ラスト・ブック(仮)

 J・C・グーテンベルグ

 自費出版


 最初の本が存在するのであれば、最後の本もいつかは生まれるはずです。

 J・C・グーテンベルグはイギリスの書誌学者・言語学者でありSF作家。書物をテーマにした風変わりな作品で人気を博しています。


 彼が作家を志す以前から空想していた事柄の一つとして、「人類最後の書籍はどのようなものになるか」という疑問がありました。


「最も単純な想定は、隕石やら核兵器やらでそれまで繁栄していた人類が瞬時にして滅亡を迎えるという事態である。その場合、核兵器が炸裂する直前に発行された書籍、あるいは電子書籍・同人誌が『最後の本』になることだろう」 (1996年、アメリカSFフォーラムインタビュー)


「次に考えられる終局は、人類の技術が情報伝達という意味合いで圧倒的なブレイクスルーを迎える直前のことだ。全人類の脳内がネットワークの発達により瞬時に同期できるような時代が訪れた場合、電子書籍にせよ紙の本にせよ、『ここからここまで』と情報をパッケージングする行為は無意味に近いものになる。このケースでは、脳内情報の同期技術が完成する一瞬前に作成されたパッケージが『最後の本』に該当するだろう」 (同)


 しかしながら、とグーテンベルグは最後の本に関して第三の可能性も挙げています。


「いずれのケースでも、かって存在した書籍と言う概念についての懐古・憧憬の感情は存続するのではないだろうか。我々が気まぐれに粘土をこねあげて原始的な陶器を作って愉しむように、未来の人々もあえて同期状態を外し、紙の本をつくる行為に没頭してくれるかもしれない。そのような風変わりな趣味が全く顧みられなくなった時点こそ、本当の意味での書籍の終局なのだろう。あるいは核戦争で人類が滅亡する場合も、僅かに生き残った人々は文明を復活させようと尽力するかもしれない。放射能に汚染され死に瀕しながら、懐かしい書籍文化を復活させようと、ありあわせの材料でつくりあげたぼろぼろの同人誌が、最後の本になるかもしれない。だとすれば、どの状況でも人類最後の本は同じような外観になるのではないだろうか」(同)


「試みに、私は空想した『最後の本』をデザインして保管しておくことにした。どのような文化圏でも、どのような窮状にあっても入手できる最低限の材料で構成したものだ。もし、本当に書物というものが世界から消え去る日が訪れたなら、私の想像が当たっていたか、確かめてもらいたい」(同)



 グーテンベルグはこの、「ラスト・ブック(仮)」をタイムカプセルに詰め、自宅の庭に埋めました。2000年3月のことです。

 それから既に20年が経過しています。多くの関係者が予想した程には紙の本も廃れることはなく、電子書籍の売り上げは伸び悩んでいるようです。グーテンベルグが述べたように「パッケージングされた情報」が書籍の定義だとすれば、ブログやツイッターで飛び交っている文章も書籍の一形態ということになり、(本コラムもその一つ)書物は消滅するどころか繁栄の一途を辿っているとも言えます。


 それでも、人類滅亡や、反対に人類が現在とは別種の存在にまで進歩を遂げる可能性も否定はできません。グーテンベルグの「ラスト・ブック(仮)」が掘り返される日が訪れるものなのか、それは人々への本に対する愛、あるいは執着の大きさ次第と言えるでしょう。







(このレビューは妄想に基づくものです)









(妄想読書・完)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

妄想読書 妄想読書/シオタニケン @mosodokusyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ