うなぎとビーフンと

増田朋美

うなぎとビーフンと

うなぎとビーフンと

今日も、御殿場市は、朝から晴れていた。「安藤びいふん店」を切り盛りしている安藤忠夫さんは、今日も、開店の準備をするために店に出た。

いつも通り、店の中を綺麗に掃除して、テーブルと椅子を整え直す。そして、昨日仕入れてきた、材料を、今一度確認する。

仕入れてきた材料も確かにあるのだが、ほとんどは、昨日の売れ残りだ。ビーフンは、生めんではないので、一応長期保存も可能だと言われているが、余り長く置いておくのもどうかと思うので、売れ残りはなるべく捨てるようにしている。

今日も、その売れ残りが大量にあるということは、つまるところ、この店は売れていないということになるのだ。其れだけが事実だが、その事実が、飲食店を経営している安藤さんには、たいへんな問題であった。

「今日も、客は来ないのかな。」

何て呟いて、安藤さんは、いつも通り店の中にあるテレビを見て過ごすのだ。

そんなある日。

今日も業務スーパーに材料を仕入れに行った時の事であった。

たまたま、魚売り場の前を通りかかると、小さな女の子が、お母さんに駄々を捏ねていた。

「ねえ、うなぎが食べたいよ。」

お母さんもお母さんで、なにか困っているらしい。

「もう、今はウナギの季節でもないんだし、其れは後にしなさい。」

ウナギか、、、。

そういう言葉を聞いて、ピンと来るものがあった。

「うちの店もうな重、入れてみようかな。」

安藤さんはふっと呟く。

確かにビーフンばかり提供していたら、どっちみちうちの店は繁盛しないことは知っている。それなら、いっそのこと、子どもから大人まで食べられる、うな重を入れてみてはどうだろうか。

ただ、うなぎという動物は、絶滅の危惧に瀕していることも知っている。矢鱈とウナギ屋が増えすぎて、うなぎが取れなくなっているという話も聞いたことがあった。又うなぎ屋が増えたら、うなぎ絶滅の可能性をまた増やしてしまうことになるのだろうか。其れも嫌だあな、と安藤さんは思うのだ。

ほかの飲食店でも、積極的にウナギを取り入れているところは多いのだが、何だかもうちょっと危機感がないというか、うなぎが之だけ減少しているというか、絶滅が心配されている中で、うなぎ料理店が増え続けているということは、なんだかおかしいと思える。

特に、蕎麦屋とか、ファミレスの様な和食屋が、ウナギを積極的に、食材として使用している。それは何処から仕入れるのか、不安になってしまうほど、そういう店は繁盛している。

結局、安藤さんは、必要な材料だけ買って、業務スーパーを後にしてしまった。うなぎの事は、まだ、決断が出来なかった。

とりあえず、店に帰るため、道路をとぼとぼと歩く安藤さん。ふいに、何となくうなぎのかば焼きの匂いがして、前方を見てみると、一軒のファミリーレストランが立っていた。看板には、「うなぎのかば焼き始めました」と、表記がされていた。あれれ、いつの間に、こんなファミレスが、ウナギのかば焼きを始めたのだろう。其れなら、原材料のウナギは何処で仕入れてきたのかなあ、と思いながら、みんな気軽にウナギというものがたべられていいなあ何て、思ってしまうのだった。

そうなると、うちの店も、うなぎを仕入れなければならないかなあと思う。そうしなければ、店が繁盛しないかなあと思う。だけどねエ、ウナギを矢鱈食べても、どうもその絶滅が心配されるというか、その希少価値があるという所に、何だか矢鱈に食べてはいけないような気がしてしまうのであった。

安藤さんが、ウナギをすきになれないのは理由があった。若いころ、自分が住んでいた地域では、ウナギは地蔵菩薩の使いと言われていて、矢鱈に食べてはいけないという言い伝えがあったのである。理由は知らないけれど、大きな災害があって、ウナギが災害から救ってくれたということは聞いていた。また、ウナギが蛇に似ている事や、食用として沢山殺されていることから、うなぎが人間に復讐するという内容の怪談小説も読んだことがあった。其れもあって、安藤さんはうなぎをあまり好きになれなかったのだ。

でもねエ、世間ではウナギの料理が之だけ流行っている。其れに、自分の店も、繁盛していないのだし、其れには、この流行りのモノである、ウナギ料理を取り入れて、繁盛させることも必要かもしれない。

「どうもダメなんだよな。ウナギという物はな。」

安藤さんは、そらに向かって呟いた。

そのまま、がらんどうと思われる店にもどってきた。あのファミリーレストランは、朝から大繁盛だったのに、自分の店は、何時になってもお客さんが来ない。何をやっているのか、考えてしまうほど、お客さんが来なかった。

「やっぱりなあ。こんな店をやっていて、だめだな、俺は。」

思わず一つ、呟いてしまった。

「俺、何やっているんだろ。こんな所で。」

そういうことは別に考える必要もない事であるが、人間はやることがなくなると、こういうことを考えてしまうようになるモノであった。それが度を越してしまうと、犯罪というものが起こることになる。

それでは、とウナギを仕入れる事を、考えてみよう。ウナギを仕入れるとなると、ウナギは、高級品ということで知られている。この店の売り上げから仕入れることを考えると、国産のウナギ何てとても仕入れることは出来ないな、と思う。そうなると、中国産のウナギとか、マダガスカル産のウナギとか、そういうモノを、仕入れてくるしかない。若しかしたら、お客にこれ何処のウナギ?何て聞かれるかもしれない。もし、中国産とか、マダガスカル産と正直に口にしたら、お客に馬鹿にされるかもしれない。それでは、余計にこの店の売上も落ちるだろうなあ、何て、安藤さんは、考えるのだ。

でも、今、何処の店でも、ウナギを仕入れている店は、みんな繁盛しているのだ。看板には、みんな国産のウナギと書いてあるし、一部の高級店では、天然ウナギという看板をかけている店もある。多分、高級店であれば、ウナギを入手出来るだろうけど、ほかのファミレスなんかはどうなんだろうか。きっと、マダガスカルとか、そういう所から輸入したウナギを、国産と偽って、販売している所なんて、星の数ほどあるんだろうな。何ていう事も思った。

多分、そういわれるだろう。手をあらうのと同じように、みんなしているよ、食品の偽装何て。なんて、答えが帰ってくるんだろうな。俺は、そういうことを、隠し通すことは出来るかな。俺、そうやって、商売するのは得意じゃないからな。それでは、商売にならない、何てでかい声で貫き通してしまう人もいるけれど、、、。安藤さんは、お客さんに喜んで食べてもらうのが、一番嬉しい事だから、それを偽りの食材で、作ってしまうことは、俺は耐えられないなあ、なんて、考えてしまうのだった。

俺は正直すぎるかなあ、とも思う。多少、食品を偽造しなければ、商売にはならないっていう人がいるのも確かだけど、俺は、果たしてそれを隠し通していけるかなあ。二枚目だったら、隠していけるかもしれないが、俺みたいな不細工男には、出来るはずもないなあ。もし、俺がもうちょっと、俳優みたいな二枚目だったら、そんな事で頭をめぐらせた。

でも、いつまでたっても、客はやってこない。本当に客はやってこない。だから、本当に考えてしまうのだ。さすがに昼時なのに誰もやってこないことに、安藤さんは危機感を持ち始めた。これでは、本当に、俺自身が食べていけるモノがなくなってしまうぞ!

と、いうことは、やっぱりビーフンをやめて、ウナギをたべさせるようにしないとだめだろうか。ビーフン一本でこの店をやってきたけど、こんなに客が来ないのでは、俺自身がだめになってしまう。食べるために、嫌なモノに手を出さなければならないという人はいっぱいいる。俺は、すきな料理の一つである、ビーフンだけでこの店をやってきたが、最近の風潮として、嫌いな事で商売をしている人のほうが、偉いという傾向もあった。どうも、すきなことをやって生きるという生き方は、かっこう悪いというか、やってはいけない的な雰囲気が、いたるところにちりばめられていた。だから、俺も、ほかの飲食店からは、大好きなビーフンにこだわりすぎる、変なおやじとしか、見られていなんじゃないだろうか。

そうなると、ウナギは嫌いだけど、やっぱりウナギを仕入れて、それをしなければいけないという事だろうかな。俺は、すきだったビーフンだけでやってきたけど、之だけ客が来ないんだもの。ビーフンを好むという人もいないってことだろうな。やっぱり商売だもんな、たまには、自分が嫌いだけど、みんなには人気のある料理を作って、生きていくためにやっていかなくちゃならない事も、あるだろうな。こんな時間なのに、俺の店には客が誰も来ないんだ。ビーフンなんて、誰もたべに来ないんだから、みんなの興味ある食材を提供していく店に変えていかなくちゃ。俺は、食べ物が売れないからと言って、店の中で自決ということはしたくない。そんなことしたら、わずか十年も生きることなく逝ってしまった息子に、何だか申し訳ない気がする。もし、俺が自決して、本当に、あっちへ行ったのなら、お父さんは、やっぱり、だらしなくて意気地なしで、情けない男だよ。何て、笑われてしまわれそうな気がするのであった。

だから、この世界で、限界が来るまでやっていこうと誓っていた。いくら何でも、息子に笑われることだけはしたくない。生きて行くためには、意識を変えていかなきゃいけないこともあるだろうな、と安藤さんは思った。そうするときはどうしても、苦しかったり辛いこともあったりするけれど、其れはしかたない事でもあるから。よし、これからはビーフン屋をやめて、うなぎ屋と切り替えて営業していくか。そのためには、メニューを書き換えて、ウナギを仕入れ、之からの季節に向かって、お客を獲得して行こうかな。

と、考えながら、安藤さんは椅子から立ちあがった。壁にかかっている数多くのビーフンメニューを、外すことから始めようかと、メニューの紙に手をかけて、それを一枚外し、ごみ箱に捨てたその時である。

「ああ、あったあった。いつものようにここに立っている安藤ビーフン店。」

ガラッと店の入り口が開いて、杉ちゃんの声がした。

「よし、はいろうぜ。」

安藤さんはぽかんとしてしまった。

続いてやってきたのは、水穂さんである。

「ああ、すみませんね。今日は、ちょっと御殿場でイベントがありましてね。こいつ一人で行かせたら、ちょっとまずいだろうということになって、僕もついてきたんです。」

杉三が、にこやかに言って、水穂をテーブル席に座らせた。

「水穂さん、具合如何ですか。」

安藤さんは、水穂さんに聞いた。

「まあ、一進一退かな。良く成ればこうして御殿場までいけるんだけどさ、悪い時にはほとんど動かないでずっと寝ている。」

咳をした水穂さんに代わって杉三がこたえた。

「其れでは、ここで昼飯食べて帰ろうぜ。」

と、杉三が、周りを見渡したが、

「あれれ、一枚メニューが取れてる。」

と言った。文字の読めない杉ちゃんでも、其れだけは判断することは出来た。

「おい、なんで取っちまった?この店ではメニューが沢山あって、おもしろいねと言っていたはずなんだけど?」

安藤さんはそう聞かれて、答えに困ってしまう。

「杉ちゃん、季節の変わり目で、メニューが代わる所だったんではないの?」

水穂さんは、そうこたえてくれるが、杉ちゃんの目は、ちょっとほかの人とは、視点が違うのは安藤さんも知っている。

「若しかしたら、店のテーマを変えることになったか?」

杉三は、いたずらっぽく言った。

「折角ビーフン一筋で、やってきてくれた、親切な店であると思って、来たのになあ。あんたも、流行に乗って、その素晴らしい所を捨てたかい?」


杉三が、にこやかにそういうが、その顔の裏では、なにかからかっているというか、馬鹿にしているというか、そういう雰囲気は全く感じられず、其れよりも、よくも裏切ってくれたなという気持の方が、強そうな口調だった。

「ごめんな、其れだけでは、この店やっていけなくなってしまったので。」

其れだけをいう安藤さん。

「そうかあ、一体何を取り入れようとしたんだよ。」

杉三は、取り調べ官のように言った。

「ウナギ。」

と、安藤さんは、ぼそっとこたえる。

杉三は、怒るというよりも呆れてしまったのであった。

「そうかあ、ビーフンは、もうだめだったかあ、何だか僕たちは、どんどん食事できる場所が減ってしまっている様だよ。こうなると、御殿場に来たとしても、食べるモノがなくなって、富士へまた帰るという、面倒くさい筋書きをしなければならなくなりそうだ。」

「いいんだよ、杉ちゃん。僕も、そこまで体力は残ってないんだもの。其れに、こういう業界は、競争が激しいだから、多少の事は変更しなくちゃならないこともあるよ。其れはしょうがないことなんだよ。だから、其れはしょうがないと思おうよ。」

水穂が、杉三を制するようにそれを言ったが、それを言い終わって、また咳き込んでしまった。ほらよ、と杉三から渡された手拭いで、口の周りを拭くと、また手拭いは朱く染まる。

「バーカ!おまえさんのためを思って言ってるんじゃないかよ!」

と、杉三が言った。

「其れのせいで、ウナギ食えないの知っているくせに!」

「でもいい。安藤さんの店が繁盛しないのは、僕のせいじゃないでしょ。」

水穂はしかたないという顔で杉三にそういうのだが、杉三は馬鹿だなあという顔をしたままでいる。

「おまえさんも、人が良すぎるな。ウナギを食えないのなら、ウナギを食えない自分にとって、救世主の様な店なのに、それがウナギを出すようにするとはどういう訳なんだって、しかってやれ!そうしたっていいんだぜ。おまえさんは、そんなことを言ってはいけないという法律も何もないぞ!」

「そうだけど。」

水穂は、そう言いかけて又咳き込んでしまうのであった。口元をふいている水穂を見て、杉三は、

「本当に、だらしないやっちゃな。もう人が良すぎるのも困ったもんだぜ。もうちょっと、弱い奴の権利ってモノを主張してもいいんじゃないかと思うけど。」

杉三は、水穂さんの体をさすってやりながらそういうことを言っている。

「いいか、おまえさんが、外出してはいけないとか、どっかで飯を食ってはいけないとか、そういうことは、何処にも制定されてないんだぞ。折角よ、久しぶりに御殿場来たんだからよ。それで思いっきり楽しもうという気にならんのか。折角楽しむためにある店を訪れたと思ったら、それがおまえさんのことを馬鹿にする奴らと同じ店になろうとしている。まあ言ってみれば、裏切ったのとおなじような、もんだぜ。それを堂々と怒って、何が悪いんだよ!よく考えろ、おまえさんに取っては、仏様のような店だったじゃないか。それが、なくなっちまうんだからな。人が良すぎるのも、良くないこともあるんだよ!」

「いいんだよ。杉ちゃん。」

と、水穂さんは言った。

「誰だって、商売だもの。どうしても方向転換しなければいけない所だってあるんだよ。」

水穂は咳き込みながら言った。

「だって、其れよりも生活していくことが何よりも大切だもの。」

「そうだけどねえ。」

杉三はまだ、憤慨した顔をする。

「うなぎ屋さんに代わるのなら、変えてくれて構いません。僕も、この店に来れるのも、あとわずかでしょうし、それがなくなれば、自由に店のテーマを変えてくださって結構です。其れは、店主さんである、安藤さんに決定権があって、客である僕たちには何もありません。」

「でも、僕は、客が少なくても、弱い奴らのために、一生懸命やっている奴のほうがもっとカッコいいと思うんですが。」

水穂がそういうと、杉ちゃんは、そんなことを言った。

「どっちが、カッコいいんだろう。並大抵の収入を得て、一般的なしあわせを掴むのと、少ない稼ぎであっても、弱い奴らから、感謝され続けて生きるのと。」

「どちらも僕には出来ないや。」

そんなことをいう杉ちゃんに、水穂はしずかに言った。

「きっと、安藤さんだって、そういう気持だったんだと思うよ。」

「ウーン、僕は、あえて、それを捨てるということも必要だと思うんだがね。それはかっこ悪い事なのかなあ。」

「ほかの人が杉ちゃんみたいに強いわけじゃないから。」

そう言ってくれる水穂さんに、安藤さんは何だか申し訳ないことをしてしまったなあと考え直した。

「そうだよね。」

安藤さんは、しずかにいう。

「やめようか。俺、やっぱりうなぎ屋は向かないよ。ウナギよりも、ビーフンのほうが向いている。今日、杉ちゃんと、話してみて、それでわかったよ。男には、なじみの平凡なしあわせに満足しないで、暗い嵐も、恐れずに突き進んでいくことも必要なんだと思うから。俺、もうちょっとがんばってみる。ビーフンの店と一緒にな。」

「よし来た、其れこそ、男らしい。」

杉三は、にこやかに言った。

「やっぱり男はそうじゃなくっちゃ。多少の困難があったとしても、逃げずにぶっかって行くのが男という物だ。安易な逃げ道に逃げないでな!」

と、杉三は、安藤さんの肩をポンとたたく。

「いいんですか。生活していかなきゃいけないのに。」

水穂はそういうが、安藤さんはにこやかに笑って、

「さて、しわくちゃになってしまいましたが、メニューをもう一回張り出しますから、ご注文が決まりましたら仰ってください。」

と、メニューの紙を、ごみ箱の中から取り出した。

「僕、豆もやしビーフン!」

何の迷いもなく答えを出す杉ちゃんに、はいはいと安藤さんは応答して、注文票に豆もやしビーフンと書いた。

「お客さんは?」

安藤さんは、水穂に聞くと、

「僕も同じものをください。」

と、彼はこたえた。

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うなぎとビーフンと 増田朋美 @masubuchi4996

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