死ニキレヌ美恋

プル・メープル

死にきれぬ未練

「死にたいって、思ったことあるか?」

 静かな部室の中、いわゆるボーイッシュな女子、斎藤さいとう 美恋みれんがそう言った。

「……ないけど?」

 読書が好きだから図書委員になったのに、片付けをしている時にいつも手に取った本を読み始めてしまい、仕事が全然進まないため辞めさせられてしまったという根倉ねくら 杏子あんこが素っ気なく返す。

「私はある」

 美恋のその言葉に、さすがの杏子も読んでいた本から目を上げて美恋を見る。

 活発が売りの美恋から、そんな言葉を聞くことになるとは、思ってもみなかったからだ。

「いつ?」

 杏子がそう聞くと、美恋は指を折りながらブツブツと数える。

「そうだな……数え切れないくらいだな」

「……そっか」

「ほら、私って両親いないだろ?事故で……」

「うん、その時も?」

「ああ、私もついて行こうとした」

「でも、生きてたってことは死ねなかったってこと?」

 杏子はまた本に目を落として、半分美恋の方に意識を残しながら、残り半分を本へと向けた。

 面と向かってその話を聞くのが怖かったのかもしれない。

「死ねなかったわけじゃない。死のうと思えばすぐに死ぬことだってできた」

「でも……死ななかった……?」

「ああ、母親のお腹の中にいた『妹』だけは無事だったことを知ったからな」

「……そっか」

 杏子はさっきめくったページに戻ってもう一度読み始める。

 このページに書かれているストーリーが、あまりにも彼女の話と似ていたから。

 作り話じみている。

 でも、目の前の彼女に両親がいないこと、妹がいることは確かだった。

「他にはどんな時?」

「小学校の時、いじめられて精神が疲れてた時だったかな」

 美恋は思い出すように少し上を見上げながら話す。

「小学生って、頑なに常識を受け入れる時期なんだよな。だから、私に両親がいないことは普通じゃないって言って、いじめられた」

「それで……」

「それだけならまだ良かったんだ、私だけならな」

「もしかして……」

「ああ、妹もいじめられた」

 美恋は悲しそうに顔を下に向ける。

「妹はまだ1年生だった。でも、いじめに年齢は関係なかったんだ。傷だらけで帰ってくることも多くなって……」

 美恋は泣いていた。

 杏子は知っている。

 この話は既に彼女から聞いたことがあるから。

 杏子は本から目を離して見上げる。

 泣くのを我慢しようとして俯いてしまっている美恋と目が合う。

 杏子はその目をじっと見つめて、優しく笑いかけた。

「大丈夫、あなたのせいじゃない」

 杏子は、こういうしか無かった。

 他にかける言葉があるなら、教えて欲しいくらいだった。

 彼女の妹が、イジメによって自殺してしまったことに対して、何と言えばいいかなんて、分からなかった。

「私のせい、それは変わらない」

「違うよ、妹ちゃんをいじめた人達が悪いんだよ」

「……確かにあいつらは悪い」

 美恋はでも……と続ける。

「自分をどうにかすることで精一杯で、妹を助けられなかった私のことが、私は一番憎い!」

 振り絞るように、吐き出すように、美恋は大きな声で言った。

 その声は、ゆっくりと教室の空気に溶けていく。

「……」

「……」

 しばらくの沈黙が続いた。

「でも、妹ちゃんの分まで生きようと思ったんでしょう?」

「……ああ、私も妹を追いたかった。けど、妹の遺書に書いてあったんだ。『お姉ちゃんはあと100年は生きて、人生を楽しんで』ってな」

 美恋は少し嬉しそうに、でも悲しそうにその遺書を見せた。

 小学校1年生なりに頑張って書いたのだろう。

 これが、彼女から美恋への最後のメッセージになると分かっていたから。

「だから私は生きた。妹が自殺したことで、学校もいじめ対策には真剣に取り組むようになって、私へのいじめも消えた。あいつには本当に感謝してる」

「妹ちゃんのおかげで、生きるきっかけと環境の両方が手に入ったんだもんね……」

 杏子は本のページをめくった。

 やはり、この本に書かれていることは、彼女の話していることと似ている。

 まるで彼女が書いた小説を読んでいるようだ。

「私はな、行きたかった中学に行けることになった。頑張って勉強したおかげだ」

「それがこの高校の系列校である中学?」

「そう、スポーツが強い学校だったからな」

「スポーツが好きなんだ?」

「ああ、スポーツをしている時だけは、ほかの全てを忘れられる気がしてな」

「なんのスポーツをしていたの?」

 杏子が聞くと、美恋は「水泳と陸上とバスケと……」と、いくつかの部活をあげて。

「色々やったけど、最終的にはバレーにした」

 そういえば、彼女は色々な部を兼部していたんだ。

 その全てで好成績を残しながらも、最後にはバレーだけに決めたと言う。

 そして、バレーで全国まで勝ち上がり、次の試合を勝てば優勝……という時だった。

「……私は練習中に転んで、足を折った」

「……大会は?」

「元々バレーは弱小チームだったんだ。私が出れなかったことで大敗した」

 噂によると、1点も取れなかったらしい。

 今読んでいるこの本の主人公も、ちょうど足を折って試合に出れず、チームメイトから責められるシーンだった。

「チームメイトからは嫌味も言われたよ。お前が怪我しなければ……なんてな。私だってしたくてしたわけじゃないのに……」

「そうね……悔しいわよね……」

 スポーツを真面目にしたことが無い杏子にはその悔しさがどれほどかなんて分かるはずがなかった。

 でも、彼女の声や表情から、自分の想像している以上に悔しかったということだけはわかる。

「私、骨折してた時に車椅子だったんだよ。それで、唯一チームメイトの中でも仲良くしてくれてた奴が押して家まで送ってくれてたんだ」

「その子、いい子ね」

「ああ、すごい良い奴だった」

「……だった?」

 杏子が聞き返すと、彼女も無意識に言っていたのか弱々しく頷く。

「あいつ、車椅子に私を乗せたまま、わざとブレーキを外して坂から落としたんだ」

「……酷いわね」

「そのせいで私は止まれずに大通りに飛び出して……」

 車にはねられた……。

 声にならないような小さな声でそう言った。

「私はその事故で……両足を失った」

「骨折なら治ったはずのものを……なんでそんな酷いことを?」

「私はブレーキを外したアイツを恨むわけじゃない。あいつも脅されてたんだ、他の奴らに。だから、仕方がなかったんだ……」

 仕方ない。

 そう言いながらも美恋の目には憎悪の念が溢れているような気がした。

「裏切られたことも辛かった……でも、もっと辛かったのは……もう二度とバレーが出来なくなったことだった……」

 両足を失った彼女には、今まで通りにバレーをすることは不可能だ。

「私はそれが悔しくて、放課後にこの部室に来た。元々はバレー部が使ってた部室だ。今となっては空き部屋だけどな」

「その時に……?」

 杏子は本の最後のページに目をうつす。

 その本の主人公は、部室で首をつって死んだというストーリーが書かれていた。

「ああ、その時に……」

 杏子は美恋の顔を見る。

 彼女のその綺麗な首には、太いロープが巻かれていた。

 そのロープの反対側は、天井から吊り下げられた蛍光灯の金属部分に巻き付けられていて……。

「ここで首を吊ったんだ、私」

 美恋はそう言って苦笑いした。

「でもあなた、自殺ではないのでしょう?」

「……どうして分かるんだ?」

 杏子は半透明な美恋の体を見ながら言う。

「あなたが首を吊ることは出来ても、あなたが首を吊る準備をすることは不可能だもの」

 美恋が首をつっている高さは、椅子をふたつ積んだくらいだ。

 普通の人間ならまだしも、両足を失った彼女が、腕だけでロープを蛍光灯に巻き付け、そこへ首を吊るなんてことが出来るはずがない。

「……もうひとり、ここに人がいたのでしょう?」

「……」

 美恋は伺うように杏子を見つめ返すと、諦めたような安心したような表情でため息をついた。

「そう……私は自殺じゃない。殺されたんだ」

「やっぱり」

 杏子が開いている本の主人公のストーリーにも、彼女が自殺をしたなんてことは書かれていない。

『首を吊って死んだ』としか書かれていないのだ。

 このストーリーは、美恋のものと完全に一致している。

「なら、犯人をあなたから聞き出すまでもないわ」

 杏子はそう言って席を立ち、ドアに向かって歩く。

「あなたの未練、私が晴らしてきてあげるから」

「……ありがとう」

 美恋がそういったのを聞いて、杏子は部室を後にした。



 数十分後、杏子が再び部室に帰ってきた。

 そこにはもう、首を吊る美恋の姿はない。

 ただ、開かれたままの本が残されているだけ。

「ふぅ……なかなか刺激的な人生だったのね」

 彼女が生きていたのは10年以上前のこと。

 彼女はバレーができなくなったショックで落ち込み、退部する前にもう一度部室を見ておこうとここへやってきた。

 その時、運悪くクソ教師と鉢合わせし、彼女は殺されてしまった……。

 彼女を殺した教師が何を隠していたのか、なぜ彼女を殺したのかは分からない。

 それはもう、誰にもわからないことだった。

 杏子が……消してしまったから。

「この仕事も楽じゃないわね。未練まみれの幽霊を成仏させるために未練を解決する……だなんて」

 杏子はそう呟きながら、本に目をやる。

「あら、ページが増えてる?」

 最後のページであったはずの場所の後ろに、新たなページが追加されていることに気づいた。

 杏子はページをめくる。


『私は死にたくても死ねなかったんじゃない。

 死のうとする度に生きる理由が浮かんじまう。

 だから、死にたくなかったんだ。

 私は、生きる理由が潰えるまで、あと100年でも生きるつもりだったんだ……。

 でも、もう大丈夫。

 家族たちと一緒に、あっちの世界で叶えるから』


「……まあ、終わりよければすべてよしってことね」

 杏子が本を閉じる音が部室に響いた。

 そして、空白の表紙に赤いペンで『斎藤 美恋の一生』と書いて本棚に入れる。

 そして、お茶を一口飲み込んで。

「さてと、次はどんな未練が待っているのかしら」

 独り言でそう呟いた。


 〜完〜

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