「やまない吹雪」
俺たちの高校は自転車通学が認められていて、殆どの生徒は
俺たちの中学は、学区の中でも今の高校から一番遠い所にある。必然、自宅も今の高校からは、かなり離れている奴が多い。自転車で通うにはギリギリ、と言った距離だ。だから、殆どのやつはバス通学だった。
俺も……そして、同じ中学――いや、小学校から同じだった、
俺と香具矢は、いわゆる幼馴染というやつだ。
とは言っても、別に仲が良い訳じゃない。ただ単に近所に住んでいて、同じ学校に通っている「毎日のように会う顔見知り」程度だった。
――それでも、段々と色気付いてきた俺は、小学四年生くらいになると、はっきりと香具矢を異性として意識し始めていた。香具矢はその頃から、周囲から浮くほどの美少女だったんだ。
けれども……男子小学生ほど、この世に幼稚でひねくれた存在はいない。
気になる女子の気を引くために、意地悪をするなんて当たり前。相手がなびいてくれないと、方法を変えるどころか意地悪をエスカレートさせることすらある。
友達に「お前アイツのこと、好きなんだろ?」とでもイジられた日には、もっと大変だ。自分の気持ちを隠すために、好きな子に更に意地悪するなんて矛盾した行為も平気でやってしまう。とても残酷な生き物だ。
そして、俺はその残酷な生き物の典型だった。
香具矢の気を引くために――それが逆効果とも気付かず――毎日のように、彼女を「雪女」呼ばわりしてイジっていたんだ。傍から見れば、完璧ないじめだったと思う。
香具矢を毎日のように泣かせて、怒らせて、悲しませて……。結局、周囲の女子が先生にチクって、俺はたいそう怒られて、ようやく香具矢への「雪女」呼ばわりを止めた。
振り返れば、一週間と少しくらいの間の出来事だった。けれども、そのたった一週間と少しで、俺と香具矢の仲は圧倒的に冷え込んでしまい……挨拶どころか、目も合わせてもらえない仲になってしまった。
我ながら、本当に馬鹿なことをしたもんだと思う。目の前に小四の俺がいたら、間違いなくグーで殴る。
さて、そんな事情があったものだから、香具矢が俺と同じ高校へ進学すると知った時は、そりゃあびっくりした。
もちろん、たまたま俺と香具矢の学力が同じくらいだったってだけのことなんだが……「三年間、針のむしろか」「いやいや、今度こそきちんと謝るチャンスじゃね?」などと、俺の頭の中は毎日のように脳内会議で大変だった。
そして、脳内会議の結論が出ぬまま俺たちは高校生になり……あの日がやってきた。
ある夏の日の帰り。委員会の仕事ですっかり遅くなった俺は、バスの時間が迫っていたこともあって、小走りで最寄りのバス停へと向かっていた。
そして――。
「あっ」
バス停にいた予想外の人物の姿に、俺は思わず間抜けな声を上げてしまった。
ほんのりとオレンジ色を帯び始めた日の光を避けるように、愛用の白い日傘を差した香具矢の姿が、そこにあった。
香具矢はと言えば、一瞬だけチラリと俺の方へ目を向けただけで、興味がないらしくすぐに正面を向いてしまっていた。
当たり前だが、「避けられている」以前のお話らしい。……このまま同じバス停でバスを待つのは、気まずい。非常に気まずい。
――しかし、運命は皮肉なものだ。俺がバス停の手前でまごまごしている内に、無情にもバスがやって来てしまった。この時間帯だと、次のバスまで三十分ある。乗るべきか? 乗らざるべきか? それが問題だ……などと、俺が少しパニックになっていた、その時。
「……乗らないの?」
なんと、当の香具矢が日傘をたたみながら、俺に話しかけてきた!
「あ、え? え~と……乗る」
突然の想定外の出来事に、俺は混乱した頭のままそう答えると、彼女と一緒にバスへ乗り込んでしまった……。
バスの中はガラガラだった。この時間帯のこの路線は、乗客が異様に少ないらしい。香具矢とは離れた席に座りたかったから、都合が良い。
香具矢が前の方へと向かったので、俺はすかさず最後列の座席へと向かった。路線バスにありがちな、一列が全部繋がって座席になっている、あれだ。あれの端っこ座って、出来るだけ目立たないようにしたのだ。
けれども――。
「……えっ?」
俺が座るのを見計らったかのように、なんと香具矢が同じ最後列の座席の反対端に座ってしまった! ただでさえ混乱していた俺の頭の中は、更なるカオスのただ中へと放り込まれた。もう訳が分からない!
そして俺が混乱しているその最中、『発車します。走行中は席をお立ちにならないようお願いします』という、死刑宣告のような車内アナウンスが流れてしまった。……つまり、恥も外聞もなく座席を移動してとにかく香具矢との接触を避ける、という手段はもう取れなくなってしまったことになる。
――そのまま、バスは走り始めた。
窓の外の空は、段々と夕焼けへと近付いている。俺は無言でその光景を眺めながら、時折、香具矢の様子を盗み見していた。
彼女の白い髪と肌が、夕焼けのオレンジ色に薄く染まっている。赤に近い茶の瞳は、朱に近いほどの赤みを帯びている。素直に「綺麗だ」と思ってしまう。
けれども……流石にあんまり盗み見しすぎたのか、ふとした瞬間に、彼女と目が合ってしまった。
『……』
そのまま、バスの心地よい揺れを体に受けながら、香具矢と見つめ合う。彼女はいたって無表情で、その心の内は知れない。
何故、俺に声をかけたのか?
何故、わざわざ俺の近くの座席に座ったのか?
今は、俺のことをどう思っているのか?
彼女に訊いてみたくて……でも、怖くて。俺は口を全く開けずにいた。
そうこうしている内に、彼女が降りるバス停が近付いてきていた。彼女は、俺よりも一つ手前のバス停で降りるはずだった。
「時間切れだな」と、俺が心の中で自嘲した、その時。彼女が不意に口を開いた。
「ねぇ。小学校の時のこと、覚えている?」
「え……?」
彼女の口から紡がれた言葉に、思わず絶句する。俺と彼女の間で「小学校の時のこと」と言ったら、話題は一つしかない。
「……覚えてるよ。俺が、とても酷いことを言った。毎日、毎日。……香具矢さんを、とても傷付けた」
「そう……。覚えて、いるのね……」
言いながら、彼女がこちらを向く。
久しぶりに真正面から見た香具矢の顔は、やはりとても綺麗で……穏やかな笑みを浮かべていた。
その笑みがあんまりにも美しかったからか、俺の心の中にあった様々なわだかまりは一気に氷解していった。今なら素直に「あの時は本当にごめん」と言えるかも知れない、と。そういう気持ちが溢れ出した。
けれども、その言葉が俺の口から出ることはなかった。それよりも先に、彼女が実に意外な言葉を口にしたためだ。
それは――。
「――ねぇ。あの時のこと、悪いと思っていても絶対に謝らないでね?」
「えっ――」
「今更謝られても、絶対に許してあげないから。たった一言の『ごめん』で、私の六年以上の恨みつらみを、無かったことになんてしてあげないわ。絶対に。一生、死ぬまで、あの時のことは許してあげないわ。今後、私を『雪女』呼ばわりした人も、絶対に、一生許してあげないんだから」
――そんな辛辣な言葉を、とっても綺麗な、けれども氷点下の美しさを備えた笑顔で、彼女は口にした。
俺はと言えば、彼女の言葉の意味が全く理解できなくて、餌をもらいそこねた鯉みたいに口をパクパクさせるだけで……。
そんな俺の姿に満足するような表情を浮かべると、彼女が不意に立ち上がった。思わずビクッと体を震わした俺に、「失礼ね。何もしないわよ?」と声をかけると、彼女は降車口の方へとスタスタと歩いていく。
どうやら、既に彼女が降りるバス停に着いていたらしい。その事にも、降車ボタンを彼女が押していたことにも、俺は全く気付いていなかった。
と――。
「じゃあ、そういうことだから。学校では、普通に接してあげるわよ? ――許してはあげないけど」
最後に彼女は、そんな言葉を残して軽やかにバスを降りていった。
後には、すっかり脱力した俺の姿と……彼女の残り香のような、ひんやりとした空気だけが残った。
――俺は、何を勘違いしていたんだろうか? 「謝れば香具矢はきっと許してくれる」だなんて、とんだ思い上がりだった。
あの時も、今も、彼女の心は吹雪いたままだったのに……。
(了)
夏に吹雪く 澤田慎梧 @sumigoro
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