君の無垢な白い花

日崎アユム/丹羽夏子

君の無垢な白い花

 僕の生まれ育った村の春のお祭りでは、結婚式をする。


 といっても、本物の結婚式ではない。年頃の男女が永遠の愛を誓う儀式の方は特に春限定というわけではなく、当人たちとその家族の都合のいい時にやる。比較的好まれるのは気候のいい六月だ。


 春祭りの結婚式の主役は年少の男の子と女の子で、だいたい六歳から八歳くらいのこどもの中から選ばれる。村のおとなたちが話し合って決めるものであり、本人たちの意思は関係ない。


 本当に結婚するわけではない。お祭りが終わればその日のうちに解消される夫婦だ。あくまでお祭りで、春を祝う儀式の一環で、これから農作業を始めるにあたって豊穣を願うものだった。


 この形式的な結婚式は、こどもたちにとっては、おままごとの延長線上にある。


 女の子たちは花嫁衣装に憧れて好意的に考えているようだ。


 けれど当時八歳だった僕は、花婿に選ばれた時、とても恥ずかしかった。

 もうおままごとをする年齢ではなかったし、十歳年上の従兄が本物の結婚をして何となく結婚というものがどんなものか分かり始めていた頃だった。だから、形だけ、お祭りの日だけ、といっても、なんだかもやもやした。

 でも両親は名誉なことだからと言って僕の拒否を無視した。


 僕はむすっとした顔で当日を迎えた。レーダーホーゼンという革製の半ズボンをはかされて、不機嫌な態度で結婚式に臨んだ。


 僕のお相手はひとつ年下の女の子だった。村の貴族の家に奉公している農民の娘だ。主人である貴族の当主がいい人で、彼女に自分の娘と同じ教育を施していたので、彼女もお姫様のように暮らしていた。顔も可愛かった。


 読み書きのできる、賢くて、歌のうまい、長い金髪の、妖精のような美少女――

 僕の両親は本当にお嫁さんに来てほしいと言って笑っていた。僕は余計に恥ずかしかった。


 正直に白状すると、本当は、僕も嬉しかったんだ。

 こんなに可愛い子が、形だけとはいえ、僕のお嫁さんになる――両親の言うとおり本当にお嫁さんに来てくれたらと幼心に思った。

 だからこそ恥ずかしかったんだなあ。

 八歳だったけど、僕は愛だの恋だのをぼんやり分かり始めていて、それを周りの人たちに悟られたくなかったんだ。


 当の彼女は面白くなさそうだった。僕が不機嫌そうな態度を取っていたからだ。彼女からしたら晴れの舞台、特別な刺繍の入った前掛け付きのスカート・ディアンドルを着せられ、頭に白い花を挿した花冠をのせられて、この上なく可愛くしてきたのに、照れた僕が彼女と目を合わせようとしなかったから、気位の高い彼女は、なんて失礼な人、なんてつまらない人、と怒ったのである。



 ところで、春祭りの日、村の女性たちは皆頭に花冠をのせる。花嫁役の少女だけではなく、おとなもこどもも皆そうする。


 八歳当時の僕は知らなかったけど、この花は色に意味がある。白い花は未婚の娘、色のついた花は既婚女性の証だ。白い色は無垢な乙女を象徴していて、結婚して一度散った花は今度夫の色に染まった花に生まれ変わる。



 そういうわけで、今年の春祭り、つまり今日、僕はあの時の彼女が何色の花冠をのせているか気になっておどおどしていた。


 彼女はすっかり年頃の娘になっていた。

 緩く波打つ金髪は背中を覆うほど長く伸ばされていてつややかに輝いていた。長い手足はすらりとしている。膝下の丈のディアンドルには彼女自身の手の刺繍が施されていて遠目にも見事だ。ディアンドルのボディスというコルセット状の服に包まれた華奢な腰、豊かな胸! 何よりほんのり紅色の滑らかな頬に長い睫毛で彩られた碧の目――美しいことといったらこの上ない。


 同じくらいの年頃の娘たちに囲まれて、明るい声でからからと笑っている。


 男たちに少し強気な発言をするので、村の他の娘たちは彼女を自分たちの保護者のように思って尊敬しているらしい。男からすると生意気だと言う奴もいるけどそいつは分かっていない。そういうのも彼女の魅力だ。彼女の尻に敷かれて生きる人生は楽しそうだと思う。


 でも僕はどこの貴族の家にも属さぬ農民の中でも身分の低い家の長男で、年寄りの親の世話もしないといけない。当然婿には行けない。何より、僕は友達や家族からどんくさいお人好しだと呼ばれるような人間で、彼女のように勝ち気で美しい女性を他の男から奪い取る度胸はなかった。


 彼女は今年も白い花を飾った冠をかぶっている。白い花を――つまり彼女はまだ独身で、無垢な処女なのだ。


 僕はそれを眺めてほっとしているだけの弱虫であり、彼女から挨拶してくれるのを待つ意気地なしであり、十年前の形ばかりの結婚式を引きずっている情けない男である。


 こんなことならあの時もっと夫らしく振る舞うんだった――八歳と七歳で何を言っているんだかという話だけど。


 ややして、彼女が僕に気づいた。木陰でぼんやり彼女を眺めていた僕を見て、こちらに歩み寄ってきた。


「御機嫌よう。お加減いかが?」


 僕は目を逸らしながら「悪くないよ」と答えた。彼女の強気な笑顔が眩しくて見ていられないのだ。


「今年はお祭りのために鹿を狩ってきたそうね。あなたもやればできるのね。おいしい肉団子スープになったわ」

「そう、よかった。僕には狩りくらいしか取り柄がないから……」


 彼女が僕の隣に立つ。そして自分の頭の上にある白い花に触れる。


 しばらく無言だった。

 彼女に話し掛けてもらわないと僕からの話題はなかった。

 訊きたいことはたくさんあった――今度はいつ会える? 僕から話し掛けてもいい? 十年前の結婚式のことは憶えている? 本物の結婚式はいつ誰とするんだい? 僕の知らない男? 領主さまのご子息が君を気に入っていると聞いたよ、君は農民の娘だけど、美人で教養があるからね――情けないことに僕は心に浮かぶそういうことを何ひとつ口に出せないのだ。


 彼女が口を開いた。


「わたし、このお祭り、嫌いだわ」


 僕は盗み見るように彼女の顔を見た。彼女はまっすぐ前を向いていて僕の顔を見てはいなかった。整った横顔だけが見える。その表情は何を意味しているんだろう?


 白い花を、指先でいじっている。


「恥ずかしい。女ばっかり結婚したかしていないか見分けられるようにこんなものをかぶせられている。ひどいわ。あんまりじゃない。白い花をつけていたら、その子は、まだ、ということが分かるのよ。男はそんなこと説明しなくていいのに!」


 言われてみて気づいた。僕はそれを当たり前のことだと思っていて何も考えていなかった。むしろ――口が裂けても彼女には言えないけど――そういう風習をありがたく思っていた。毎年彼女の花の色を気にしていただなんてとてもではないが言えなかった。


 彼女は今年も白い花をつけている。


 それだけを頼りに生きている僕は、恥ずかしい男なのだ。


「――あなたは?」


 気がつくと、彼女が上目遣いで僕を見ていた。


「何が?」

「あなたは、今も独身なの?」

「そうだよ」


 小声で「僕なんかに嫁に来てくれる女の子なんていないよ」と付け足す。


「そういうあてもないの? まったく何の話題も出ないのかしら」

「今のところは。母さんはお見合いのつてを探しているみたいだけど。そろそろ孫の顔が見たいって。僕は長男だから、そういうことも考えなきゃ」


 もごもごと口ごもりながら答える僕。「あらそう」と言ってつんと上を向く彼女。


「可愛いお嫁さんが来てくれるといいわね。あなたに合った、おとなしくて素直で優しい女の子がいいわ」


 僕はとても傷ついた。こんなに彼女を愛しているのに何ひとつ伝わっていないのだと思い知らされたからだ。それに遠回しに自分はお前とは合わないと言われているようで悲しい。あと、何より――


「そんなことないよ」


 勇気を振り絞って言った。


「僕は、はっきりものを言ってくれる君が素敵だと思うよ。それから、君は、根は優しい、とてもいい子だ、って。僕は思うから」


 だからしっかりした強い男のところに嫁ぐといい。僕は遠くから君の幸せを祈っているよ。


 そう思ったのに、


「……でも。あなたは十年前のあの日、楽しくなさそうだったわ」


 彼女が十年前のことを持ち出したので、僕は驚いた。


「わたしとの結婚式だったのに。面白くなさそうだったわ」

「違うよ、あれは、恥ずかしくて。照れてしまって――」

「本当に?」


 ふたたび、彼女が上目遣いで僕を見る。その頬が赤く染まっている。


「わたしが可愛くない女の子だったから、気に入らなかったんじゃなくて?」

「まさか! 僕は――」


 彼女から目を逸らして、レーダーホーゼンで手の平の汗を拭った。


「僕は、あの時はまだ、こどもだったから。どう振る舞ったらいいのか、分からなくて。君は可愛くて……、本当に素敵で、だから、目を合わせられなくて。最近はずっと、もう一度、ちゃんと、結婚式をやり直せたら、って。思っているよ」


 顔から火が出そうだ。


 いまさらこんなことを言っても何にもならないのに――

 と思ったところで、手に、冷たくて滑らかな感触が触れた。

 彼女の華奢な手が、僕の手を、握っていた。


「本当の、本当に?」


 彼女もまた、顔を真っ赤にして、碧の瞳を少し潤ませて、うつむいていた。いつも強気な彼女からは想像できなかった様子だった。


「わたし、あなたの目から見て、可愛いかしら。今から本物の結婚式をしてもいいと思えるような女の子かしら」

「もちろんだよ! ただ、僕は、本当に、その、情けない奴だから――」

「わたし……、わたしね」


 彼女の指に、力がこもった。


「あなたのためだったら、冠の花の色が変わってもいいわ」






 それから三ヶ月後の六月、僕たちは本物の結婚式を挙げた。




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