第3話

あれから一週間が過ぎた。結羽は依然と変わらず部活に参加している。明斗が帰ろうとするとグランドから時々声が聞こえてきた。

 一方の明斗は。

 「高科君、数学教えて!」

 「あ、待てよ葉桐。オレの英語が先だぞ!」

 「…おまえらどっちも苦手科目なんだから寝てんじゃねえ!」

 「だって部活が…」

 「ねえ…」

 「バド部も野球部も他の奴らはちゃんと起きてるぞ!なあ山代、井上!」

 休み時間になると必ずくり広げられる騒ぎに、クラスメートはもう慣れたものだ。

 いつも説教から始まりそれが済むと結局丁寧に教えている姿は、数週間前には見られなかったものだ。今では教室の冷たい視線が消え、代わりにお人よしめ、と生暖かい雰囲気がクラスを包んでいた。

明斗自身も積極的に同級生と関わるようになり会話が増え、一人で過ごす時間が短くなった。

少しずつの変化を、身に沁みて感じていた。

 


 放課後、自転車を引く明斗とその横を弾むように歩く結羽の姿があった。二人とも家が同じ方向にあるため必然的に途中までは同じ道をたどることになる。

 すでに夕陽は朱く熟れ、柔らかい朱色の光線が街を彩っている。

 「葉桐、部活はどうだ?」

 「んーと、普通、だね。副顧問にも話しをして説得を手伝ってもらったの。今までと変わらずやってるよ」

 「そっか、よかった」

 会話をしながら結羽はそっと明斗の顔をうかがった。彼はあの時、体育館裏での会話を聞いていたのではないか、だから自分が急に泣き出したときに、どこか寂し気に自分の話しをしてくれたのではと考えた。問いただそうと思ったが、自分としても口にはしたくなかったし、彼もそれらしいことはあの時しか言わなかった。だから、それでいいのだろう。

 「ねえ高科君。このあと時間ある?」

 「別に急いじゃあいないが」

 「じゃあちょっと見せたいところがあるの。行こう!」

 言うが早いか結羽は明斗を通学路からそれた狭い路地へと誘った。明斗は通ったことの無い道だ。結羽の先を行く背中が道しるべ。彼女が言った見せたいところがどこか皆目見当がつかない。童話に出てくるウサギを追いかける少女の気持ちがなんとなくわかった気がした。

 しばらくすると急に広い通りへと出た。道路の反対側には上り坂がまっすぐに伸びている。

 結羽がその坂を指さした。

 「あの坂を頂上まで上がると町が一望できるの!今日は夕陽がきれいだから絶対にきれいだよ!」

 「あ、ちょ、待てって!」

 またしても明斗は出遅れた。慌てて自転車を引いて走り出す。

 夕陽に染められた坂を二人は下から一気に駆け上った。

 結羽はポニーテールを揺らして楽し気に、明斗は下がって行く自転車に悪戦苦闘して。

 段々と遠ざかっていく結羽の背を必死に追いかけていると、少し彼女の気持ちがわかった気がした。

 それにしても籠に荷物が入った状態の自転車を上へ引っ張り上げることはかなりの重労働だった。息を整えるため立ち止まると、上の方で結羽が大きく手を振っているのが見えた。

 「高科君、あとちょっと!」

 はっきりとは見えないが、きっとその表情は晴れやかな笑顔なのだろう。あの日、プリント課題をともに終わらせ彼女が教室を飛び出す前にみせたあの。

 なにかを達成し、成し遂げた際に浮かべる輝くようなあの笑みを。

 「きっついなあ。今行く!待ってろ葉桐!」

 明斗は低くうなると地面を蹴った。今度は止まらず一気に駆け上がる。なにも考えず、ただただ前へ。

 「…ゴールっ!お疲れさま!」

 結羽のよく通る声にはっとして、よろめきながらスタンドを立てると崩れるように座り込んだ。その顔には気づかぬうちにかすかな笑みが浮かんでいた。

 深呼吸をしようと顔をあげると、眼前にその光景が飛び込んで来た。

 どこまでも広がる地平線と、そのはるか先には濃朱の夕陽。眼下の町並みを朱色のベールが包み込む様子はまるで別世界だ。昼間の爽やかな白い光とは異なる風景に明斗は目を細めた。

 結羽は丘の際に設置された手すりに肘をのせ、くるりと明斗の方へ振り向いた。ポニーテールとスカートが同じ方向へふわりと揺れる。

 「こっちに来なよ。今まで見た中で一番きれい!」

 はしゃぐような歓声に引かれるように明斗はふらりと立ち上がった。ずれた眼鏡を直しながら手すりへ両肘をのせる。

 「本当にすごいな。まるで別の町みたいだ。よくこんなところ知ってたな」

 「でしょう?部活帰りにたまたま見つけてね。知ってる人が少なくて静かでいいんだよね」

 そう言って結羽は笑った。その笑みを優しい朱色が縁取っている。

 つられて明斗も笑った。同じ夕陽に照らされ、嬉しそうに。

 もしあの日、ノートを取りに行かなかったら。自分は今日ここにはいなかっただろう。こんなに美しくて暖かい景色を、彼女と見ることもなかっただろう。

 「…よかったなあ」

 「なにが?」

 結羽は夕陽に照らされた明斗の顔をまっすぐに見据える。それに視線を返すとまた町の方へと目を向けた。

 「この景色を見ることができて、さ」

 二人は夕陽が完全に沈むまで、その町並みを眺め続けた。

 

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夕焼けの坂道 川瀬 水乃 @arana0511

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