夏に吹雪く
澤田慎梧
「真夏の雪女」
――夏。
期末テストを終えて、夏休みまでのカウントダウンを数えるだけの生き物と化した、俺たち二年三組の面々は……暑さに喘いでいた。
つい先日、俺たちのクラスのエアコンだけが、狙い済ましたかのようにぶっ壊れあそばされた為だ。
窓を全開にしても、教室の中は30度近く。ただ座っているだけでも汗がダラダラ出てくる天然のサウナ状態だ。
ニュースでは日々、熱中症の話題が挙がっているんだから、学校の方も気を遣ってくれればいいのに……なんだかんだ理由を付けて、別教室への移動を許してくれていない。先生連中もヒイヒイ言ってるのに、これ、誰が得してるんだ?
そんなわけで、俺たち二年三組は夏休みまでの数日間、強制我慢大会に放り込まれることになったんだが……実は、クラスの女子達だけには、休み時間ごとに「天国」が約束されていた。
それは――。
「や~ん! カグっちのほっぺた、冷たくてきもちー!!」
「ちょっとあんた! くっつきすぎ! あたしのスペースもあけろっての!」
「ねぇ、私は~? 私、さっきの休み時間、カグっちに触れてないんだけど~!」
教室のちょうど真ん中あたりにクラスの女子達がたむろし、キャッキャウフフとじゃれあっていた。
……いや。もっと正確に言えば、一人の女生徒にくっつくべく、群がっていた。
ある者は女生徒の頬に頬ずりし、またあるものは半袖のブラウスから除く二の腕を愛おしそうに撫で回している。スカートの中に手を突っ込んでいる、大胆な女子もいた。
傍から見れば、非常にマズい絵面だ。
けれども、彼女らは何もいやらしい意味で女生徒にベタベタしている訳じゃなかった。彼女らは……涼を取っているだけなのだ。
「はいはい。みんな仲良く、順番にね?」
体中を女子たちにまさぐられながらも、眩しい笑顔を崩さないその女生徒は、名前を
クラスでもトップクラスの美少女なんだが、ただの美少女じゃない。街中を歩いていれば十人中十人が振り返るほどの、神秘的な美少女だ。
髪の色は、銀に近い白。白髪とはまた違う、不思議な輝きを放っている。
瞳の色は、限りなく赤に近い茶。
肌は抜けるように白く、それでいて血管が浮き出ているようなことがなく、彫像みたいに綺麗だった。
白い、まるで「雪の妖精」のような彼女の容姿には、理由がある。彼女は、「月の民」の子孫なんだとか。
俺もよくは知らないが、百年以上も前に「月の民」はそれまで住んでいた月を離れて、地球へとやってきた――いや、正確には「帰ってきた」。
「月の民」は、大昔に地球から月へと移住した人々の子孫なんだという。「月に人が住めるのか?」と思わなくもないが、まあ世間一般ではそう伝えられている。
それが、何があったのか詳しいことは分からないが、月に住めなくなってしまって、地球へ戻ってきたらしい。一体全体、どうやって月から地球へ渡ってきたんだろうか? そこら辺の詳しい話は、よく知らない。
「月の民」には、いくつか地球人類とは異なる特徴がある。
例えば、香具矢みたいに髪も肌も白く美しく、限りなく赤に近い茶色の目を持つこと。
例えば、生まれてくる子供は女の子ばかりで、まれに男が生まれても「月の民」の特徴が遺伝しないこと。
例えば、体温が地球人類に比べて異常に低く、触れるとひんやりしていること――。
それ以外は、遺伝子的にも地球人類とほぼ違いはないらしい。
ここまで語れば、香具矢が女子たちからベタベタされている理由が分かったと思う。
――そう。彼女は、女子たちから保冷剤みたいに扱われているんだ。香具矢からしたらいい迷惑だろうに、彼女は嫌な顔せずに、休み時間ごとにクラスメイトが涼を取るのを許していた。
……当然、男子は触らせてもらえない。まあ、当たり前だ。絵面がまずすぎる。
もし「触ってもいい」と言われても、触ることが出来る勇者はいないと思う。多分。おそらく……。
なので、男子は色々な意味で不満が溜まっているんだが……今日は特に暑かったせいか、一人の男子が言ってはいけない言葉を口にしてしまった。
「いいよなぁ、女子は。雪女がいてさぁ!」
――その瞬間、酷暑に沈んでいたはずの教室の雰囲気が、一気に氷点下のような空気に支配された。
他の男子たちも、香具矢にまとわりついてた女子たちも、皆一様に凍りついたように固まってしまい、誰一人口を開こうとはしなかった。
そして、全員の視線は香具矢の方へと向けられていた。
『雪女』は、言うまでもなく、日本の古い昔話に登場する妖怪だ。
吹雪の夜に現れて、人間の男と恋に落ちたり、人々を氷漬けにして殺してしまったり、自分の子供を人間に託したり。色んな種類の話が伝わる、妖怪の中でもポピュラーな存在なんだが……実は、「月の民」にとって「雪女」という言葉はタブーになっている。
数ある雪女の昔話の中には、こんな物もあるらしい。「雪女の正体は、月に帰れなくなった姫君」だ、という話が。
その昔話を詳しくは知らないが、「月の民」が地球へと帰ってきた時に、その昔話になぞらえて、彼女たちを「雪女」呼ばわりした人々がいるらしい――多くは、侮蔑の意味を込めて。
それ以来、「雪女」という言葉は「月の民」を差別する際に使われる言葉になった。そしてそれは今でも続いている。
だから、彼女らにとって「雪女」と呼ばれることは、最大の侮辱に値するのだ――。
教室の沈黙はまだ続いていた。誰一人、身じろぎ一つ出来ずにいる。当の「雪女」発言をしてしまった男子もだ。
皆、香具矢の反応を窺っている。彼女が怒るのか、悲しむのか。それとも……?
「――雪女、ね」
そうして、どれくらいの時間が経った頃か。香具矢がようやくその口を開いた。
静かに、けれども教室中に響くその声は、まるで硬質な金属で作られた鈴の音のように涼やかで――そして冷たかった。
教室中に緊張が走る。
「もし私が本物の雪女なら……あなたに触れて、氷漬けにすることも出来るんでしょうね。――ねぇ、試してみる?」
そう言って、香具矢が見せた笑みは恐ろしいまでに綺麗で――そして氷のように冷たかった。
その迫力にビビって、不用意な発言をした男子が、ヘッドスライディング気味に土下座して平謝りに謝ったのは、言うまでもないことかもしれない。
そんな男子生徒の狼狽した様子に、クラス中が吹き出し、一気に緊張感が解けていく。
香具矢も「二度と言わないでね?」なんて、ちょっと吹き出しながら男子生徒に釘を差していて、クラスは和やかなムードを取り戻していった。
――けれども、俺は一人、まだ緊張の渦のただ中にあった。
香具矢の笑顔の下には、まだ、冷たく凍てつくような怒りが渦巻いているはずなのだ。きっとクラスで、俺だけがその事実を知っていた。
そう、あれはちょうど一年くらい前のことだ――。
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