幼き二人がのぞむストラーダ

王子

幼き二人がのぞむストラーダ

「今日から王女様のお世話をさせていただきます。こんなみすぼらしい小僧に世話されるのはさぞご不満でしょうが、ひと月ほどのお付き合いで済みましょう。どうかご辛抱なされますようどうぞ宜しくお願い申し上げます」

 王宮の離れ。皮肉を垂れた少年と、その言葉を鼻で笑うとらわれの王女が相対あいたいしていた。

「ご丁寧にどうも、かわいらしい英国紳士。もちろん女性の扱いはお手の物でしょうね。ところでそのパッチワークだらけのお召し物はどちらでお仕立てに?」

 子供のくせに。女のくせに。王族だからなんだというんだ。生きる苦しみを知らず、温かい食事と温かい寝床を当然に享受きょうじゅしている王女に何が分かるというんだ。

 油染みの付いた作業着姿の少年は、太もものあたりをぎゅっと握った。

「俺はどんな仕事だってやるんだ。汚くて危ない仕事だって、国民の敵の監視役だって」

王女の視線は、憎悪に燃える灼熱の瞳かられ、窓の外に移された。

「王宮は今どうなっているのかしら」

「新聞に書いてありました。民衆に取り囲まれているそうです。ひと月はおさまらないだろうと。軍も革命に加わっているし、教会ですら国王を悪魔の手先だと言っている。国王は俺達から金をむしり取って、生活をぶち壊したんです。絞首刑になるでしょう。でも安心してください。子供のあなたは、命だけは助かるだろうとも書いてありました」

 そう、と王女は呟き小さくため息を漏らした。その表情は夕飯の献立を興味なく聞き流した後のように涼しげで、肉親の死を予告された少女のそれには見えなかった。椅子に腰掛け背筋を伸ばし、外に視線を投げていた。肩にかかったブロンドの髪が窓からの光を受けて白く輝く。

「ねえ王女様、いくら極悪非道なことをしてきたとはいえ、あなたの親のことでしょう。何とも思わないんですか」

 退屈そうにも見える表情を崩さないまま、王女は静かに口を開いた。

「あなたが何を見て何を聞いて何に触れてきたか、どんな教育を受けてきたか、どれほど酷い目に遭ってきたか。私には想像もつかないし、興味もない。でも一つ、確かに言えることは、あなたは虚偽をつかまされているということ」

 虚偽。この国は虚偽に満ちている。そのほとんどは国王によるものだ。ならば王女の言うことも虚偽なのかもしれない。そう言い返してやることもできたが、どうせならば王女の虚偽を暴いてやろうと少年は考えた。

「俺がそんなにも馬鹿に見えますか。じゃあ虚偽とやらを示してくださいよ」

 挑発的な言葉に動かされたわけではないだろうが、王女は席を立った。立ち上がって小さな歩幅で少年に近付く。人形に履かせるような大きさの靴が木張りの床を打つ。

 吐息を感じるほどの近さで王女は立ち止まり、胸ほどの高さでほの白い顔が上げられた。少年がびくりと身をこわばらせる。王女の人差し指が少年の胸をトンと突いていた。

「あなた、いくつ?」

「十四です」

 少年は動揺を悟られまいと威圧するように王女を見下げた。王女は「私より四つも上なのに」と独り言のように漏らして身をひるがえすと、椅子に戻って腰掛けた。口元で薄く微笑する。少年に向けられた微笑みはまさに王女そのもので、少女らしさはひとかけらも見いだせなかった。

「明日から少しずつ教えてあげる。一つひとつ。夕食ありがとう、今日は帰っていいわ」


 監視といっても、拘束するわけでもなければ、片時も目を離さないよう言いつけられたわけでもなかった。少年が与えられた仕事は、王女に一日二食を用意し、国外へ亡命したり自ら命を絶ったりしないよう世話をすることだった。王家の血筋とはいえ、幼い女の子が革命の犠牲になっていると他国に知れるのは具合が悪い、というのが大人達の考えで、少年にとってはどうでもいいことだった。近年、人権とかいうものが重要視されてきて、特に女性と子供をぞんざいに扱えば白い目で見られるようになっていた。

 王女はじょうな小娘だと聞いていたが、会って話してみれば気丈どころではなかった。守られるべき bambinaいたいけな娘 には見えないが、幼さゆえに自分の置かれた立場を理解できていないわけでもない。諦念、覚悟、逃避、彼女を表すのに見合った言葉が見付からないまま、少年は王女のいる離れの門をくぐった。

「おはよう。食材さえあれば自分で用意できるのに」

「いいんです、俺の仕事ですから」

 くるみの入った丸パンとコーヒーの朝食。王女は質素な食事に文句一つ言わず、王家にふさわしい所作で口に運んだ。パンを裂く音とカップがテーブルに置かれる音だけが部屋の空気を震わせる。

「さてと」

 食事を終えた王女が口を開いた。

「名前を聞いていなかったわ」

「ベネデットです」

「わたしはフェリチタ。知っているだろうけれど」

「俺が知りたいのは名前じゃない。あなたの言う虚偽とやらを」

「ベネデット、あなた学校には通っているの」

 ベネデットは黙った。沈黙を答えに受け取ったフェリチタは続ける。

「教育は人間の基礎なの。あなたが思っているほど世の中は単純じゃない。知識がなければ見えないものが多くなる。今のあなたに、私の語ることは理解できない」

 やはりそうだ。自らが虚偽を抱えているから、これ以上踏み込めないように一線を引こうとしている。食いを稼ぐために働くような家柄の学が無い子供には、何を説明しようと分かるはずがないと。

 ベネデットは「ああそうですか」と肩をすくめた。

「だから、この国で起きていることも虚偽も理解できるよう、私があなたを教育する」

 相変わらず落ち着いたたたずまいを崩さないまま。

「少しずつ教えてあげると言ったでしょう」

 フェリチタの碧眼へきがんのぞき込み、ベネデットは眉をひそめた。

「俺を教育? あなたが?」

「歳下に教わるのでは不満? それとも女から教わることなんて何一つありはしないと腹の底で笑っているのかしら」

 試されている。女や子供を下に見ているのかどうか。きっとこれが人権とかいうやつなんだ。ならば正答はこうだろう。ベネデットは静かに答える。

「歳下であろうと女性であろうと、本当に価値のある教えなのであれば誰の口から聞いても同じことでしょう。聞かせていただきますよ」

 フェリチタは「思ったより賢いのね、あなた」と小さく笑った。

「もし反対の答えだったら、あなたに凌辱りょうじょくされたと表に伝えに走ろうと思っていたの」

 ベネデットは王女の世話を命じられたときのことを思い出した。

 大きな十字が描かれた軍服姿の兵士はいかにも軽薄けいはくそうな男で、王女の世話係に任じられたにも関わらず、たまたま通りがかったベネデットにその役割を押し付けた。

「金はやるから引き受けてくれよ。あと軍には黙っておいてくれ」

 差し出された五枚の銀貨をベネデットが渋々受け取ると、兵士はニカリと笑って耳元でささやいた。

「王女をしっかり守ってやってくれよ cavaliere誇り高き騎士殿 。どこまでかわいがってあげるかはお前に任せよう。だが、この国の騎士たるもの、女性を泣かせる真似だけはするなよ。優しく撫でて鳴かせてやるのはいいけどな」

 今思えば酒が入っていたのかもしれない。あんな下品な笑い声、そうそう聞かない。とにかく、フェリチタに対してのれい蛮行ばんこうや勘違いされそうな言動はげんつつしむべし、とベネデットは心得た。あんな男と同列に見られたくはない。

 その日からベネデットとフェリチタの教学が始まった。

 フェリチタは王家の教育係から学んだことを全てたくわえ自分のものにしていた。そして教えられるままではなかった。自ら書庫を訪ねて本を読みあさり、国民の生活を知りたいと王宮に使えるメイドや庭師に話を聞き、商人が来訪すればその口から語られる国外の景色に目を輝かせた。そうして得たものをベネデットに惜しみなく与えていく。

 国の歴史に始まり、物と金の巡る経路、音楽や絵画といった教養、国王の宗旨しゅうし変えをきっかけに増加した教会の分類について、憲法と基本的人権の考え方などなど。そこには大人のような私情を交えた礼賛らいさんあくは無く、功も罪もありのままに伝えていった。

 ベネデットも負けず劣らず知識の吸収には貪欲だった。今まで目を向けたことのない暗がりにフェリチタの松明たいまつが光を投げれば、そこに道が現れる。一人でも歩けるようになった道、これから何度でも通っていい道だ。その先にも道は続いている。光に導かれるようにして奥へ奥へと足は早まる。学習とは探索なのだとベネデットは思い至った。

 見えるようになったのは社会だけではない。フェリチタの人となりも徐々に見え始めていた。フェリチタの語りはいつでもよどみなく、それでも、我が国の誇る産業を挙げるときには高揚こうようしたように早口になり、多くの民衆が犠牲になった戦争に触れるときには痛ましさに顔をしかめ、悪政を振り返ったときにはいら立ちに目をとがらせた。

 学校に通っていたら、フェリチタのような教師に出会えていただろうか。乾ききっていた体を満たす知識の水。求めれば際限さいげんなく注ぎだして与えてくれる教師に。正しさを愛し、虚偽を退け、真実と慈愛の指先でまぶたにそっと触れる存在に。

 食事を運ぶ道中でも、「また明日」とフェリチタの声を背に受けて一人歩くでも、日がな一日酒瓶を手に寝転がっている父を横目に皿を洗うときでも、ベネデットは彼女の声を思い返すたびに胸が詰まる思いがした。

 国王の処刑は、確実に近付いている。


 ベネデットとフェリチタが出会って四日目。

 夜闇に浮かぶ満月が清浄な光を落としていた。沈黙したままの王宮に、二人だけの静かな離れの屋根に。

 夕食の後にフェリチタが教えたのは、国王と教会が保ってきた良好な関係が、いつの間にかたんしていた事実だった。そして、いつもどおりの口ぶりで切り出した。

「ベネデットが掴まされた虚偽を明らかにしましょう。今のあなたなら、本物と偽物を見分けることができるはず」

 ベネデットは膝に置いたこぶしを強く握りしめ、居すまいを正した。

「聞かせてください」

「まず、この革命運動の理由と行く末について、あなたの考えを聞かせてほしい」

 ベネデットは今まで受けてきた教えを振り返り言葉を探った。言葉を選ばずに話せばフェリチタの生みの親である国王を非難することになる。だが恐れはなかった。国王の身分で働いた悪行はもはやこの国の歴史の一部であって、フェリチタもそれを承知の上で尋ねているのだと理解していた。

「国王はあらゆるものに税を課して国民に負担を強いてきました。重税に耐えられず、路頭に迷う人々が後を絶たなかった。中には首をくくる人も。貧しい人を救済するための立法も無く貧富の差は広がる一方で、誰もが貧困層に転落する悪夢にうなされていました。明日は我が身だと。閉ざされた将来に不安は膨らみ続け破裂した結果がこの革命なのでしょう」

 フェリチタは黙ったままうなずき、まばたきでベネデットに先を促した。

「でも、国王だけが悪いわけではない。おとしいれられたのだと思います」

 その一言にフェリチタは、ふと微笑んだ。ベネデットは手応えを感じて続ける。

「普通に考えれば、ただの増税は国民の反感を買う悪手です。でもそうした。おそらくそうせざるを得なかったし、後には引けなかった」

 ベネデットは、つい先ほど教わったことを引き合いに出す。

「国王は教会と良好な関係にあったはずでした。今や教会は、国王を悪魔の手先とまで言って、宗旨変えまでした国王を敵視しているわけです。なぜそうなったのか」

 フェリチタは大きく見開いた双眸そうぼうで、ベネデットの目を食い入るように見つめている。我が子の成長をとして見守るように。身を乗り出していて、吐息を感じるほど近く。青く透き通った瞳に吸い込まれそうになり、ベネデットは一つ咳払いをした。

「かつて国王は不敗太陽神を信仰していたとのことでした。後にキリスト教に改宗した。教会と国王は利害関係で結びついていたのではないでしょうか。国王は教会に資金を提供する代わりに、信徒達からの支持を求めた。教会は国王を支持するように誘導した。誘導、ならまだましだったかもしれない。もしかしたら『国王への反逆は神への反逆で、反逆者に救いは無い』などと吹き込んでいたのかもしれません。聖職者達は無私の心で神に仕えていると言いながら、莫大な富を国王から受け取り信徒をだましていたのです。国王は教会に流す資金を調達するため、国民に重税を課したわけです」

 国王の宗旨変えは表向きだ。内心では神など信じていないのかもしれないし、民衆も教会も軍も思いのままに動かせる自分こそ神だと思っていたのかもしれない。

 教会の罪も重い。素知らぬ顔をしながら、裏で国民の生活苦に加担していた。

「やがて国王と教会の関係は破綻を迎えます。この国は他国と比べても群を抜いて教会の数が多い。国王の改宗をきっかけにして爆発的に増えたからです。国王が認めた宗教ともなれば信徒も集めやすいし寄付の額も増える。膨大な信徒を受け入れる箱、つまり教会を建設するには莫大な資金が必要です。国有地や私有地を融通ゆうずうしてもらうことも。教会の要求はどんどん過大になっていったのでしょう。国王は考えたはずです。その要求全てに応じていれば、いずれ教会とのちゃくを疑われたり、適法の名のもと半ば強引に自分の土地を収用された地主が声を上げたりすれば、国民の支持を失うことになると。だから国王は教会と手を切ろうとしたのだと思います」

 追い風を受けて教会の建設を急ぐ聖職者達と、取り返しのつかないほど沖に流されてしまった船に乗る国王。同じ方向を向いていたはずの両者の思惑は、次第にすれ違う。

「これ以上は力になれない、と国王が切り出したとき、教会は手のひらを返しました。吸い尽くして用済みになったら切り捨てる。そして次に教会がすり寄ったのは軍です。国王を倒すには一番手っ取り早い方法ですし、政権が軍に移ろうとも今までどおり信徒の支持力をえさにして蜜を吸い続けることができる。軍にとっては、教会の後ろだてを得て政権を握れるのはしい話です」

 ベネデットは一度言葉を区切る。「ですから、」と重々しく口を開いて結論を述べる。

「革命の成功は悲劇の始まりです。宗教と癒着した軍事国家ができあがるだけです」

 政治と宗教。信仰心と金。切っても切れない関係はずっと昔から絶えること無く結びついている。これから先、どんな国家が生まれようとも続くであろう、いつ崩れるとも分からないもろい関係。そして、大抵の軍事国家は独裁となる。今まで経済的な搾取さくしゅに苦しんできた国民は、今後もし刃向かうようなことがあれば、拷問ごうもん粛清しゅくせいによって人間としての尊厳も生命も奪われるようになるだろう。フェリチタの世話を押し付けてきた兵士の軍服には大きな十字が描かれていた。軍と教会の関係は既に深いのかもしれない。

「素晴らしいわ、ベネデット」

 今までベネデットは、そんなふうに笑うフェリチタを見たことが無かった。これ以上ないほど幸せそうに、満足しきったように。眉の位置で切り揃えられた前髪の下、夢を見るように目を細めてベネデットを見ていた。

「この四日間で、あなたは驚くほど学習した。成長した。知識を得てこの国が置かれている状況を分析できるようになった」

 それはわずかな間で、フェリチタはいつもの調子でベネデットを見えて言った。

「虚偽というのは、掴まされただけでは何も害は無いかもしれない。自分の身を滅ぼすことがあるとすれば、虚偽を虚偽と見抜けないまま行動したときね」

 フェリチタはあらかじめ用意していたように、滑らかに語り出した。

「あなたはもう虚偽を見抜くことができるはず。だから、情報を与えるわ。私がここに連れてこられるとき、馬が引く荷車に乗せられて来たの。一人の兵士はづなを握り、もう一人の兵士は私と一緒に荷車に乗っていた。逃げ出さないように見張り番としてね。そこで二人の会話を聞いた。私は顔を膝にうずめて眠っているふりをしていたの。だから兵士達は声を低くすることもなく、笑いながらこう話していた。『暴動が五日ほど続いたら、不運にも、王宮にも離れにも不審火が起こってしまうらしい』ってね」

 それは、つまり。

「暗殺、ですか」

 人権だの何だの面倒なことは軍の脳筋には難しすぎるのだろう。邪魔でしかない王家を始末し、民衆を暴れさせてガス抜きが済んだら、さっさと軍の独裁を始めようという魂胆こんたんだ。軍の中では、もう組織図ができあがっているに違いない。

「私と初めて話したとき、あなたが言ったこと覚えている?」

 極めて無礼なことを口にしたことは覚えているが、それと暗殺との関連が分からず、ベネデットは首を横に振った。

「あなたは『のお付き合い』と言ったの」

 ベネデットは、なお首を傾げるばかり。

「おかしいと思わない? あなたはどうして革命が続くと思ったのかしら。言い方を変えましょう。どうして国王を捕らえて処刑するのに、ひと月もかかるのかしら」

 ベネデットはようやくフェリチタの言いたいことにたどり着き、目を見開いた。

「新聞です。新聞に『ひと月はおさまらない』って書いてあったから俺は」

 しかし、フェリチタの証言を採用するなら、革命は、すぐに国王の身柄を拘束しないこの騒ぎは、軍の計画に沿って行われていることになる。祭りと同じだ。騒いで鬱憤うっぷんを晴らさせる期間を設け、その終わりが早まらないように指揮をっている。

 今なら分かる。新聞は真実のみを書くわけではない。もしくは書けるわけではない。今や情報さえ軍の手の上だ。

 ベネデットは頭を抱えた。フェリチタを運び込んだ兵士達が言う五日目とは、明日のことだ。

 こんなこと分からない方が良かったのかもしれない。分かったところで子供の自分達には、どうしようもない。この国が背負った荷物は重すぎた。このまま沈んでいくのを、ゆるやかな自殺みたいに崩れ去っていくのを、止める手立ては無い。たとえ知識によって導かれた真実であろうとも、その先に明るい道が続いているとは限らない。

 虚偽だ。やはりこの国は虚偽に満ちている。誰も彼もが己の利益のために無色透明の毒みたいな嘘を振りまいてかっしている。その結果がこのザマだ。

「それともう一つ。あなたの考えで訂正したいことがあるの。国王のこと、つまり私の父のことだけれど」

 フェリチタが国王を父と呼ぶのを、ベネデットは初めて耳にした。

「父は賢い人間ではなかった。尊大で、人に乗せられやすく、傀儡かいらいにするにはちょうどいい人間だったことでしょう。何かと理由を付けて税金を集めるよう入れ知恵したのも、土地を半強制的に収用する法を打診したのも教会だった。当然のように政治に関与していた。あいつらこそ悪魔の手先よ。父のことをかばうつもりはないけれど、ベネデット、あなたには、あなただけには、教会が言うように、民衆が信じ込んでいるように、父のことを悪魔の手先だとは思ってほしくなくて」

 フェリチタはひどく悲しそうにうつむいた。それは歳相応の、か弱くて、bambinaいたいけな娘 に似合った表情で。ようやくフェリチタのかくに触れることができたとベネデットは感じた。

 ベネデットの腕が無意識に伸びていた。その手がフェリチタの小さな頭に乗せられて、フェリチタはピクリと首を縮めた。少女の痛みと苦しみを知ったその手で、髪をくようにして優しく撫でる。

「王女様に謝らなければなりません。俺は王家を恨んでいました。国王だけではなく、あなたも含めて。子供は生まれる家を選べるわけじゃない。俺だって同じだったのに。あなたに会ったとき、辛いことを言ってしまった。申し訳ありませんでした」

 フェリチタはコクリと小さく頷いて、顔を上げた。

 目元には薄く涙が浮かんでいて、ベネデットは苦笑する。まさか、女性を撫でた上に泣かせてしまうなんて。これではあの兵士の言葉以上にひどいことをしているみたいだ。フェリチタの大きな瞳は潤んでいて、青い光が次々と零れ落ちてしまうのではないかと思えた。ああ、こんなに美しい色がこの世界にはあったのかとベネデットは思う。

「ではおびに、私の願いを一つ叶えてほしいのだけれど」

 ベネデットは「なんなりと」とうやうやしくこうべを垂れた。

「私と一緒に逃げましょう。国の外へ。そしてあなたは食事を用意するの。毎日ね」

 初めて会ったあの日から決めていたのだろうか。ベネデットにとって亡命の提案を先んじられたのは想定外だった。自分からと思っていたのに。

「お供させていただきます。王女様のお世話を兵士からおおせつかったとき言われました。『しっかり守ってやれ、cavaliere誇り高き騎士殿』と。あなたにはご恩もありますし」

 フェリチタが顔をしかめ「それだけ?」と不満げに漏らした。

「こういうのは教わらなくても分かりそうなものだけれど。では、もっと分かりやすく。私の願いは一生モノよ。しっかり役目を果たして頂戴。死が私達を分かつまでね」

 ベネデットの心臓が跳ねた。俊英しゅんえいたいてき、彼女を表すのに見合った言葉はまだ見付かりそうにない。

「本気で仰っているんですか」

「仕方ないでしょう? こうなってしまった以上、私達は手を取り合って生きていくしかないもの。もちろん、あなたのことは気に入っているのだし」

 フェリチタはおかしそうに、いたずらっ子のように笑う。顔を赤らめたベネデットをからかうように。

「式には楽団を呼びましょう。そういえば音楽家を教えてあげたこともあったでしょ。私はメンデルスゾーンが好きなの。悩みなんて何もないみたいに、底抜けに明るくて。だから演目は彼の Marcia nuzialeウェディングマーチ にしましょう」

「気が早すぎますよ! 近くの国では俺達は婚姻可能年齢に満たないですし」

 放っておけば式の日程やら子供の人数まで語り出しそうな少女に、ベネデットは少し焦る。悪い気はしない。ベネデットは長らく将来について考えることを投げ出していたのだと気付いた。

「でもまあ、式までにはパッチワーク柄の他も似合うようになっておきますよ」

 真夜中、月の光が差し込む静かな一室で。生まれ育った国を後にするまでのわずかな時間、二人は語り合った。

 その先にあるはずの、Felicita幸福 で、Benedetto祝福された 二人の新しい strada について。

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