黒歴史ブレイカー杉崎

牛屋鈴

杉崎と私と杉崎

 私の知り合いに男は少なく、一人しかいない。

 杉崎要。私のたった一人の幼馴染で家が近い。普段は毎朝一緒に中学校に通っているのだが、今日はそうではなかった。

 早朝、玄関に立つおばさんが言う。

「要、先に行っちゃったの。なんかやることがあるって言って……ごめんねぇ、美月ちゃん。せっかく迎えに来てくれたのに」

「……いえ、大丈夫です。それでは」

 おばさんのいってらっしゃいを背中に受けながら、学校への道を歩き出す。

 杉崎が私を差し置いて先に学校へ行く理由、やること。それが一体なんなのか、パッとは思いつかなかったけど、あいつのことだしどうせしょうもないものだろう。

 とはいえ、私の視界にあいつがいないのも落ち着かない。少し歩くスピードを上げようとした。

「ちょっと待った」

 その時、誰かに肩を掴まれた。振り返るとそこには杉崎が居た。だが、私の知る杉崎とは違う。身長が今より高く、顔つきが今よりなお良い。

「杉崎……なの?」

「おっ、ちゃんと『杉崎要』に見える?」


・・・・・・


 杉崎は中二病だ。

 14歳にてその病は真っ盛り。黒歴史まみれのイタい奴。あと自己中心的で、空気も読めないし気遣いなんかも全然できない。

 たまにクラスの女子が『顔は良い』と喋ってるのを聞くけれど、それだけだ。中二病のせいで全然モテてない。おそらくあいつも私以外に女子の知り合いは居ないだろう。

「俺はそんな俺自身の運命を変えに、黒歴史を消しに十年後からやってきた。未来の杉崎要だ」

 女子にドン引かれ続けてきた学生時代をやり直すのだと、十年後の杉崎は息まいていた。

「ふぅん……それで、私になんか用?」

「あぁ、美月には俺の黒歴史改変のお手伝いをして欲しいんだ」

「自分でやれば?」

「いや、なんか俺が昔の俺と直接会っちゃうとなんやかんやあって時空が崩壊しちゃうらしくてさ」

「へぇ……お手伝いって?」

「まぁ、14歳の俺に一言『ダサいよ』って言ってくれればいいからさ。それで十分目が覚めると思うし」

「……いいよ、言っといてあげる」

「助かるよ」

 頼んだぞー。そんな声援を背中に受けながら、再度学校への道を歩き出す。


・・・・・・


 教室に着くと、杉崎が机の上にチェス盤を広げていた。

「……あんた何してんの?」

「見て分かんないか? チェスだよ」

 机の周りに、対戦相手は見当たらない。

 おもむろに杉崎が盤上の駒を一つ取る。そして同じ場所に置いた。タンと小気味のいい音が鳴る。

「かっこいいだろ?」

 おばさんに言った『やること』とはこれをクラスの皆に見せつけることだったらしい。私の予想通り、やはりしょうもない。皆杉崎をうすら寒い目で見ていた。

 そんな視線に気づかず誇らしげな顔をしている杉崎に、私は言ってやったのだ。

「うん。すっごくかっこいいよ」

 杉崎はパッと目を輝かせて、ニヤつきながら駒をタンタンタンタンタンタンした。

 杉崎は中二病だ。私はそれが過去形になることを許さない。だって杉崎は顔が良いのだ。中二病を取ったら、普通にモテてしまう。そんなことは許さない。

 杉崎、あんたは私の物。


・・・・・・


 一時間目が終了して、休み時間。

 校舎の裏に杉崎が居た。中学生じゃない、未来の杉崎だ。近づいて後ろから声をかける。

「ねぇ」

「……っ! ……なんだ美月か」

「あんた未来に帰ったんじゃなかったの」

「ああ、帰るつもりだったよ。未来が変わったのを確認したらな。けどいつまで待っても未来が変わる感覚はなかった。お前、俺の言う通りにしなかっただろ」

 短く舌を出す。

「……そうだよな。昔っからそうだった。お前はそういう奴だった」

 杉崎が呆れたように頭を掻く。現在の杉崎がしないような仕草で、ちょっと違和感があった。

「……それで、今度は実力行使のために不法侵入? 放課後まで待つとか、もっかい今日の朝に戻って出直そうとか考えなかった?」

「出来ないんだよ。タイムトラベルは一回、大体8時間までなんだ」

「なんで?」

「……理由まで答える義理はない」

 現代の杉崎なら、なんでもポロっと漏らすものなのだが。未来の杉崎は用心深く変わってしまったらしい。

「とにかく、今日一日杉崎から杉崎を守れば、もう杉崎は杉崎にちょっかい出せないわけだ」

「なんか変な文章になってるぞ」

 指摘を無視して、私は大きく息を吸った。その準備を見て私の思惑を悟ったのか、杉崎が焦りを見せる。

「不……」

 審者ーッッ!!!! ……と叫んでやろうと思ったが、そこに既に大人杉崎の影はなかった。少し奴の走力を侮っていたみたいだ。現代だと私の方が速いくらいなのに、未来の杉崎は私の想像よりも断然速かった。未来の私より速かったらちょっとショックだ。

 まぁ別にこれでも構わない。あの大人杉崎が一体どんな方法で子供杉崎の中二病を治すかは分からないけれど、私が子供杉崎の側で目を光らせていれば問題ないだろう、多分。強いて言うなら、今この瞬間に何か行動を起こされていないか心配ではあるけれど……次の授業は体育館だし、部外者が早々簡単に入れる場所じゃないし大丈夫だろう、多分。

 そんなことを考えながら教室に戻っていると、道すがらに同じクラスの友人と出会った。彼女は体操服を着ていた。

「あっ、美月ちゃん。次の体育、体育館じゃなくて校庭に変更だって」

 校庭、運動靴、下駄箱。

 連想ゲームの過程と、大人杉崎の逃げた先が重なる。私はダッシュで下駄箱に向かった。

「杉崎っ!」

 杉崎は丁度下駄箱で履き物を変えようとしていた所で、何やら片手に手紙のような物を持っていた。封はまだ開けられていないようだ。

「なんだよ、美月」

「……何その手紙」

「え?分からん。なんか入ってた……へへ」

 そう言って少し口角を上げる杉崎。大方ラブレターか何かと勘違いしているのだろう。だがそれはありえない。未来杉崎は『女子にドン引かれ続けてきた学生時代をやり直す』と言っていた。ラブレターなど貰えているはずがない。

 つまりあれは未来杉崎が仕掛けた手紙。きっと『中二病をやめろ』みたいなことが書かれていて、間接的に自分の過去を修正しようとしているのだ。

 子供杉崎を更生させる悪魔の罠。絶対に見せるわけにはいかない。

「貸して」

「あっ、ちょ」

 奪い取り、そのまま破り捨てる。

「あー! ラブレターだったらどうすんだよ!」

 だったら尚更破り捨てなければいけないけれど。

「呪いの手紙だった。迷惑ないたずらだよ」

 少なくとも私にとっては間違いなく迷惑だ。

「大体、あんた私以外に女の子の知り合い居ないんだからラブレターなんて来るわけないでしょ。期待なんかしないの」

「きっ、きき期待なんかしてねーよ!」

 調子の外れた声だった。大体、私以外の女にどぎまぎするなと言いたい。言いたいけれど実際には口に出さなかった。

「あれ、そういえばお前体操服は?」

 そういえば、休み時間が始まってすぐに大人杉崎のもとへ行って、それからすぐにここまで来たからまだ制服のままだった。今から着替え……てたら杉崎から目を離すことになるか。

「……いい。今日は見学」

「なんで? 熱?」

「女子に体育休む理由を聞くな」

 杉崎の頭を柔くはたく。不可解そうな杉崎と一緒に下駄箱を出て校庭へと向かった。

 私は改めてこの状況を完全に理解した。大人杉崎は、未来から来たので今日これから何が起こるか知っている。だが、時空崩壊がどうやらで子供杉崎に直接会うことはできない。だから、下駄箱に先回りをすることはできても、手紙という形でしかアプローチをかけられなかった。対する私のアドバンテージは、杉崎の周りで直接干渉ができること。さっき手紙を目の前で破いてみせたように。

 未来が分かる杉崎と、直接干渉できる私。つまりはそういう戦いなのだ。


・・・・・・


 校庭の端から、中央を眺める。季節は秋の初め頃で、半袖と長袖が入り乱れ動いていた。

 今日の体育はドッジボール。女子は女子同士、男子は男子同士でそれぞれ分かれてボールを投げ合っている。

 私が見るのはもちろん男子の方。子供杉崎の動きを目で追う。といっても早々に脱落して、外野で戦力になるでもなく、同じドッジ弱者の友達と喋っているようだった。

 ……あの友達の子も刺客だったりするかもしれない。私がされたように、大人杉崎に頼まれて。

「ちょっと」

「うわっ!」

 杉崎の背後に立ち、話しかけると杉崎は驚いて振り向いた。

「お前っ、急に後ろに居るのやめろって」

「ちょっとこっち」

 抗議を無視して、腕を掴んで校庭の端へ引っ張った。隣の男子が何用だとポカンとしていたがそれも無視した。

「なんだよ、皆城」

 校庭の端に戻って、座り込む。

「あんたさ、友達になんか言われた?」

「……なんかって?」

「何も言われてないならいい」

 杉崎の頭にはてなが浮かぶが、特に説明してやったりはしない。

「あぁ……んじゃあもう戻っていい?」

「ダメ」

 コートに戻ろうとする杉崎の腕をもう一度掴む。

「暇だから、体育終わるまで喋り相手になって」

 体育の先生は女子のコートできゃっきゃしている。当分こちらに気付く様子もない。

「……まぁ、いいだろう。バレるまで話相手になってやる」

 そう言いながら杉崎が私の隣に座る。ちょっとキザな話し方が鼻につくが、これがいいのだ。これが良い具合の虫除けになっている。だからこそやはり中二病を治させるわけにはいかない。

 杉崎がずっと私の知っている杉崎のままで、私以外の女の子を知らなければいい。

 とりあえずこうしてずっと側に居れば大人杉崎は何もできないだろう。あとはこの状況を持続させれば私の勝ちだ。そして私と杉崎が離れる瞬間がないかこの先の行動を脳内でシミュレーションする。一緒に授業受けて、お弁当食べて、授業受けて、一緒に帰って、別々の家に……。

「今日杉崎の家泊ってもいい?」

 言ったあと、しまったと思った。

「はぁ?」

「別にあんたが私の家に泊まるのでもいいけど」

 言ったあと、しまったと思った。なんで一度目の『しまった』で止まらなかったんだろう。とにかく恥ずかしい。体中の汗腺が一斉に開く感覚がするけど、せめて顔だけは無表情を努めた。

 流石に泊まるのはやりすぎか。年頃の女子がはしたない。いやでも、杉崎の家が大人杉崎にとって一番入り込みやすそうな場所だ。杉崎のお母さんもタイムスリップとか信じる方の人だし。そう考えたらやっぱり放課後も杉崎をマークしておく必要がある。それでもやっぱり『私の家に泊まるのでもいい』って言ったのは失敗だった。杉崎が自分の部屋に……なんてもう数年ぶりな気がする。意識しすぎて死ねる。あぁでも私が杉崎の部屋に入るのも一緒か。絶対緊張する。昔と何か違うかな。やっぱエロ本とかあるのかな。そんなのこいつの部屋で見つけたらショックで何もできなくなりそう。

「な、なんで急にそんなこと……」

「別に、小さい頃はよくお互いの部屋で寝たじゃん」

 動揺を悟られないように、冷静な口調を意識して喋った。

「そりゃ小さい頃の話だろ!」

「……どっちかって言ったらまだ小さい頃に入るでしょ。私達」

 大人の杉崎を見たら余計に。

 と、そこで大人杉崎の言っていたことを思い出す。確か8時間以上、こっちの時代に滞在することはできないとか。少なくともあいつは登校時間に既にこの時代に来てたから、学校が終わるまでにあいつは未来に帰るはず。なら、放課後のことは考えなくていいわけだ。

「ごめん、やっぱ泊る話なし」

「えぇ……? なんか今日のお前変じゃない?」

「変じゃない」

「さっきもなんか顔赤くなってたし」

「赤くなってない」

「……仮病じゃなくて、本当に熱とかあんの?」

 杉崎が、心配そうに私の顔を覗き込む。その視線が、私の心の柔らかい部分をくすぐった。

 欲が出る。

「……ん」

 杉崎に顔を近づけて、おでこを差し出す。

「じゃあ計ってよ。おでこくっつけてさ」

 杉崎が私のおでこに手のひらをあてる。

「……おでこくっつけてって言った」

「バカ。誰がやるか」

 まぁでも普通におでこ触られるだけでも結構いいもんだなと思いながら、おでこに感覚を集中させる。

「どう? 熱ある?」

「……お前の平熱知らねぇからわかんねぇ」

 そう言って、杉崎が気まずそうに手を離そうとするので、それを逃がすまいと離れ行く手のひらにおでこを押し付ける。

「じゃあ、これが私の平熱だから。覚えて」

 実を言うと、大分舞い上がっているので全然平熱ではないのだが。

「平熱だったら計らなくてもいいだろ」

 そんなことを言って、杉崎は結局私のおでこから手を離してしまった。むぅ、つれない奴だ。

「……お前んちさぁー……最後に両親帰ってきたのいつだっけ」

「え? 一か月くらい前……だけど」

「ふーん……」

 杉崎はどこか遠くを見て、それ以上何も言わない。

「……何、なんか心配してくれた?」

「いや? 別に」

 そっぽを向かれてしまったので、当たりだったらしい。

「……ふーん、あんたも人のこと気遣ったりするんだね」

「だから、別に心配とかしてねぇって」

 空気を読むのが大の苦手である中二病の杉崎にしては、珍しい言葉だった。嬉しい反面、心に不安が募る。

 気遣われるのはいいが、こいつに人間的に成長されては困るのだ。

 やはり、やはりやはり中二病をやめさせるわけにはいかない。私は決意を新たにした。

「明日もチェス盤持ってきてね」

「もちろん」

 チャイムが鳴り、体育の授業が終わるまでそんなやりとりをしていた。


・・・・・・


 下駄箱で靴を履き替え、二人で教室に戻る。

「ほとんど体動かさなかったし、ジャージに着替えた意味なかったな」

 廊下を歩きながら、杉崎が服の胸元をパタパタさせた。少し艶めかしくて目を奪われる。

「どうせずっと外野だったんだし、私が居なくても一緒だったでしょ」

 そんな会話をしながら、教室に入ろうとする。

「いや、何入ろうとしてんだよ」

 そこで杉崎に止められた。

「……あ」

「男子は教室で着替えだから。体育終わりの休み時間は女子禁制」

 そうだった。杉崎と一緒に居なければという思いでいっぱいで失念していた。

「じゃあ俺着替えるから」

「ちょっと待って」

 そこで杉崎を止めた。

「え、何」

「体育の間、教室って鍵かかってた?」

「え? あー、ん? そういや鍵使う前から開いてたな。体育委員が忘れてたっぽい」

 つまり、大人杉崎は私達が居ない間、この教室を自由に出入りできたというわけだ。

「なるほど……なるほどね」

 大っピンチだ。

 この日、体育委員が鍵の施錠を忘れることも、未来の大人杉崎なら知っていただろう。となれば、何か仕掛けて来ているはず。おそらく下駄箱の時のような置き手紙。

 だがしかし、現在教室は女子禁制。下駄箱のように杉崎が読むより先に手紙を破り捨てることができない。どうする、私。

 私は杉崎の肩に寄り掛かった。

「あ! 何!」

 杉崎が仰天する。そこまで驚かなくてもいいだろと思いながら作戦を続ける。

「やばい……私本当に熱あるかも……」

 杉崎の体に触れているだけで勝手に息は荒く、顔は赤くなるので、あんまり演技する必要がないのは楽でいいなと思った。

「ごめん杉崎、ちょっと保健室まで肩……」

「分かった、乗れ!」

 私の言葉を食い気味に遮って、杉崎は私の目の前でしゃがんだ。そして腰の辺りに後ろ手を添えている。

 まさかこいつ、おんぶするつもりなのか。学校の中で、女子であるこの私を。

 その様を想像しただけで、でっち上げただけのはずの熱が悪化した。

「いや、別に肩貸してもらうだけでいいから……」

 そう言いながら私の体は杉崎の背中に引き寄せられていた。

「無理すんなって」

 その言葉を聞くが早いか私は既に杉崎の背中におぶさっていた。引力は質量ある物全てにあるので仕方がないと思う。

「すぐ保健室まで連れてってやるからな」

 杉崎は私がおぶさったのを確認するとぐんと立ち上がって、そのまま廊下を歩きだす。

 当然、廊下の生徒から奇異の視線を二身に受けることになるのだが、それによる杉崎の足取りの変化はない。私の体を揺らさないように、それでいてなるべく速く足を進める。

 中二病特有の行動力と羞恥心の欠如が、こんな形で現れるのを、私は初めて見た。昔は精神的にも肉体的にも、私をおんぶするなんてできなかったのに。

 杉崎の大きくなった背中の感触を味わうと共に、一抹の寂しさを覚える。杉崎が、どんどん私の知らない杉崎に変わっていく感じがして、怖い。

 そんな病気みたいなことを考えていたら、丁度保健室に到着した。杉崎のノックに扉が開き、保健医さんが背中の私を覗き込む。

「あら……その子どうかした?」

「ちょっと熱が」

「治ーった」

 肩から手を放し、杉崎の背中から降りた。念のためもう少し時間を稼いでおきたかったし、背中の感触が名残惜しい所ではあるが、あんまり関係のない人を巻き込むのも忍びない。

「……え?」

「仮っ病でーす」

 一瞬で仮病だと分かるように、その場で踊って一回転してみる。再び正面を見た時には、保健医さんの視線が心配から呆れに変わっていたので成功だった。

「……こういういたずらはね。本当に大変な時に大変なことになるから、二度とやったら駄目。はい、もうすぐ休み時間終わりだから、早く教室戻りなね」

 保険医さんに諭され、扉が閉まる。保健室の前に静寂が満ちた。

 そのまま二人黙って教室に戻る。だけど無言がちょっと怖かったので杉崎に話しかけてみる。

「怒ってる?」

「べーつにぃ。お前のいたずらに振り回されんのなんか馴れっこだしな……でも、俺以外にはやんなよ。先生も言ってたけどいざって時に助けてもらえないからさ」

「……じゃあ杉崎は助けてくれるの? 次も」

「まぁ……またお前が同じように困ってたら、同じことすると思うよ」

 こいつはまた、私の柔い部分をくすぐる。

 くすぐったい言葉は気持ちいい。けど、この言葉を私以外の女の子に取られちゃう日が来るかもと思うと、同時にとても怖くなる。

「あんまりそういうこと、私以外に言っちゃダメだからね」

「え、なんで?」

「私があんたにしかいたずらしないのと、同じ理由」

「なんで?」

 そんなこんなで教室に戻ると男子の着替えはもうとっくに終わって女子の出入りが可能になっていた。

 扉の前から早歩きを始め、本人より先に杉崎の机に辿り着く。そして机の中に手紙を発見する。

 そのままさっきと同じようにびりびりに破り捨てる。

「あーっ! ……お前、さっきの仮病はこのためか」

「なんのことやら」

「なぁー……さっきの呪いの手紙っていうのも嘘なんだろ?さっきのも今のも、誰の何の手紙なんだよ」

 もちろん、ここで馬鹿正直に未来のあんたからの手紙だよなんてワクワクワードを言うわけにはいかない。とはいえ他の誰かからの手紙だということにすると、色々めんどくさそうだ。

「私のいたずら。だから勝手に破いても問題なし」

 疑われないように、堂々と噓をついてみせる。

 しかし、私がそうばっさり言い捨てても、杉崎は何か含みを持った目で手紙だったものを見ている。その視線は私の行動を訝しんでいるのではなく、何か未練のようなものを感じさせた。

「……なんて書いてたんだよ」

「言うわけないでしょ。読ませたくなくて破いてるんだから」

「じゃあ……やっぱりあれか。伝えるのが恥ずかしい……感じの……か」

 恥ずかしい内容をしたためた手紙。といえば。

「違うから」

「違うって何が」

「違うからね」

「……じゃあ結局なんて」

「自分で考えなさい」

 私はぷいと顔を背けそれ以上の追及をシャットアウトした。それから、大きく息を吐いた。心臓はまだバクバクと鳴り続けている。あっっぶなかっったぁ……。好きなのバレるかと思ったぁ……。

「その反応……やっぱまだなんか隠してんな」

 杉崎はまだ私から視線を外さない。こんな反応になったのは別の理由があるのだが。

 とにかくまずい。怪しまれている。もう無理矢理に言うことを聞かせるのは難しそうだ。さっきはああ言っていたが、まさか同じ日に二回も仮病に引っかかってはくれないだろう。

 次、いつさっきのようなピンチに陥るか分からない。その時に反抗されると今度こそ大人杉崎から子供杉崎を守り切れない。

 どうにかしてこちらから向こう行動を探れればいいんだけど……。

「なんかさっき男子トイレで鍵かかってる個室あったよな」

「あそこでうんこする奴珍しいよな」


・・・・・・


 授業が始まってすぐ、私は男子トイレに赴いていた。先生にはトイレに行くと言って(女子トイレに行くとは言ってない)教室を出たので、何も嘘はついていない。

 そして耳に挟んだ通り、鍵のかかった個室を見つけた。そこらに積まれていたトイレットペーパーを掴み取り、その個室に投げ入れてみる。違ってたら無視して逃げよう。

「……、……なんだぁ!」

 果たして、その声は先ほど聞いた大人杉崎の声だった。ビンゴ。やはりこいつはここに隠れ潜んでいた。

 おそらく近い未来、杉崎はこのトイレに赴くのだろう。そしてそこを狙って手紙を仕掛けるつもりだったのだ。どこかの授業中に子供杉崎がこの階のトイレに来ることも、大人杉崎なら知っていたはず。

 さっきのように女子禁制の場を狙い、私の妨害を無力化しようとする試みはうまい。それに、校内で長時間隠れ潜むなら個室トイレというのも中々都合がよさそうだ。考えれば考えるほど、トイレに身を置くのは合理的な選択だと言える。

 私にバレなければ、の話だが。

「……私」

 そう返答すると、扉がガタっと揺れた。向こうも声だけで私が誰か理解したらしい。そのまま扉越しに声が返ってくる。

「……お前、ここ男子トイレだぞ」

「確かに、隣に杉崎が居る時なら無理だったけどね。誰にもバレなきゃ入ってないのと一緒だって」

 大人杉崎が男子トイレに潜んでいること。子供杉崎が授業中に席を立ってから気付くのでは遅かった。先手を取れて本当に良かった。

「俺も杉崎なんだが?」

「女の子にモテようとする杉崎なんて杉崎じゃないの」

「……あっそ」

 杉崎らしくない、素気のない返事だった。しかしどう強がっても私の優位は変わらない。

「さぁ、もう逃げ場はない。校舎の中じゃ、さっきみたいに走って逃げるのは無理でしょ。今ここに先生を呼べば、それであんたはチェックメイト」

 今一度、叫ばんと息を吸う。

 入口から足音が聞こえたのはそれとほぼ同時だった。

「……?」

「お前……マジか」

 入口に立っていたのは、子供杉崎だった。ジャージ姿のまま、片手に制服を抱えている。おそらくこのトイレに着替えに来たのだろう。さっき教室で着替えさせなかった弊害がこんな所で……いや、今はそれどころじゃない。

 男子トイレに居る所を、見られた。

「あっ、いや、ちょっと待って違う。これは間違って入って」

「ただのいたずらで、ここまでするのか」

「……は? いたずら?」

「いたずらじゃないのか? なんか先々に俺への手紙置いてさ、それを俺が読む前に破って、何がしたいのか分からないけど……丁度いい、それを確かめる」

 子供杉崎はそう言って、大人杉崎が入っている個室の前に立つ。

「ここ怪しいな……」

 そして私はそこで大人杉崎が言っていたことを思い出す。『なんか俺が昔の俺と直接会っちゃうとなんやかんやあって時空が崩壊しちゃう』。

 時空の崩壊。それが具体的に何をもたらすのかまでは聞いてないけど……嫌な予感が背中を駆け抜ける。

「はぁ? ちょっ、待って! 私別に何も仕掛けてない……っていうか鍵かかってるでしょここ!」

「だから怪しいんだよ。ここに他の誰か入ってたらお前声出さないだろ、男子トイレに入ったなんてバレたくないだろうし。何もせずにすぐ教室に帰ってくるはずだ」

 子供杉崎は問題の個室への関心を高めていく。間違った推理なのだが、真実を伝えても中二病の杉崎はなおさらこの個室の中身、すなわち未来の自分を知りたがるだろう。別の切り口で推理を崩すしかない。

「いや、それは気が動転してたからで……そもそも外から鍵かける方法なんてないでしょ」

「内から鍵かけてから、個室出ればいいだけだろ……こんな風にっ!」

 そういって子供杉崎はその場で飛び上がり、個室の扉に手をかけた。

 まずい! このままでは子供杉崎が大人杉崎を目撃してしまう!

 時空の崩壊が起きる……! そう思い、目をつぶったが、特に何も起きなかった。そして扉の上から個室内へ身を乗り出している子供杉崎はこう言った。

「ほらな、やっぱり誰もいない」

 そしてそのまま個室内へ飛び降りた。

「え……?」

 扉越しに便座カバーを開け閉めする音やトイレットペーパーをカラカラする音が聞こえてくる。その後、扉が開いて腑に落ちない顔をしている子供杉崎が出てきた(ついでに着替えも済ませていた)。奥に大人杉崎の姿はない。一体、何が……?

「何もなかった……」

 不思議そうに、杉崎が呟く。

「お前、本当に間違えて男子トイレ入ったの?」

「……そうだって言ったでしょ」

 とんでもないポンコツだと思われそうだが、特に理由なく男子トイレに入る女と思われるよりかはマシだ。

「やっぱ熱あるんじゃないのお前」

「いいからさっさと教室戻んなさい」

 そうして、子供杉崎はすごすごと男子トイレを後にする。それと同時に、個室にもう一度大人杉崎が現れた。何もなかった場所に、すぅーっと。

「……!」

 瞬間移動……いや、透明化?なんにせよ、現代科学では到底不可能なトンデモ未来科学を駆使されたことは間違いない。

「ん? おい、どうしたんだよ美月。なんかあったか?」

 子供杉崎が私へ振り返る。大人杉崎は慌てて口に指をあて、しーってやった。

「いや……なんでもない」

 とにかく、今こいつに引き返させるわけにはいかないと思い、私も男子トイレを後にする。

「早く教室に戻るよ」

「あれ? お前女子トイレ行かなくていいの? トイレしに来たんだろ?」

「あんまり女子にトイレの話するな」

 子供杉崎の頭を軽くはたきながら、廊下を歩く。

 校内で大人杉崎の居場所を掴めば、後は先生を呼ぶだけだと思ってたけど……あんな風に一時的に姿を消せるならそれも無意味か。作戦は失敗に終わった。

 タイムマシンなんかがあるんだ。何か他にすごいテクノロジーがあったって驚きはしない。けどこれは……奴の思惑を妨害しなければいけない立場としては、とんでもないビハインドだ。

「戻りましたー」

「おう、戻ったか。今三十二ページの所やってるから、教科書出しな」

 二人で教室に戻り、席について机の中に手を伸ばす。

「……あ」

 その時、子供杉崎が小さく声を出した。目を向けると、その手にはまたもや手紙が。

 私はそれを反射的に奪い取った。

「あっ……お前本当、さっきからなんなんだよ」

「静かに、授業中だよ」

 そう言って、杉崎のそれ以上の追及を避けた。

 そして奪い取った手紙に目を向ける。どうしてここに手紙が……?下駄箱の時、着替えの時は分かる。上手くやれば誰にもバレずに手紙を仕掛けられるだろう。だがこれは私達がトイレに行っている間、生徒の目がある授業中に仕掛けられている。そんなことどうやったって不可能なはず。

 もしや、これも未来科学によるものなのか……そんなことが可能なのだとしたら、より妨害は難しくなる。

 ジリ貧、予測できない未来科学……そういえば子供杉崎が次にトイレに行った時の解決策も思い浮かばない。

 いつの間にか、状況は絶望的になっていた。


・・・・・・


 何事もないまま放課後が来た。

 あれから大人杉崎は何も仕掛けて来なかったし、不意に杉崎の隣を離れなければならない瞬間も来なかった。トイレにも行かなかった。

「美月、帰ろうぜ」

 杉崎が鞄を背負って私の隣に立つ。ちなみに片方の肩紐を肩にではなく肘にかけて背負っている。杉崎流の『かっこいい鞄の背負い方』らしい……私の知らないうちに中二病が治ったというわけでもなさそうだ。

「杉崎、あんた今日トイレ行ってなくない?」

「さっきお前についてったじゃん」

「ああいうの以外で、普通のトイレ」

「それなら、確かに学校ではしてないけど……何? 俺ってそんなにトイレ行くイメージなの?」

「別に……」

 おかしい。子供杉崎は今日必ずトイレに行くはずで、それを知っていたから大人杉崎はトイレに潜んでいたのではないのか……単純に、隠れ場所として最適だからトイレに潜んでいただけなのか?

 思えば、体育の場所が変更になるとか、体育委員が鍵をかけ忘れるとか、そんな都合のいいトラブルが一日に何度も起きるとも思えない。もしかして私が気を張りすぎていただけで、向こうは既に万策尽きていたのか?

 そうだと助かるんだけど、何だか腑に落ちない。未来を知っていて、その上未来のテクノロジーまで使えるというのに、こうまで何もできないものなのか。何か重大なことを見落としているような気がする。

「……帰んねぇの?」

「いや、帰る……帰ろっか」

 まぁ、肩透かしで終わるならそれが一番良い。そう結論付けて、杉崎と一緒に教室を出る。

 そんな私の腕を、引っ張る奴がいた。

「皆城さん、ちょっとこっち」

 振り返ると、私の腕を掴んだのは別クラスの知らない女子だった。

「何、あっちょっ」

 そして私の答えを待つ暇もなく、杉崎を置き去りにして別の場所へ、ぐいぐい私を引っ張っていく。私は引っ張られながら、女子の正体を尋ねた。

「あなたっ、あいつの差し金か!」

 体育の時に心配したように、他の生徒を利用してくる作戦に切り替えたのだろう。

「……あいつの差し金、ってどういう意味」

「とぼけないで、未来から来た杉崎に、私と現代の杉崎を引き離すように言われたんでしょ?」

「はぁ? 何わけ分かんないこと言ってんの? 杉崎君の真似?」

 そこで女子が足を止める。そしてきょろきょろ周りを見渡し、誰もいないことを確かめてから再び口を開く。

「私が言いたいのはね、なんで私のラブレターを勝手に破くのってこと」

「……は?」

「……いや、いいよ。理由なんて分かってる。皆城さんも杉崎君のこと好きなんでしょ?」

 頭がぐるぐるする。ラブレターだと? 皆城さん『も』だと?

「はっ、いや、ラブレター? そんなの、いつ……」

「今更知らんぷりするつもり? 体育の前に入れたやつも、着替えの後に入れたやつも、トイレに行ってる間に入れたやつも、全部杉崎君が読む前に皆城さんが奪い取って破っちゃったじゃん! 私全部見てたんだからね!」

 そう私に迫る女子の顔は、確かな怒気に包まれていた。

「え? でも、あれは全部、未来の杉崎が仕掛けたやつじゃ……」

 私がそう言うと、女子は表情を怒りから呆れに変えて私の腕を離した。

「……もういい。とにかく、もっかい杉崎君の鞄にラブレター入れたから。次はもう邪魔しないで……しても、届くまで何回もラブレター書くけど」

 頭がぐるぐるする。今日一日の記憶に整合が付かなくなる。

 ただ二つ分かることは、この女子が杉崎のことを好きだということ。

 そして、私の敵だということ。

「っ、意味分かんない! 頭おかしいんじゃないのあんた! 杉崎なんて、いい所ひとっつもない! ただの中二病でしょ!」

 激昂する私に対して、恋する乙女は柔らかに微笑んでいた。

「私は知ってるよ? あなたの知らない、杉崎君のいい所」


・・・・・・


 教室に戻ると、杉崎が一人で待っていた。

「お、話終わった?」

「……うん。待たせたね、早く帰ろ」

 歩き出すとともに、杉崎が鞄を背負い直す。今、あそこには新しいラブレターが入っている。杉崎は家に帰って……少なくとも、明日の朝にはそれを見つけるだろう。

 杉崎にすり寄る女のラブレターなど、見つけ次第破り捨ててやるつもりだった。けど、実際そんな状況になってみると、とてもそんな気持ちにはなれなかった。

 自分でもよく分からないけど、それはあの女子が何度でも同じことをするだろうから……ではない、何か別の理由だった。

「篠原さんとなに話してたの?」

 篠原さん、とはさっきの女子の名前だろうか。

「……なんで別クラスの女子の名前なんか知ってんの」

「漫画の好みが一緒でさ、新刊発売日によく本屋で会うんだよね」

 杉崎の交友範囲は全て把握しているつもりだった。ところが私の知らない女子と知り合って、あまつさえ誑かしている。

「違うじゃん……あんたはもっとさぁ……私以外に女子の知り合いなんていなくて……そんなさぁ……」

「えぇ……いいだろ別に、他の女子と話したって」

 いいわけない。けど、そんな風に思うのは全部私の都合で、口には出せなかった。

「あ、あと……」

 そこまで言って、杉崎は口をつぐんだ。何か言いづらいことなのか、気恥ずかしそうにしている。

「何?」

「あー……今日、俺んち泊る?」

「……は?」

 口が反射で一文字分だけ動いた。その後、何を言われたのか冷静に理解し、混乱した。

「なん、なんで? なんで?」

「今日のお前ずっと変だっただろ?変っていうか、やけに俺のそばに居たがるっていうか。だから、寂しいのかなって。それにやっぱ体調も悪そうだし、ちゃんと飯食ってるか気になってさ……母ちゃんもよく心配してるし、たまにはうちで飯食えよ」

「なんで、あんたがそんなこと……」

「……お前、ほとんど一人暮らしだろ? 自分と同じ歳の奴が一人暮らしなんかしてたらさ……そりゃ、心配ぐらいするよ」

 一瞬、心が淡く弾む。

 だが次の瞬間、強い焦燥と疎外感に襲われた。

 こんな風に誰かを気遣ったりできる杉崎を、私は知らない。私の知らない杉崎が、間違いなくここに居る。その事実を、どうしても否定したかった。

「なんでそんなこと言うの!」

 気付けば、私は叫んでいた。

「あんたはさぁ! もっとくだらない奴じゃないといけないの! 空気読めなくて、自分のことばっかで、成長しなくて、気遣いなんかできない、ダサくて、中二病じゃないといけないの! そうじゃなきゃ、そのままじゃなきゃ……」

 私の杉崎じゃ、なくなっちゃう。

「え……何? なんで怒ってるの?」

 唐突に大声を出したせいで、杉崎は私にドン引いていた。

 その視線が私の幼稚さを浮き彫りにするようで、辛くて、私はその場から逃げた。

 杉崎要。私のたった一人の幼馴染で家が近い。追いつかれないように、家まで必死に走り去った。


・・・・・・


 逃げた勢いそのままに、鞄も投げ捨てて部屋のベッドに倒れ込んだ。息が整わないまま、枕に顔を押し付ける。

 私って、最低だ。他の女子の邪魔したり、言いたいこと言って逃げたり、杉崎を、中二病のままでいさせようとしたり。

 でも、そんなことほとんど関係ないんだろう。いくら私がそばで杉崎の邪魔をしても、杉崎は成長して、どんどん私の知らない杉崎になる。その杉崎は気遣いができて、中二病でもなくて、顔が良い。本当にかっこよくなって、モテる。

 そして私には今度こそ本当の意味で、杉崎の隣を離れなければならない瞬間が来る。

 ……杉崎も今頃、家に帰ってるだろうか。そしたら鞄を開けて、篠原さんとやらのラブレターを見つけた頃かも知れない……あいつOKするかな。断って、逆に私に告白してきたりしないかな。

 ……ないだろうな。成長したあいつは多分、誰にでも優しくする余裕があって、私だけ特別に優しくしてくれるわけじゃない。だからあいつを好きになる女子が出てきたんだ。

 ああ、嫌だ。あいつは私の幼馴染で、ずっと私だけのものだったのに。こんなに簡単に、他の誰かのものになっちゃうのか。

 そう考えると、なんだか、体に力が入らない。倒れ込んだままの姿勢でしばらく横たわっていると、不意に家の扉が開く音がした。

 杉崎?いや、流石に合鍵なんて渡してない。この家の鍵を持ってるのは私と、両親だけだ。そして両親はまだしばらく帰ってこないはず……。

 おそるおそる玄関の方に向かうと、そこには大人杉崎が居た。

「……ただいま」

「あっ、あんた……結局なんだったの? 学校で何してたの?」

 こいつが仕掛けたと思っていた手紙は、全部あの篠原という女子のラブレターだった。じゃあこいつは一体何がしたくて、何をしてたんだ。

「何にもしてない。ごめんね、いくつか嘘をついた。それを今から一つずつ言うから、聴いて」

 大人杉崎はそんなことを言って、私を見つめた。なんだか、喋り方が変わってる……?

「まず……『未来人が過去の自分と接触すると時空崩壊が起きる』っていうのは嘘。本当は逆で、ヤバいのは自分以外と接触すること」

「……じゃあなんで、私と喋って時空崩壊が起きないの」

「その答えが、二つ目の嘘」

 大人杉崎が自分の手首の付け根を撫でる。すると淡い光が体を包み、その姿を変えていく。

 そして大人杉崎は一人の女性に変身した。その女性は歳こそ違えどどこか私に似ていて……そこで私は、彼女が家の鍵を持っていた理由も察した。

「私は杉崎じゃない。私の正体は、あなた。十年後のね」

「十年後の私……?」

「何驚いてるの? 透明になれる技術があるんだから、変身する技術があったっておかしくないでしょ」

「いや、私が驚いてるのはそこじゃなくて……なんであんた、杉崎に変身なんかしてたの」

「その答えが、三つ目。杉崎の黒歴史を修正するためにこの時代に来たっていうのはもちろん嘘。本当の目的は篠原のラブレターを破棄するため。本来の世界線なら杉崎は篠原とくっついて、私はその失恋をたっぷり十年引きずる。そんな未来を変えるために来たの」

 我ながらなんて根暗な奴だろう。ただ、そんな未来もありありと想像できる所が辛い。

「いや、答えになってない。なんで正体隠して、目的も嘘つく必要があったの」

「だってあんた、人のラブレター破く度胸なんてないでしょ。実際、最後の一通には何もせずに逃げ帰ってきた」

「う……」

 どうやら、全部見られていたようだ。

「だから未来の杉崎からの手紙ってことにしたの……まぁ、結局作戦は失敗に終わったわけだけど」

 彼女の視線が私を責めるようなものに変わる。いや私はあんた自身なんだぞ。というか人のラブレター破く作戦なんて実行するな。

 ……とは口に出して言えない。今さっきは日和ったけど、失恋してからたっぷり十年も経てば、そんな荒んだ思考をするようになってしまような気がしないでもない。

「というわけで、プランBを発動する」

 人差し指がビシッと私を指す。

「あんた、杉崎に告白しなさい」

「……はぁ? 杉崎は篠原とくっつくんでしょ?じゃあ私なんかが告白したって……そんな、無駄って分かり切ってるのに告白するなんてそれこそ黒歴史じゃん」

「中学二年生の私はそう思うかもしれない。けど、十年後の私にとってはね、なんでも無駄って決めつけて、何も行動しなかった過去の方が、よっぽど黒歴史に思えるの」

 そう語る彼女の瞳は、十年分の後悔で淀んでいた。そしてその淀みは、今私の胸が湛えているものと同種のものだった。

「ほら……今日も結構イチャついてたでしょ。いくらなんでもなんとも思ってない女子にあんなことしないって、多分。いけるいける」

「……ちょっと願望入ってるでしょそれ」

 どうせ告白するのは今の自分じゃないからって言いたいこと言いやがって。

 そこで、不意に彼女が体を震わせ、後ろを振り返った。

「そろそろか……」

「何が」

「タイムトラベルは一回切り、8時間までって言ったでしょ。これはね、警察に気付かれるまでの制限時間なの」

「警察?」

「未来には未来の警察が居るの。それからタイムトラベルって違法なの。そろそろポリ公共が私を捕まえに来る……その前に私はここを離れる。後であんたの所にも取り調べ来るだろうけど、何聞かれても知らないって答えて。それで大丈夫だから」

 違法? 捕まえに来る?

「ちょっと待って、それって私は大丈夫でも、あんたは……?」

「まぁ……捕まるだろうね。そんで無期懲役。だからタイムトラベルは一回切り」

 扉に手をかけながら話すその声は淡々としている。彼女は全て、覚悟の上でこの時代に来たのだ。そして扉の方を向いたまま、彼女は話を続ける。

「……プランBの話だけどさ。告白する勇気が出ないっていうのは分かるよ。同じ私だしね。つまりは自信がないんだよね……だから杉崎には中二病のままで居て欲しかった。隣に居るために、自信なんて必要ない奴で居て欲しかった」

 自分自身に自分のことを言い当てられて、胸が苦しくなる。

「あんたぐらいの歳の頃はさ、十歳上の人間なんかすごい大人に見えるでしょ。そんなすごい大人になった自分に、どうしても変えたい過去があること。そのためなら、ムショにぶち込まれる勇気だって絞り出せること……よく考えてね」

 じゃあね。頑張って。

 そんなことを言い残して、彼女は扉の外へ去って行った。

 追いかけるようにして、私も一緒に外へ出る。けど、また未来の技術を使ったのかもうそこに彼女の影はなかった。

 そのまま、隣の家まで歩き、インターホンを鳴らす。

「……やっぱ今日、泊めてくんない?」


・・・・・・


「お邪魔しまーす」

 数年ぶりに、杉崎の部屋に入る。前に来た時より木刀の数が一本増えていた。

「ごめんな。なんか美月が泊るってなってから母ちゃん張り切っちゃってさ。晩ご飯までもう少しかかるって」

「ん……」

 生返事をして、杉崎のベッドに腰掛ける。篠原にマウントを取れる経験が欲しくて、それがあれば少しは落ち着けると思ってやった行為だったが、よりドキドキが深まる一方だった。

 緊張にやられないよう、あらためて覚悟する。とどのつまり、中二病をやめる杉崎の隣に居続けるためには、私も中二病をやめるしかないのだ。彼女が、私自身が言っていた、黒歴史を破壊する。

「私も……さっきはごめんね。杉崎は私のこと心配してくれたのに、変なこと言って、逃げちゃって」

「いや、いいよ。俺も誘うの急だったから」

 昔の杉崎だったら、こんな時拗ねてただろうなと、杉崎が変わってしまったことを再確認する。

「……杉崎、あれやってよ。チェスの駒タンタンするやつ」

「え? ……ふん、いいだろう」

 杉崎はキザったらしい言い方で、鞄を開けてチェス盤を取り出そうとする。

「あれ、なんか手紙入ってる」

「先にチェス」

「えぇ……うん」

 私の言う通りに、杉崎はチェス盤を広げる。

「あんたさー……変わったよね。人のこと気遣えるようになったり、優しくなったりさ……そういう所、すっごくかっこいいよ」

 杉崎はパッと目を輝かせて、ニヤつきながら駒をタンタンタンタンタンタンした。そんな杉崎に、私は言ってやったのだ。

「でもそのタンタンする奴はダサい」

「えっ」

「変な喋り方もダサいし家に木刀何本もあるのもダサいし裁縫袋が竜の柄なのもダッサい。恥ずかしい」

「えぇ……? ダサいの? あれ……マジ……?」

 さぁ、こんだけ言ってやれば中二病も治って、これ以上黒歴史を紡ぐこともないだろう。

 次は私の番だ。

「私も今からちょっと恥ずかしいことするけど……黒歴史に、しないでね」

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黒歴史ブレイカー杉崎 牛屋鈴 @0423

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