塒出の鷹

工藤行人

養川院の鷹図 上

 板廊いたろうならば耳知らせするさえずりのあろうところ、そのろうは畳敷きなるゆえ、足摺あしずりや衣擦きぬずれのかそけき音のみが人のおとないを告ぐるのであった。御殿の坪庭つぼにわで、画題がだいつぶさけみしていた男は、同じく庭にあってひかえる鷹匠頭の気振けびらいをちら見留みとむるや、おのそびらにも貴人あてびとなり気取けどってかえりみた。

 晌下ひるさがり、陽射ひざしがひさしに遮られてかげ貴人あてびとかおばせとは表裏うらはらに、銀襴袴ぎんらんばかまに散らされたあられの紋様が鈍い光を放っていた。

 ふでと下絵を置いて蹲踞つくばいせんとする男を、その貴人あてびと――公方くぼうは制した。 

ままで善い、続けよ」

眼路まなじに主君の御座おはするを其方そっち退ける訳にも行かず、詮方せんかた無くよわった男は両手もろて画具がぐふたぎつつ浅い起礼を取った。

 静かな挙止きょしであった。が、たちまち男の耳を鈴音すずのねが打つ。

「善いと言うたに。それ、志津が機嫌を損ねてしもうたぞ」

公方くぼうはそうわざとらしく歎息した。そしてきざはしを降りて突っかけ草履を召し、さざなみのように私語ささめく玉砂利を踏みしめながら、坪庭つぼにわなかばに植わった松の木の下の鷹槊たかほこに歩を進めた。

 志津、と呼ばわれたその鷹が落ち着き無くたたく度、鈴持ちの尾羽おはに付けられた鷹鈴たかすず転転ころころせわしなく鳴り続け、彼女の足首に巻かれた足革あしかわほことをむすんでしだれる紫のおおはその飾房かざりぶさゆらめかせた。緒の紫こそはその鷹が鶴を仕留めたことを証しするほまれの色であった。

「畏れ入り奉りまする」

男の謝辞わびことばを聞くか聞かぬか、公方くぼうは鷹匠にめくばせして餌畚えふごを召し、その中から細切れにしたうづらの肉を鑷子せっしつまんで志津に与え始めた。これはさきに催された駒場野こまばのでのうづら御成おなり公方くぼう自らが捕らえた一羽を、特に志津の餌料じりょうとして下賜したものであった。

ついばんでる。如何どうじゃ志津、美味うまいか、美味うまいか、ん、とらえたうづら美味うまいか」

男はその間、鷹ではなく公方くぼううなじよりかおおおいようの無い若気にゃけ見惚みとれていた。

「志津や、志津、昔を今に成すよしもがな」

公方くぼうが高らにうたうと、俄に一声二声、志津の啼声なきごえ嚠喨りゅうりょう坪庭つぼにわそらに抜けた。その声と鳴りまない鈴音すずのねしこの場に矇瞽めしいのあらば、定めしこれを仔猫のるやに聞き誤ったことであろう。

 餌付えづけしながら、公方くぼうようやく男に声を掛けた。

養川院ようせんいん、息災だな」

ことうでもない、しかと言い定めるような色を含んだ声は、雅のうちに意志の強さを、そして何より溌剌はつらつとしたわかさの驕慢きょうまんたたえて響いた。

 その男――養川院ようせんいんこと狩野かのう惟信これのぶは、父子おやこほどに年端としはの離れたこの主君の発する声が好きであった。

「御陰様にてち返りまして御座りますれば」

狩野かのう探幽たんゆうの弟主馬しゅめ尚信なおのぶ曩祖のうそとする木挽町こびきちょう狩野かのう七代しちだい木挽町こびきちょう江戸えど狩野かのうの一家であり、中橋なかばし狩野かのうそうに、鍛冶かぢばし、そして木挽町こびきちょうから分家した日本橋浜町はまちょうを合わせて狩野かのう四家しけと統称され、幕府奥御用を達する御絵師、すなわち奥絵師を世襲する家筋である。

 当世、江戸えど狩野かのうの頭取にして奥絵師筆頭の地位に在った養川院ようせんいん惟信これのぶに、公方くぼうより鷹図たかのずの所望あったるはもう二月ふたつきも前のことであった。

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