邂逅 ~レイカ婆さんの殺人依頼控~
賢者テラ
短編
「何なのよ、これ……」
弁当のフタを開けた美佳は、深くため息をついた。
早起きしてまで母が作った自信作であるはずのその上に、出来ばえにまったくそぐわない異物が被さっていた。多分、校庭から取ってきたであろう、砂。
それがご丁寧にも、ふりかけのようにご飯にまぶされている。
おまけにその中央には、名前は分らないが何かカナブンのような格好をした虫の死骸まで添えられていた。
露骨に態度には出さないが、クラスのみんなはオロオロする美佳を見て、影でクスクス笑っていた。
美佳は、弁当箱を隠すようにして胸に抱え、席を立った。
一刻も早く、中身を捨ててしまいたかった。
それを実行に移すために、彼女はそそくさとトイレに向かった。
中身を全部流してしまうつもりだった。
廊下を歩きながら、おじいちゃんがよく口ずさんでいる曲が、なぜか美佳の頭をよぎった。
「上を向いて、歩こう……涙が、こぼれない……ように」
美佳の通う中学は、取り立ててどうということのない、ごく普通の中学校。
別に自殺者を出したわけでもなく、いじめが発覚して大問題になった、ということもない。
それでも水面下では、彼女が直面しているようないじめは、横行していた。
知らぬは教師や親ばかりなり、とはよく言ったものである。
逆に言えば、そういうものをキャッチできないほど、教師も親達も、生徒や子どもより自分達のことだけですでに手一杯、という世の中になってきたのだ。
美佳は、登校拒否の一歩手前まで、精神的に追い詰められていた。
犯人は分かりきっている。
同じクラスの、和代だ。
彼女は女子のわりに体格がよく、背もクラスの女子の中では一番高い。
男子も含めたら、クラスで三番だ。
見かけに比例した男勝りな性格は、良い方向に生きれば「頼もしい友」となるのだが、彼女はそれを悪い方に使った。和代は、クラス内の『いじめ』を取り仕切るボスとなっていた。
ターゲットの選定権、変更権はすべて彼女にあった。
和代の取り巻きはもちろんのこと、クラス全員が面白がってそれに付き合った。
もっともそれは、和代の機嫌をとっておけばターゲットの選定から外してもらえる、という思惑があってのことだったが。
人付き合いにおいて、小さい時分からそれほど器用ではなかった美佳は、格好のターゲットとなってしまった。
昨日の昼休み、和代はメールで、美佳を体育館裏に呼び出した。
そこで、美佳の着替えを盗撮したらしい画像をプリントアウトしたものを見せつけられた。
男子がするのではなく、堂々と更衣室に入れる同性の女子の仕業なのだから、ある意味防ぎようがない。バラまかれて恥をかきたくなかったら、10万円持ってこい、という。
……そんなお金、ないわよ!
この前の正月のお年玉を使わずに取ってあるのだって、4万くらいしかない。
とてもじゃないけど、10万なんて!
気が付けば、払うこと前提で思考が動いている自分に、自己嫌悪した。
和代は言った。
「とにかく! 今週中までに持ってくるのよっ。あんたができる、できないなんてワタシにはどうでもいいの。持ってこれたらこの写真とデータは始末してあげるし、持って来れなかったらこれ男子に回すか、ネットで宣伝とかしちゃうだけだから。それだけのこと」
どうせ10万渡したところで、和代は言葉どおりにはしてくれないだろう。
それをネタにいつまでもゆすり続けるだろう。
それが分っていても、当面の危機を回避するためには、やはり言いなりになるしかない——
生きた心地のしない、学校での一日が終わった。
美佳は、体を引きずるようにして、家路についた。
「……死にたい」
彼女はポツンと、そう言ってみた。
遠くの高層ビル群の狭間を沈みゆこうとする夕日の光の矢が、美佳の制服の生地に照り映える。
口ではそう言ったものの、実際に死のうとするところまではまだ、思い詰めていなかった。
……今はまだ自殺なんて考えられないけど、もっと状況がエスカレートしていったら、どうなるか分からないよね。
そう思うと、美佳は恐ろしくなった。
味方は、誰もいない。
教師や親に相談しても、事態の表面をかき回して終わるだけだ。
子どものずる賢さは、あなどれない。
例え問題にしても、みんなは完璧に口裏を合わせてくるだろう。
もっと言えば、仮に逃げおおせないような証拠が挙がったとしても、表面は本当に反省した風をよそおって、問題解決までは演技し通すだろう。
そして、ほとぼりが冷めてからが、『真の恐怖』の始まりなのだ。
美佳は、ふと考えた。
なんで、悪い事何もしてない私が……死のうとか思い詰めて不幸になんないといけないわけ?
悪いのはアイツ、つまり和代であり、言いなりになっているみんなのほうだ。
そっちがいい目を見て、毎日フツーに暮らして……こっちが一人損? まったく割に合わない。
死ぬべきは、罰を受けるべきは、和代のほうだ。
何で私ばっかり!
……そう言えば、変なウワサを聞いたな。
あるメールアドレスに空メールを送れば、『地獄への案内人』からメールが届く。
そして、恨んでいる人の名前を打ち込んで返信すれば、呪い殺してくれる——
それも、地域の子ども達が生み出した、幼稚な『都市伝説』のひとつに過ぎないのであろう。
しかし、傷つき、心に余裕のなかった美佳は、何にでもすがりつきたい心境だった。
「めっちゃ覚えやすいアドレスだったから、試せるかな。えっと、確か——」
ziigokuiki@shineshine.dead.ne.jp
ホンマカイナ。こんな冗談みたいなアドレス……
どうせ暇だし、とダメもとで空メールを送ったら、なんと返信が来た。
件名:おこしやす
本文:殺したい人の名前と年齢を返信のこと。あ、名前は必ずフルネームで正確にね♪
……はぁ。
美佳はなんだか気が抜けた。
これって、気の利いたイタズラじゃ?
人を呪い殺すのを請け負うってのに、これじゃまるでコントのネタのようだ。
何だか分らないけど、付き合ってやろうじゃないの。
『塩崎和代 14歳』。
そう入力して、美佳はケータイの送信ボタンを押した。
その瞬間、何かガツン、と殴られたかのような衝撃を頭部に感じ、そのまま気を失った。
「おやおや、気が付いたかい」
意識を取り戻した美佳は、こめかみを指で押さえながら立ち上がった。
彼女は周囲を見渡した。
8畳くらいの広さの部屋の中。
天井から古風なランプがひとつぶら下がっているだけで、かなり暗い。
部屋の中央には、黒い布で覆われた小さな机があって、その前に魔法使いのようないでたちの老婆が座っていた。
「依頼人はアンタだね。まぁ、座りな」
何がどうなっているのか把握できずにいた美佳だったが、とりあえず手近にあった椅子を引いてきて、机をはさんで老婆と向かい合った。
「もしかしてお婆さん……恨みを晴らしてくれる人なの?」
それを聞いた老婆は、憤慨した。
「失礼な! わたしにゃ、『麗華』っていう立派な名前があるのさ! お婆さん、なんて失礼にもほどがあるわい」
美佳は吹き出した。
その年と顔で……『麗華』ですって!?
湧き上がってくる笑いをかみ殺しながら、言い直した。
「ハイハイ。それではレイカさん、私にはどうしてもゆるせない人が一人いるんです」
美佳はいじめのこと・和代のこと・セミヌード写真をネタに10万円をゆすられていることを話した。
「ふぅん」
老婆、つまりレイカ婆さんは、鼻で笑った。
「時代も変わったねぇ。あんたが大変なのは分かったけどねぇ、最近の子ってのはそんくらいのことでもブッ殺すだの地獄に落ちろだのって、軽々しく言うもんなんだねぇ」
「でも——」
美佳は、キッと強い視線でレイカを見上げた。
「私にとっては、深刻なんです! このままじゃ、私ダメになっちゃう。何とかしてくださるなら、どんな代償でも払いますから! あ……お金以外なら、ですけど」
レイカは腕組みをして考え込んでいたが、ややあって口を開いた。
「……その和代、とやらを呪い殺すことは簡単じゃ。しかし、その代償はあんたの魂さ。あんたの魂は体が死んだら、『黄泉』という場所を永遠にさまよう。分りやすく言うと、地獄行きってやつだよ。ホラ、シャクトリムシだかなんだかが、テレビでやってたじゃないか。『お逝きなさい……』とかって」
レイカは、演技力たっぷりに、部屋のドアを指差してポーズを取った。
「あの……それって、スカイハイの釈由美子のことじゃ? とにかく! 私は本気なんです。やってくれるんですか、くれないんですか!?」
再び長椅子にふんぞり返ったレイカは、テーブルの上にあったリモコンのようなものに手を触れた。
今まで暗がりで分らなかったが、左の壁にはテレビの液晶画面のようなものが埋め込まれていたのだ。
暗室が急に明るくなり、何やら街角の風景のような映像が浮かび上がった。
「まぁ、あせるでないよ。ドモホルン・リンクルでも何でも、『無料お試しセット』ってのがあるだろ? 手間賃はタダにしといてやるから、ひとつその和代とやらが本当に呪い殺すに値する人間かどうか確かめてみようじゃないか」
見ていると、街の映像の一角がクローズアップされて、一人の女子中学生の歩く姿が大写しになった。
……あれは、和代だ。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「ただいま」
和代はこのかた、明るい声でこの言葉を言ったことはない。
あきらめも漂う語調にのったその音声は、雑然とした営業準備中の店内に吸い込まれた。
暗い店内のカウンター内だけに明かりが灯っている。
その内側で、タバコを吸う母の姿が見えた。
和代の母は、面倒くさそうに顔をしかめて和代をジロッと見やった。
「今日は、隣りの印刷所の職員さんが団体で来るらしいから、8時からは店手伝いなよ」
「お母さん……また昼間からお酒飲んでたの?」
責めともあきらめともつかないか細い声で、和代はつぶやいた。
「……これが飲まずにいられますか、っていうのよ。ホント人生何でこうも思い通りにいってくれないものなのかしらねぇ! まぁ飲み屋だからお酒はいくらでも手近にある、ってのも皮肉なものなんだけど」
カウンターの奥の棚には、洋酒やら日本酒やら、かなりの種類の酒瓶が所狭しと並んでいた。
「母さん。高校へ行く話、考えといてくれた?」
和代は遠慮がちにそう聞いた。
「アホぅ。ウチにそないな余裕があると思っとるんか! 義務教育終わったら働いてもらわんと困るわ。ただでさえウチの店も火の車や、ちゅうのに……アンタはめっちゃ器量よし、とまではいかんけど、若い女やったらガッポリ稼げる商売だってあるよってな……育ててきた恩、きっちり返してもらわんと」
もともと脈があるとは思ってはおらず、ダメもとで聞いてみたことではあったが、いざハッキリと断られてみるとココロにかなりこたえた。
「あ。それはそうと……今日はあの人が来てるんよ」
和代の顔がこわばり、体が硬直した。
「面倒なことにならんうちに、はよ二階に上がり」
最悪の知らせでも聞いたかのように呆然として、和代は後ずさりした。
「イヤ……イヤよ」
そう言ってかぶりを振った和代であったが、何をどうしようがこのアリ地獄から抜け出せないことだけは分かっていた。
「…………!」
「よう和代。しばらくぶりやな。元気にしとったか?」
和代の父・義雄はズボンのポケットに手を突っ込んだまま、ダミ声でそう声をかけてきた。
二階の和代の部屋に勝手に入って待ち構えていた義雄の前に、和代は蛇ににらまれたカエルのように身を硬くした。
「お前も中学生になって、ちょっとは出るとこも出てきて…………可愛らしゅうなったやないか」
ゴツゴツした手を無遠慮に、和代の胸に這わせてくる。
言い知れないほどの嫌悪感が、和代の頭のてっぺんからつま先までを貫いた。
我慢できなくなった義雄は、和代をベッドに押し倒して折り重なった。
制服のブレザーのボタンが弾け飛ぶ。
酒とタバコの入り混じった臭気を間近で吸い込んだ和代は、顔をしかめた。
実の父親によってあらわにされたまだ幼い胸には…
ハッキリと、痛々しいミミズ腫れの跡が見て取れた。
和代は、首から下の感覚のチャンネルを切り替えた。
自分のココロの中に、一切の情報が入ってこないように。
小学校の時から数えたら、これで一体何回目だろう?
いい加減慣れて、何でもないことのように思いたい。
でも、これだけは…………ムリ。慣れるなんて、あり得ない。
必死でしがみついてくる父親をよそに、和代の目からは一筋の涙が頬を伝った。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「いやああああああ! もう、やめてぇぇぇぇ」
突然、美佳は金切り声を上げた。そして机に伏して、泣き出してしまった。
「あらあら。これからがいいところだった、ってのにさ」
レイカ婆さんは、リモコンに手を触れて映像を消した。
「そりゃまぁ、かわいそうだけどさ。でも、あの子がアンタを苦しめている、ってことに変りはないわけだろ? そんじゃ、早速やっちゃうかい?」
レイカはそう言って、首を斬るゼスチャーをしてみせた。
美佳はこの時すでに、和代を恨んでなどはいなかった。
……これじゃ、私をいじめて追いつめる前に、あんたのほうが先に壊れちゃうよ——
「やっぱり、もういいです」
レイカは肩をすくめた。
「あれま。言うことのころころ変る子だねぇ。人間、主義主張が簡単に変るようじゃいけないよ! でもまぁ……今回は本契約前だし。クーリングオフも適用、ってことで」
レイカ婆さんが指をパチン、と鳴らすと、またもや美佳の視界はグルグルと回転し始め、やがて意識が遠のいていった。
次の日の朝。
美佳は、はた目にもかなり思いつめていると分かる険しい表情で、登校してきた。
校内を歩く生徒たちは、彼女の迫力を見るや否やササーッと身を引いた。
さながらその姿は、紅海を真っ二つに割って中の陸地を歩いたモーセのようであった。
教室のドアをガラッと開ける。
真ん中には、仲良しグループと談笑している和代の姿があった。
美佳は、何の躊躇もなく真っ直ぐに、ツカツカと和代の前まで歩み寄った。
あっけにとられている和代の頬に、美佳は渾身の力を込めて平手打ちを喰らわせた。
……パチン!
クラス中の時が止まった。
教室全体を不気味な静寂が支配した。
そしてクラスメイト達は、さらに意外な光景を目の当たりにした。
美佳は、ガバッと和代を抱きしめ、ワンワン声を上げて泣き出したのだ。
驚愕の表情を浮かべていた和代だったが、彼女もまた、どういうわけだか泣けてきた。
二人の泣き声は、クラスと外の廊下中に響き渡った。
和代は、児童相談所に保護された。
数々の難しい手続きと裁判を経て、両親の親権は剥奪された。
しばらくは養護施設に身を置いたが、やがて彼女の後見人になってもいい、と申し出てくれた遠い親戚の家に、身を寄せることに決まった。
あの日以来、和代と美佳が話し合ってきて収めた勝利である。
和代の引越しの前日は、クラスで盛大にお別れ会をした。
親戚の車で街を去っていく時、見送りに駆けつけた美佳は、和代と抱き合って泣いた。
「冬休みになったら、ゼッタイ会いに行くからね……」
そう固く約束した後、和代を乗せた車は、やがて美佳の視界から消えていった。
手を振って立ち尽くしながら、美佳はふと思い出した。
……そう言えば、レイカ婆ちゃんは今どうしてるんだろ?
元気でやってるのかな?
一言、お礼が言いたいな。
美佳は時々あのアドレスにメールを送ったりしてみるのだが、二度と返信が来ることはなかった。
「おい。レイカ婆さんや」
「なんだい! うるさいねぇ。……ああ、死神NO.425かい。また、月末の取立てかい?」
黒のスーツに身を固めた、暗い表情の男は、レイカの前に腰掛けた。
「あんた、ゼンゼン商売になってないじゃないか。今年に入ってからアンタが地獄に送った魂はゼロじゃないかよ! そんだけ思いとどまらせてばっかりいるんじゃ、無理もないわな」
レイカは、コカコーラ・ゼロの缶のプルタブを引いて、一気にあおった。
「フン。なんだかんだ言って、アンタも結構楽しんでいるじゃないか! それはそうと、あの和代、って子の親権裁判の操作、ご苦労さんだったねぇ」
「なぁに、わけないさ、判事の心理操作くらい。ま、人間界に必要以上に干渉するのはタテマエ上は禁止だからな。これは婆さんと俺との秘密、ってことで」
「…婆さんじゃない! レ・イ・カとお呼び! 何度言ったら分かるのさ」
コーラを飲み干したレイカは、遠慮するそぶりなど微塵も見せず、大きなゲップをした。
「あ、そうそう。チラッと小耳にはさんだんだけどな、普通のコーラもカロリーゼロのコーラも、肥満への影響度はそれほど大差ない、っていうウワサがあったぜ。真偽のほどはビミョーだけど」
「マジかい! そりゃ聞き捨てならないねぇ。今度ちゃんと調べとかなきゃ……」
そう言い終らないうちに、レイカ婆さんのスマホの着メロがなり響いた。
そのメロディーは、悪趣味なことに『着信アリ』というホラー映画で効果的に使われていた着メロだった。
「あらまぁ、来た来た! 今度こそまっとうな商売でもしてみるかねぇ」
ニンマリとしながらも、レイカは最近の女子高生並みの素早い指さばきで、返信を打った。
件名:おこしやす
本文:殺したい人の名前と年齢を返信のこと。あ、名前は必ずフルネームで正確にね♪
邂逅 ~レイカ婆さんの殺人依頼控~ 賢者テラ @eyeofgod
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