養川院の鷹図 下

尾羽おはを十三枚蒼鷹あおたかがいるらしい」

 同じ御絵師おえしにあっても表絵師とは異なり、奥絵師は御定日ごじょうじつに登城して本丸の大奥絵部屋えべやに詰める。ある日の出仕の折、茶を運んできた坊主ぼうずとの四方よもやまばなしで、公方くぼうしょうあいするその鷹の噂を惟信これのぶは耳にした。

 べての鷹は十二の尾羽おはつ。華々しき戦場いくさばあたか飛蝗ばったの郡れ飛ぶが如く降る奔箭ほんせんの雨こそ、武門にあって今や軍記か絵巻かで見知るに過ぎない憧憬あくがれまととなって久しいが、それでも鷹の尾羽おは一羽ひとは一羽ひとはは、おうよりの矢羽根のかてとしてあがまれたことをあかしする奥床しい美名で変わらずに呼ばわれた。ある鷹書たかのしょいわく、


尾の名の事、一番に大石打、二番に小石打、三番になら尾、四番にならしを、五番たすけ、六番鈴つけ、七番に鈴持の尾、八番につへの尾、九番にちから尾、十番にかたらひの尾、十一番にふさびの尾、十二番にしのびの尾といふ也


の如くである。そして鷹が尾羽おはを十三つ時は、その一羽ひとはを、よの尾、すなわ余尾よのおに名付くるという。鷹は今以て武門に尊ばれる鳥であるに相違なかった。

 ひるがって、絵師にとっての鷹もまた、縁起物であるという以上に画題として身近であった。これも古往今来こおうこんらい数多あまたの絵師が鷹図たかのずを描き、狩野かのう先世せんせい達、永徳の手になる松鷹まつたかのず屏風の壮麗は申すに及ばず、また探幽の手になる松鷹まつたかのず狗鷲いぬわし角鷹くまたかは、京二条の御城、二の丸御殿大広間の四周ぐるりに今もまい、まばゆい金箔の耀かがやきすら霞ませる優美な姿でつとに名高い。

 噂を耳にしてより幾日いくにちずして、公方くぼうより直々じきじき鷹図たかのずの所望が惟信これのぶもとに舞い込んだ。これに領状のよし答酬いらえたものの、直ぐその後に病痾やまいいてしばし養生を余儀なくされた惟信これのぶ平癒へいゆを、公方くぼうは辛抱強くった。その間、中々未治なほりやら惟信これのぶに種々のしょうやくを下賜するという、殊なる恩徳まで施して。

 志津と初会しょかいしたこの日、公方くぼうへの思い掛けぬ御目見得おめみえもまた、惟信これのぶにとって病えて後しょであった。

「今また、かくご尊顔を拝したてまつるの叶いましたるもすべて上様の御陰に御座りまする。その節は有り難き薬草をたまわりまして、養川ようせん、これにまさよろこびは御座りませぬ」

立ちながらの御礼おんれいえかねてひざまづかんとする惟信これのぶきょに、志津がまたしてもたたきと鈴音すずのねいらえた。

養川院ようせんいん、志津の気を損ねるでない、相解あいわかったゆえ」

そう言って公方くぼうは、善し善し、善し善し、と志津をあやし始めたが、やがて、

「人ならずと言えど、女性にょしょうの扱いはにも難儀なものじゃ」

かえりみて、ろうひかえる奥女中達とその先の奥座敷を見遣みやって呟いた。

 只今の御台所みだいどころは京の近衛家の養女としてあたわした島津の姫であった。その御台所みだいどころ所生うむところに先んじて、公方くぼうにはすで男女なんにょ四所の御子おこがあった。とはいえ、お万の方を母とする二女は生後間もなく儚くなり、これと一腹ひとつばらの長男たけ千代ちよぎみわづか二歳にして夭逝ようせいしていたから、今や御存生ごぞんしょうは同じく御腹様おはらさま長姉ちょうし淑姫君ひでひめぎみと、お楽の方のんだばかりの二男とし郎君ろうぎみの両所である。

すず廊下の鈴はうるそうてかなわぬが、は志津の鈴こそ好もしう思うぞ、のう志津」

志津の動きがしずまると公方くぼうおもむろきびすめぐらし、きらめく砂利じゃりうみ踏石ふみいしまでわたり切って惟信これのぶに振り返った。

「近く、濱庭はまにわにて鷹狩を催す。木挽町こびきちょう屋鋪やしきからも近かろう。其方そちも参って、志津しづ麗姿あですがたしかと眼に焼き付くることじゃ」

御意ぎょい

惟信これのぶ今度こたびこそ立ちながらにこれに答酬いらえた。

「おお、そうじゃ、忘れるところであった。月橋つきはし、あれを」

たたみろうひかえていた御中臈おちゅうろう月橋つきはしに鉢植えをもたらせた公方くぼうは、

「近う」

と、腰掛けたきざはしの上から惟信これのぶを召した。

 それは木の苗であった。

赤樫あかがしの苗木じゃ。吹上ふきあげの庭から見繕みつくろうてきた。持ち帰っていつくしむが善い」

「これは、有り難き幸せ……なれど、何ゆえそれがしなどに」

かい祝着しゅうちゃくである」

公方くぼうが諸候や幕臣に花や草木そうもくを下賜する話はかねて折々に仄聞そくぶんしてこそいれ、惟信これのぶはこれをおのが身にたまわるなど夢想だにせなんだ。きざはしの下の踏石ふみいしの前に蹲踞つくば惟信これのぶ双眸そうぼうにわかうるおうた。

蓬屋ほうおくには勿体もったいのう御座りまする……」

蓬屋ほうおく……其方そちあばら屋にまっておったか。扶持ふちが不足ならば申せよ」

上天にが雲に隠れた。

「これは失礼をば、滅相も無いことに御座りまする」

戯言ざれごとじゃ。病み上がりには気の毒であった。ゆるせ」

おそれ入りたてまつりまする」

それを聞き届けてきざはしを登ると、わか公方くぼうは少しくかげりの色差す笑みを浮かべながら、

「志津のこと、しなにな」

と言い残し、折り目正しい銀の袴をひるがえして奥座敷の仄闇ほのやみけて行った。


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引用:「禰津松鴎軒記」(『群書類従』〔十九・鷹部〕所収)

備考:二条城二の丸御殿大広間の松鷹図は狩野探幽作とされていたが、令和元年、四の間については狩野永徳の高弟で養子の狩野山楽作の可能性が高いと断定され、通説が覆されたと新聞各紙で報じられた。

備考:公方による濱庭への舩御成の様子はこちら

https://kakuyomu.jp/works/1177354054888143292/episodes/1177354054890816521

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