⑤きのう、失恋しました
編集さんに言われたから。漫画のために。リアリティを持たせるために振られたい。失恋をした時の感情を知りたい。
そんな言葉は、理由は、嘘です。
いえ、全部が嘘というわけではありません。
確かに編集さんには言われました。
「奥山先生の漫画にはあんまりリアリティがないんですよね。でもそこがまた評価されている部分でもあると思うんです。夢見がちな女の子だから、響く読者もいるんです」
そう、人生経験の足りなさは確かに指摘されました。
でも、失恋しろ!振られろ!とまでは言われていません。
今回の出来事は私が勝手にやったことで、私なりの決意でした。
初めて蒼さんを見たのは、学校行きのバスの中でした。
席に座れず、立っている私の前に彼女はいました。背の大きい人だなーというのが彼女の第一印象です。その感想は私の背が低いせいもあるのですが、私とは違うプロポーションに「いいなー」と心の中で羨ましく思ったのです。
隣の女性との話を聞くに、部活でラクロスをしており、透き通る声と、爽やかな見た目はピッタリだなと感じました。
ガタ。
バスが大きく揺れ、私は倒れそうになりました。
けど、倒れませんでした。
「大丈夫?」
私は彼女に支えられ、倒れるのを免れました。ありがとうございます、と私が小さな声でお礼を言うと、彼女はニコリと笑いました。
その笑顔にビビッと来たのです。彼女こそが、私の漫画の理想像だと。
私はそう思い、蒼さんを一目見た以降、彼女のことを調べてみることにしました。
実際、彼女をモチーフにキャラを描いたら、すんなりと出来上がり、編集さんにも凄く褒められました。カッコいい、魅力的な恋人キャラ、恋愛相手が出来上がったのです。
けど、それだけではなかったんです。蒼さんは可愛かったんです。
購買で好物のメロンパンが買えなかった時はしょんぼりし、雷が鳴ると平気なフリをしながらもびくびくしていて、動物を見ると動物の鳴き真似で話しかけ、缶のコーラを飲むときは腰に手をあてて、ぐいっと飲む。
……蒼さんに詳しすぎて、まるで私がストーカーみたいじゃないですか。
いえ、否定できませんね。
私は、彼女のことをもっと、もっと知りたくなり、抑えがきかなくなりそうでした。漫画を描いていても思い浮かぶのは蒼さんのことばかり。最初は調子が良かったものの、少し経つと私は以前ほどスラスラ描けなくなりました。
スランプ。
そう、煩ったのです。
『恋』。
女の子の私は、女の子の蒼さんのことが好きになっていました。彼女のことを知るうちに、私は彼女の虜になりました。
でも、この気持ちは何処にもいけない。
私と蒼さんでは、何にもならない。私が一方的に知っているだけで、まともに会話をしたこともないし、たとえ仲良くなれたとしても、それは友達どまり。
私の気持ちが満たされることは無い、と知ってしまったのです。
だから、
私は、
この気持ちと決別するために、
一方で、どこにもいけない私の気持ちを少しでも知ってもらうために、
私は、
『振られる』ことにしたのです。
「私を振ってください!」
私は、蒼さんを校舎裏に呼び出し、告げました。
1日でもいいから、蒼さんの恋人気分でいたかった。
こうでもしなければ、私と蒼さんが話すことはありませんでした。無理にでも、呼び出さなければ、愛の告白ではなく、振ってほしいという言葉でなければ、あの素晴らしい日、彼女とのデートは、存在しなかったのです。
振られれば気持ちがすっきりする。それが最初から決まっていたルールだとしても、言葉を告げられれば、私は蒼さんへの思いを断ち切れ、また漫画を描くことに集中できる。
そう思っていたのです。
「何も、何も描けない」
手に持ったペンがずっと動きません。
そう、浅はかな考えでした。
振られたのに、何もスッキリしません。思い出を作れたのに、満足できない。
辛い、辛い。
もう蒼さんの声を聞けない。近くで蒼さんの体温を感じられない。蒼さんに触れられない。
蒼さんが私の隣にいない。
その事実が重くのしかかり、私を駄目にする。
何処にもいけなかった気持ちは、私を縛り付け、私を何処にもいけなくする。
こうなるのだったら、私は知らない方が良かった。
一度告げた言葉はもう元には戻らない。
これが、失恋。
それが演技のフリだったとしても、最初から決まっていた結末だったとしても、確かに、私は昨日失恋をしたのでした。
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