祝福されるくらいなら

あるくくるま

第1話

僕は、とても素敵な恋をしました。

その人のことを考えるだけで胸が躍るような。

嫌なことだって、全部忘れられます。

その人は、都内の片隅でお花屋さんを営んでいます。お花屋さんは、大人気とまではいきませんが、常に店内にはお客さんがいます。お店の中にはその人が描いた絵画が壁に掛けられています。この絵画は、初めはただの飾りのつもりだったそうですが、お客さんの中で、いくら払ってでも手に入れたいという人が居たそうで、最近はトラブルを避けるために、あらかじめ値を付けて置いています。

僕が、彼女を知ったのは去年の春のことです。

高校を卒業後、アルバイトを探していたところ、近所の花屋のおばあちゃんが体調を崩してしまい、働き手が孫娘のその人一人になってしまったらしく、丁度働き口を探していた僕に花屋の店番を孫と二人で頼めないかという話が舞い込んできました。


僕は、一回目のシフトに入ったその日からその人のことをどうしようもなく好きになってしまいました。

彼女は僕より四つ年上です。彼女から見た僕はまだまだ子供かもしれません。

逆に僕から見た彼女は、自分が恥ずかしくなるくらいに立派な女性です。

一つ一つの動作がとても美しく、花に水を遣る時も、お客さんの注文通りに花をアレンジしているときもいつだって彼女は可憐で、お店のどんな花より魅力的でした

彼女に恋をしたその日から、僕は彼女に認められようと必死に仕事を覚え、沢山アルバイトのシフトを入れました。

そんな僕の下心をもしかしたら彼女は見抜いていたかもしれません。

しかし彼女はそんな僕に、仕事終わりに決まってこう言います。

「いつもありがとう、次も一緒に頑張ろうね」

シンプルな言葉だけれども、この人のために次の仕事も一生懸命頑張ろうと思ってしまう、魔法のような言葉です。いえ、他の誰が言ったとしてもここまで僕の心を虜にすることはありません。彼女が魔法使いなのかもしれません。

そして、そんな幸せな日々が続き、現在に至ります。


――そんな彼女ですが、今は素敵な恋人がいます。


もちろん僕ではありません。

おばあちゃん曰く、その人は孫娘の婚約者だそうです。

僕はその男を何度もこのお店で見たことがあります。

埃一つ無いビシッと決まったスーツは、僕がこのお店で何ヶ月働いたら手が届くか分かりません。

そしてピカピカに磨かれた革靴に、銀色に輝く腕時計が嫌味なくらいにその男の気品を高くしていました。

何の変哲もない大学生の僕にはとても太刀打ち出来ないのです。

その男は一週間に一回お店にやって来て、毎回、その辺にある花を適当に見繕ってくれと僕に頼みます。

その間、その男は彼女と親しげに話しています。

僕のラッピングが長引けば長引くほど二人の会話が長くなってしまいますので、僕はできる限り早く仕上げます。

皮肉にも、そのおかげで今では、彼女よりラッピングが早くなりました。

ラッピングが終わると、その男は僕に笑顔で「ありがとう、また来るよ」と優しく言います。

ここで、男が「ざまあみろ、くれぐれも俺の女に手出すんじゃねえぞ」なんて言ってくれた方がもしかしたら腹の虫が少しはおとなしい暴れ方をしていたかもしれません。

要するに、その男にとって僕は敵対するに値しないのです。

確かに僕とその男とでは、社会的ステータスからルックスまで何一つ敵いません。

ですが、仕事とはいえ、恋人のあなたより長い時間を彼女とともに過ごしています。

少しくらい僕を警戒してくれてもいいのではないのでしょうか?

そんなんだから、そんなんだから。


僕は今日も彼女と一夜を共に過ごすのです。





彼女は、体にシーツを掛けながら煙草に火を着ける。

「一花さん、煙草は体に良くないですよ」

僕は脱ぎ捨ててある白シャツを拾い上げ、袖に腕を通す。

「心配ありがとう、気が向いたら止めるね」

僕が彼女の喫煙を注意すると、決まってこの返事だ。

止める気なんて一ミリもないのだろう。

「一応お花屋さんなんですから喫煙は控えた方がいいですよ」

「別に仕事中に吸ってる訳じゃないんだからいいでしょう?それとももしかして私、煙草の匂いさせちゃってる?」

「いや、そんなことはないですけど……」

彼女は灰皿に煙草を置き、僕の方に向き直す。

「じゃあ日中、私の匂いを嗅いでチェックしてるってこと?」

彼女の細い指が、僕の首元から頬へと這う。

「そ、それは……」

「……変態」

彼女はくすっと笑うと、煙草の続きを楽しむために、また僕に背を向ける。



僕はとても素敵な恋をしました。

しかし、それは誰からも祝福の言葉を受けることのない恋の罪なのです。



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