友人

八割 四郎

迷い子

「猫がこちらを見ていたんだ。青い二つの目は暫く俺を観察したあと、またどこかへ消えていった。」

「へぇ、それで?」

友人にその時のことを話すと、肘をつき、氷をかき混ぜながらにやにや笑う。

「その子猫ちゃんを追っかけて、ホテルに連れ込んだ?」

「いや、だから猫だって言ってるだろ。茶トラでさ、中々堂々としたやつで。」

「全く、くだらない。この炎天下の真昼間に?一人暮らしで寂しいキミはその威厳溢れる猫様を観察した結果、熱中症でぶっ倒れた挙句俺を呼び出してつらつらと訳の分からんことをポエム風にほざいているわけだ。」

「熱中症にもなっていなければ倒れてもいない。それに俺を呼び出したのはそっちだろう。わざわざデパートなんかのカフェに呼び出して。」

「うん・・・そのことなんだけどさ。」

陽気な男の顔が途端に曇る。そういえば彼には最近付き合っている彼女が二、三人いると言っていた。ついに発覚したのだろうか。

「その子のうち一人が・・・バケモノだったんだ。比喩かなんて笑うなよ。本当に、バケモノだったんだ。」



彼の人柄は、お世辞にも素晴らしいとは言えないものだ。節操がなく、デタラメで、その上 吝嗇りんしょく

「恋人を貶さないことだけが取り柄じゃなかったか。」

「ひどいなあ。それもあるけど、みんなを同時に愛せることだよ?同じ熱量でね。堅物でしかもロマンティストの君には到底理解できないだろうけど、女の子でも男の子でも、愛してくれるなら誰だって愛せるのさ、例え君でもね。

その俺が化け物だと言うんだから、信じてくれ。本当に化け物なんだ。決して醜いわけじゃない。いやむしろ滅茶苦茶綺麗な男だ。背は俺よりちょっと低めなんだけど、黒髪が少し長めでつやつやしててさ、目もと涼しいってやつ?切れ長の目がね、最高に色っぽいんだよ。」

「待ってくれ。お前今なんて言った?相手は男?」

「悪いかね。君も会ったらうっかり惚れちゃうよ、絶対。」

その容姿を思い出したのか、彼は恍惚とした表情になって言葉を切った。俺は新しい飲み物を自分のぶんだけ注文し直す。この男の会計はおそらく全て俺がもつことになるのだ、出費は少ない方がいい。

「それで?夜中に行燈あんどんの油でも舐めていたのか?」

「猫が好きなのはわかったからもう止してくれ。まったく君は、俺の恐怖がわからないのか?」

「わかるわけないだろ。なにも聞いていないんだ。今の話だけでは、妖の如き美しい男に誑かされて魂を売り渡したくらいが関の山だろうという感想しか持てない。」

「うわっ、なにそれ。すごい怖いんだけど。あの子ならやりかねないぞ。俺の魂大丈夫かな、生きてるかな。」

「知るか。心配だったら迷子のお知らせでも流してみろ。」

「君は薄情だなあ。」

このタイミングで運ばれて来たコーヒーに言葉も出ない。

「まあいいよ。俺は君を責められない。兎に角馬鹿にしないで聞いてくれそうなのって君くらいしかいないからさ。寂しいやつだろ?俺って。ちょっとは同情してくれるかい。うーん、君はしないか。」

「いいから話せ。」

「はいはい。それで、その男の子なんだけど・・・会ったのはちょうど2ヶ月くらい前。ぶらぶら近所を散歩してた時に、 あの、大きい川わかるよな、ほら、飛び降りて死ねるかどうか微妙な高さの橋がかかってる・・・その手すりというか、柵の上に座って空を見ているものだから、てっきりそういう現場かと思って腕を掴んだんだ。そうしたらものすごい美人だろ?あッと言う間に骨抜きにされてな。」

「その男もよくお前にほいほいついて行ったな。秒速で食いそうな顔してるのに。」

「そう言うなよ。それについて行きたいって言ったのはあっちからだ。俺は基本受け身なんでね。だからあの子と寝たのも俺主導じゃない。あっちから誘って来たんだ。」

俺はかなり妙な気分になってきた。目の前にいる友人は、さも当然のことのように「寝る」までの経緯を語っているが、どう考えてもおかしい。

彼は魅力的ではあると思うが、特別容姿に恵まれているわけでもなく、髪は薄茶に染め、耳には銀色の目立つピアスをつけている。つまり、浮ついているのが外見だけですぐにわかるわけだ。

「それで、これまで通り日替わり的にその子と付き合ってたんだけど。

・・・なあ友人よ。猫ってどんな生き物だ。」

「脊椎動物門 哺乳綱 食肉目 ネコ科の生き物で、元は砂漠にいた。本来夜行性。年に二、三回出産し、その度に四、五匹?くらい産む。基本単独行動で縄張りを持つ・・・なんだよ、急に。」

「いやさ、その・・・あいつ、猫を呼ぶんだよ。どうやってるのか知らないけど、偶然、あの男をデート中に見かけて、女の子と別れたあと見に行くと・・・もう夜になってたけど、遠目からでもわかった。猫が二、三十匹くらい足元に群がっていて、なにかを食べているんだ。」

「なんだ、煮干しでもあげてるんだろ。毎日同じ場所、同じ時間にあげていれば、集まって来ても不思議じゃない。」

「そう・・・なんだけど。」

彼は真っ青になって震え出していた。俺の方は全くわけがわからずに、その様を冷めた目で見遣る。

「なあ友人よ、もしここで俺が消えたらどうする。」

「は?」

「程よい冷酷さを持ち合わせた君ならば、俺に恥をかかせようと迷子のお知らせを流すんじゃないか?」

「いや、 流さないだろ。お前の性格的に、勝手に帰ったかと思うな。」

「・・・・・二、三日しても俺がここへ来なかったら、迷子のお知らせを流してくれよ。本当に魂を取られているかもしれないから。」

それで、なぜ恋人が化け物かもしれないと思ったのかを話すことなく、彼は帰っていった。



「友人よ、俺はまだ生きているぞ。」

二日後、また彼に会った。同じデパートだ。特に憔悴している気配もなく、その代わり彼女とのお揃いと見える銀色の星のキーホルダーを鞄につけていた。

「で、その後恋人とは?」

「何ともない。相変わらず綺麗で可愛い。」

「それはよかったな。」

それぞれ、俺はレモンティーを、友人はメロンソーダを頼んだ。

「しかも、身の回りのことを全部やってくれるんだ。今俺のアパートで同棲しててさ、その記念にって、このキーホルダーをくれたんだ。可愛いだろ。」

「同棲!?」

本格的に友人の魂が心配になってきた。素性も定かでない男を家に入れるのもどうかと思うが、そもそもこの友人の性質からして浮気者の軟派男で、特定の相手を選ぶことがないのに、「同棲」とは一体どんな了見だろう。

「自分でも驚いているよ。なんだか他の子たちがどうでもよくなっちゃって、住む場所に困っているなんてあの子に言われたら、どうしようもなく愛おしくなっちゃってさ。

それに至れり尽せりなんだよ?ご飯も洗濯も片付けも全部やってくれて、しかも俺に傅いてくれる。靴を履かせろと言っても嫌な顔一つせずに綺麗な顔を少し悲しげにして丁寧にやってくれる。ベッドでも・・・」

さすがに俺は遮った。手付かずのまま溶けかけている、友人のメロンソーダに乗っかっているアイスを少し拝借して、深い溜息をついた。

化け物騒ぎは一体何だったのだろう。結局惚気である。

「何が化け物だよ。ったく。」

「・・・・・その話は終わってないんだぞ、我が友よ。前回うっかり話忘れてしまったんだがね、バケモノというのは本当なんだ。」

「その化け物が可愛くてたまらないと言ったのはどこのどいつだ。」

「だから困ってるんだよッ。あの子は正真正銘化け物さ。そんな渋い顔せずに聞いてくれよ。

二日前に話した、あの例の猫寄せのことなんだが、どうも撒いていたのは魚の類じゃなさそうなんだ。いや、この際別にその餌はどうでもいいとしよう。問題は、あの子が片手に、西瓜くらいの大きさの物を持っていたってことだ。わかってくれるね?あれは間違いなく」

友人は飲み物をくっと仰いで、勢いよく机に叩きつけた。

「人の頭だった。」

暫く呆然と男を眺めた。疲れている様子もなく、いやかえって色艶がよくすらみえる。

「・・・幻覚という線はなしか?」

「なしだ。あれはさながらユディトだよ。」

全館放送で迷子アナウンスが流れていたが、すぐに見つかったらしいことがわかる。人の行き来はあるのに、空寒い気分になる。

「・・・で、なぜ殺人鬼でなくて化け物なんだ?」

「消えたからだよ。」

深いため息をついて、星の小さなキーホルダーを握りしめる。その手は僅かに震えていた。

「あの子は柔らかそうな赤黒い何かをもう片方の手に持っていて、それを上向きになって飲み込むんだ。唇から顎を伝って首に・・・血が流れてた。それから汚れた着物を脱いだと思ったら、次にはもう消えていたんだ。」

「・・・つまりお前の恋人は、殺人鬼だったばかりかカニバリズム趣味のある、透明人間だったと?」

「もういいよ、その解釈で。」

結局その後延々小っ恥ずかしい惚気話しを聞かされて、デパートを後にした。



帰りにまた、トラ猫と対面した。夕暮れ時にその猫はこちらを見て、それから背を向けて暗い路地裏へと入っていく。

「ねえ、お兄さん。あなたにこれ、あげますよ。」

猫を追っていた私の後ろに立ち、そう声をかけて来た方を振り向いた。白い帽子を目深に被っていて顔はよく見えない。

「手を出して。」

その指示に従うと、何かを私の掌の上に落として来た。

「貴方には特別です。もう帰ってお休みください。なにも気に病むことはありません。」

そんな言葉を無視して、トラ猫を追いかけ直そうと思って路地裏を見ても、もう姿は見えなかった。

「あの子は食事の場所へ向かったんでしょう。では、私はこれで。」

そう言って去っていく人影を見送って、家路を急いだ。落として来たものは先ほどズボンのポケットに入れた。


「今晩は、七時のニュースです。」

家の中で、テレビが話していた。恐らく弟が帰って来ているのだろう。

「お帰り、遅かったね。」

「道に猫がいてな。可愛くてつい。」

「そうじゃなくてさあ。」

言っていることの意味がわからず、首をかしげる。

「五日も家空けるなら、言っておいてよ。どこ行ってたの?」

そんなに家を空けた記憶はない。そもそも一昨日は一日中家にいたはずだ。俺の部屋には旧式のカレンダー・・・日めくりカレンダーのことを勝手にそう呼んでいる・・・があって、確かに俺は八月八日の早朝に、八月七日の日付を破いた。外出予定があった今朝も、八月八日の日付けを破いたはずだ。

「昨夜午後十時ごろ、アパートで男性と思われる遺体が発見されました。」

俺は自分の部屋のある二階へと駆け上がる。

「遺体の損傷は酷く、身元の特定を急いでいます。」

そのカレンダーは間違いなく、八月九日になっている。弟は勘違いしたらしい。

「・・・念のため聞いておく。今日は何日だ。」

様子を見に来た弟は、ちょっと首を傾げ、それから携帯を出した。

「八月十三日だよ、兄さん。」

それの意味していることがわからない。俺はひとまず、財布の中を見た。

「・・・残金、一万六千円・・・俺の財布には常に三万は入っている。入れたのは俺の感覚で一週間前。その間食材を買い占めたり、薬局に行ったりで金を使った。だが・・・もし、5日も外に出ていたなら、その間のホテル代やら食費やらでもっと減っていなければおかしい。」

「だから、帰って来てなかったんだってば。昨日は隣のおばちゃんがお裾分け持って来たのに兄さんいないし、 一日中いたって言ってる一昨日は兄さんの友達来てたのにいないし・・・」

「なんだって?俺に友だち?・・・なんのことだ。」

俺の親友は数年前に死んでいる。その後はあまり交友関係を持たなかった。

「茶髪の、なんか見るからにチャラそうなやつだったけど、兄さんがいないならしょうがないって・・・」

一体弟は誰のことを話しているのか。結局何もわからないまま、風呂に入り、食事をして部屋に戻った。

「友だち?」

俺は頭を抱えた。知らない友人、五日の空白、いや、そもそもなぜ出掛けたのだろう?

「確か、デパートに行った・・・何のためだろう。」

財布の中を改めて確認すると、ドラッグストアの領収書とともにカフェのものも入っている。それも、行きつけのものではなくて、騒がしいデパートのもの。

「・・・メロンソーダにレモンティーって、どんな取り合わせだよ。」

考えるのも面倒になって、ベッドに倒れこんだ。「チャラそうな友人」とやらがどんな奴か、少し気にしながら。



「おはようございます、七時になりました。今日のニュースをお伝えいたします。」

下に降りていくと、アナウンサーの滑舌の良い声が聞こえて来ていた。

「おはよ、兄さん。そう言えばさ・・・」

「・・・男性の頭部と見られるものが××川で発見されました。詳しい情報はまだ入って来ていませんが・・・」

嫌な事件もあったものだ。そんなものと関わり合いにもなりたくない。

「この星のストラップ、どうしたの?洗濯物に紛れ込んでいたんだけど。」

「さあ。なんだっただろう。」

それは銀で作られている小さな物で、どこか見覚えがあった。

「兄さんは割と鈍感な方だよね。」

「え?」

「別にいいんだけど。」

弟は微笑みを浮かべて、キッチンへ消えていく。

「ちょっと待てよ。なんのことだ。」

「・・・ねえ、兄さん。迷子って怖い?」

唐突に尋ねられて眉間にしわを寄せると、美しい弟は笑う。ただ、 どんなものか聞きたいだけだと言って。

「小さい頃に一度迷子になったことがあった。デパートの中で。」

「それで?」

「さっきまでと同じ場所にいるのに、音楽も、周りにいる人も、まるで悪夢の中みたいに見えた。喧騒の中に鬼がいるみたいなんだよ。実態があるわけじゃない。回るオモチャのメリーゴーランドの中とか、華美な衣装を着せられたマネキンの中だとか、明るくて輝いて見えるもの全てが暗転して、その影の部分に付きまとわれているみたいだった。まあ、放送が流れて割とすぐに母さんが見つけてくれたが。」

弟は俺の座るソファの隣に腰掛けて、切れ長の目をこちらに向けている。

「どうした。」

「帰る場所を失った迷子は、どうなるのかなって思っただけ。」

そう言って掃除を始めた弟の姿を目で追いつつ、小さい頃、弟がどんな姿だっただろうかと詮無いことを考えていた。

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友人 八割 四郎 @hakubi77

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