塒出の鷹

工藤行人

登場人物

※適宜、追補・修正を行う。


【主要人物】

惟信これのぶ〕狩野惟信。木挽町こびきちょう狩野家七代。幕府御絵師頭取。江戸狩野触頭ふれがしら。法印。養川院ようせんいんと号す。

公方くぼう〕徳川家斉。江戸幕府十一代将軍。幼名豊千代とよちよ。鷹狩を好み、御鷹場としての濱御殿への御成も頻々ひんぴんに及んだ。

三二郎さんじろう〕惟信の門弟。美作みまさか津山候の御抱御絵師。黄表紙の挿絵作家として名望を得た後、木挽町こびきちょう画所に入塾。先に北尾政美まさよし、後に鍬形蕙斎くわがたけいさいと号した。

中務卿法印なかつかさきょうほういん典信みちのぶ〕狩野典信。木挽町こびきちょう狩野家六代。惟信の父。栄川院えいせんいんと号す。


【将軍家および御家門】

一橋卿ひとつばしきょう〕一橋治済はるさだ。民部卿。家斉の実父。八代有徳公吉宗の孫。野心家。

浚明公しゅんめいこう浚明院殿しゅんめいいんでん)〕徳川家治。江戸幕府十代将軍。家斉の養父。八代有徳公吉宗の孫。濱御苑内の薬草池を改めて新銭座しんせんざ鴨場を造営した。鷹揚で絵画を嗜む。

家基公いえもとこう孝恭院殿こうきょういんでん)〕徳川家基。家治の世嗣。鷹狩の帰途、品川東海寺にて不例を発す。還城の後、頓逝。享年十八。

御台所みだいどころ〕近衛寔子ただこ。家斉の正室。薩摩藩八代島津重豪しげひでの息女で、輿入れに際して近衛経熙つねひろの養女となった。

有徳公ゆうとくこう有徳院殿ゆうとくいんでん)〕徳川吉宗。江戸幕府八代将軍。幕府中興の祖とあがまれる偉大な存在であり、浚明公しゅんめいこう一橋卿ひとつばしきょう、白河候といった彼の孫たちにも多大なる影響を与えた。五代常憲公じょうけんこう綱吉によって禁じられた鷹狩を復興し、世に「鷹将軍」と綽名あだなされた。


【幕閣たち】

〔松平伊豆守〕松平信明のぶあきら。老中首座。三河吉田藩主。大河内松平家の先世、「知恵伊豆出づ」こと松平信綱にかこつけて「小伊豆こいづ」と綽名あだなされる。寛政の遺老。鴨狩りの名手。

〔戸田采女正うねめのかみ〕戸田氏教うじのり。老中次座。美濃大垣藩主。浚明公しゅんめいこう治世の御老中松平武元たけちかの実子。

〔青山因幡守〕青山忠裕ただやす。若年寄。丹波篠山藩主。若年寄は将軍の濱御殿御成に際して付き添いを務める。

〔村上肥後守〕村上義礼よしあや。江戸南町奉行。

〔久世丹波守〕久世広民。前関東御郡代さきのかんとうごぐんだい。伊奈右近将監うこんのしょうげん忠尊ただたかの失脚後、関東幕領の統治、御鷹場御用を掌った。寛政九年に西城さいじょう(西の丸)小姓組こしょうぐみ番頭ばんがしらに転じた。

〔中川飛騨守〕中川忠英ただてる。勘定奉行。久世丹波守の後任として関東御郡代かんとうごぐんだいを兼ねた。

〔田沼主殿頭とのものかみ(田沼候)〕田沼意次。浚明公しゅんめいこう治世の御老中。失脚後、神田橋御門内の上屋敷を収公されて木挽町こびきちょう中屋敷にうつる。翌年、所領である遠州相良さがらを召し上げられ、陸奥下村一万石に御国替、家督を孫の意明おきあきに譲って蟄居し、失意の裡に死去。木挽町こびきちょう屋敷の一角を惟信の父栄信に分与して棲まわせたことが木挽町こびきちょう画所の始まりとなった。

〔松平越中守(白河候)〕松平定信。陸奥白河藩主。八代有徳公吉宗の孫。御三卿田安家に生まれながら、浚明公しゅんめいこうと田沼老中の意向により養子として白河松平家に入ったため、譜代大名なるも御家門として扱われる。有能で傲岸不遜。


【日光御門跡】

前管領宮さきのかんりょうのみや随宜楽院宮ずいぎらくいんのみや公遵こうじゅん入道親王。中御門天皇の第二皇子。前日光門主さきのにっこうもんす、輪王寺門跡。浚明公しゅんめいこうの「御遺物ごゆいもつ」である探幽の屏風を分与された。


【禁中】

みかど〕光格天皇。称号は祐宮さちのみやいみな兼仁ともひと

閑院宮かんいんのみや典仁すけひと親王。光格天皇の実父。尊号一件の当事者の一人。明治期に慶光きょうこう天皇と追諡ついしされた。

〔院〕後桜町上皇。称号は緋宮あけのみやいみな智子としこ

大女院おおにょいん青綺門院せいきもんいん二条舎子いえこ。後桜町女帝(上皇)の生母。


【諸侯たち】

〔阿波候〕蜂須賀斉昭。阿波徳島藩主。蒔絵師の飯塚桃葉を庇護した父重喜しげよし譲りで豪奢を好んだ。 鶴が雛を育む図画を惟信に所望すると、側室が世嗣よつぎを儲けたとされる。

諏訪すわ因幡守いなばのかみ〕諏訪忠粛ただかた。幕府御奏者番ごそうじゃばん。信州高島藩主。木挽町こびきちょう田沼邸を新たに拝領して上屋敷として用いている。


【狩野一統以外の御絵師たち】

〔住吉内記〕住吉広行。大和絵住吉家の当主。小石川御箪笥町おたんすちょうに拝領屋鋪があった。

〔板谷慶州〕板谷広当ひろまさ。住吉家から分派した板谷派初代。住吉内記の実父。


【木挽町狩野画塾の門弟たち】

〔惟房〕竹澤養渓。木挽町長屋居住。古画鑑定取次。

〔惟芳〕三村養益。木挽町長屋居住。信州松代藩の江戸詰絵師。幼名は力三郎。

〔惟程〕瀬戸口養元。木挽町長屋居住。薩州候の御抱御絵師。借金が嵩んでいる。

〔惟旭〕古藤養山。薩州候の御抱御絵師。木挽町長屋に別して家を構えることをゆるされた高弟。師家の家事も預かる。

〔山内養春〕水府候の御抱御絵師。

〔今村(神谷)養寿〕尾州候の御抱御絵師。


【鷹匠たち】

鷹匠頭たかじょうがしら〕内山茂十郎永恭ながのり。父内山七兵衛永清の後を承けて天明六年より鷹匠頭となり、奥向きを兼ねる。江戸に二箇所ある御鷹部屋のうち雑司ヶ谷組を差配。千駄木組を差配する戸田五助とともに公儀鷹匠の頭目の地位に在る。天明三年には浚明公しゅんめいこう親筆の鷹画を賜る栄誉に浴する。

〔小林・村越〕雑司ヶ谷組に属する鷹匠。


【濱御殿の役人たち】

豊嶋としま左兵衛さひょうえ豊嶋武経としまたけつね。寛政元年より寛政九年まで濱御殿奉行を務めた後、御小納戸おこなんど頭取とうどりに栄転。将軍家御庭の万事を掌る。

〔木村又助〕木村喜之よしゆき。濱御殿奉行。濱御苑内の役宅に棲まい、御苑および御殿の管理を掌る。苑内にて砂糖の精製に取り組んでいる。

〔木村専助〕木村喜繁よししげ。木村喜之よしゆきの子息。濱御殿添奉行そえぶぎょう

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