藪の中のリューゲ

@shibachu

水曜日 午後七時

 雑誌コーナーの客は今日も居座っている。

 いつもの中年親父だ。老眼らしく、雑誌を顔から五センチの近さまで近づけて読み耽っている。『◯×工務店』の社名が入った作業服のままやって来ては、一時間ほど立ち読みをして帰って行くのが毎日お決まりのパターンだった。

 外の駐車場でガラの悪い若者グループが、煙草を吸いながら談笑しているのも日常茶飯事だ。

 軽自動車がやって来て、車椅子マークの書かれたスペースに停まる。降りてきたのは若い女性だった。外の連中が何か話しかけたようだったが、彼女は彼らと目も合わさずに入店した。

 奴らは手を叩いて爆笑し、声をかけた仲間をからかっている。

「いらっしゃいませ」

 彼女は派手めな化粧で、凝ったネイルアートを施していた。肩を露出したTシャツにホットパンツという扇情的な格好をしている。あいつらが声をかけた気持ちも同じ男としては分かる。

 モノグラムの財布を手にした彼女は店内を見回し、雑誌コーナーの方を見て眉をひそめた。

 しばしの逡巡を見せた彼女はゆっくりと店の奥に歩を進めたが、中年親父が立っている付近で踵を返すと、鼻と口を手で押さえながら足早に店を出て行った。

 何事があったのかと雑誌コーナーに目をやったが、中年親父が一心不乱に立ち読みをしている他には変わったところはない。だが、近づいてみるとすえた匂いが鼻についた。

 さて、どうしたものか。俺は店長に相談することにした。

「店長。あそこで立ち読みしてるお客さん、体臭がきつくって、今も女のお客さんが一人帰っちゃったんですけど、注意した方が良いですかね?」

 商品在庫をハンディターミナルに読み込ませていた店長は、商品棚から視線を切ることなく、作業を続けながら答える。

「おお、何も買わないで毎日立ち読みばかり。迷惑だよな。でも今の時代、名誉毀損だとか、なんちゃらハラスメントだとか煩いからな。放っておいた方が良いんじゃないか?」

「ハラスメントって……。被害受けてるのはこっちです。他のお客さんが来なくなっちゃいますよ。それに外で煙草吸ってる連中、あいつらも邪魔ですよ。第一、まだ未成年なんじゃ?」

「確証はないだろ? まあ、警察官が立ち寄ってくれるから、その時に注意してもらえばいいよ。とにかく揉め事は避けるように」

 我関せず、とばかりに店長はバックヤードに引っ込んでしまった。


 セダンタイプの青い外車が駐車場に入ったのは、七時三十分を少し回った頃だったと思う。相変わらず雑誌コーナーには中年親父が居座っていて、外の灰皿の周りでは例の連中が煙を吹かしていた。

 慌てた様子の彼らが一斉に煙草の火を踏み消したので、俺は「おや?」と首を傾げた。見えなかったが、パトカーがやって来たのだろうか。そう思った。

 奴らは直立不動の姿勢を取っている。その時初めて、灰皿の前に彼ら以外の男が立っていることに気付いた。

 スウェットの上下を着たその男は、悠然と煙を燻らせている。男が何かを言ったようだ。次の瞬間、奴らは自分たちの足元の吸い殻を拾うと、一人残らず立ち去った。

 男はゆっくりと火を消すと、吸い殻を灰皿に捨てて店内に入ってきた。

 ドアの横には色付きの目盛りがあり、入店時に客のおおよその身長を知ることができる。目算によると、その男の身長は百八十センチくらいだったが、もっと大きいと感じられた。腕や太腿は途轍もなく太い。まるでプロレスラーのようだった。けど、その男の職業は、生易しいものではないことは窺い知れた。

 角刈り頭のこめかみには大きな傷痕がある。ひいじいちゃんに見せられた、戦時中の傷痕によく似ている。ひいじいちゃんは突撃銃による負傷だと言っていた。左手の小指は第二関節から先がない。十中八九、ヤクザと呼ばれる人だろう。

 着ているスウェットにはロゴらしきものが刺繍で縫い付けてある。足元はサンダル履きだったが、知っているブランドのものだった。数万円はするはずだ。左手首に巻いている金ぴかの腕時計は、距離があるのではっきりとは分からないが、なんとなく高そうに思える。

 ヤクザ(仮)は雑誌コーナーに近づいた。中年親父は夢中で雑誌に集中している。見ているこっちはハラハラしていた。

「おっちゃん、トイレ行きたいんやけど、ちょっと通らしてくれるか?」

 声をかけられた中年親父は、最初ぼんやりとヤクザの顔を眺めていたが、胸ポケットから取り出した黒縁の眼鏡を掛けると、慌てふためいて雑誌をラックに戻し、そのまま出口に向かおうとした。

「おっちゃん、買わんでええの?」

 ヤクザが遮るようにそう言った。びくりと肩を震わせた親父は、しばらく無言で立ちすくんでいたが、「お?」とヤクザが声を発すると、折れ曲がった雑誌を手にしてレジまでやって来た。

 レジを担当した(店長が出て来ないので実質ワンオペだが)俺は、笑いをなんとか堪えながら接客した。

「四百円になります」

 声を震わせずに言えたのは奇跡かもしれない。中年親父は悔しそうな顔をして店を出て行った。

 トイレから出てきたヤクザの人は、買い物かごを両手に持つと、手当り次第に商品を入れていった。お茶にジュース、スナック菓子に酒のつまみ、惣菜におにぎり、売れたところを一度も見たことがない洋酒までもが売れた。

 最終的に、買い物かごは六つになった。加えて、煙草が四カートン。

「兄ちゃんごめんなあ、忙しくさせて」

 ヤクザの人が面目なさそうに言う。強面だが、悪い人ではなさそうだ。

「いえ、大丈夫ですよ」

「兄ちゃん一人け? 大変やな」

「はい……」

 そうなのだ、店長はバックヤードから出てくる気配がない。多分この状況に気付いているとは思うのだが、どうやらヤクザの人にびびって篭城を決め込んだらしい。

「すみません。お時間お取りして」

 なるべく早くレジを通そうとは思うが、量が量だ。他にお客さんがいないことが幸いかもしれない。

「ええよ、ええよ。どうせ事務所帰って時間潰すだけやから」

 声が穏やかだ。あの中年親父や、喫煙コーナーの常連とはえらく違う。

「兄ちゃん、大学生?」

 最後のかごに着手したあたりで、ヤクザさん(仮名)が訊いてきた。

「はい。◯◯大学に通っています」

「そうか、大変やなあ。昼勉強して、夜はこうやって働いて」

 なんだか面映い。大学は通うだけで、しっかり勉強しているとは言い難かった。


 ようやくレジ打ちが終わった。商品数は七十点近い。

「ありがとうございます。お会計、五万七千八百二十三円になります」

 長財布から諭吉を六枚取り出してヤクザさんは言った。

「ん。釣りは要らんわ。悪いけど、車まで一緒に運んでくれるか?」

「え、あ、はい」

 俺は曖昧に答えながら、持てるだけの袋を持って車まで運んだ。運ぶのが嫌だったわけじゃなく、お釣りを受け取ってもらえないのは少々困る。

「おおきになあ、兄ちゃん」

 ヤクザさんが運転席に乗り込み、エンジンをかけた。

「あの、お釣りです。二千百七十七円のお返しです」

 俺はお金を差し出したが、ヤクザさんは受け取ろうとしない。

「ええよ、取っとき」

「いや、レジのお金が合わないのも困るので……」

「兄ちゃんの小遣いにしたらええやんか」

「いや、でも……」

「悪いけどな、事務所で兄貴が待ってるんや。早いとこ帰らなあかんねん。兄ちゃん要らんのやったら、レジの前に募金箱あったやろ、あっこにでも入れといて」

 ヤクザさんは左手をひらひらさせながら、青い外車を発進させた。ゆっくりと車道に出たあとは、すぐに見えなくなった。

 店に戻った俺は、言われた通りお釣りを募金箱に入れてから業務に戻った。


 九時十五分前、二人の警官が店にやって来てこう訊ねた。

「今日、不審な男が店に来ませんでしたか?」

「常連なんですけど、立ち読みばかりするお客さんがいるんです。挙動も変で、こんな風に立ち読みして。体臭もすごくきつくて、今日なんか女のお客さんが帰っちゃいました」

 中年親父のものまねを交えながら、俺はいかに彼が不審かを力説した。警官たちは顔を見合わせて「他には?」と訊ねた。

「こっちも常連なんですけど、外で煙草を吸うグループがいるんです。確認はしてませんけど、多分高校生じゃないかと」

 警官はまたもや顔を見合わせる。

「ヤクザが来ませんでしたか?」

「ヤクザっぽい人なら来ましたけど、全然不審なところはありませんでした」

 俺は正直に答えた。

「その男は何をしましたか?」

「あの人が何かやったんですか? 普通に買い物をしただけですよ。というか、今日の夜シフトの売上げの半分がその人のおかげなんですけど。ものすごくいいお客さんでした」

 またもや顔を見合わせた警官が言う。

「何かやったというわけではありませんが、反社会勢力の人間なので」


 次のニュースです。◯×町のコンビニ店長と、大学生のアルバイト店員が逮捕されました。反社会勢力からの金銭的授与があったとして、警察で取り調べが行われております。

 また、コンビニが募金活動を行っている非営利団体にも同じく金銭的授与があったと警察は見ており……

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