④失恋の色を教えて
地面との距離が開き、空がどんどん迫ってくる。
「街が小さいですね」
「そうだね」
対面に琴音ちゃんが座っている。
「観覧車に乗ったのはいつ以来かな」
「私は、小さい時にあります。両親と一緒に乗って、大はしゃぎでした」
「小さい時の琴音ちゃんか~。可愛かっただろうね」
「どうでしょうか。普通の子でしたよ」
「……普通って何だろうね」
「蒼はきっとカッコいい子だったんでしょうね」
「いや、私だって可愛かったよ!……きっとね」
「見てみたいですね、蒼の小さい頃の写真」
うん、と頷く。お互いに小さい頃の写真を見せ合うのだ。楽しいに違いない。やっぱり琴音ちゃん、可愛いじゃん。蒼は男の子泣かせてますね。情景が、台詞が想像できる。
でも、その日は訪れない。
まもなく観覧車は頂上に辿り着こうとしていた。
彼女が私を見る。
「蒼、今日はありがとうございました。こんなに楽しい1日は初めてです」
「私も楽しかったよ。嘘じゃない、本当に楽しかった」
初めてのデート。彼女と服を選び、手を繋ぎ、カップル限定セットなんか頼んじゃって、グラス越しに見つめ合って、映画ではスクリーンより彼女のことばかり気になってしまって、終わったあとは笑い合った。言葉にすれば大したことのない1日のできごと。でも。
彼女が小さく笑う。
「観覧車の一番上で告白が成功すると一生幸せになれる、という伝説があるんです」
「……よくあるおまじないだね」
言葉を待った。校舎裏では聞けなかった言の葉。
小さな唇が開く。
1日を使った、遠回りすぎる体験。
感情を味わうための、演技。
色を知るための、嘘。
「私、蒼が好きです」
「……うん」
彼女をバッドエンドへ落とすためのトリガー。
「文芸部の教室からよくグラウンドを見ていました」
「え?」
言葉がズレる。
「元気に駆ける蒼の姿はとってもカッコよくて、主人公でした」
琴音ちゃんは私を、
「前から知っていたの?」
「ええ、ラクロスをしている蒼は誰よりも、男子よりもかっこいいんです。でも点を決めた時の弾ける笑顔は凄く可愛くて、ヒロインにぴったりの女の子でした」
「そう?」
主人公で、ヒロイン。私をそう称す彼女の言葉の意味がわからなかった。
彼女は何を言っているんだろう。
「そうです。いつも目で追っていました」
「そうなんだ、恥ずかしいんだけど」
何が本当で、何が演技なのか?
彼女の言葉はつくられた台詞なのだろうか?
私は、私は。
観覧車が頂上に辿り着く。
「蒼。私と付き合ってください」
彼女は告げる。
震える唇。汗ばむ額。激しい胸の鼓動。
でも、私は答えなければいけない。彼女の演技に、彼女の感情のために、彼女の誠意に、彼女の、彼女の何に私は答えるというのか。
「あの、その」
口がうまく回らない。それでも、私は告げた。
「……ごめん」
胸がキュッと締め付けられる。
「ありがとうございます、蒼。私の我儘に付き合ってくれて」
彼女が微笑んだ。
「こ、琴音ちゃん……?」
彼女の目からは涙が零れていた。
「あれ、可笑しいな。だって、これは、練習で、漫画の材料で」
溢れ出した水は止まらなかった。
「うっ、う……」
声を上げ、泣き出す。
「つらいよ、悲しいよ」
彼女の隣に座り、背中を擦るしか私にはできなかった。
観覧車を降り、5分ほど言葉を交わさず、歩いていた。
前を歩く彼女が振り向き、私を見て、やっと口を開く。
「失恋って辛いんですね」
あぁ、彼女の望んだことだ。
「いい漫画は書けそう?」
「はい、とっても良いのが書けます」
真っ赤な眼をした彼女は、色を知ったのだ。
彼女が精一杯の笑顔を私に向け、告げる。
「蒼さん、ここで解散にしましょう」
「え、家まで送るよ?」
「いいんです、もう終わりですから」
もう彼女が私を呼び捨てすることはないのだ。
「わかった。漫画できたら読ませてよ」
はい!と元気な声で返事し、彼女は背を向ける。
その小さくなる背中をただ私は立ちつくし、見ている。
「……」
何処までが本当で、何処までが嘘だったのか。
私は、彼女の約束を守った。『振って下さい』という言葉を彼女の要求通り告げたのだ。
なのに、何で心が落ち着かないのか。
彼女は何をしたかったのか。振られたかった?本当にそうなのか。
私は、私は、何ができたのか。
これで本当に良かったのか?
「……」
どうして、私はこんなにも辛いのか。
これで彼女との関係は切れる。私はまた部活を頑張る生活に戻るのだ。そう、戻るだけ、何もなかったことになるだけ。人生経験を少し積んだだけ。
「違う、何も良くない!」
突然、大声を上げる私をカップルが不思議そうに見るが、気にしない。
彼女の背中はもう見えなかった。
バッドエンド。
彼女が欲しがった結末。
でも、こんなの違った。
では、どうすれば良かったのか。
違う、私はどうしたいのか。
「……」
答えは出ない。部活の時は懸命に走るくせに、今の私の足は動かなかった。
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