エピローグ

「代表ありがとう!」

「お陰で、マターナルのライブが見れるよ!」

「感謝感激雨あられ!」


 シャッターのような引き扉から館内へ入っていく生徒に、感謝の言葉をかけられる。俺は手を挙げて素直に応え見送った。


 これで何人見送っただろう。すでに館内からは、大勢の賑わう声が聞こえている。

 入ってくる人が絶え、玄関入り口の大きなガラスドアが閉まった。ドア越しにも人の姿は見えず、一人っきりになる。


 体育館玄関の靴箱にもたれかかった。外へと繋ぐ大きなガラス扉から、太陽の光がなだれ込んできている。砂臭さのなかに、体育館の木の匂い、床のゴムっぽい匂いがまじっている。どことなく落ち着く空気に、心地よさを感じた。


 今日はライブ当日の土曜日。時刻は、12時50分。ライブが始まる10分前だ。結構前からここに来ていたのだが、待ち人はまだ現れない。先に入っている事はないと思うので、可能性としては遅れているか、来ないかの二択。時間的には、後者の可能性が高くなってきた。


 溜息をつくと、入り口のガラス扉が開く。入って来たのは、金髪に映える黒のライブTシャツを着た東だった。


「あれ? 赤兎馬ランド、こんな所で何してんの? ライブ始まるよ」

「東か……いや、知り合いを待ってて」

「何そのがっかり感? 別にいいけど」


 東は心底どうでもよさそうに言った後、何かを思い出したかのように「あ」と口にして、目を輝かせる。


「そうだ! 赤兎馬ランド! 新しい二つ名考えた? あんま、いいの思い浮かばなくてさ〜」


 決勝の後、会場では満場一致で、俺の公園レジェンドが決まったらしい。けれど、いい二つ名が決まらず、もめてるという話だ。俺としてはそれを嬉しく……いや、どうなんだろ、実際。嫌なのか、それとも好ましいのか、どう思っているのか不明である。多分、両方なのだとは思うけど。


 正直、掴み所のない公園バトルの文化は、最前線にいてもよくわからない世界である事には変わりないし、距離が縮まっているとも思わない。


 ただまあ、目に見えることとして、


「逆上がりで、トンボくらい回ってたから『ドラゴンフライ・龍飛』っていうのはどう?」


 寄せにいった二つ名を考えられるくらいには、そこに自分が存在している実感がある。


「いや、それはダサいから。却下に決まってるじゃん、本当センスないね、赤兎馬ランド」


 ……やっぱり、感性はまだ遠いみたいだけど。


「おっ、二人きりでどうしたんですか? 大勢の人にバレるかバレないかギリギリのところでエッチしちゃうアレですか?」


 東と話していると、カシラが濡れた手をペッペと払いながら近づいてきた。俺は、はしたないな、と思い、ポケットからハンカチを取り出してカシラに差し出す。するとカシラは、何も言わずにハンカチを受けとって手を拭き、何事もなかったかのような澄まし顔で返してきた。……何故か悔しい。


「それで、二人は本当にエッチしてたんですか?」

「何をどう考えたら、そーなんのよ。妄想力逞しすぎない?」

「いえいえ、東さんほどじゃないっすよ」

「何、カシラ? あんた喧嘩売ってんの?」

「どうして媚びを売ったのに、喧嘩を売ったことになるんですか!」

「え、喧嘩売ったわけじゃないの?」

「はい! 喧嘩を売るなら赤兎馬ランドにします! 今の東さんは、代表じゃないですもん! 言うなら、流行に乗っかろうとしたのに、今や古い、残念なギャルキャラですからね」

「やっぱり喧嘩売ってるでしょ!」


 東がそう言ってすぐ、会場からアナウンスが流れる。


『後五分で開演になります』


 カシラを睨んでいた東は、こうしてはいられない、と会場内に入っていく。最後に扉から顔だけ出して「終わったら覚えときなさい!」と告げた。


 カシラはやれやれと肩を竦める。


「はあ、一体なんだったんですか?」

「よくそう言えたな。本気で尊敬するわ」

「何ですか? 尊敬するなら、代表譲ってくださいよ」


 そういや、そうだった。俺は代表をカシラに譲ることが約束で目的だった。


 今の自分の意思として、譲り渡すことを惜しいとは思う。代表を続けていれば、どれだけの変化があるだろうか、そう考えるだけで胸が弾む。


 でも、渡せと言われたら、簡単に譲れるだろう。今でも、代表は重荷に変わりなく、変化を求めるだけなら、代表を続ける必要性もない。


 けれど、カシラには譲りたくない。


 自力で手に入れた代表という地位の心地良さを知ってしまった。対校戦の後、俺はみんなに感謝され、持て囃され、純粋に嬉しかった。今日だって、感謝される度に、爽快感に似たものを感じていた。


 今までなら、罪悪感に胸を締め付けるだけだった言葉も、今は、高揚させてくれるものに変わっている。自らの力で勝利を掴み、人を喜ばせたからが理由だろう。


 俺に代表の魅力を伝えてくれたカシラには、自力で手に入れたからこその良さを知ってほしい。そういうわけで、素直に譲り渡すべきか悩むのだ。


「なんて、言ってみただけです。確か、約束は効力を失うと無効になるんですよね?」


 悩んでいると、カシラは小悪魔な笑みを浮かべてそう言った。やはり、カシラはカシラで、おまけに美少女だ。こういった仕草にドキドキさせられる。


 カシラの笑みから視線をそらして、照れ隠しに口を開く。


「それを言われると、申し訳なくなるんだけど」

「貴方が言ったことですよ?」

「自分で言ったからこそ、重いんだけど」


 カシラは「まあ、いいです」と笑う。


「正直、赤兎馬ランドに譲ってもらう必要なんてないんです」

「どうして?」

「だって赤兎馬ランド弱っちいんで、すぐにコロコロ出来ますし。最初期待して共闘を持ちかけたのに、全くの期待はずれでした」

「喧嘩売ってる?」

「売ってますよ。これは、東高代表の座をかけて勝負するしかありませんね」


 少しの睨み合いの後、二人揃ってケラケラ笑った。カシラは目元を拭って、尋ねてくる。


「会場、入らないんですか?」

「うん、人を待っててさ」

「それじゃあ、先に入ってますよ」

「あっ、ちょっと待って!」


 踵を返していたカシラは足だけ止めて、こちらを向く。


「あのさ、前はあたっちゃって、本当にごめん」

「そんなことを謝るくらいなら、私に『にやけすぎて口が裂けるほど可愛い』の一言もない事に謝ってください」


 カシラは、一言でもなく、事実でもない言葉を、何事でもなく言って、ライブ会場に入っていく。栗色の髪が揺れる美しい後ろ姿を見送っていると、肩を叩かれた。


「あれ、もう来てたの?」

「来てた。呼び出しといて放置、その上、可愛い子と喋ってるなんて酷くない?」

「え、だって、いや……ごめん」


 言い訳を口にしようと思ったが、瑞樹のムッとした顔を見て素直に謝った。少し前に来ていて、俺とカシラが話している最中に声をかけづらかったのだろう。

 その時『もうすぐ開演です』とのアナウンスが入った。


「とりあえず、入ろう」


 瑞樹と二人、ライブ会場に入る。窓には暗幕のカーテンが引かれて暗く、ライトが焚かれたステージ以外はハッキリしない。場内は既に満員に近く、舞台に向かってぎゅうぎゅう詰めに並んでいる。人の話し声や物音、ステージ上の機械音が体育館中に響いていた。


 少し歩いて最後尾に並ぶと、瑞樹が声をかけてきた。


「今日はさ、なんで私をライブに呼んでくれたの?」

「ライブに呼んだ理由はなくて、ただ誘う口実に使っただけなんだ」

「じゃあ?」

「ほら、決勝前、一つ聞いて欲しいことがあるって言ったよね?」


 瑞樹がこくりと頷く。


 音楽が流れ、観客の拍手と歓声が沸いた。舞台を見ると、マターナルが出て来ていた。メンバー達は、各々が楽器の調整をし始め、体育館内はより騒がしくなる。


 今言っても声は届かないだろう。チューンが終わるのを待つ。


 演奏が開始されるまでの静かな時間は僅かだ。伝えたい言葉を練り直す。


 俺には言えなかったことがある。それが、全てを過去に変えられないでいた最後の心残りだ。


 しばらくすると音は止み、釣られて観客達は静まりかえった。


 不意に訪れた静寂の中、瑞樹に向かってポツリとこぼす。


「昔、言えなかったけど、俺は瑞樹が好きだったんだ」


 照れ臭くなってはにかんだ。


 瑞樹は目を丸くした。そして、真剣な様子で口を開く。


「私も昔好きだったよ。それに今も……」


 その時、大音量のドラムが鳴り響き、ファンファーレのような歓声が、館内を埋め尽くした。

 

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カッコがつかない。 ひつじ @kitatu

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