想いを胸に

 それが昨日の出来事。榎本さんに告白すると決意した心が瓦解し、今日までの授業の内容など微塵も頭に入っていない。


「人生って、こんなに残酷なんだな」


 いまだに心の整理がつかず、放課後はこうして放心したままだ。


「俺は、何のために生きているのだろうか」


 泣きたい気持ちを通り越して虚無が俺を支配する。好きな人と共に生きられない人生など人生じゃない。ただの生だ。


「俺、死のうかな……」

「バカじゃないの?」


 ポツリとそんな言葉が口から出ると、誰もいないはずの教室に別の声が響く。


「……なんだ、悠里か」


 ゆっくりと力なく振り向くと、そこには幼馴染みでクラスメイトの月島悠里つきしまゆりが立っていた。少し茶色がかったボブカットの童顔で、身長もギリ一六〇ない小柄な女の子。見た目は高校生というより中学生だ。


「一階で待っててもちっとも来ないから迎えに来たわよ」

「ああ、先帰ってていいよ」


 家が近いということもあり、悠里とは時間が合えば一緒に帰っている。今日はその日だった。


「何よそれ。人を待たせておいて先帰ってていい? あんた何様?」

「うるせーな。俺はまだ帰る気分じゃないんだよ」

「いや、もう放課後だから。帰らずに何するのよ」

「それは……色々だよ」

「色々、って何よ?」

「色々は色々だよ」

「色々は色々、ってどんな色々よ?」

「色々は色々であって色々以外の何でも……ああ、もうめんどくせ」


 いつもなら突き通す所だが、今の俺にはそんな気力は残っていない。


「昨日からボー、ってしちゃって。何考えてるのよ」

「うるせーな。悠里には関係ないだろ」

「いいかげん榎本さんに彼氏がいる事実を受け入れなさいよ」

「そうだけどさ――っておい待て! なぜそれを知ってる!?」

「いや、もろバレバレだから」


 バカな……榎本さんが好きだということは誰にも言ってないはずなんだが。


「健太は分かりやすいのよね~。昔っから好きなことや物に目が行くじゃん。幼馴染みの私が気付かないとでも?」

「くそ~、ぬかった!」


 よりにもよって悠里に気付かれるとは。絶対にバカにされるに決まってるじゃねぇか。


「ホント、健太はつめが甘いわね」

「うるせ」

「告白する前に撃沈とか、ちょ~笑える」

「うるせー」

「そんなんだからいつまで経っても彼女できないのよ」

「うるせーって言ってるだろ!」


 始まった悠里のからかいに俺は我慢ならずに机を叩き、大声を上げる。


「失恋した相手の傷に塩を塗り込むようなことするなよな!」

「私が慰めるとでも? 私がそんな性格?」

「だったらほっとけよ!」

「甘いわね。こんな格好のからかい対象がいてほっとくわけないでしょ。しかも……」

「あっ! 返せ!」


 机の上に戻していたラブレターを取ると、にやけながら俺を見下ろす。


「こんなものまで書いちゃって」

「やめろ! 開けるな!」

「何々……『榎本さんの笑顔が好きです。よかったら付き合ってください』。ははっ、こんな台詞普通に口で言えるじゃない」


 なんと悠里はラブレターの中身を取り出し、口に出して読み始めた。羞恥さよりも怒りが募る。


「てめぇ、悠里! いいかげんに――」

「んで、どうするの?」


 突然、悠里の口調と態度が変わる。小バカにしていた表情から真剣な顔つきになり、俺の目を真っ直ぐ見つめてきた。


「ど、どうする、って?」

「決まってるわよ。榎本さんに告白しないの?」


 ……何を言ってるんだ、こいつは?


「答えなさいよ。告白するの? しないの?」

「す、するわけないだろ。榎本さんにはもう彼氏がいるんだぞ」


 恋人がいる相手に告白するバカがどこの世界にいるというのだ。


「へ~。ラブレターまで用意したのに告白しないんだ~」

「そ、そりゃするつもりだったけど、もう意味がない――」

「何で意味がないの?」

「いや、無意味だろ」

「ふ~ん、そう。なら……」


 ……ビリビリビリビリッ!


 すると、悠里は俺のラブレターを破き始めた。精一杯書き上げた、俺の全ての気持ちが詰まった大事なラブレターを。


 突然の悠里の行動を呆然と眺めていた。細かく千切られる様はまるで俺の失恋を表しているようだと呑気にも考えていた。


「健太。告白、って何だと思ってるの?」

「何だもなにも……好きだって伝えることだろ?」

「じゃあ、何でそれをしないの? 健太は榎本さんが好きなんじゃないの?」

「す、好きだよ。でも、榎本さんにはもう彼氏が――」

「だから何?」

「何、って……」

「今自分でも言ったよね。告白は好きだと伝えることだ、って。健太は榎本さんのことが好き。ならやることは一つじゃないの?」


 そりゃあ俺だって告白できるものならしてる。けど、振られるのが分かってて告白できるか。


 ふてくされたように俺は悠里から目線を反らす。今さら何をやっても手遅れなんだ。やる気も出るわけがない。


「いい加減にしろよ……このヘタレ野郎」


 悠里の低い声。これはマジで怒っている時にしか出ない声だ。反射的に体が硬直し、俺は恐る恐る悠里に向き合う。


「告白する、って決めたんでしょ? 好きだ、って伝えたいんでしょ? だったらこんな所でウジウジしてないでさっさと行ってこいや!」


 鬼の形相で俺の胸ぐらに掴み掛かる悠里。


「榎本さんは明日には引っ越ししちゃうのよ? もう会えないのよ? このまま何も伝えないで健太は後悔しないんか! あん!?」

「言ってどうにかなるのかよ! 榎本さんが今の彼氏と別れて俺と付き合うのか!?」

「付き合うわけねぇだろ! 榎本さんと彼氏はラブラブなんだから!」

「じゃあ意味ねぇじゃねぇか! 失敗して余計に虚しくなるだけ――」

!」


 俺は悠里のその台詞が体全体に染み込んだような錯覚に陥った。


「榎本さんは健太にそれだけ好かれてる。けど、健太がそれを伝えなきゃ榎本さんはずっと知らないまま。今日まで榎本さんと交流して楽しかったこと、笑ったこと、ちょっと気になったこと。全部伝えなさい。健太はその間幸せだったんじゃないの? 感謝も伝えられないほど、私の知る健太は落ちこぼれじゃない」


 掴んだ手をゆっくり離す悠里。それと同時に俺も動き出した。


「男ならこんな紙きれなんかに頼るな。直接口で伝えてきなさい。おもいっきり、全力で振られてきなさい。その代わり……全力で自分の想いを伝えてきなさい!」


 最後の悠里の言葉が背中を押したように、俺は全力で駆け出していた。


 そうだ。付き合う付き合わないが全てじゃない。恋人になれたから幸せでもないし、振られたから不幸になるわけでもない。榎本さんと過ごした時間は確かに俺の人生を輝かせてくれた。


 もう迷いはない。悠里の言う通り一○○パーセント振られる。それでも俺は伝えたい。


 榎本さん。君のことが好きでした。そして……ありがとう、と。


                  了

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大事な一歩 桐華江漢 @need

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