最終話 最後の晩餐
「来た……!」
ショーコは、事故が起きた横断歩道まで来ると、物憂げな表情でその場所を眺めていた。
「まず私が行きます」
彼女に気づかれないように、銀子はそっと立ち上がると、回り込むようにして物陰から彼女の近くへと向かった。
横断歩道を挟んで向かい側の道に出ると、緊張で締まる喉をこじ開けるかのようにグッとつばを飲み込んで、銀子はショーコに声をかけた。
「ショーコ」
「っ……!」
声をかけられてようやく銀子の存在に気が付いたショーコは、驚きで目を見開いた後、すぐに伏し目がちになった。その目は再び会えた喜びと気まずさのようなものが混じった色をしていた。
「ショーコ……ねぇ、どうして」
「ご、ごめん。自分でも、よく分かんなくて」
「分からない……?」
具体的な答えを聞こうと、銀子は取り調べのように質問を投げた。一方ショーコは、一転明るく努めるようなトーンで話し始めた。
「そう、気が付いたら、こんなことになってて。なんか、ネットで調べてみたらさ、この世に何かしらの未練を残したまま死んじゃうと、ヴァンパイアになって生き返るらしいよ」
「え、何の話?」
銀子が話を戻そうと、ショーコの話に言葉を挟んだ。早く結論に持っていきたい銀子は、無意識に語気が強まる。
「なんて言ったかな。あ、『カーミラ』とか言ったかな?」
どこまでもはぐらかそうとするショーコの態度に、銀子はついに声を荒げた。
「だから、そうじゃなくて! なんで女性たちを次々と襲ったのか、それを教えてよ!」
強い言葉で問いかけられたショーコは、驚きと同時に、相手が刑事と犯罪者という立場でしか見ていないということに気づき、どこか納得に似た感情でもいた。
恥ずかしさや寂しさに、ショーコは俯いた。意図せずうっすらと、涙が頬を伝った。
それに、遠目ではあったが気が付いた銀子は、ハッとして声をかけようとしたが、その前にショーコがポツリと声を漏らした。
「ほんとに訳が分からなかったんだよ……」
「え?」
「気が付いたら、真っ暗な箱の中に閉じ込められてて。何とかして出なきゃと思って天井を押し上げたら、それが蓋でさ、たまたま外に出られた。周りを見回したら、小高い丘の上みたいな墓地のど真ん中だったの。今でも理解しきれてないけど、その時はほんとに理解できなくて、自分が入れられてた箱が棺桶で、横に、自分がこれから入るかもしれなかった。いや、入るはずだった大きな穴が掘ってあったってのに、後で気が付いた」
銀子は、ショーコの独白を聞きながら恥ずかしく感じていた。大事なことを忘れていたのだ。刑事だとか被疑者だとか、その前に相手は一人の人間で、女性で、自分の恋人だ。そのことを、一人の刑事としても、人間としても、そして目の前にいる女性の恋人である自分としても、銀子は忘れていた。
「それからの何か月かはほとんど覚えてない。自分はあの時、ほぼ確実に死んだと思った。なのに、こうして生きてて。でも、今まで通り生活しようとしたら、なぜか思うようにいかなくて」
ショーコは段々、感情が高ぶってきて声が大きくなった。
「だって、普通に食事しようとしたら、なぜか急に体が、脳が受け付けないの! お腹は空くんだよ? だから、無理やりにでも口に含むんだけど、全然何食べてるか、味がしなくて。水だってそう。せめて水だけでも飲もうと思って口にするんだけど、美味しくないの。分かる?」
銀子は、返答するに適する言葉が見当たらず、ただじっと話を聞くことしかできなかった。ショーコは、銀子の沈黙を返事とし、言葉を続けた。
「そのうち、なにか、自分の中から異質な何かが込み上げてくるのが分かったの。その、内側から込み上げてくる衝動が怖くて、グッと堪えよう、抑えようって頑張った……でも、叶わなかった。ある時気が付いたら、目の前に、青ざめて冷たくなった女性の遺体があった」
ショーコはその時のことを思い出しているのか、何かを抱きかかえるように両腕を上げた。その姿を見つめながら、銀子は気が付いた。
「それが、先月起きた、一つ目の事件」
ふいに顔を上げ、ショーコの目が銀子の顔を真正面にとらえた。
「ねぇ、分かる。愛乃? それで、それで私はどうすればよかったのよ! どうしろっていうのよ!」
叫ぶショーコの目からは、それまでとはうってかわって、大粒の涙が溢れていたていた。銀子は、一度彼女を落ち着かせなければと、一歩彼女の方へ踏み出した。
すると、それに気付いたショーコが、取り乱したように銀子へ向かって一層大きな声で叫んだ。
「来ないで!」
彼女の反応に驚き、戸惑う銀子に、ショーコはなおも続けた。
「来ないで。こんな私なんか、もう違うの。私は、化け物よ」
「そんなことない!」
相手の言葉を遮るように叫ぶと、銀子は首を横に振った。呆気にとられるショーコをよそに、一歩、また一歩と、少しずつ彼女のほうへ近づいた。
「私ね、実は、ショーコのこと忘れようと思って、忘れて生きていこうと思って努めてたの。そうしないと、前に進めないんだって」
ショーコの目の前まで来ると、しっかりと目を見つめて、銀子は静かに彼女の両方の手をとった。
「けど、そんな私の傲慢が、今回のことを招いたんだと思う。そして、ショーコのことを苦しめてたんだね」
なおも涙が溢れるショーコの目に、されどもう、抵抗する様子がないことを感じた銀子は、手を放して彼女をやさしく抱き寄せた。
「ごめんね、ショーコ」
顔の横で彼女が小さく首を振るのを感じながら、銀子は、相手とそして自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「どこにいても、どんな時でも、ショーコはそばにいて、ショーコはショーコだよ」
離れた場所から二人の様子を窺っていた牧田たちは、銀子もイヤモニをしているはずなのに、現在の状況もわからず、また音声も届かなくなっていて、徐々に苛立ちを感じ始めていた。
「なに、俺らをそっちのけでイチャイチャし始めてんだよ、あいつは」
その時、牧田のイヤモニに交信が入った。
「牧田さん、柿本です。銀子さんから何の交信も進展もなく、このまま10分が経過したら、あちらの状況の如何に関わらず、我々も向かいましょう」
「こちら牧田。了解」
「ねぇ、愛乃。変なこと言うようだけど、聞いてくれる?」
「うん、聞くよ。だって、ショーコが生き返ったってだけで、十分変なことだし、今更だよ」
抱き合ったまま会話を続けていた銀子とショーコは、相手の肩に顔を軽く乗せたまま、お互いにクスクスと笑いあった。
「それもそうか。あのね、ある時また、無意識のうちに人を襲おうとしたことがあって。確か、相手は高校生か大学生くらいの女の子だったと思うんだけど、噛みついた瞬間、その子が叫んで、それで我に返ったの」
銀子はぼんやり、ショーコが話しているのは二つ目の事件のことだろうと推察しながら話を聞いていた。その間も話は続く。
「そしたらその時に不思議な光景を見たの。叫び声を聞いて、その子の友だちが飛び出してきたんだけど、その友達の子が、光の加減だったのかただの勘違いだったのか、その一瞬なぜか愛乃に見えたの」
「え、私に?」
ショーコの告白に驚いた銀子は、ようやく相手の肩から顔を離し、彼女の目を見た。その目を彼女は真剣な眼差しで見つめ返した。
「愛乃に見られた。見られてしまったって思った。辛かったし、なんて言うか、恥ずかしくもあった。しかも、あの学生の二人が、なんだか私たちにも見えてきて、それで、そのまま逃げだした。その日以来、襲う気も起きなくなった」
「ショーコ、ありがとう。よく、教えてくれたね」
銀子がそっと微笑むと、ショーコは何かを堪えるように唇を軽く噛みながら首を振った。
涙を我慢しようとしているショーコのことを、数秒間見つめていた銀子だったが、あることを思いだした。
「あ、報告しなきゃ」
イヤモニを外していたことすら忘れていた銀子は、慌ててそれを耳に付け直した。その時、耳から聞こえてきた会話に銀子は思わず小さく声を漏らした。
「え……」
どういう心境の変化なのだろうか、どうしようもなく、この状況が不味いと思ってしまった。
銀子の表情を見て疑問を感じ、首をかしげるショーコに対して銀子は、心配させるまいと精一杯微笑んで見せた。
「ねぇ、ショーコ。その様子だと、もう随分とお腹空いてるでしょ」
「え、ねぇ、何言ってるの?」
戸惑うショーコをよそに、気にする素振りも見せずに銀子は自分の首元を露わにして見せた。
「おい、お銀のやつ何やってんだ!」
「早く! 満水翔子を捕らえてください!」
イヤモニから、そして遠くの方からも牧田や柿本の声が響いた。しかし、銀子にとってもはやその声は段々と遠く、擦れゆくものにさえ感じていた。
なんと銀子は、ショーコに対し自分の血を差し出し、彼女に「食事」をさせたのだ。
記憶が途切れ行く間際。彼女はショーコの耳元で、小さく何かを囁いた。
――数日後――
「ったく、あの時はどうしたのかと思ったぜ」
牧田が丸椅子に座って、ベッドで横になる女性をジッと睨んだ。当の女性は苦笑いを浮かべている。その女性とは何を隠そう、銀子愛乃だ。
あの後気を失い、そのまま病院に運ばれ、数日間、昏睡状態にあったのだ。
「気の迷い、ですかね? 足止めした方がいいと思って、どうしようかと考えてたら、いつの間にかあんな行動を……」
「気の迷いですかね、じゃねーよ。何を血迷ったか知らねぇけど、おかげであの満水翔子はピンピンして、元気になってどっかに消えちまったよ」
「す、すいません……いてて」
「おぉ、じっとしとけ。まぁ、今回の件は気にするな」
横になった状態から体を動かそうとしたが、上手く力が入らなかった。
再びベッドへ横になる銀子へ顔を近づけて、牧田が囁いた。
「管理官やほかの連中はどうも、満水がそそのかしたか何か、つまり相手の意図で吸血行為をしたと考えてるらしい」
顔を離すと牧田は、口をへの字にしながら後ろを向くと、ベッドを取り囲むカーテンに手をかけた。
「ま、嫌でもしばらくは絶対安静だから、ゆっくりするといいさ」
先ほどまでの嫌味とは裏腹に、牧田の気遣いが感じられて、銀子は今にも震えそうな声で「ありがとうございます」と答えた。それを聞いて小さくうなずくと、牧田はそそくさと病室から出て行った。
その牧田と入れ替わるように、一人の看護婦がカーテンの向こうからやってきた。慣れた手つきで点滴を確認すると、サイドテーブルにバインダーや体温計やらを置いて、銀子に顔を近づけた。
「それじゃあ銀子さん、お熱計りますので、身体起こしますね」
「はい」
この看護婦に小さな違和感を感じる銀子であったが、大人しく指示に従い、シャツのボタンをはずした。
体温計をセットするために再び看護婦が顔を近づけたとき、体温計を持つ手とは逆の手で、看護婦はマスクを下した。
「あの時はありがとう。愛乃」
急に下の名前を呼ばれ、銀子は目を見開いて横を見た。そこにはしたり顔で微笑む、愛しい姿があった。
銀子はあの時、ショーコに対して「逃げて」とささやき、ショーコはその通り、こうして逃げおおせた。これでいい。銀子は彼女に微笑みかけた。
ナイト・ラウンダー 昧槻 直樹 @n_maizuki
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