Ⅳ 事件の真相

 それが、ウラシマウ氏が実際に見たというヴァンパイアなのか……。


 確かに彼ら村人の目からすれば、そのプロゴフスキーという男はヴァンパイア以外の何ものでもなかったのであろう……しかし、無論、彼はヴァンパイアなんかではない。


 それどころか彼はたぶん、杭を胸に突き刺されるその瞬間まで、冷たい土の下で〝まだ生きていた〟のだ!


 ウラシマウ氏の語ったプロゴフスキーがヴァンパイアになったことを示す幾つかの事象は、現代科学の見地や客観的視点に立って考えてみると、ある程度の説明をつけることができる。


 まず、埋葬したはずのプロゴフスキーが現れ、家族や村人達を襲ったという話であるが、もちろん埋められた人間が自分で墓を抜け出して来ることなど実際にあるわけないのだから、これは恐らく残された者達の幻覚…もしくは幻想であろう。


 先程、ウラシママウ氏から聞いたところによると、プロゴフスキーは酒癖の悪い乱暴者として村人全員に嫌われていたらしい……きっと奥さんや子供達も常日頃から暴力を振るわれていたに違いない。


 人々の心の内には、そんなプロゴフスキーに対するひとかたならぬ感情があったのではないだろうか?


 死んだ時も誰も悲しまず、むしろ喜んだということだし、もしかしたら葬儀や埋葬の仕方もおざなりだったのかもしれない。


 もしそうならば、彼に対する後ろめたさというものを、村人達は多少なりと抱いていたはずだ。


 いや、ひょっとすると、凶悪だった彼は「死んだ後もヴァンパイアとなって悪事を働くに違いない」という先入観が、初めから村人達の間にはあったのかもしれない。


 こうしたプロゴフスキーに対する恨みや恐れ、不安といった負の感情が、そのような恐ろしい幻覚を人々に見せたのではないだろうか?


 加えて、彼の墓の下から聞こえたという物音が、その幻覚を助長したことは充分に考えられる。


 そんなプロゴフスキーの亡霊に怯える極めて不安定な精神状態の中で過ごしていれば、身体の具合が悪くなるのだって当たり前だ。


 身体の弱い者やもともと病がちだった者ならば、衰弱して死んでしまうことだってあったかもしれない……。


 それが、おそらく〝墓を抜け出したプロゴフスキー〟の真相だろう。


 すべては、村人達のプロゴフスキーに対する感情が生んだ集団幻想だったのだ。


 そして、墓を暴いた時にプロゴフスキーの遺体が腐りもせず、まるでまだ生きているかのようであったという問題だが……こちらは先程も言った通り、彼が〝まだ死んでいなかった〟からに違いない。


 話によると、彼は泥酔したまま大雨の降る中へと出て行き、翌朝、冷たくなって発見されたとのことであるが、その状況からはカタレプシー(強硬症)の可能性が考えられる。


 カタレプシーというのは、今もってその原因についてはよくわからないところもあるのであるが、精神的な要因で起ったり、心身の疲労を回復させるために身体が強制的に機能を低下させることで起きる現象だなどといわれている。


 この発作が起こると、強い身体硬直によって感覚や筋肉運動が停止し、長く続くと脈拍や呼吸までもが低下するらしく、それ自体で死ぬことはないにしても、長いと数日くらいは続くこともあるのだそうである。


 つまり、その期間、カタレプシーの者を傍から見れば〝死んだように見える〟のだ。


 もしかしたらプロゴフスキーも、酩酊状態で雨に打たれたことにより体温が著しく低下し、このカタレプシーに陥ってしまったのかもしれない。


 そして、そのまま彼は死んだものと理解され、〝生きた状態のまま〟で埋葬されてしまったのだ。


 いや、そればかりかさらにしばらくの間、プロゴフスキーは埋められた柩の中でも奇跡的に生き続けていたようである。


 墓を掘り返した時にも血色が良く、新しい爪まで伸びていたのがその証拠だ。顔が赤かったのはおそらく酸欠のためであろう。


 また、指先や顔が鮮血に染まり、柩の蓋や屍衣などが血だらけだったというのも、彼が途中で意識を取り戻し、酸欠の息苦しさに柩の中を掻きむしった結果なのではないだろうか?


 墓地を通りかかった者が聞いたという、彼の墓の下から響く怪しい物音というのはたぶんこの時の音だ。


 プロゴフスキーの埋葬は、まさに〝早過ぎた埋葬〟だったのである。


 つまり彼は、まだ〝生きているかのよう〟であったのではなく、まだ〝本当にに生きていた〟のだ!


 生きてる人間の心臓に杭なんか突き刺せば、大量の血が噴き出すのも当然である。


 だから、村人達が彼に行ったことというのは……。


 僕は、この話をウラシマウ氏にしようかどうか迷った。


 もし、僕がこの話をすれば、彼のヴァンパイアに対する妄想を取り除くことができるかもしれない……。


 しかし、それは同時に、彼に新たなる苦悩を背負わせることにもなってしまう。


 人として、してはならない大罪を自分達は犯してしまったのだという……。


「どうじゃ? ヴァンパイアが実在するということがこれでようわかったじゃろう?」


 僕が思いあぐねている内にも、老人はなんだか自慢げな様子で僕にそう同意を求めてくる。


「はあ……」


 僕は、この日三度目となる曖昧な返事を返す。


「今の話でもわかる通り、やつらは実に恐ろしい……じゃから、こうして用心には用心を重ねねばならんのじゃよ。ほれ、このようにしての」


 今度も僕の反応はあまり気にかけず、そう言って自分の周囲をぐるりと見まわすウラシマウ氏の視線につられてそちらを覗うと、部屋の中にはいたる所にニンニクだの唐辛子だのといった、非常に臭いの強い香辛料がぶら下げられている。


 僕はクンクンと鼻を小さく鳴らし、思わず顔を歪める。


 今更ながらに気づくが、そういえば、この部屋はかなりニンニク臭い……これは、いくらなんでもやり過ぎなように思う。


 しかし、それでもヴァンパイアに対する老人の警戒心は満されることがないようである。


「それから、これなんかはこの本に載っているのを見て、昨日からさっそく始めたものなんじゃがな」


 ウラシマウ氏は次にそう言うと、先程のヴァンパイアに関する研究書を手に掲げて、自分の寝ているベッドの脚を指し示した。


 僕が身体を倒し、顔を90°横にするようにして覗き込むと、ベッドの脚には木でできた小振りの十字架がくくり付けられている。よく見ると、それは一つの脚ばかりでなく、四つあるすべての脚に対してなされているようだ。


「まあ、これで少しはやつらを退けることができるじゃろう。じゃが、どうやらやつらは常にわしのことを監視しておるようじゃからな。油断は禁物じゃ。この本にはまだ他にも有効なヴァンパイア除けのマジナイがたくさん載っておる。夜寝る時、ニンニクを口の中に含んでおくと良いというのもあったんで、今度はそれを試してみるつもりじゃよ」


 顔を上げ、僕が何かコメントを返そうとするよりも早く、そう言って老人は勝手に話を続けた。


 にしても、ウラシマウ氏のヴァンパイア除けはいったいどこまで行けば気がすむのだろうか? 


 最早、これ以上何かを追加するような余地はどこにもないように思えるんだけど……いつかやり過ぎて大変なことになりはしないかと、なんだか少し心配になってくる……。


 だが、そんな僕の心情などまるで意に解することなく、老人はたいそう満足げな笑みをその皺だらけの顔に浮かべると、僕に対して得意げに忠告する。


「おまえさんも死にたくなければ、わしのことをよーく見習って、ヴァンパイアに対する用心は厳重にしておくがいいぞ。ああ、そうじゃ。さっき一緒に来たお友達にも、このヴァンパイア除けのマジナイを教えてあげなさい」


「ああっ! そういえば、ジャック…!」


 そこでようやく、僕はすっかり忘れ去っていたジャックのことを思い出した――。



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