バイ・マイ・サイ

星永静流@ホシ

バイマイサイ

 バイ・マイ・サイ


「好き」

 この言葉だけで、ぼくらは満たされる。

 キスやハグ、もしくは頭を撫でることでぼくは――きっとぼくらは――こころの凹んでいるところを埋め合わせる。

 愛情は濡れたタオルに似ている。抱きしめあうと、ひとつ、またひとつ。愛情という名の潤いを一滴ずつ落とす。

 それを掬いあげようとすると両の手で受け止めようとするけれど、それは少し黄ばんだ肌からあっさりとすり抜けてしまう。

 それでもどうか、ぼくの傍へ。

 バイマイサイ


 頬っぺたにキスをすると、彼女は「にがくない?」と訊いてくる。どうやらお化粧のファンデーションを塗りたくっているから、そう訊いてくるみたいだった。

「別ににがくないよ」

 ほんとうにそうなのだ。でも、ぼくがそういうと彼女はクスクスと笑った。

「うそだ。絶対にがい」

「そんなことないって」

「じゃああなたがこどもだから、かもね」

 そうかもね、と、ぼくは答える。

 よく彼女にこどもだこどもだと言われる。でも別にこどもでだっていい。あなたに好かれるのならば。

 ぼくは彼女に鼻先を擦りあてる。

 そうやってぼくらは愛情という名のタオルを湿らせる。

 どうか、永遠に。

 バイマイサイ


 ときどきは(たいてい金曜日は)遅くまで一緒にいることがある。

 それは彼女の疲れぐあいと、明日の予定を天秤にかけているつもりだ。

 でも、どれだけ慎重に彼女のことを気遣っても、いつも「ふつうだよ」と言う。

 ぼくも(疲れている日が多いけれど)まだ一緒にいたいと言う。

 それがズルいやりかただとしても。

 それでも針は一秒一秒、時を刻む。いつの間にか太陽は空からいなくなっていて、お月様の時間になる。星屑は都会の灯りでひとつだってみえない。

 あと何度同じ景色を、彼女とみれるだろう。そう思った日がある。

 それでもきっと、もう同じ気持ちで同じ景色をみることは、きっとない。

 だから今日も、一日一日を、記憶に刻む。

 彼女と一緒に。だから、

 バイマイサイ


「またね」

 それがその日の最後。ぼくたちにとっての限界。

 きっとぼくは悲しい顔をしているのだろう。「そんな顔しないで」と彼女は笑う。

 夜なんて、薬一錠でなくなってしまえばいいのに。そんなことを思うぼくのことを、彼女は女々しいと言う。

 彼女と過ごした今日は昨日に、昨日は一昨日になって、さあ、いったい昨日はどこにいってしまたのかな。

 彼女と一緒にいれる日は、これからも続いていくのかな。

 また明日も会いたいと思えるひとが、この世界にいるのなら、僅かでもぼくはここにいることが許されるのかな。

 そんなこと、神様だってわからないだろうけれど。


 もうすぐこのお話は終わってしまう。

 でもそれがぼくたちの最後ではないんだ。

 よくバスに乗っているときに、彼女から「お疲れ様」というメールがくる。ぼくは送らないわけではない。どんな言葉が今日にふさわしいか、考えていると、メールの送信ボタンを押すかどうか迷ってしまうだけだ。

 彼女はときどき、メールで不安を零す。

「どうしてわたしなんかをそんなに受けいれてくれるの?」

 彼女が好きなバンドを聴きながら、ぼくはずっと考えている。

「それを探すために、ふたりで手をつないで歩いていくのかもね」

 なんてキザな言葉を使って、ぼくはバスを降りる。


 ひとに傷つけられる怖さより、ひとを傷つける怖さを思い知った日がある。ぼくは許されないことをした。

 それは恐怖から不安になり、それはいずれ痛みになった。

 ぼくは謝り、彼女も謝った。言葉が睫毛を震わせ、それは涙になった。

 ときに痛みが必要なことを知った。

 ときにそれには麻酔が必要ないことを知った。

 ぼくらはきっとこれからも一緒に歩いていく。一緒に生きていく。

 同じ時間を過ごして、違う思いを抱く。

 同じ景色をみて、違う願いを祈る。

 だからどうか、

 バイマイサイ

 それでも、彼女をぼくだけのものにする理由だけが、みつからない。


RadWimps 〝バイ・マイ・サイ〟から

あなたへ


楽曲

https://www.youtube.com/watch?v=B2SsSPXMdRA

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