日本語で言えばいいじゃないの

snowdrop

不可抗力

「ねぇ、橘。クイズやらない?」


 休み時間、隣の席の樋口に声をかけられた。

 彼女は退屈になると、授業中でも構わずちょっかいを掛けてくる。

 からかわれるのは好きではないけど、悪意がないだけ好感がもてた。


「いいよ、どんなクイズ?」

「日本語で言えばいいのにクイズかな」


 彼女は、えへっ、と可愛らしく笑ってみせた。


「英単語の意味あて?」

「ちょっと似てる。カタカナ語ってあるじゃない?」

「あるね。レガシーとかコミットとか」

「それ。レガシーなんて、初めて聞いたときは車と思っちゃった。遺産だよね」


 彼女のいうクイズがどういったものか、察しがついた。


「どこかの都知事もカタカナ語使って話してるから、何がいいたいのかサッパリわからないって、うちのお婆ちゃんが言ってた」

「でしょでしょ」


 嬉しそうな笑顔を樋口は向けてきた。


「長年英語を習ったにもかかわらず、使いきれてない人はたくさんいる。そんな大多数の劣等感を慰めるべく、カタカナ語が世に溢れてるんじゃないかな」

「カタカナ語を使うとちょっとは英語がわかった気になる、みたいな。なるほどね」


 うんうん、と、樋口は相槌を打ってくれた。


「きっと意味のわかってない人はたくさんいる」

「いるだろうね」


 思わずうなずいてしまう。

 大人は強がって見栄を張る生き物だ。

 子供には嘘を付くなと教え、大人になると世渡りのためと、平気な顔で嘘をつく。


「カタカナ語を使う発言者の意図は、聞き手に正しく伝わっているのか疑問に思ったの。だから橘で確かめようと思ったわけ」

「ぼくは世間一般代表に選ばれてたのか」

「そういうこと。名誉でしょ」


 名誉か?

 頬杖ついてみせる。


「樋口さんと同い年で、まだ大人じゃないけど」

「細かいことはいいじゃない。それとも自信ない? そういえばこの前の英語の点数、悪かったもんね」

「み、見たの?」


 見られないように気をつけていたのに。


「ううん。適当に言ってみただけ」

 樋口は、いししし、と笑った。


 し、しまったー。

 慌てて口元を手で覆う。


「やっぱり、悪かったんだ」

「……たまたまだよ。いつもはあんなにひどくない」

「そうなんだ。じゃあ、わたしのクイズにも答えられるんじゃないかな。橘は英語、得意なんでしょ?」

「と、得意だよっ」


 ……勢いで言ってしまった。

 得意といえる点数を取ったことがない。

 でもカタカナ語だし、なんとかなるはずだ。


「五問用意してきたから、三問正解で橘の勝ち。それ以下ならジュースおごってね」

「わかった」


 腕組みをして余裕ぶると、彼女はメモ帳を片手に問題文を読み上げた。


「問題。ITやマーケティングの分野で商品やサービスなどを利用したり購入したりする人を指す、『使用者』や『消費者』を意味するカタカナ語はなんでしょうか」

「ユーザー」


 ふふん、と得意げに胸を張る。


「正解。よくわかったね、橘」

「まあね、このくらいは簡単さ」


 どんなカタカナ語が出てくるのかヒヤヒヤしたけれど、この程度なら答えられる。

 あと二問なんて楽勝だ。

 なんのジュースを奢ってもらおうかな。


「問題。『宙ぶらりんの』、『ぶら下がる』の英語に由来し、すぐに結論が出せない事があったり計画通りに進行できなくなったりしたときに使われる、『保留』や『先送り』の意味のカタカナ語はなんでしょうか」


 ぶら下がるは、確かハング……だったかな。

 保留ならホールド?

 なんだろう。


「んー、宙ぶらり……ちゅうぶら……」

「橘ってやらしい」

「え?」

「いま、チューブラっていったでしょ。ショルダーストラップのないブラジャーのことをチューブトップブラジャー、チューブラっていうんだよ」

「ち、違うよ」


 思わず大きな声が出てしまう。


「宙ぶらりって呟いてただけで、ブラジャーなんて言ってないよ」

「あ、いま言った」

「不可抗力だってば」


 慌てて否定すると、樋口は彼女自身の唇に人差し指を押し立てた。


「あんまり大声あげると、みんなに注目されるよ」


 指摘されて周りに目を向けた。

 休み時間とはいえ、教室内にはクラスメイトたちがいる。

 このままだと勘違いされてしまう。

 注目されないよう頭を抱えて机に突っ伏した。


「それで、答えは?」


 樋口が耳元で囁いてくる。

 彼女の息がそっと耳に触れ、背中がぞくっとした。


「変なことしないで。答えはわからない」


 顔を向けると、楽しげに笑う樋口の顔が見えた。


「正解はペンディング」

「ぺ……ディングっていうんだ、へえ」

「やっぱり、橘ってやらしい」

「え?」

「だってペッティングっていったじゃない」

「い、言ってないってば」


 顔を上げ、下唇を噛んで首を横に振った。

 大きな声はあげられない。


「橘って、そういうことが得意なの?」


 樋口は頬杖ついて聞いてくる。

 どことなく頬を膨らませてみえた。


「ちがうよ。樋口さんの聞き間違いだって。次は正解するから」


 じっと、彼女の目を見た。

 視線をそらされるも、小さくうなずいている。


「問題。やる気に溢れてる人や意欲のない人を示すときに使われる『行動を起こす直接の原因』や『動機づけ』、『やる気』という意味のカタカナ語はなんでしょうか」

「モチベーション」


 考える前に答えが浮かんだ。


「正解」


 ふふふふ、どうだ。

 嬉しくて顔が緩んでしまう。


「橘ってすごいね。本当に正解するなんて」


 感心する樋口の声がこそばゆい。


「名誉挽回。これからは『有言実行の橘』と呼んでくれ」


 調子づいて余計なことを口走ってしまった。

 樋口の目が細くなる。


「問題。もともとはIT業界で使っていたもので、『埋め込む』や『直列に並べる』という意味の英語が他業界に広まり、今ではメール返信する際に相手の文章を引用して、応答文を挟んでいくような書式を指すカタカナ語はなんでしょうか」


 顎に手を当てた右腕を左手で抱えながら考えてみる。

 埋め込む……直列に並べる……。

 

「インラインだ。三問正解、ぼくの勝ちだ」


 彼女の顔を見ると、眉をひそめている。


「真面目にやってよね。橘って、本当にやらしいんだから」

「は?」

「女の子に淫乱だなんて」

「……いや、だから、答えを言っただけで、樋口さんのことをそんなふうに言ってないから」

「そんなふうって?」

「いんら……」

 

 チャイムが鳴る中、樋口は頬杖つきながら糸のように目を細めて笑っていた。

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