⑥アオの橙色
「どうしたの蒼?元気ないじゃん」
「そうかな?」
部活の休憩で、水分補給中の私に、部活仲間が話しかける。指摘されるほど、私はひどい顔をしているのか。自分としては、変わらない表情をしているつもりだったが、隠せるほど器用ではない。
「もう悩みなら言ってよねー。恋煩い?好きな人でもできた?それとも失恋でもした?」
失恋、の二文字にぎくりとしてしまう。
「え、もしかしてマジで失恋?」
「ち、違うから!失恋したわけじゃなく、告白したわけでもなく」
逃げるようにクロスを手に持ち、走り出す。
「ちょっと、蒼!?」
私は何もしていない。
ただ振るという約束を守っただけで、佐伯蒼は何もできていないのだ。
「私の馬鹿」
今週、琴音ちゃんと廊下ですれ違うこともあった。でも、彼女は余所余所しく、こちらに目線を合わそうともしなかった。
クロスを思いきり降り、ゴールへ向けてボールを飛ばす。
「はは」
ボールはゴールを外れ、地面に転がる。
あぁ、私だ。ちゃんと振り切れていないから、目標に届かない。
部活をしても、授業を受けても、美味しいものを食べてもしっくりこないのは、振り切れていないからだ。
中途半端。私が、何もしていないからだ。
なら、私は、わかっている。わかっているんだ。
「ごめん、今日部活抜ける!」
「え、急に走り出したと思ったら、何なの蒼?やっぱ変だよ、今日は」
その通り、変なのだ。恋は私を変にする。
誰だってきっとそうだ。それが私は、相手が琴音ちゃんだっただけ。彼女だったから、変になった。
「変で結構!」
「急に明るくなった!?ねー、本当に大丈夫?」
止める部活仲間の声を流し、私は校舎へ向けて走り出した。
階段を駆け上る。文芸部の教室はこのすぐ先だ。漫画を描く部活がないから、文芸部に所属していると彼女は嬉しそうに教えてくれた。彼女はこの先にいるはずだ。
息を整える暇もなく、扉を開ける。鍵はかかっていなかった。
「琴音ちゃん!」
中に彼女はいなく、先生が座っていた。
「どうしたのですか、佐伯さん」
「せ、先生。あの、琴音ちゃ、奥山さんはいないですか?」
焦る私とは対照的に先生はゆっくりとした声で返す。
「奥山さんは先ほど帰られましたよ。今日も何も描けないって」
「今日、も?」
「ええ、奥山さんは今週に入って、1ページも描けていないんです」
「そんなこと」
あってはいけない。だって、彼女は描くためにデートをして、私に振られたのだ。感情を、色を知った彼女は描けるはずなのだ。
でも、ありえない、とは言えない。
私だって、そうなのだ。一歩も前へ進めていない。
「今ならまだ間に合うかも」
そう言って、去ろうとした私を先生が呼び止める。
「佐伯さん、ちょっとこっちに来てください」
「急いでいるんです」
「こっちに来てください」
二度も言われ、渋々、先生の所に寄る。
先生が外を指さす。何の変哲もない窓だった。
「見てください」
言われるがまま、窓から外を見る。
夕陽に染まるグラウンドがよく見えた。そして、ラクロスの練習をしている仲間の姿がよく見える。
「奥山さんは毎日ここから眺めていました」
ありふれた、高校の部活風景。
でも、私には違う意味があった。
『文芸部の教室からよくグラウンドを見ていました』と彼女は確かに言った。観覧車での告白は、事実を言っていたのだ。
「外を見る姿は、いつも嬉しそうでした」
「先生、ありがとう」
どうして彼女が、わざわざ振ってほしいと言ったのかはわからない。でも、あの時彼女の言葉は嘘ではなかった。
気持ちがすっと軽くなり、足を動かす。
「廊下はあまり走らないでくださいね」
大きな声で「はい!」と返事し、階段を駆け下りていった。
周りの目を気にせず、懸命に走る。
「はぁ、はあ」
学校内では彼女を発見できず、最寄り駅まで走ったが、結果は同じだった。
けど、諦められない。
もしかしたらと思って、改札を通り、ホームへと降りる。
帰宅ラッシュで人は多い。ホームを一通り端から端まで歩くも、彼女の姿を見つけることはできず、膝に手をつく。
駄目、なのか。
別に明日でもいい。その先でもいい。彼女は転校するわけでもなく、どこか遠くにいってしまうなんてことはない。
でも、それでも。
私は、今、彼女に会いたいのだ。きっと今会わなければ駄目なのだ。
ふと顔を上げ、隣のホームを見る。
目が合った。
「あ」
幻かと思った。
「いた」
彼女がいたのだ。
「琴音ちゃん!」
バッチリと目が合っていたのに、彼女は聞こえないフリをして目を逸らす。
構わない。それでも私は言葉を吐き出す。
「琴音ちゃん、聞いてほしい」
息を大きく吸い、前を見る。
「私は、君がすっ」
言葉を告げる前に、目の前を電車が通過した。
私と、彼女を隔て、遠ざける。
「……どうしてだよ」
人が乗り降りし、電車が去る。
彼女はもう隣のホームにはいなかった。
胸が締め付けられる。
私は想いを告げることもできずに、振られたのだ。
いよいよ心が折れ、膝が地面につく。
「本当のこと言わせてよ」
これが、失恋。彼女も味わった失恋。
「振るならちゃんと振ってよ……」
背中をポコンと軽く叩かれた。
「何を、大勢の前で言おうとしているんですか、蒼さんは!!」
振り向くと琴音ちゃんがいた。
「琴音ちゃん?」
「ええ、そうです。何でここに蒼さんがいるんですか?部活じゃ」
立ち上がり、彼女を抱きしめる。
「蒼さん!?」
「ごめん、無理だった」
「む、無理って」
「私は、約束を守れない」
力を緩め、彼女の眼を見る。
「私は、琴音ちゃんが好きだから、振ることはできない」
目を大きくする彼女。驚く姿も可愛いなって思った。
「観覧車での言葉は無しにしてほしい」
「う、え、そんなこと、ありえない」
「私は君が好き」
「ちょっと、ちょっと待ってください。頭が追いつきません、蒼さん!顔、顔見ていられないですから、ちかっ、離して」
「はは、可愛い」
「そういうこところですよ……」
戸惑う彼女に隙を与えない。私もこんな駅のホームで、何か言い続けていないと恥ずかしすぎてやってられないのだ。
「まだいい漫画描くには足りなすぎるんだ。こないだのデートじゃ全然足りないから」
「……ふふ、長編になりそうですね」
短編なんかじゃ終わらせない。
でも、聞きたい言葉は違う。
「駄目」
「え」
「言葉を聞かせてよ」
「は、恥ずかしいです……」
「私はちゃんと言ったよ?琴音ちゃんのことが好きって」
顔をさらに真っ赤にして抗議する。
「ちょっと、不意にもう一度言わないでください!」
「じゃあ、もう言わない」
「そういうことではありません!毎日言ってください!」
「お、乙女心は難しい」
「本当、そうですね。難しいんです。全然描けませんでした。感情を言葉にしようとしてもダメダメでした。辛くて、辛くてどうしようもなかったんです」
同じだ。
「私も、駄目駄目だった」
「あなたがいないと駄目です。蒼、ずっと好きでした」
やっと聞けた言葉。
「そして、これからもです!」
部活が終わり、夕日の中、階段を登るのが日課となった。
「お待たせ」
彼女が微笑む。
「今、来たばっかりです。全然待ってないですよ」
「そんなわけあるか」
「先に言ったのは、蒼ですよ?」
そうだ、初めてのデートはそうだった。
「今日は何処か行く?」
「駅前に美味しいメロンパン屋さんができたんですよ」
「メロンパン!?」
「もう、蒼は本当に好きなんですね」
「琴音の方がずっと好きだよ」
「……もうっ」
相変わらず可愛い。
「行きましょう、蒼」
彼女が私の手を掴む。
「うん、琴音」
平日はそんなに一緒にはいられない。でも、駅までの道はかけがえのないもので、一日で1番楽しい時間だった。
「読み切り掲載が決まったんです」
「おお、本当!?すごい、すごい!」
「長編ではないですけどね」
「いやいや、凄いよ!ぜひ読ませてね」
「うう、恥ずかしいけど、頑張ります」
楽しみがまた増える。
「それに長編ならいつかきっと描けるよ」
行きたい場所、一緒に体験したいことが山ほどある。
そう、まだまだ物語は続くのだから。
「蒼、私を」
笑う彼女の顔が眩しいのは、
「……してくださいね」
きっと夕陽だけのせいじゃない。
<完>
失恋の色を教えて 結城十維 @yukiToy
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