみなみじゅうじ座が見える。夢は考えてるのかい」
「当然だよ。何度も何度も迷ったけれど、もう大丈夫。ポラリスくんこそ考えているの?」 「いや、まだ考えていないんだ。みなみじゅうじ座を見た時に思ったことをお願いしようと思って」
「そうなんだ、いい願い事が思いつくといいね」
天文台の入口へと近寄ると職員らしき人がラインたちに話しかけた。
「きみたち、天文台へ入るつもりかい。それならすまないが、定員満杯になってしまったんだ。本当に申し訳ないが、外で観測してくれ。安心してくれたらいい、十分、目視で見えるから」
ラインたちは残念そうな顔をして見つめ合いましたが、天文台から近くの平地に移動することにしました。
「⋯⋯残念だったな」
「しょうがないよ、目視でも見えるし、双眼鏡も持ってきてるし」
「ラインが言うなら、我慢しよう」
やがて、空からは青さは消え、深い深い黒が広がりました。バネッサで見るような空とは比べものにはなりませんでした。子どもが空を恐れるように、大人も恐れてしまうような空でありました。しかし、点々と放られた光の粒のおかげでなにか優しさを感じられるようになっていました。
ラインは首をめいっぱいに折って、空を見上げました。
ポラリスも首をめいっぱいに折って、空を見上げました。
南の南のしたのほう。
十字の星座が見えました。
みなみじゅうじ座であります。
ラインもポラリスも願うことなど忘れて、ただサザンクロスに目を奪われていました。
ずうっと、ずうっと、目にはサザンクロスが映るばかりでした。北極星を山の星とするならば、これは海の星というに違いありませんでした。
「⋯⋯きれい」
「⋯⋯うん」
ふたりはしずかにねがいました。互いの願いを聞くことも、言うこともしませんでした。
「またふたりで来れたらいいね」
「⋯⋯うん」
南の空にはただ十文字が浮かぶだけでありました。
きらきら 冬堤 A子 @fuyuzutumi
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