その扉の向こう側には

メラミ

その扉の向こう側…

 あるところに一両の列車が道を走っていた。

 車窓からは青空が地平線の彼方に広がっており、ただ列車はガタンゴトンと音を響かせている。列車が走るこの道は、どこまで続いているのだろうか。

 列車が走るスピードに合わせて、数羽の鳥が羽ばたいていた。

 一人しかその列車には乗っていなかった。

 殺風景な駅のホームに、列車が停まった。

(不思議な日がやってくるなんて……思ってもいなかった……)

 彼は座席の上に横たわっていた。列車が停まったことに気づいて瞼を開けると――、

「君はこれからどこへ?」

 誰ひとり乗っていないこの車両に、知らない人の声が聞こえてきた。

 その男は隣に腰掛け、少年に声を掛けてきた。

「……」

 少年は上体を起こし、むっとした表情を浮かべた。

 列車は再び動き始めた。男が声を掛けてから暫くの間、無口な状態が続いた。

「えっと……君の名前を聞く前に、自分から名乗らなければね……私の名前は……」

 この列車は次の駅まで十時間かかるそうだ。

 止まらずにガタンゴトンと音をたてている。

「――――――――と言います」

 トンネルを調度通り掛かるところだった。

「……誰だよ」

 少年は聞こうとして口を開いた。

 聞こえなかったもどかしさが顔には出ず、決して笑わなかった。

「……あぁ……聞こえませんでしたか」

 男は残念そうに嘆いた。少し落ち込んだ様子で、再び自分の名前を言った。

「私の名前はフェルマと言います。あなたはこの列車に乗ってどこへ?」

 フェルマと名乗った白いコートを着た男は積極的に話しかける。

「……住んでいる」

 少年は、はっきり言った。

「はい?」

 フェルマはもう一度尋ねる。聞き逃したふりをして少年のそばに寄り添う。

「だ……、住んでいる。どこへ行くとか、そんなことは無いんです。わかるはず無いですよあなたには」

 少年はつまんなそうに返事をし、俯いた。

「……はぁ、その通り……ですね」

 少年は両手をトレーナーのポケットに入れ、深くため息をつく。

 隣に座っている男は、少年の言っていることを理解出来ずにいた。

「そうそう、君の名前は?」

 尋ねられた少年はふっと素早く顔をあげた。

心待うらまちだったような……こころにまつって漢字なんだ……」

 向かい合わせの誰も座っていない席の窓を見て返事をした。

「変わった名前だね。初めて聞く。私はフェルマというんですよ。変わってるでしょ?」

「そんなこと、お互い様ですよね……はは」

 彼は薄ら笑いをしながら、男に相槌をした。

「うーん…てことは、変なんだな……お互い」

 彼がぎこちなく笑うのに合わせて男は深く頷いてみせた。

「元気、……少しもらえたかも」

 変わった人だと少し思いながら彼は呟いた。

「それはよかったことだ……心待うらまち君」

(名前を尋ねてきた人に会ったのは初めてだ……った)

 彼は列車の音に耳を澄ませながら、フェルマに話しかけた。

「あ、あの……」

「なんだい?」

「……列車、次の駅まであと一時間……じゃなくてその……目的がありますでしょ!乗ったからには……!」

 心待と名乗った少年は真剣にフェルマに聞いた。言葉に焦りが滲み出ていた。

 この列車の向かう先は、彼には聞かなくてもわかっていた。

 フェルマは、不意に少年の眼差しに心を打たれそうになった。

 なぜ彼が、言葉を詰まらせながら自分に声をかけてくれたのだろうか……と、暫く頭の中で考えた。考えた上で、目を瞑りながら少年に返事をする。

「目的ですか……。無くなりました……」

「え……。それで僕に声をかけてくれたのですね」

 フェルマの返事に心待は残念そうな面持ちで言葉を返した。

「うーん……この列車はなんか不思議な気分になれるんですよね……。……はぁ」

 フェルマはため息をついた。彼は心のどこかで、自分の目的を作ってくれる人はいないだろうかと思っていた。そして彼がこの列車に乗ったのは、きっと彼に会う為だったのかもしれないと……。

 列車の目的地は無い。永遠に続く線路の上を走っていくだけの、乗り物。

 男は目的もなくこの列車に乗り込み、次に降りた地で命を絶とうとしていた。

「また、乗って出かけて、ここへ座りに来て、元気出してください」

 心待はフェルマの横顔をちらりと見て言った。

「そういう君こそ、ここにばっかり居ないで一歩駅まで――……?」

 フェルマは向かいの窓を見上げると、再び心待の横顔を見る。

 つむいでいた言葉が途切れた。向かいの窓に、心待の姿は見当たらなかった。

「不思議な列車でしょ……」

 フェルマのちょっと拍子抜けした顔を眺めながら、彼はにやりとする。

「あぁうん……。本当にいい空気が流れてそうだよ。君の名前が聞けてよかった」

「フェルマさん……こちらこそ、ありがとう。」

(……元気かな?)

「フェルマさん、俺は出られないんだ……怖くて……」

 列車の扉の向こう側には、何が待っているのだろう。

 少年はフェルマの横顔を伺いながら呟いた。

「あぁ……うん。きっとそうさ」

 フェルマはそう言って立ち上がった。

 フェルマが最後に会った少年の姿は、この列車に取り付いていた亡霊だった。

「……わかるんですか?俺の言ってること」

 心待の言葉にフェルマは静かにゆっくり頷いた。

「隣に座れて良かった。ありがとう」

 そう言って、フェルマは白いコートを脱ぎ始めた。

 座り込む心待を見下ろしながら最後にこう言った。

「夜は寒いから、これでも羽織ってください……」

「……え、それ、貴方が持っていた物なのに……。俺……なにも無いんだ。ごめんなさい」

「こういう時は、ありがとうですよ、……お互い」

 男は何か言いたいことがありそうだったが、口にはしなかった。

「あ、目的見つかりました。君に会えて」

「……?」

 フェルマが言ったと同時に列車は止まった。

 扉が開き始める。フェルマは白いコートを自分の座っていた席の上に置いた。

 そして、列車を降りた。

 心待はフェルマが置いていった白いコートを広げ、上から羽織った。

「……。寒い……」

 そして小声で呟いた。自分ではわかっていたはずなのに、この扉の向こう側へ一歩出たらどうなるのか……。

(また一人になった。独りになった。)

「……ここにいる目的も、無くて、いいんだ……本当は……かな……」

 列車の戸が閉まった。心待は列車の汽笛の音を聞きながら、無口になっていた。

(あの人は変じゃない気がする……)

 心待は列車の中で、ぼうっと今日出会った人のことを考えてみた。

(あの人は僕に会うまでは死のうとしていたに違い無い…)

 なぜ白いコートを譲り渡したのだろうか……。

 そんなことを思いながら、彼はコートを身に付ける。

(明日はどんな人がこの列車に乗ってくるのだろうか……)

(誰にもわからないんだ…)

 ただぼんやりとしている彼の瞳は透き通っていて、白いコートがよく似合っていた。またそれにくるまり、横たわる。窓に目をると、外はもう夜だった。

「あぁ……目的がないからか……」

(フェルマさんにはもう会えないんだ……たぶん)

「まさかねぇ……(偶然を生んだんだ)」

 心待はそう言うと、起き上がり窓を開けた。

 風がすうっと列車の中に吸い込まれるように入り込んでくる。

 心待は、だんだん遠ざかっていくような星を、眺めていた。ただただぼんやりと。


 扉の向こう側から、この列車に乗り込んでくる人々に少年は問いただす。

「一歩踏み出す前に、僕は扉の向こう側に行くべきだろうか」

「その扉の向こう側にはどんな景色が広がっているのか教えて欲しい…」

 と、少年は次の駅で、この列車に乗ってくる人に尋ねようと思った。

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その扉の向こう側には メラミ @nyk-norose-nolife

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