トルコ人の妻

「いやあ、それにしてもよく見つけてくれましたねえ。僕の出した求人広告。」

白いハットを持ち上げて挨拶する若者は、白い歯を見せて屈託なく笑った。


ー求む トルコに詳しい方

『絵画の題材のため 取材依頼』


「我ながら変な依頼だな、と思ってたんですよ。一番初めに連絡をくれた人が、まさかうってつけだったなんて。」

「私も、昔絵を描いていたの。若い方の手助けをしたかったので…。」女主人は答えながら、青年をとある部屋へ通した。

 赤と金の堂々たる唐草模様のタペストリーが壁から垂れ下がり、ペルシャ絨毯は床に摩訶不思議な模様を描く。天井はモスクさながらの丸天井に、これまた緻密なモザイクが施され、星型の彫物細工は無数のランタンと相まって小宇宙を生み出していた。長々としたカウチや水煙草といった小道具の揃ったその部屋は、まさしく異国情緒を凝縮した世界を構築している。


「これは…見事なものですね。まるで千夜一夜の魔法の洞窟ですよ。」

砂漠の旅に突如オアシスを見出した旅人のように、若者の眼は輝き、両腕は驚き故に広がって、今にもこの空間を抱き留めんばかりだった。

「主人のコレクションなのですよ。」

そう答える未亡人の視線は、ただ一点に注がれていた。

「こちらは、ご主人ですか?」


 浅黒い肌に、深々と皺の刻まれた厳しい目元。

 意思の強そうな鼻柱に、並々と蓄えた頬髭。

 しかしわずかに口角の上がった口元だけは柔和で、まるでちぐはぐのモンタージュのようだ。

 だが全体としては調和が取れており、どこか「モナ・リザ」を思わせる。


 それが、かつての家長の肖像画だった。

「私が、あの人のために描いたのです。」

「ご主人はよくこのような顔を?」

その言葉に、未亡人の長く黒い睫毛が小刻みに震えた。

「いいえ…。生前は一度も、こんな顔は…。」

油絵の下に飾られた、まさに絵の中のものと瓜二つのトルコ帽を、女の手が玩んだ。ラピスラズリのビロードを、たおやかな指先が毛羽立たせては寝かし、筋を描いては平にならした。その度、黒いタッセルが静かに揺れる。


「青いトルコ帽の意味を、知っていますか?」

 ぽつり、ぽつり、未亡人の口から、かつて夫に聞いた遠い思い出が溢れ始めた。それは青年の知り得ない異国の話だった。目にしたこともない世界に想いを馳せながら、若い絵描きは女の手を見つめた。あの手に、太い絵筆を握ることもあったのだろうか。夜の目も知らず、キャンバスに情熱を燃やす日が。胸の内に浮かぶ情景を何とか掴もうと、夢の中に夢を探した夜が。

「このトルコ帽は、夫の目の色に合わせて作らせたものなの。」

肖像画の眉の下には、確かに海のような色の眼が光っている。それは、トルコでは珍しい色で、むしろ西側の土地でみられる色だった。

「すると、ご主人は…。」

トルコ人の妻の呟きが、若者の疑問を遮った。

「あの人は、トルコから来たと言った…。」


 未亡人は、真っ青なトルコ帽を元に戻した。若者は尋ねた。

「最近トルコに行かれたことはあるんですか?」

「いいえ。私はもう長らくあの土地の土を踏んでいません。」

「なぜ?」

「あの人は、ここを気に入って故郷を離れたから…。私は、あの人の気に入ったここにいたいのです。」


 白い、当世風のハットを被り直した絵描きの若者が立ち去ったあと。

女は、今までに一度も結婚指輪を嵌めたことのない薬指を見つめた。

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ひと匙の奇妙 Peridot @peridot2520

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