流せても、消せない

写真

似合うなあと思った、ぼんやりと。この人には真っ白なそのドレスが、とても似合うな、と、わかり切ったことをぼんやりと、出された酒を呑みながら思った。

華やかに飾られた会場で、整った容姿の新郎の隣で、真っ白なドレスに身を包んで、もともと綺麗な上に美しい化粧を施した顔で、大学の時から変わらない表情で微笑むことが、この人、春田愛梨には似合う。

それが本物の結婚式でさえなければ、もっと似合うだろうと、出された料理をつまみながら思う。

大学の時みたいに、ウェディングドレスのカタログのモデルで、僕が撮ってりゃもっともっと似合う。と、思う。

僕は残念なことに、五年前、大学時代に春田さんを好きになった。そして更に残念なことに、春田さんは誰のことも好きじゃなかった。さらにさらに残念なことに、そんなところまで僕は好きなのだ。もっと残念なのは、情けないけれど、今も。


春田さんはこんな田舎の大学のミスコンじゃ圧勝しちゃうくらいには美人だった。呉服店の娘で、自分の家のチラシのモデルをしていたところから、少しずつ、美容室なんかのカタログのモデルをしていた。その一つの、大学のPR用の撮影で、僕はカメラマンとして初めて彼女に出会った。

彼女は礼儀が良くて、しかし程よく口調が砕けていて、愛想が良くて、ああこれが学園のアイドルと言うやつか、と思った。

そんなに本気の撮影じゃない。前年度のパンフレットを真似るだけ。

よろしくお願いしまぁすと言ってバックスクリーンの前に立った彼女にヘコっとお辞儀し、僕はカメラを構えた。

なんか、楽しそう、というか満足そう、だな。彼女を見ながら僕はそう思った。

「撮影、楽しいですか」

無言で撮られると怖い、と前に写真部の同級に言われたことを思い出して尋ねてみた。

そうすると、彼女は一瞬たじろいだ、気がした。だがすぐに尋ね返された。

「んー、どうかしら。君は、どう?」

シャッターを切りながら、話し方があざといなと思った。

「今は、比較的、楽しいです」

「真顔でそんなこと言われてもね」

彼女はふふっと笑った。少しドキッとした。

「今の、パンフレットには使えないけどいいですね。素敵です。」

「それすら表情変えずに言うのね。でもありがとう」

この時の写真を、僕は未だに持っている。


その撮影は当たり障りなく、程よく可愛らしく撮れた写真で決まり、すぐに終わった。

でも僕にとっては、その写真以上のものが、他に沢山撮れていた。なんて最高の被写体なんだろう。今まで撮ってきた中で一番綺麗なだけじゃない。僕はどこか絶望感を感じる美しさを彼女の写真に感じた。もっと見たいけど怖いような、危うさのような艶があった。

春田さんをもっと撮りたいとは、もちろん思った。でも、学園のアイドルとまた会うなんてこと、ないだろうな。

僕はしばらく、時々春田さんの写真を眺めていたが、それがストーカーのようで気持ち悪いと思い、数日でやめた。彼女の写真とは雑多な写真を入れたアルバムに入れ、引き出しの奥にしまった。写真データも同じように、適当なファイルに入れて見ないことにした。


一ヶ月後のことだった。写真サークルの部室で一人、僕は作業をしていた。ヘッドホンでロックを流しながら画像加工をしていたところだった。肩に何かが触れて、後ろを振り返ると、春田さんがいた。

「な、んですか」

びっくりして噛んだ。

「ノックもしたし声もかけたけど、気づかないから。」

にっこりと笑って彼女は言う。

「はぁ。」

「遥太くんにおねがいがあるんだけど、いいかな?」

あざとい口調だった。


彼女の『おねがい』というのは、入院してしまった父親の代わりに、彼女の家の呉服店のポスター用の写真を撮って欲しいというものだった。

「それに遥太くんの撮った私、お父さんが撮るより綺麗なんだもの。」

と、彼女は言った。本当かどうか分からないけれど、とにかくまた春田さんを撮れるのは嬉しかった。

当日、呉服店の二階の自宅に作られた簡単な撮影スペースで撮影をした。桃色の着物の彼女はよりいっそう美しかった。これはいけない、と僕は思った。彼女が勝ってしまうのだ。着物より。

「着物も、綺麗なんですけどね」

僕がそうぽつりと呟くと、彼女は満足げに笑った。

「これ、私のお気に入りなのよ」

『も』の部分を聞き取れなかったのか、もしくは違う意味なのか、僕には判断がつかなかったけれど、可愛いなと思った。

撮った写真をチェックしていると、後ろから彼女が言った。

「遥太くんって、私に興味無いのかと思ってたわ」

思ってた、ね。過去形。この人は人の目が、その意味が見えている。

「春田さんは、撮影以外でもずっとカメラを向けられているみたいですよね」

それがなんとなく僕にとっての春田さんの全てだった。

「君には一番言われたくなかったかもな」

春田さんはそう言いながらも、笑顔を崩さなかった。


その日帰って写真を見ながら、これが本当に最後なんだろうなと思った。笑ってはいたけど、触れてはいけなかったところなんだろうな。

春田さんの満足げな顔を、ポスターには使わないのに、レタッチを施した。編集は夜中までかかって、そのまま寝落ちした。


それから、僕は春田さんの専属カメラマンみたいになった。彼女の家の呉服屋のポスターは毎回僕が撮るようになった。外部の仕事でも、たまに僕の写真が使われるようになった。

桜の季節、学園祭、お祭りなんかでも彼女の写真を撮った。どれも美しかった。

僕が春田さんを撮り始めてから春田さんが卒業するまで、彼女は2人と付き合って、別れた。1人はミスターコンで準グランプリだった男で、もう1人は年上の背の高い社会人だった。

準グランプリのほうは、桜の下で彼女とのツーショットを撮った。彼が「あいり」と口にするたび、僕は鳥肌が立って、上手く集中出来なかったのをおぼえているあ。僕が彼女を撮ったなかで唯一その写真だけ、もうデータを持っていなかった。


卒業して、彼女は広告代理店に就職した。上手くいかないと連絡をしてきたこともあったが、人とメッセージをやりとりした経験の少ない僕は、その貴重な機会をドブに捨てるような返信しか出来なかった。どうやら酒を飲むようになったらしいということだけが分かった。

それでも僕にとって彼女は美しさの象徴みたいに、最初で最後の青春の塊みたいにして残っていた。


そして4年経って、僕も春田さんのところより小さな広告代理店に就職し、たまに昔の写真を見ながら働いていた。春田さんの記憶は美しいまま、でも少しずつ薄れていた。

そんなとき、彼女から、結婚式の招待状が届いた。


5、60人くらいの規模の式だった。

真っ白なドレスで、僕が知っている春田さんの彼氏でない人と一緒に登場した彼女は、綺麗だった。でも僕が撮ったら、もっと綺麗だろうとも思った。

大学時代の彼女の友達と一緒のテーブルで、僕は見事に浮いていた。

挨拶や余興などが一通り終わって、春田さんはお色直しをしてウェディングドレスよりは少し身軽な宝石みたいなピンクのドレスに着替えて、友人や親戚に挨拶しに回っていた。


やがて僕のいるテーブルに来て、他の友人たちに声をかけたあと、僕に声をかけた。僕はなんとなくその他の人たちに聞かれたくなくて立ち上がった。

「来てくれてありがとう」

あの頃より大人びた口調に聞こえた。

「僕なんかを呼んで良かったんですか。」

「大学時代の専属カメラマン様よ。当たり前じゃない」

ふふ、っと春田さんは笑った。

「旦那さん、どんな人ですか」

イケメンではないが清潔感ある、笑い方の優しいあの男は、どうして選ばれたのか気になった。

「今までで一番、いい人よ。」

いい人、という響きに、春田さんを感じた。

「良かったですね。好きな人と一緒になれたなら。」

苦しかったからあえて言い換えた。彼女のいつものずるい響きを壊してみたかった。

「でもね、わたし言わなかったけれど」

彼女はいたずらっぽく笑って、初めて撮った時のベストショットと変わらない顔で言った。

「あのころ、きみがすきだったのよ。」


あのころ、あの頃。

僕が春田さんを撮り始めてから、春田さんが卒業するまで。

彼女には彼氏がいて、別れて、また新しい彼氏が出来て、別れた。

そんなわけがないじゃないか。

彼女の元彼氏2人にも、もちろん今のいい人にも、誰にもかなわない僕が彼女に好かれるなんてこと、あるわけない。


彼女はきっとわかっている。

僕がそれを嘘だと見抜くことを分かっている。

でも同時に知っている。

それを言われて僕が嬉しくないはずがないことを。

そして、そうすることで僕が、彼女の美しさを忘れられなくなることを。

「言わなくて、今があるなら、正解ですね」

僕はなるべく、笑って言った。


全プログラムが終わったところで、僕は一番に会場を出た。携帯の連絡帳から春田さんを消した。駅は歩くには少し遠かったけれど、タクシーにも乗らずふらふらと歩いた。


春田さんはあの頃から、なにも変わっていなかった。

それが僕にはきっと、人生で一番悲しいことだった。

「僕なわけ、ねえんだよ」

そう呟いたら、涙が出てきた。

どうせ彼女の好きな人は彼女だ。誰でもない春田さんのままなのだ。

ふらふら歩いて、泣きながら、気持ち悪くなってトイレに入った。便器に結婚式で取り入れた全てを吐き出した。


家に着いてジャケットを脱ぎ捨ててうがいをして、風呂に入った。

上がってパソコンをつけて、春田さんの写真のファイルを開いた。今日の彼女より少し幼い顔の彼女を、消そうとして、消しきれずに、あの頃みたいにディスプレイに映したまま寝た。

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