第6話別れの日

震える手でアイスコーヒーの入ったグラスを両手で挟むようにつかみ、敏夫は一気に飲み干した。その黒い液体の薄い苦さは、空っぽの胃にしみわたった。

「まさか、そんなことで……」

絞りだすような声で敏夫いう。

どこかあきれた顔で、

「あーダメだ。だから貴子さんは会いたくたいって言ったんだよ。彼女にとっての宝物をすてられたんだ、そりゃ愛想をつかされてもしかたないね」

とエルザは言った。

「それで、私に会いたくないと……」

「まあ、そういうことだ。彼女は今、あのイラストレーターと過ごした一週間を次の転生まで何度も繰り返しいる。その日々の中にあなたが入り込む余地は一ミリもないのだよ」

バクは答える。

「彼女の願いは一番愛した人と一緒に暮らしたいということだった。だから、夢想の世界をつくりそこに住まわせた。残念ながら、あんたは一番ではなかった。どうやら、最愛の人をなくしたその代用のような存在だったようだな。だから、見たことがなかったのだよ貴子さんのあの笑顔を……」

紫煙を吐き出し、バクはいう。

タバコの煙はうなだれている敏夫の顔にかかり、それを吸った瞬間、意識が遠退いていくのを感じた。


気がつくとそこは病室であった。

彼はベッドに横たわる自分自身の姿をぼんやりと眺めていた。

横にはアロハシャツをきたグラマーな死神がチュッパチャップスをチュパチュパといやらしくなめていた。

娘の明美が痩せて乾いた敏夫の手を握っている。

その姿をどこか事務的な様子で医師と看護士がみていた。


ガラガラと勢いよくドアを開け、作業服を着た小太りの男が入ってきた。

「保夫くん……」

ちらりとその男を明美はみた。その男を見て安堵したのか、ボロボロとダイヤモンドのような涙を流した。蛍光灯のオレンジ色の光を受けたその涙は宝石と同じ価値があると思われた。

「お父さん、お父さん死んじゃった」

嗚咽混じりに明美は言った。

作業服の男は敏夫の手を握っている明美の手をその上からさらに握った。

「明美ちゃん、お疲れ様。明美ちゃんのお父さんもお疲れ様でした。こんな時に言うのもなんだけど、今度、明美ちゃんのお父さんが残した釣り道具を持って釣りに行こうよ」

「うん、行こう……」

涙と笑いのいり混じった表情で明美は保夫にこたえた。


「ある人にとっては一番じゃなかったけど、ある人にとっては一番だった。まあ、そんなところかな」

チュッパチャップスをなめながらだが、エルザは言った。彼女の存在は明美と保夫らには認知することはできない。そして、敏夫もそういった存在になっていた。

「百点満点とはいかないが、まあ、いいか」

娘の涙を見ながら、敏夫は派手な顔の死神に言った。

「さあ、連れていってくれ。死神エルザさん」

「ああ、いいよ」

ハイビスカス柄のアロハシャツを着たグラマーな女は死を司るものらしくない明るい声でこたえた。


そして、二人は病室をでた。


そのことに気づく生きた人間は誰もいない。





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死神の贈り物 白鷺雨月 @sirasagiugethu

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