Ⅴ 嘘から出た真(まこと)

 あれからジャックの存在を思い出した僕は、急いでウラシマウ氏に謝辞を述べると、彼の家をそそくさと後にした。


 すると、ウラシマウ氏宅を出て数秒と経たずに、鉄柵の影に隠れ、こちらをじっと見つめているジャックの姿が目に飛び込んでくる。


 ジャックは銃の暴発に驚いて逃げ出してからというもの、ずっとそこで家の中の様子をこそこそと覗っていたらしい。


 ジャックの言い分によると、どうやら彼も僕が撃たれたものと思い込み、それはそれはもう、僕の身の上を案じてくれていたのだそうだ。


 しかし、こうなった原因が自分達のくだらない悪戯であったりなんかもするものだから、警察や救急車を呼ぶのもなんだか躊躇われ、かと言って自らウラシマウ氏宅へ救出に向かうのも危険に思われたので、けっきょくただじっとその場で無駄に時間を費やす結果となったとのことである。


 友人が銃で撃たれたというのに、己の保身のために何もしなかったというのはなんとも薄情なものであるが、そのおかげで大きな騒ぎにもならず、実際には僕も撃たれたわけではなかったのであるから、まあ、今回は許してやるとしよう。


「へえ~あの爺さんとずっと話してたのかよ? ……あの偏屈な爺さんとねえ……」


 家の中でのことを話すと、ジャックはそう言って驚くとも感心するとも取れぬ声を上げていたが、実際に話をしてみると、ウラシマウ氏はそれまで思っていたような偏屈で性悪なクソジジイという印象ではなかった。


 近所にヴァンパイアが住んでいて、自分を狙っているなどというバカげた妄想に取り憑かれてはいるものの、根はいたって気のいい爺さんなのだ。


 基本、周りの者達はすべて〝ヴァンパイア〟であるために普段はあんな態度を取ってはいるが、今回の僕のように一度ひとたび相手を〝人間〟だと認識すれば、親しく普通のご近所さんとして交わることもできるのである。


 それにしても、あの時のウラシマウ氏はいつもと見違えるほどに人懐っこく話をしていたな……。


 長年、誰ともまともに話をしたことのない老人の一人暮らし……もしかすると、ずっとああして話ができる〝人間〟を待ち望んでいたのかもしれない。


「ヴァンパイアのことで何か訊きたいことがあったら、またいつでも遠慮せずに訪ねて来るがいい」

 

 彼の家をお暇する時、ウラシマウ氏は最後にそう僕に声をかけた。


 僕はその言葉に甘えて、また何か機会があれば、世間話でもしに寄ってやってもいいかな……と思った。


 そして、そうやって話をする内に、彼のヴァンパイアに対する誤解を少しづつ解いていくことができたらな……と。


 しかし、そんな僕の期待に反し、僕がウラシマウ氏と親しく話をしたのはそれが最初で最後となってしまった。


 いや、彼が他の者とまともに話をしたこと自体、おそらくそれが彼の長い人生の中で最後のこととなったのであろう……。



 ウラシマウ氏が、亡くなったのだ……。



 それは、ジャックと僕が彼の家を訪れたあの日から5日後のことだった。


 左隣に住む夫婦の奥さんが、しばらく庭にも姿を現さないウラシマウ氏を心配して様子を見に行ったそうなのだ。


 なんだかんだ言って、独り暮らしの老人のことを近所のみんなは気にかけていたのである。


 その奥さんが玄関のベルを鳴らしてみたが、何度鳴らしても反応がない。


 それに、ウラシマウ氏がとっていたロンドン・タイムスの朝刊もポストにずっと溜まったままだ。


 どうにも様子がおかしい。


 そう思った奥さんは庭を通って裏に回り、窓の閉まったカーテンの隙間から寝室の中を覗いてみた……


 すると、ベッドの上には目を大きく見開き、苦悶の表情を浮かべたウラシマウ氏の骸が、手で喉を掻きむしるような格好をして横たわっていたのだという。


 そんなおぞましい老人の遺体を目撃してしまった奥さんの驚きと恐怖がどれほど強烈なものであったかは想像に難くない。


 きっと彼女はその実年齢の割には若く見える顔を硬直させ、耳を劈くような悲鳴をロンドンの空に響かせたことであろう。


 そして、それからがもう大変な騒ぎだった。


 その第一発見者の奥さんが警察に連絡すると、一応、変死体での発見だったために刑事や鑑識もやって来て、事件性も考慮に入れての本格的な捜査が行われた。


 また、「KEEP OUT」の黄色いテープが貼られた家の周りには、たくさんのマスコミやら野次馬やらも押し寄せての大騒動となったのである。


 かく言う僕もその時ちょうど自分の家にいて、何やら家の裏手の方が騒がしいので外に出てみたら、そんな大騒ぎになっていたのでびっくりした次第である。


 同じく騒ぎを聞きつけて出てきたのであろう、近所に住むジャックの姿も野次馬の中にあり、僕らもご多聞に漏れず二人して「いったい何があったのだろうか?」と、群衆の中に混じってウラシマウ氏宅の様子を見守ることとなった。


 僕は初め、警察関係者が大勢出入りする老人の家の様子を前にして、彼がまた銃でも暴発させて怪我でもしたのか? それとも、もしかして今度は本当に、ヴァンパイアだと思い込んだ訪問者を撃ち殺してしまったのではないか? と推測した。


 自分自身で体験した先日の例もあるので、ああ、ついにやってしまったか……と、そう思ったのだ。


 しかし、しばらくその場に立っていると、周囲で囁かれる野次馬達の話から、どうもウラシマウ氏本人が自宅の寝室で死亡していたらしいという事実がだんだんとわかってきたのである。


 それも、死んだのはどうやら5日前だというではないか。5日前といえば、僕らが彼の家を訪れたその翌日である!


 僕は、まず自分の耳を疑った。


 確かにウラシマウ氏は高齢であったが、先日話をした時の様子からして、少なくともそんなすぐ死ぬような感じにはまったく見えなかったからだ。


 では、自然死ではなく、自殺や他殺なんかだったりするのか? まさか、本当にヴァンパイアに襲われたなんてことはあるまいが……。


 だが、その推理もどうやら違っていたようである。


 どこをどう漏れ伝わって来たものか? その後も野次馬達の会話に耳を傾けていると、現場で検視官が遺体を調べた結果、ウラシマウ氏はなぜかベッドに寝た状態で喉に生のニンニクを詰まらせ、それがもとで窒息死してしまったらしいということが判明したのである。


 その状況から検視官や警察は、ウラシマウ氏がニンニクを食べようとした時に起きた単なる事故死だという判断を下したみたいであるが……その真の死因について、僕は思い当たる節がある。


 そういえばあの日、彼は例のポーランドから取り寄せた本で知ったという新たなヴァンパイア除けのマジナイとして、「口の中にニンニクを含んで眠ると良い」などというようなことを言っていた……。


 死んだのが5日前となると……ウラシマウ氏は僕が家から帰ったあの後、夜、眠る段になって実際にそのマいないを試し、そしてそのまま、寝ている間にニンニクを喉に詰まらせて死んでしまったのではないだろうか?


 そもそもベッドの中で生のニンニクを食べようとするなど、普通に考えてありえないように思う。


 だが、だとしたら、なんとも皮肉な話ではないか。


 ヴァンパイアに命を奪われまいと思ってしたことで、逆に自分の命を縮める結果となってしまったのだから……。


 日に日にエスカレートしていくウラシマウ氏の様子に、あの日も、いつかやり過ぎて大変なことになるんじゃないかと僕は心配していたのだ……その心配が、見事的中してしまったというわけである。


 僕も不注意だった。あの時、ニンニクを口に入れて眠るなどというバカげた行為を老人がする危険性に気づいて忠告していれば、こんな不幸な結末にはならずにすんだかもしれない……。


 今更ながらに自分の迂闊さが悔やまれる。


 そうこうする内に、辺りが俄かに騒がしくなってきたかと思うと、シートに包まれたウラシマウ氏の遺体が家の中から担架で運び出されて来る……たぶん、一応は司法解剖に回されるのであろう。


 それまでは頭ではわかっていても、なんだか突然のこと過ぎて、まるで夢の中の出来事のように実感が湧かなかったのであるが、こうして実際に運び出される老人の遺体を目にすると、ようやく僕の中でウラシマウ氏の死はリアリティを獲得する。


 すると、このむしろ滑稽にさえ思える不幸な最後を迎えた老人のことが、とても哀れで、そして、とても愚かに思えてきた。


 そんな被害妄想のために命を落とすだなんて、それじゃあ本末転倒ではないか……。


 まあ、そのヴァンパイアに対する妄想のために死んだということは、〝ある意味〟ヴァンパイアに殺されたと言えなくもないのかもしれないのだけれど。


「まったく、愚かな爺さんだぜ。爺さんがヴァンパイアに襲われるだなんて、んなことあるわけねえっつうのによう……」


 僕のとなりで、同じく担架に乗って運ばれていく冷たい老人を見つめていたジャックが、呆れ果てたというような顔でそう呟いた。


 その言葉に、僕は哀れみと、虚しさと、そして、やるせなさの籠った声で答える。


「ああ。僕ら本物・・はもっと若い人間しか襲わないっていうのにね……」


                 (ご近所は吸血鬼ヴァンパイア 了)

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ご近所は吸血鬼(ヴァンパイア) 平中なごん @HiranakaNagon

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