離別

紗斗

第1話

 毎晩、変わらない夢を見る。

 最果ての見えない黒に染められた空間に存在するのは僕と一つの人影。人影は僕に正対し、一言だけ言葉を発する。

『ごめんなさい』

 聞き飽きた拒否の意味を有するそれを、もう何度聞いただろうか。

 その言葉に目を伏せると、誰かが僕に問いかける。


『このままでいいのか?』


 その問いに拒絶の返答ができぬまま、この夢は終わりを迎える。


「また、か」


 視界に映る木製の天井。カーテンの隙間から顔を照らす日の光。僅かに感じるカビの臭い。夢から自室へと戻ってきたことを確認し、怠い体を起こす。

 今日もまた、僕の世界は循環する。

 部屋を後にして朝食を摂る。終えればパソコンでゲームをする。本来ならば大学に行かなければいけない時間だが、もう半年は通学していない。眠気に襲われたら昼寝し、目が覚めたら大抵は夕食の時間。その後、風呂に入って歯を磨いて……一通りの就寝する準備を終え、ベッドへと寝転がる。

 そんな一日の最後に、変わらない夢を見る。


『このままでいいのか?』


 聞き慣れた声に目を開く。見渡す限り真っ黒の空間に「またか」と呟き、立ち上がったと同時に、ある異変に気づく。

 真っ先に見かけるはずの人影が見当たらない。今までこんなことは一度も無かった。


『やり直したくないか?』


 現状、僕は堕落している。人との関わりを絶ち、社会から身を隠した。なんら幸せの無い輪の中を、ずっと走っている。

 全ての元凶はある一つの出来事が関係している。もし前のように戻れるのなら、僕は喜んでその道を辿ろう。


「やり直したいよ」


 瞬間、人影が目の前に現れた。

 心臓がどくんと波を打つ。それでも、やり直したい気持ちは変わらなかった。

 僕は本当の意味で影に正対した。

 影が色を取り戻していく。

 汚れを知らない雪のように透き通る白肌に、対照的な黒髪は艶やかだ。気品を感じさせる長い睫毛に伏せ目がちな表情は凛として美しい。白いフリルのワンピースは君によく似合っていて、何度胸を打たれただろうか。

 一分間で七十回の脈を打つ僕の心臓は、君といると百十回の愛しているを叫ぶ。君が凛とした表情を、僕だけの前で崩してくれたのなら、僕はどれだけ幸せだっただろうか。

 ある日、君に声をかけた。挨拶するようになり、連絡をとるようになった。二人で出掛けたりもした。空に打ち上げられた火の花を見て、「キレイだね」と笑い合った。

 そして、君に愛を伝えた。君はただ一言「ごめんなさい」と口にした。君を愛した僕が悪いわけじゃない。僕を愛せなかった君が悪いわけでもない。それでも、僕が壊れてしまうには十分で。

 頭痛が、寒気が、吐き気が身を襲う。彼女の目を見れなくなって、倒れてしまいそうになったその時だった。


「……ッ」


 僕は倒れなかった。振り返ると、大学で仲の良かった友人が僕を支えている。誰かが僕の手を肩に回した。次々と誰かが僕を支え始める。

 成人したら一緒に酒を飲もうと約束した友人。共に青春を築いた友達。僕を応援し続けてくれた両親。他にも大勢の人々が僕を見ている。

 呆気に取られていると体が離された。僕を支えてくれている皆が笑顔のまま、僕の背中を押す。

 彼女と正対する。頭痛も寒気も吐き気も、まだ残っているけれど。今、君に伝えたいことを伝えないと。

 僕は口を開く。


「これから、前を向いて歩くから。だから、君にも背中を押して欲しい」


 それと、もう一つ。


「僕に愛を教えてくれてありがとう」


 伝えたいことは、もう無い。夢は、終わりを迎える。


視界に映る木製の天井。カーテンの隙間から顔を照らす日の光。僅かに感じるカビの臭い。体を起こし、制服を手にとって部屋の扉を開ける。

 足を一歩踏み出した瞬間、僕の背中を、誰かが押してくれたような気がした。

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離別 紗斗 @ichiru_s_

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