舞姫奇譚

賢者テラ

短編

 時は、平安時代末期。

 興隆を極めた平家の影で、次の時代を担うべく源氏の勢力たちが密かに胎動を始めていた——。



 都である平安京では、ひとつの噂が持ち上がっていた。

「今、平清盛様がご執心なのは『妓王』とかいう白拍子出身の女らしい」

 白拍子というのは、最近興った歌舞芸能のひとつ。

 男装の遊女が今様(現代流行歌の意)や朗詠を歌いながら舞う、というものである。

 それを行うのが、主に職業的遊女であったことから、表面的には侮蔑の対象にはなっていたが——

 昨今では身分の高い者に見出されて召抱えられる、などということも少なくなかったため、人並みの暮らしを夢見る身分の低い女や貧乏な女たちの中には、密かに憧れる者が少なからずいたようである。



 京の都の外れ、貧しい山間の集落に、旅装をした5人の女の姿があった。

「やはり、無謀なのではありませんか?」

 そう問いかける女に、今回の旅の首謀者である市子は力を込めて説得した。

「……無茶は承知の上。われらはこのままでは理不尽な政権のもとで、いつまでたっても生活がよくなることはありませぬ。入門させていただける可能性はないわけではなし、行ってみる価値はあるでしょう」

 五人は、不作続きのこの村で、明日食するものにも事欠く始末であった。

 このままでは暮らしが立ち行かないと考えた彼女たちは、思い切って今をときめく流行の白拍子・妓王に弟子入りを志願し、あわよくばそれなりの地位を得て家を助けよう、と考えたのである。



 大原の三千院という寺院を、妓王が訪れているとの噂を聞きつけた彼女らは、まだ暗い早朝より村を出発して半日路を歩き、ようやく三千院の建つ鬱蒼とした山間の林の中に分け入った。

「何か………聞こえませぬか?」

 五人は、耳を澄ませた。

 確かに、竹林の風にそよぐ音に混じって、笛の音と幽玄な風情のある美しい唄の声が聞こえてきた。



「東屋 (あづまや) の

 妻とも終 (つい) に成らざりけるもの故に

 何とてむねを合せ初めけむ」



 後白河法皇が編纂した『梁塵秘抄』 の一節のようだ。

「初めて耳にしましたが……何とも艶かしい唄だこと」

 京の都の最先端の芸能に触れた田舎娘たちは、いっそうの期待を胸に抱きつつ、音のするほうへと足を速めた。



 ……美しい。



 五人の娘たちは、息を呑んだ。

 白拍子は本来無伴奏の芸能なのだが、妓王は男性の従者に笛を吹かせていた。

 これが、時の権力者を虜にした女と、その舞いなのか——

 ただただ、その妖艶さに圧倒された。



「もうし、失礼いたします」

 楽曲の節目を見計らって、市子は妓王にそう声をかけた。

 残りの四人も、市子の後に並び、おどおどとして頭を下げた。

「……何用ですか」

 扇子をパチン、と閉じた妓王は五人に向き直った。

「はした女どもは、京が外れの有賀村より参りました。妓王様について、舞い踊りの修業をさせていただきたく、はせ参じた所存でございます。急に押しかけた上でのご無理なお願いと存じておりますが、何とぞお聞き届けいただければ——」

 市子が言い終わらぬうちに、妓王は再び扇子を広げて口元を覆った。

 そして竹林に響くような甲高い声で、大笑いを始めた。

「……聞けば聞くほど、笑止千万」

 あからさまに、五人を見下したような含みを持った笑みを浮かべる。

「そなたらが、唄と舞いを極めたい、と申すか? 馬鹿も休み休み言われたがよろしい。どこの男衆が、そなたらのような不粋な醜女(しこめ)の舞いが見たかろうて。きっと、抱きたいとも思わぬぞよ。そなたらは、白拍子が貴人らの夜のお相手をするものと知っての此度の志願であるか? もし相違なければ、そなたらは救えぬうつけ者であろうことよ」



 妓王に、自分たちが馬鹿にされているのだと理解した女たちは、立腹した。

 噂によると、妓王は美人で唄と舞いがうまいだけではなく、かなりの人格者であるとも言われていた。

 しかし。いざ会って見ると、いかにこちらの身分が低いとはいえ、口汚くののしってきたのだ。

 同じ断られるにも、丁寧な断り方をされるだろうと思っていた彼女らは、深く失望した。



 ……誰が、こんな女に頭を下げて学びたいものか。



「これにて、失いたしまするっ」

 市子を先頭に、そそくさとその場を去る村の女たち。

 いや。五人の中でただ一人、その場に残った女がいた。

 鏡乃、という娘であった。



「……お願いでござります。妓王様がおっしゃるのは至極当然のことでござります。それでもなお、私は舞いを教えていただきとうござりますっ」

 地に体を伏した鏡乃は、頭を地面にこすりつけて懇願した。

「身の程をわきまえぬおなごじゃ」

 土下座をする鏡乃の頭を、妓王は足の裏で踏みつけにした。

「己は犬じゃ。いや、犬にも劣る畜生じゃ。この唄と舞いはな、選ばれしおなごのみが会得を許される高尚な芸事なのじゃ。それを田舎の大根娘にくれてやるなど、もっての他じゃ」

 頭を地面に踏みつけられた鏡乃の口の中に、ザラザラとした砂粒の感触が広がる。

 切れた口腔内からは、鉄臭い味の血が湧き出てきた。

 今彼女は、人生で最大級の屈辱を味わっていた。



 鏡乃は、泣いた。

 それは、馬鹿にされて、自分がみじめだからではなかった。

 それでも、どうしても白拍子になりたいからだった。

「お願いでござりますっ」

 妓王の足元にすがりつき、それでも恥を忍んで懇願し続ける。

「私は、仰せの通り犬にござります。でも、例え犬でも、ご主人の食膳からこぼれ落ちる米粒は、いただけるはずにござります。どうか、ほんの少しでも結構でござります。他には何も要りませぬゆえ、どうか唄と舞いのいろはだけでもお教えくださいませ……」

 下界に平安京を望む、寺院のたたずむ静かな空間に、ただただ、鏡乃の悲痛な叫びが響いた。



「……よう、耐えられしゃった」

 妓王は、鏡乃に顔を上げるように言った。

「ゆるしてくりゃれ。あのようにそなたを悪し様に申したのは、そちの覚悟のほどを試すため。そなたの白拍子への思い入れ、偽物ではないと見た」



 妓王は、腰を落ち着けて鏡乃の話を聞いた。

 亡き鏡乃の母は、舞をつかさどる巫女であったという。

 確かに、苦しい生活から逃れたい、という理由は無いわけではなかったが、鏡乃の場合はそれ以上に、亡き母の面影を慕っていた。母と同じ舞いの道に進み極めることで、母の見たものが見える気がしたのだ。

 そして鏡乃は、確実に舞いに命を懸ける母の血を受け継いでいた。

 だからこそ、彼女をして馬鹿にされようともプライドをズタズタにされようとも、ひたすら妓王に対してへりくだって、求めることができたのだろう。



「唄の心。舞いの心。その真髄は、美を愛でる心と、森羅万象一切への謙遜です。人だけでなく、すべてのものに真にへりくだることができる者だけが、その真髄を極めることができるのです——」

 妓王はその場で、鏡乃の前で舞ってみせた。

「我は、そなたに唄の道をとく伝えましょうぞ」



「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん

 遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ」



 しなやかな手の動き、微妙な仕草。

 表情はほとんど作っていないのに、体の繊細な動きのすべてが、あらゆる感情を物語っていた。

 折りしも吹いてきた東風に、サヤサヤとそよぐ竹の葉。

 まるで、見事な一幅の絵のようであった。

 鏡乃は、その光景を一生忘れまい、と必死で目に焼き付けた。



「舞え舞え蝸牛、舞はぬものならば

 馬の子や牛の子に蹴させてん、踏破せてん

 真に美しく舞うたらば、華の園まで遊ばせん」



 ……ああ、母上。母上もどこかで、これを聴いていらっしゃいますか?



 鏡乃は、泣けて泣けて仕方がなかった。

 この妓王についていけば、母に逢える。

 きっと、逢える——。



 その後。

 鏡乃は妓王について、白拍子の道に学んだ。

 しばらくして、時の権力者・平清盛の関心と寵愛は、妓王から仏御前という別の白拍子に移ってしまった。それを機に、世の無常をはかなんで妓王は白拍子としての道を捨て、仏門に帰依した。

 嵯峨往生院(祇王寺)で、終生を尼として過ごした。

 妓王、若干21歳での出来事であった。



 最高の師に学んだ鏡乃は、才能ある白拍子として頭角を現したが、彼女は貴人や権力者に抱えられ彼らだけに舞いを披露することを嫌い、終生を一般庶民の娯楽のために捧げた。

 そんな中で承安二年(1172年)、妓王はこの世を去った。

 その時の鏡乃は、気も狂わんばかりに泣き叫び、妓王の死を嘆いたと言われる。

 鏡乃は、やはり妓王に母の面影を見ていた、ということであろうか。



 現在でも残る祇王寺にある碑には「性如禅尼承安二年壬辰八月十五日寂」とあるが、その「性如禅尼」は妓王の事を指すとされており、承安2年(1172年)8月15日に亡くなったとされている。



 今でも、見えない世界のどこかで——

 この二人の魂は舞い続けているのだろうか。


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舞姫奇譚 賢者テラ @eyeofgod

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