第四話 ザッケウス市橋
ついに橋の建造が止まり、『仕上げ』の工程が施された。
終端の橋上には小さな聖堂が設けられ、橋はまるごと商売の神に寄進された。
それからわずか数日後……マーリィが建てようとしたこの橋に、多くの人々が押し寄せはじめた。そして、対岸に渡ることもできない橋のために、わざわざ通行料まで支払ったのだ。
人々は屋根と風よけで守られた橋の上で、商売をはじめた。ある者は、国の許可証も無しに商品をせりにかけ、ある物は陸では取り引きを禁じられた嗜好品を商う。そうやって得た金で、寺院による安い税だけがかけられた生活の糧を、家族のためにたっぷり買い込むのだ。階段から橋の中段に降りると、訪れた人々に飲食物を提供する露店が立ち並ぶ。そこで必要な水は、南の山から引いてきた湧き水を使うことができる。燃料を売る商人も歩き回り、排煙は窓の煙突から外へ排出される。
海上の橋でありながら、しっかりと据えられた無数の橋脚によって揺れは少ない。特別料金を支払えば、海上の船から直接荷揚げを行う事もできる。
橋の中段を流れる水路の終端は彫刻で飾られ、南の山から引いた湧き水が海へ向けて細い滝のように流れ出す。港から遊覧船に乗れば、建造中の綺麗な断面とともにその様を眺める事ができる。
橋の通行料と荷揚げ料は、橋のために用いられた。設備の維持と補修、そしていざというときに、帝国の介入や内部のいさかいを防ぐための自警団と、橋の上で商売することを黙認させるための
それは、正確には橋と呼ぶより、海という『国土の外の地』に造られた『市』であった。人々はいつしか、橋のことを『ザッケウス市橋』と呼ぶようになった。
未完成にすぎないこの橋は、多くの人々で賑わった。そこへ買い物に訪れた父親が、はしゃぐ我が子を肩の上にのせる。マーリィが夢見た光景は、現実のものとなった。街の経済は大いに潤い、ついには工事の再開……すなわち補強のための増築までもが行われるに至る。
こうした橋上の市の誕生と発展に、皇帝と帝国、そして市場を独占してきた商人たちが良い顔をするはずがない。弾圧と衝突の危機は、幾度となく訪れた。しかし、かの賢者がそのたびに皇帝を諭し、ときには騙して、食い止めたという。周辺諸国へも影響力のある寺院の存在が、そこに一役買う事もあった。
そしてついに、賢者が皇帝の私憤により追放された時……己の経済政策の過ちにより傾ききっていた帝国は、坂を転げるように崩壊をはじめた。帝国は相次ぐ内紛に追われ、ついに橋に集う人々と衝突することなく、歴史の中から姿を消した。
橋の建造と運営に携わった人々、そして橋による恩恵を受けた街の全ての人々は、誇らしげに、まことしやかに語り継ぐ。帝国の経済政策の間違いにマーリィが気付き、住民たちとこれを正したのだ……と。
帝国が倒れた後、その反省をもとに、今度は比較的自由な経済を執り行う統治が続いた。橋で開かれる市を頼る人々も徐々に減っていき、代わりとなる市や施設が建てられてゆく。橋は、やがてその役目を終えていくかに思われた。
しかし、橋の歴史はここで終わらない。
三十年の節目を迎えようとした時期に、橋は大きな危機に見舞われた。
二度にわたるボヤ騒ぎを起こしたのち、大型の熱帯低気圧が内海を直撃、その一部が損壊してしまったのだ。
これを受けて、時の政府は、橋への立ち入りを禁じ、やがて取り壊すというお触れを出したのだ。
「あの建造物は橋としての機能を果たしておらず、港湾部の発展を妨げている。違法な取り引きにも利用され、犯罪の温床となっている。そして、自由な市はすでに国中の至るところにあり、百貨店なるものまでできた。役目は既に果たし終えている」
この政府の動きに対し、街の住人たちが動きだした。
その先頭に立って、人々を導いたのは……あの日マーリィに拾われた孤児のティムだった。鋭く、真っ直ぐな、澄んだ瞳。それを老人から受け継いだ彼は、城を追放された賢者の弟子となり、街の立派な指導者として橋を守り続けてきたのだ。
「たしかに橋は、経済的には必要な施設ではなくなっています。しかしその存在は、国の失策を自らの手で補おうとして活動した民衆たちの象徴であり、誇るべきシンボルです」
彼は胸に老人の面影を浮かべながら、人々に強く訴えかける。
「受け継がれてきたこの橋を、守らなければなりません。そこに込められた思いと、生みだしてきた笑みと、共に」
またたく間に、膨大な額の寄付金が街の内外より集められた。それをもとに、ティムは橋に二度目の改修を施し、これを蘇らせる。今度は、観光のための施設、また街のシンボルとして。同時に、街の名前も橋に合わせて『ザッケウス市』と改められた。
現在でもなお、橋は依然として「対岸へ向けて建造中」である。その完成の目処は、一切立っていない。
それでも連日、多くの人々がこの橋のためにザッケウス市を訪れる。すっかり商都として発展した街で買い物を楽しみ、遊覧船から橋を
誰もがそこに、かつて老人が望み続けた賑わいを見て、その顔に笑みを浮かべてみせる。
「わしの亡骸を、人柱として最後の基礎へ投げ入れてくれ。
ついに無一文となったマーリィが、小屋の中で遺した言葉だ。それはティムと街の人々の手によって丁重に実行され、マーリィは今も終端の橋脚、ちょうど聖堂の真下で眠っている。彼のいた小屋もまた、橋の中へと移されて、設計図を添えて展示されることとなった。
マーリィは、父親がくれたあの銅貨で、最後にこの橋を買ったのだ。
そして橋は、対岸に渡る事は出来なくとも、人の心をたしかに繋いでいる。
渡れない橋の物語 和泉 コサインゼロ @izumicos0
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