追憶の夏祭り

@yoll

追憶の夏祭り

 ふと、微睡みから覚めると先程までとは違う光景に違和感を感じ、霞む視界のまま何やら鈍い痛みを訴える首を回してあたりを見回す。


 たっぷりと時間をかけてはみたものの、何と言うことはない。何時もと同じ、自分の不精の跡が見て取れる書斎の光景だった。どうやら相当に寝惚けていたらしい。


 煌々と降り注いだままの真っ白な蛍光灯の光の元でも、合成皮革の安物のワーキングチェアに腰掛けたまま眠りこけていた様だ。


 その割には眠る前に最後の力を振り絞ったのか、しっかりとメガネはPCデスクの上に置かれていた。とは言え、無意識のまま習慣として体に染みついていた動作を行うことが出来たのはそこまでの様で、自分の体の事までは気が回らなかったのだろう。首の痛みの原因は、体を支える部分が少ない安物のワーキングチェアで器用に眠ったための寝違えだった。


 メガネを回収して何時もの定位置に戻した後、鈍い痛みを訴える首筋に手をやり、暫しの間揉み解していく内に徐々に意識は覚醒してゆく。そして、同時に急速に失われてゆく夢の記憶を反芻するために、何とはなしにゆっくりと目を閉じた。


 砂上の楼閣のように崩れ去ってゆく夢の記憶の中から思い出すことが出来たのは、もう既に目を覚ます前のワンシーンだけの様だ。


 ――あの光景は、私が転校をする前の最後の夏の事だろうか。ともすれば、三十年程昔の記憶ということになる。


 満点の星空の下、あの頃の私にとっては真上を見上げるほどに高く組まれた櫓の頂点から幾条も伸びるロープに並べられた無数の赤い提灯が、柔らかな明かりでその周りを十重二十重と囲み盆踊りを踊る子供たちを照らし、町内会が用意した安物の大型スピーカーは、ビールを片手に出番となる大人盆踊りの時間を待ちわびる和太鼓演者に足をかけられながらも、櫓の中で擦り切れたカセットテープから再生されたノイズ交じりの北海盆唄を大音量で流していた。


 その周りには、裸電球のオレンジ色の明かりに照らされた幾つもの出店が立ち並び、店主は威勢の良い掛け声で夏祭りという魔法に掛けられた子供たちを誘惑している。


 私は、と言えば多分に漏れず、他の子供たちと変わらない表情で宝物の百円玉を何枚か握りしめ、幾つかの出店の前を行ったり来たりしていた。その隣には幼馴染の彼女が少し困った雰囲気で、手を後ろに組みながら付いて来ていた。


 数か月だけ私よりも年上の彼女は、何時だってお姉さんぶっていた。


 きっとこの時もそろそろ始まる大人盆踊りの時間、つまり私たちが帰らなければならない時間を気にしていたのだろう。比較的裕福な家庭に生まれた彼女が、嬉しそうに誕生日プレゼントに貰ったという腕時計をチラチラと覗いていたのを、たった今のことのように思い出した。


 私がやっとの思いで決めたくじ引き屋の前で、彼女は別の店にした方が良いと言う。


 ――くじ引きなんてしたって良い物が当たるとは限らないよ。周りを見てごらん。みんなあのヘンテコなサングラスをしているじゃない。ラムネでも飲んだほうがよっぽど良いよ。


 今思い出せば成程、私より余程利口な子供だったのだろう。祭りのくじ引きなんてものの本質を子供ながらに見抜いていた彼女から見ると、私は出来の悪い一寸手のかかる弟に見えていたとしても仕方ない。


 夢の中の、そして記憶の中の私は一寸した反発心を抱きながら、それでも構わないと宝物の百円玉全てを大人に渡し、差し出された山盛りのままの三角の紙のくじが入っているプラスチックケースの中に手を伸ばす。目線の先には格好の良いモデルガンが飾られていた。きっとあれが自分のものになると信じて疑わないのは子供の特権だろう。


 わざとらしく溜息を吐く彼女を尻目に私は心臓を高鳴らせ、一枚だけ握りしめた三角の紙のくじを乱暴に破る。勿論、中を見ると「ハズレ」の文字。


 呆然とする私にその大人は笑いながらヘンテコなサングラスを差し出した。


 ――ほらね。


 なんて言う彼女はやはり少しお姉さんぶった表情で、知らず知らずのうちに受け取っていたサングラスを握りしめた手とは反対の手を優しく握ってくれた。


 ――さぁ、もうそろそろ行かなきゃ怒られちゃう。帰りましょう。後で私のラムネ少しだけ飲ませてあげる。


 そう言ってゆっくりと私の手を引きながら、賑やかな喧騒の外へと歩み始める。


 恐らく、私が初恋をしたのはこの瞬間だったのだろう。少しだけ前を歩く自分より大人びた彼女の横顔を声も出せずに見つめていたことだけは鮮明に覚えている。


 ――でも、不思議と今の私は夢の中の私とは違い、その彼女の顔を思い出すことは出来なかった。


 その夏が終わり、私は両親の都合で転校をした。幼い私はその時抱いた感情を子供らしい憧憬と言った程度と捉え、初恋と自覚することも無く終わらせた。


 ただ、その思いは気付かないうちに心の何処かに大切に仕舞い込んでいたのだろうか。それから恋愛というものにはとんと興味を持てず、友人などからは酷く揶揄われたことも今では良い思い出だろう。


 その後私は其れなりの経験を経て妻と出逢い、娘にも恵まれた。もう、私のお姉さんぶった幼馴染の彼女に出逢うなんてことは、この先の人生では無いのだろう。


 そんなことを考えゆっくりと瞼を開くと、ふと、夏の便りが私の耳に届いた。


 きっと、私をセンチメンタルな気分にさせた夢の原因は、夏祭りの始まりを告げるこの打ち上げ花火の所為だろうか。


 ――そうだ。明日は妻と娘を連れて夏祭りへ行こう。


 私はそう胸に決め、ワーキングチェアから腰を上げると書斎のドアノブへと手をかけた。


 幼馴染の彼女ではなく家族が待つリビングへと向かうために。


 ――初恋は、思い出す位が私には丁度良いのだ。

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