友達トラップ

結城れう

短編

 コンコンッ。

 昼食の準備をしていると、玄関の扉を軽く叩く音が聞こえた。

(……こんな田舎の家に急ぎで来る人なんていないよな……)

 玄関に出ようかと一瞬悩んだが、昼食に使うパスタを茹でていたところだったので、居ないフリをすることにした。


 数秒間無視してパスタを茹でていると、

 ドンドンドンドンドン

と、扉を激しく叩く音が聞こえたので、何事かと思い、急いで玄関へ向かう。

 扉を開けるとそこには、昔仲の良かった友達が立っていた。


「お前……、どうしたんだよ、こんな所まで来て」

 驚きつつも友達に尋ねると、友達は少しだけニヤッと口角を上げ、息を僅かに切らしながら僕の問いに答える。


「少しお前に用があってさ……、とても大事なことなんだ……。ちょっとだけ上がらせて貰っても良いか?」

 眠っている妹と一緒に、昼ごはんを食べようと思っていたところだったが、都合の良いことにお代わりが出来るようにと、いつも大目に料理を作っていた。


 友達を居間に通すと、急いで茹でていたパスタを確認しに行く。

 数分間放っておいたが、お湯が沸騰していたお陰で麺はくっ付いていないようだった。


 居間のテーブルに三人分の料理を並べると、友達が尋ねてきた。

「お昼まで出して貰って悪いな。ところで何で三人分あるんだー? お前以外にもこの家に誰か住んでるのか?」

「あぁ、妹と一緒に住んでるんだよ。今起こしてくるからちょっとだけ待っててくれ」

 そう伝えると、友達は僕が気づかない程度に「ふぅん…」とだけ小さく呟いた。


 妹の部屋に向かうため、また玄関の方へと進む。

 部屋の前に着くと、小さくコンコンッとノックをした。

 返事が聞こえないので、ドアを少し開けて中を覗くと、妹は布団の中で微かな寝息をたてて横たわっていた。


「起こすのも悪いかな……」

 そう小さく呟いたが、妹は病弱なため基本的には一日中家で寝ている。

 昼ごはんの時に起こさずにいると、いつも後になって少しだけ怒られる。仕方ないと、寝ている妹の体を揺さぶる。


「うっ……、んー」と呟きながら、ゆっくりと妹は体を起こした。

「……お兄ちゃん?」

 小さくこちらに尋ねてきたので、「昼ごはん」とだけ伝え、起き上がった妹をつれて居間へと向かった。


「すまん、待たせたな」

 居間に戻ると、友達は静かに座りながら待っていた。


「お兄ちゃん、……この人、誰?」

「昔の友達だよ。何か僕に用があるらしいんだ。昼ごはんも多く作ってたし、食べながら話を聞こうと思って」

「うん……、そうなんだ」

 首を傾げて疑問に思いつつも、妹は納得してくれたようだ。


 妹をいすに座らせると、僕自身も席に着いた。

「可愛い妹さんだな。小学生?」

 友達が妹に尋ねると、妹は「小学四年生だよー」と答える。


「平日の昼間だけど、学校には行かなくて良いのか?」

「あたし病気なんだー。だからお兄ちゃんとお母さんとお父さんが学校には行かなくていいって」

 妹は答えると、僅かに咳き込む。

「そうか、悪いこと聞いたね」

 妹の発言だけで友達は察してくれたようだ。


 妹との会話を終えると、友達は僕に話を投げかけてきた。

「ところでお前さ〜、いつ引っ越したんだよ、お前ん家に行ってみたら、お前んところの母ちゃんが『海辺の近くに引っ越したよ』って言ってきたからさぁ、俺は迷っちゃったよ」

「あぁ、そうか。それは悪かったな。全然会えてなかったから伝えられてなかったんだ。引っ越したのは結構前だよ。妹の体調が急激に悪化してさ。治療するためにこの海辺の家に引っ越して来たんだ」


 友達は僕の家に訪ねてくる前に、実家の方に出向いたらしい。

 そこまでして僕に伝えたいことって一体なんなんだ?

 頭の中で考え込もうとするも、友達は話を続ける。


「いや、でも治療するためって、何でこんな海辺なんだよ。津波とか来たらどうするつもりなんだ?」


 友達が疑問に感じるのも無理はない。こんな田舎の町外れにある海辺の家に、わざわざ妹の治療をしに引っ越して来る意味が分からないのだろう。

 病気なら都会にある実家近くの病院などに連れて行けば良いと、普通の人間なら思うはずだ。


「実は、……この辺りの海にはある言い伝えがあるんだ。日が沈んだ後、夜に海辺を歩いていると、何処からともなく綺麗な歌声が聴こえてくるっていう。その歌声を聴いた人間は、どんな病でも呪いでも、歌声を聴いた後には治ってしまう。そんな話さ」


「なんだってぇ! でもそんな都合のいい話があるってのかよ!」

「あぁ、もちろんタダって訳じゃないらしい。病に侵されている人間は、病が治り、健康になる。けど逆に、健康そのものな人間は、歌声を最後まで聴くと死に至るって話らしい」


 考えてみれば怖ろしい話だが、治療法がないと言われた妹の病気を治すにはこれしかないと当時の僕は思い、妹と一緒に家を飛び出した。


 父さんも母さんもこんな話は嘘だと分かっていたはずだ。

 しかし、僕のことを止めなかったのは「少しでも可能性があるなら」と、僕と同じように、そう心の何処かで感じていたんだろう。


「そんな話があったのか。お前は流石だな! 妹のことを思ってこんなことまでするなんて!」

友達はそう僕を褒めた。


 昼ごはんを食べ終え、妹が自分の部屋で横になるのを確認すると、友達がとても興味深い話を持ちかけてきた。


「なぁ。お前知ってるか? 黄金に輝くりんごのこと」

「黄金に輝くりんご? いや、知らないな。普通のりんごと何か違うのか?」


「違う違う。全然違うんだよ。そのりんごから絞ったジュースがよ、他のどんなものも口にすることができなくなるくらい美味いらしいんだよ」


 海の伝説に続き、黄金のりんご?

 そんなりんごがあるのかと、その時は冗談だと思ったが、どうやら友達の知り合いがそのりんごジュースを飲んだことがあるらしい。

 友達はその知り合いから伝説のりんごがある場所を教えてもらったのだそうだ。


「ここからそんなに遠くもないんだな。けど、妹を放っておくわけにはいかないよ」

 僕はそう伝えたが、次に友達から発せられた言葉で僕の考えは変わってしまった。


「いやいや、その知り合いによるとよぉ、どうやらその黄金のりんごジュースってのは、どんな病でも治しちまうんだってさ」


 どんな病でも治す?

 そんな都合の良い話があるのか?どう考えても怪しい話だ。りんごジュースに何かおかしな薬でも混ぜられていたのかもしれない。


 しかし、当時の僕はどうかしていたんだ。海の歌声の話を聞き、家を飛び出したくらいだ。僕は友達と一緒に黄金のりんごを探しに出かけた。


 黄金のりんごがある場所は、ここから電車一本で行ける山の中にあるらしい。

 山道を登っていると、何十メートルか先に一人で道を歩いている若そうな男を見つけた。

 若者にりんごについての情報を聞くため近づいてみると、その男はこの山道を私服で歩いていた。


 こんな山道に一人、それも手ぶらで?

 僕は怪しく思ったが、友達は一人で山登りをしていたその若者に黄金のりんごについての話を聞いた。


「黄金のりんごかぁ。聞いたことあるぜ、いいか、二度同じことを言わせんなよ。俺が聞いた話じゃあ、そのりんごジュースを飲むと、どんな病気も治るって言われてる。それだけじゃない。めちゃくちゃ高い値も付くし、運気がめちゃくちゃ上がるらしい。探しに行くってんなら止めやしねぇよ。道も教えてやってもいいぜ?」

 そんなりんごについての情報を聞き、りんごの木も山頂付近にあると聞き出せた。


 若者に道を聞いてから数時間ほど歩き続けていると、気づけば真上にあった太陽も傾き、空は紅く夕陽で染まっていた。

 しかし、それと引き換えに僕らは黄金のりんごのなる木を見つけていたのだ。


「やった! 見つけたぞ! このりんごでジュースを作れば……妹はっ!」

「ああ! 急いで帰ろう」

 呑気に喜んでいる場合じゃない。僕と友達は急いで海辺の家に向かった。


 海辺の家に帰ると既に日は沈み、辺り一面暗闇に包まれていた。すぐさま台所へと向かう。


 黄金のりんごを絞ると、きらきらと黄金に輝く見事なジュースが出来た。

 しかし、妹にジュースを飲ませる前に、僕は違和感を感じた。


(家の中がやけに静かだ……)

 さっきまで一緒になって喜んでいた友達の姿が見えない。


 妹にジュースを飲ませる前に、僕は友達を探した。家中のどこを探しても友達の姿は見つからない。

 このりんごについて教えた張本人がいないってどういうことだ……。

 友達も黄金のりんごについて気になっていたはずだ。だから僕と一緒になって探していたんだ。


 ……いや、

 僕はその時気付いた。あまりにも都合が良すぎる。

 妹が病気で、助かるすべもないと思っていたところに、どんな病でも治す黄金のりんごジュース?

 もしかしてこのジュース……。

 そう頭で考えると僕はジュースのある台所の方へ視線を向ける。


 このジュースは本当にどんな病でも治すのか?そんな都合の良い話があるわけがない。

 もしかしたら妹に飲ませて何かしようと……いやいや、そんなわけがない。第一にあいつは妹と僕が一緒に住んでいることを今日知ったはずだ……。


 違う違う!そうじゃない!

 僕は顔を振って必死に思考をめぐらす。

 あいつは僕の家の場所を知らなかったはずだ……。だけど、あまりにもりんごがあった場所が僕の家から近すぎる。これは変えようのない事実だ。

 それに山にいたあの男……。

 山登りをしに来たにしてはあまりに身軽すぎる。僕らに話を伝えた後もずっと同じ場所にいた。つまりこれは……。


 思考を終えると僕は走って玄関に向かう。サンダルに足を突っ込みながら玄関の扉を開けた。


「何してるんだ……お前」


 僕の目の前には一人の男が立っていた。そいつは不敵に笑いながら必死に手で口を覆って悶えていた。

 辺り一面に不協和音が響き始めた。


「ク、ククククククク。……良し良し良し、バレたバレたぁ……。いつも寄ってくる……こんなアホが……この世界はアホだらけなのかァ〜〜〜ッ!」

 あまりに奇妙な友達の擦り切れるような叫び声に、僕は言葉を失った。


「お前よぉ〜、俺は言ったよな。黄金のりんごジュースを飲むと他のどんなものも口にできなくなるって」


 そんな発言を気にも止めていなかった僕には意味がよくわからなかった。

 僕は妹の病気が治せるならと、ただ必死だっただけだ。


「あ、ああ。けどそれは美味しすぎるってことだよな?」

「お前はアホかよ! この馬鹿野郎がァッ〜〜!」


 友達は狂ったように語り始める。

「いいか? 俺は最初から一つも嘘なんか言っちゃいない。このりんごジュースを飲むと本当に何も口にできなくなるほど他のものが不味く感じるようになる……。そして何も口にできないでいるうちに餓死しちまうようになるんだよ。」


「どういうことだよ? なら全部嘘だったってのか? 何のために!」

「黙って聞けよぉ、おいッ! 言っただろう、嘘はついちゃいねぇ。このりんごジュースは確かにこの世のどんな飲み物や食材よりも美味い。飲めば確かに病も治る。……けどそんな都合のいい話はないってもんだよなぁ? お前には難しくてわからないか?」


 友達は僕を煽るような口調で説明をし終えると、ククククッとまた肩を揺らし、笑い始めた。

 黄金のりんごジュースの正体は、飲めばどんな病でも治す伝説の果実でもあり、どんなものも口にできなくなるという悪魔の果実だったということだ。


「お前はまんまと俺に促され、欲望のままにそれを求めた……。それが禁断の果実だとも知らずにな。けど、そんなものにだって救いの手は差し伸べられているのさ。次に誰かがそのジュースを飲めば、前に飲んだ奴は、不味くなる呪いから解放される。だから俺はお前にこの話をしたんだ! 妹が病気で、必死に悩んでよく分からない伝説をも信じ込んでいたお前にな!」


 僕は完全に目の前にいるこいつの手の平の上で踊らされていた。

 しかし、何故妹に飲ませる前にそんなことを言ったのか。そんな呪いがかかるのなら、誰も飲まなければ良いだけだ。


「おおおおっとぉ! 飲まなければいいとか思っただろ? 違う違う違う違う! お前は絶対に妹にそれを飲ますね! 何てったって妹の病気を治すにはそれしかないんだからよぉ!」


「クッ」

 喉から掠れた声が漏れる。数秒の間僕は黙り、必死に頭を巡らせた。辺りには目の前にいる男の嘲けるような笑い声だけが微かに響き渡る。

 確かに妹の病気を治すにはこれしかないだろう。けれど妹に飲ませたところで妹は病気ではなく、呪いで死んでしまう。


「……お前、さっき次の誰かに飲ませれば呪いは解けるって言ったよな。だからお前はこれを飲ませようとしてたんだよな?」

「ン? ああ、そうだぜ。……ハハハッ! まさかお前!」


 僕は友達にそう告げると、走って台所へ向かう。

 黄金に輝くりんごジュースの入ったコップを手に取り、妹の部屋の前まで来ると、ニヤリと何かを察したような顔をして友達が目の前に立っている。


 扉を開け、急いで妹を起こすと、友達が目を大きく開いて僕を指差した。それと同時に、僕は妹にジュースを飲ませた……そして。


 僕自身もジュースを飲んだ。


「ハハハッ! こいつやりやがった! 理解不能理解不能! わざわざ妹に飲ませたそいつを自分で口にしやがった!」

 ジュースを飲み終えた妹は、必死にジュースを飲む僕の姿を見た。目の前で腹を抱えて笑っている友達と僕に交互に視線を向けて、何をやっているかわからないといった様子だった。


 友達だったそいつは、数分の間僕を見ながら嘲笑った後、興味をなくしたのか家から去っていった。

 ジュースを飲み干した僕は、妹にただ「ごめん……」とだけ伝え、強く抱きしめた。震える僕の体を妹も抱きしめてくれた。


 その後、妹はすっかり元気になり、徐々に外に出て遊ぶようにもなった。僕は妹に黙ったまま、数日を過ごした。

 試しにこっそりと色々なものを食べてみたが、どれも口にできるようなものではなかった。日が経つにつれて、僕の体は細く痩せ細り、僕は妹に気付かれないように冬物の服を着た。


「妹に見られる前に、終わらせないとな……。」

 夜、妹が眠ったのを確認すると、僕は家から出て海の方へと歩いて行った。

 元から覚悟していたことだ。妹が助かったのならそれで良いじゃないか。

 後悔なんてないと考えつつも、僕の身体は徐々に海の中へと沈んでいく。そんな時だった。


 何処からともなく、美しい歌声が浜辺に響き渡る。

 暗かった辺りは一面、海の輝きにより照らし出され、海面から飛び出た岩の上には歌声の主である、人の影のようなものがあった。


「人魚……?」

 目を凝らしてみると、岩の上に乗っている生物の下半身は魚のヒレのようになっている。

 歌声を聴くうちに、みるみる僕の空腹感はなくなっていき、呪いが解けていくのを感じた。


 歌が終わり、気が付くと目の前には、普段と変わらない海が広がっていた。

 夢かとも思ったが、数日あった空腹感もなくなっている。重い枷から解放され、これで妹とも一緒に暮らせる。

 僕は嬉しくてたまらなかった。


 しかし、解放されてなどいなかったのだ。僕はとんだ勘違いをしていた。僕らに幸せなどやってくることはなかった。家に帰ると、そこには静かに目を瞑ったままの妹が横たわっていた。

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