ありふれた朝の風景
snowdrop
正門前にて
「靴下は白じゃないとダメだろっ」
正門前にて、若い男性教師が女子生徒を前に声を上げている。
大声で怒鳴られ、他の生徒がいる前でいやいや履いている靴下を脱がされ、怯えて震えながら、用意されていた別の靴下に履き替えるよう促されていた。
「あれは、なに?」
近くを歩いている男子生徒に声をかけてみた。彼はちょうど、大きなあくびをしたらしく、口に手を当てていた。
「どうやら生活指導の、服装検査らしい」
「へえ。服装検査って今日はその日だったんだ」
「いや……そんな話は聞いてないから、抜き打ちじゃね?」
正門に立っているのは一人の男性教師。
鼻が高く、寝癖が目立ち、白シャツに黒っぽいトレーナーを履いている。
担当は体育なのだろうか。
男性教師の顔を見るも、どうも覚えがない。
「あの先生は?」
「今年赴任してきた先生だと思う。名前はなんだったかな、覚えていないけど」
なるほど、新任教師なんだ。
始業式を病欠したからわからなかった。
「咎められているあの子、一年生だよね」
「そうみたいだな。狙われたかな」
そう呟いた男子生徒をその場に残し、迷わず足を進め、男性教師に声をかけた。
「無理強いをさせられて嫌がってますよ。なぜ白じゃないとダメなんですか? 明確な理由を説明してください」
「なんだお前は。どこの生徒だ」
偉そうな言葉を吐いた新任教師は、振り返ってはこちらを睨み、近づいてきた。
「お前ではありません。ここの学校の生徒です」
「うちの学校の生徒なら知っているはずだ。靴下は白である、と」
「はて?」
スクールバッグを後ろ手に持ち、首を傾げてみせた。
「存じ上げかねます。ご教授願えませんでしょうか。なぜ、靴下は白でなければならないのでしょうか。指導されていらっしゃる先生から、不勉強なわたくしに、明確な理由をお教えください」
新任教師は、生活指導の一環と言わんばかりに胸を張り、
「校則で決まっているからだ」
自信と威厳に満ちた態度と声で言い放った。
彼の言葉を聞いた、正門近くにいる生徒たちは呆れて黙ってしまった。
あるものはニヤつき、あるものは鼻で笑った。
「校則、ですか」
ブレザーの内ポケットに手を忍ばせ、生徒手帳を取り出すと、これ見よがしにページをめくってみせる。
校則の一ページ目に『本校は生徒中心の学校です』と大きな字で書いてある。
「どこにも書いてありませんけれど」
そのページを開いて見せつけた。
新人の若い先生は怯まなかった。
むしろ、大きな声をあげて言い放つ。
「白は清潔だからだ!」
それを聞いて、その場にいた生徒は、たまりかねて吹き出し、声を上げて笑ってしまった。
「へえ、靴下が白だと汚れないとは、知りませんでした。初耳学に認定されますね。まさか……とは思いますが、『ありがとう』と書いておけば食べ物が腐らないに匹敵するエセ科学を信じていらっしゃるのですか。それとも、白い靴下は製造過程において魔法付与がされているので汚れないのですか。それって先生の脳内設定ですか。そのお年で厨二病だなんて、痛いをとおり越してキモいんですけど」
「ふざけるな!」
新任の先生は、顔を真赤にして怒鳴った。
「滅相もありません。ふざけてるだなんて、とんだ言いがかりです」
「たとえ校則に書いてなくとも、不文律といって、明文化されていない決まりごととして、靴下は白だと決まっているだろう。紺はダメだ!」
やれやれ、とつぶやきそうになる。
とっさに口を閉じて、出かけた言葉を飲み込んだ。
「不文律でもなんでもいいですけれど、靴下は白でなければならない明確な理由をご説明ください。納得いく説明をしていただけたのならば、こちらとしても考える余地が生まれるというものです。もちろん、紺がダメな理由も、一緒にご教授願えませんでしょうか」
「なんだお前、その口の聞き方は」
いまにも掴みかかってきそうな勢いで、教師の右手が伸びてくる。
だが、先生のいる位置からでは届かない。
たとえ届いたとしても、これだけの目撃者と防犯カメラのある場所では、先に手を出せば言い逃れはできなくなる。
新任とはいえ、教師である彼にも、それなりの矜持はあるだろう。
「こちらとしても、先生に対して最大限の敬意と配慮を払い、言葉を選んでいるのですが」
「偉そうなものの言い方だな。お前には教育的指導が必要かもしれないな」
「結構。その前にお教えいただけないでしょうか。靴下が白でなければならず、紺がダメな明確な理由を。まさか、紺は闇の黒魔術に系統するから、白魔術信奉者である先生は認めることができないという、痛すぎる厨二病的脳内設定なんですか」
「そんなわけあるかっ」
「であるならば、紺の靴下を見ると、はるか古の時代、魔王率いる魔族との死闘をくり広げていたときに受けた古傷が疼いてしまうから見てられない、みたいな妄想をしてしまうのですか」
「そんなことするかっ。お前は先生をバカにしているのか」
耳まで真っ赤にして怒鳴り声をあげてきた。
キレる寸前かもしれない。
努めて冷静に話すことを心がけよう。
「バカになんてしてませんよ。妄想するのは個人の自由です。たとえ先生が、わたしたち若い女子生徒を相手に、口では説明するのに憚れるような淫らな欲情を想像していようとも」
「す、するわけないだろっ」
「いま、どもりましたね?」
「どもってない」
ぷいっと教師は顔を背けた。
すかさず周り込み、覗き込むよう顔を向ける。
「どもりましたね?」
「どもるわけないだろ」
先生の声がどこか弱々しい。
近くにいる子に聞いてみる。
「先生、どもってましたよね?」
「……どもってました」
「ほら。第三者からの証言が取れましたよ、先生」
教師の顔を見ると、言い返そうとして口を開けるも何も言えず、困ったような顔をしていた。
「いいんですよ、妄想や想像は自由ですから。誰にも止める権利はありません。欲望は誰にだって生まれながら持っているものですし、健全で健康的な証拠ですよ。それとも……まさか、若い男子生徒の方がお好みでしたか」
「はあ?」
「それは大変失礼致しました。好意の相手は異性だと勝手に決めつけてしまいまして、配慮が足らず、申し訳ありませんでした。恋愛もまた自由です。受け攻めでたとえるなら先生はどちらですか?」
「ふざけるのも大概にしろっ」
大声とともに右手が振り上げられる。
逆鱗に触れたのか。
言い当てられたのが恥ずかしかったのか。
あるいは……。
「待ってください」
先生の顔の前に右掌を突き出した。
「そうですね、先生も一人の人間ですから、教師同士の職場恋愛を夢見てもなにもおかしくありません。ただ、残念なことにうちの学校には先生が憧れる、職場恋愛に発展しそうな若い女性教師がいらっしゃらないことを嘆いているのでしょう。たとえ年上が好みだとしても、独身者はいらっしゃいません。三次元より二次元嫁にうつつを抜かしてしまうのも無理からぬもの。ですがそれもまた自由ではないですか」
呆れたのか、若い教師は振り上げた手をゆっくりおろし始めた。
「ですが、押し付けはやめてください。嫌なことを無理やりさせるのは犯罪に抵触するのをご存知ですか。脅迫し、相手を畏怖させた上で無理やりさせれば強要罪に当てはまりますよ」
若い教師は押し黙ってしまった。
靴下を脱がされて履き替えさせられた女子生徒は、自分の靴下を履き、登校してきた他の生徒達とともに正門をくぐっていく。
「どうしましたか?」
スーツを着た、白髪交じりの校長先生が、生徒に挨拶しながら正門にやってきた。
若い教師はこれ幸いとばかりに、学校や生徒のためとおもって自主的に抜き打ち服装検査を実施したこと、自分は何も悪いことはしていないにも関わらずおかしな女子生徒に邪魔されて妨害されてしまったことを、懸命かつ卑屈に、校長に媚を売るかのような口調で語り続けた。
言い終えた彼は、これで自分の正当性は保たれたとでも言わんばかりの、満足げな笑みを浮かべている。
そんな若い教師に校長は、静かに言い放つ。
「なぜ、白以外の靴下を履いてきたらダメなの? 紺の靴下を履くと自分で決めて履いてきたのだから、それでいいんじゃないの?」
若い教師は目を大きく見開き、まばたきをくり返す。
「で、ですが……校長」
「靴下が白でないのが気になるのなら、頭ごなしに決めつけ、無理やり履き替えさせるなんてことはせず、明確に理由を説明して納得してもらう努力をすればいい」
校長は若い教師を叱ったあと、こちらを向くと、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。彼は赴任してきたばかりで、まだうちの学校のやり方になれていなかったようです。同じことが起きないよう彼に、うちの学校のルールである『自分ができないことを頭ごなしに子供に押し付けないこと』をやってみせ、言って聞かせて、やらせていきます」
「うん。校長先生、わかった。次からは気をつけてね」
さて校舎へ、と行きかけたときだ。
「なぜですか。なぜ校長が、生徒に頭を下げるのですか」
若い教師の、呆れたように嘆く大きな声が聞こえた。
「きみは、自分が子供たちより上だと思っているのですね」
校長は、声を荒げる事なく、静かに彼に言った。
「生徒の前で間違ったことをしてはいけないと思いこんでいるから、体面を保とうとしてしまうのです。先生も生徒も一人の人間です。生徒の前でたくさん失敗してください。失敗したら『ごめんなさい、またやっちゃいました』と素直に謝ればよいのです。ぼくなんかいつだって、子供たちに謝っていますよ。『約束していたのに、ごめんなさい』って。面子や体面なんて気にする必要はないのです」
「で、ですが」
「愛情ですよ。頭ごなしな言い方をしなくてもいい。規則の押し付けをするのでもなく、ダメなことがあるのなら納得してもらえるよう、理由を説明して指導すればいいのですよ」
「そ、そうなんですか……はい」
校長と若い教師のやり取りを背中で聞きながら、わたしは校舎へ向かった。
ありふれた朝の風景 snowdrop @kasumin
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