一夜のキリトリセン

螢音 芳

特別な日とそれまでの日々の境界線

 特別な日。

 人生の中で忘れられない日は往々にしてある。

 ただ、忘れられない日になるのは特別な日の当日だけではない。特別な日の前の夜も大事なんじゃないだろうか。

 修学旅行の前夜、文化祭の前夜、学校の卒業式の前夜、入試の前夜、上京する日の前夜、成人式の前夜、告白する日の前夜、初めての会社に入社する日の前夜。

 どの日も思い出深くて、緊張とわくわくがあって、思いが詰まっていて。

 そして、ようやく迎えた明日も特別な日。ということは今日の夜は特別な夜ということだ。





 夜、私は明日に備えて部屋を片付けつつ、いろいろ準備を整えていた。忘れっぽいので何かと必要なものをリスト化して準備しておかないと安心して眠ることもできない。

 明日は大事な日だからでこそ、失敗するわけにはいかないのだ。

 ふんすっと鼻息荒く気合を入れていると、リビングにいた彼、雄介から声をかけられた。


「亜子―、これ何―?」


 なんだろうと思って見に行くと、雄介が指さしていたのは私の部屋に飾っていたコルクボード…に貼られていた切り取り付箋だった。

 付箋を見た私の顔がいっきに沸騰する。


「なんでもない、なんでもないから!」


 切り取り付箋を隠そうとすると、その前に雄介がひょい、と手を伸ばして付箋を取り、私の手が届かない位置まで持ち上げた。


「そんな恥ずかしい内容のもんじゃないだろ?これって」


 そう言いながらもにやにやとしているあたり、性格が悪いと思う。

 むくーっと膨れていると、教えるまで返さない、と言われた。いじわる…。

 書かれていることは達成したようなものだし、まあいいか。


「それね、願いが叶う付箋なの」





「それってね、願いが叶う付箋なんだよ」


 そう言いながら私の親友がチェックリストのついた切り取り式の付箋を私にくれた。


「単なるToDoリストを書くための付箋に見えるけれど」


 まじまじと眺めてみるけど、何の変哲もない普通の付箋に見える。


「これにね、目標を書いていくんだ。で、達成したら切り取っていくの。そうするごとにね少しずつ少しずつ目標に向けて成長して、願いに近づいていくんだよ」


 親友が夢見る少女のように目をきらきらさせながら話す。いやいや、親友は決してそんな性格ではない。演技的すぎるその表情に、私はジト目になる。


「……して、これを渡す、そのこころは?」

「亜子は忘れっぽくて計画性が無いからねー。働き始めた時に苦労しないよう、おまじないがわりにと思って」


 落語のなぞかけのように問いかけると親友は舌を出しながら素直にそうのたまった。


 そんな経緯はさておき、ありがた半分、やや情けなさ半分な気持ちで私は使ってみることにした。

 試しに一枚の付箋に、目標を書いてみる。

 下の小さな目標を達成するごとに、切り取っていく。

 確かに段階的に進んでいくことに安心感があって、切り取っていくごとに新しい自分になっていくような気がした。

 とても効率的で変化が目に見える。成長している気がしてうれしいとすら思う。

 けど、なんでだろう、切り取った後でどこか寂しく感じた。

 切り取っては目標に近づいていく自分。

 切り取ったのは達成した目標、過去の自分。

 ゴミ箱に捨て去られたくしゃくしゃになった付箋を見て、私はふと疑問に感じた。

 それは本当にもういらないものだったのだろうか?





 付箋のことを説明して話すと、ふーん、と雄介が興味なさそうに相槌を打つ。


「ちなみに、切り取った付箋にはどんなこと書いてたの?」


 聞かれて、うぐ、と喉の奥に物がつまった声がでた。

 こんなことを話すのはすごく打算的な女か、粘着質な女のように思われないかと心配になる。だが、雄介は煽るようにぴらりと付箋を見せつけるように振ってくる。そこに書かれているのは私の書いた恥ずかしい目標だ。

 こんないじわるするならもう知らない、とやけくそになった私は切り取った付箋に書かれていたことを彼に話した。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 特別な日の前の夜。

 彼女と共に部屋を片付けつつ、明日に備えて準備を進めていると、彼女の部屋に飾られていたコルクボードに一枚の付箋が貼りっぱなしになっているのが見えた。

 その付箋は切り取りできるToDoリスト型のもので、下に小さい目標を立てて、上に行くほど大きい目標を達成していくものだ。

 で、俺が眉根を寄せたのは、付箋に書かれていた目標だった。


 一番上には俺と結婚式を挙げる、その下には無事に結婚前夜を迎えるという目標が書かれていた。


 なんじゃこりゃ、と思って彼女、亜子に問いかけると、とたんに真っ赤になって隠そうとした。

 その反応がかわいくて、ついいじわるしたくなったので、何のために書いていたのか聞いてみた。

 なんでも、願いが叶う付箋ということで、計画性がない亜子に対して親友が気遣ってプレゼントしてくれたのだそうだ。

 実際に付箋を活用することで悪い癖はマシになったのだという。

 だから、おまじないのように俺のことも付箋に書いたのだそうだ。


 ……。

 その話を聞いて頬がにやけそうになるのを全力でこらえつつ、考えを巡らせる。付箋が短くなっているということは切り取ってきた付箋、今夜に至るまで達成してきた目標があるということだ。

 どうしても気になる俺はいじわるしつつ、亜子にどんなことが書かれていたのか問いかけると、嫌そうな表情を浮かべた。

 恋愛にまでToDoリストを使うことで打算的な女だと幻滅されるのを恐れているのだろう。

 いやいや、そんなことないからとツッコミを内心入れつつ、ぴらりと付箋を目の前で見せつけてやると、亜子はやけくそになりながらも話してくれた。


“一緒に山デートに行くこと”

“お互いの誕生日を忘れずに祝うこと”

“長い休みの時には一泊でもいいから旅行にいくこと”

 などなど具体的なものから、


“クリスマスの時に××すること”

 など文字に起こしにくい行動レベルのものまであって、


“両親に挨拶に行くこと”

“同棲すること”


 さらには

“一か月怒りんぼにならないこと!”


 なんていうものもあった。

 聞きつつほほえましいなあ…とほのぼのしながら俺はふと思った。


「もったいないなあ」


 亜子が目を丸くした。その反応を見て、思わず思ったまんまのことを口走ってしまったことに気が付いた。まずった、俺としたことが。


「何が?なんでそう思うの?」


 亜子が目を丸くしながら、小動物のように首を傾げて問いかける。素直な目で見つめられ、観念するように俺は正直に思ったことを話すことにした。


「切り取った付箋ももったいないじゃん。だってさ、それって達成した目標かもしんないけどさ、思い出そのものじゃん。もったいないなって思って」


 計画的な恋愛、と言ってしまうとなんか打算的なように感じる人もいるだろう。けど、それは亜子が俺とずっと一緒にいたいと願って積み重ねてきたものだと思ったら否定する気にはなれない。むしろ、その過程まで大事にしたい。

 付箋のように切り取って捨てるにはあまりにももったいない大切な亜子の思いなのだから。

 まあ、そこまでは口に出して言えないけど。


 そんな俺の言葉を聞いて、亜子はどこか嬉しそうに微笑むと、ちょっと待っててと言って部屋を出ていくと一冊のスクラップブックをもってきた。

 渡されたそれを開くと、山にデートに行ったときのこと、誕生日を祝ったときのこと、旅行に行ったときのこと、クリスマスのときのこと、それぞれの大切な場面の思い出の写真がページごとに貼られていた。そして、それぞれの写真のページのそばにはコルクボードに貼られていたのと同じ色の、切り取られた付箋が添えられていた。


「雄介と同じことを思ってね。切り取って捨てる度に思い出を捨てるような気持ちになっちゃったから。こうして思い出せるようにまとめてたんだ…って、わっ!?」


 嬉しそうに話す亜子が話途中で素っ頓狂な声をあげた。

 というのも、耐えきれなくなった俺が思わず抱き着いたからだった。

 ああもう、今日はやるまいと思ってたのに、こんなもの見せられたら我慢できるか。


「ずるい。一人でこんなかわ……面白いことしてるなんて」


 抱きしめつつ囁くと、ん?と亜子が声をあげる。


「今、かわいいって言おうとしたのに、なんで面白いって言いかえるの?」

「亜子にしてやられてばっかりなのは癪だから」


 照れ隠しをしながらそう言うと、そのまま腕に力を込める。もう、負けず嫌いなんだから、と腕の中で亜子が笑いながら言った。



 そのあと、日付が変わる前に“無事に結婚前夜を迎える”と目標の書かれた付箋を二人で切り取って、スクラップブックに貼った。

 付箋を貼ったページにはインスタントカメラで撮ったばかりの、真っ赤になった俺と嬉しそうに微笑む亜子の二人の写真が収められていた。

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