ハリケーン・チャイルド

賢者テラ

短編

 全ての始まりは、電車の中だった。



 大学生になったばかりの明美は、サークル活動後のカラオケ会で調子に乗って延長を繰り返したせいで、帰りが遅くなってしまった。

 夜の九時半を過ぎた下り列車は、満員でこそないがそこそこ混み合っていた。

 明美はつり革に体重を預けながら、明日提出しなければならないレポートのことを思い出し、大きくため息をついた。



 ふと、乗車口のドア付近を見ると——

 高校生のグループがべったりと地べたに座り込んでいて、ちょっと耳につく大声でしゃべっていた。

 ・・・制服からすると、私の母校じゃん。評判下げないでよね、まったく。

 注意して逆に被害に遭う事件が多発しているせいか、彼らに声をかけようとする者はいないかに見えた。もちろん、明美自身もその例外ではなかった。



 その時、一人のサラリーマン風の男が、高校生グループの前に立ちはだかった。

 彼らは何やら口論を始めた。明美の位置からは全てのやりとりは聞こえなかった。

 様子からすると、日頃の傍若無人さをたしなめられた経験に乏しい高校生達は、逆ギレしだしたようだ。

 「なに、このオッサン キモ~イ」

 「おい、あんたウゼーんだよ!」

 短気な彼らのうちの一人に突き飛ばされてよろけた男は、動揺することなく彼らに向き直った。

 車内は、このやり取りを固唾を飲んで見守る乗客達のゆえに、シーンと静まり返った。

 こうなった今、明美の位置からでも全ての会話がハッキリ聞き取れる。



「今、君らがしたことは東京都の迷惑防止条例の五条、刑法の第二百八条に底触する。

 前者は二年以下の懲役若しくは三十万円以下の罰金、後者は6ヶ月以下の懲役または五十万円以下の罰金だ。

 今から鉄道員に報告して警察に取り次いでもらうが、構わないね?覚悟の上だね?」



 よくもまぁ、そんなにスラスラと言葉が出てくるもんだー。

 暗記物の勉強に日々苦慮している明美は、感嘆した。



 一方、それを聞いた高校生グループの面々は青ざめた。

 男は彼らに、次の駅で駅員に引き渡すから降りろ、と要求した。

 男の言葉には力があり、一歩も引かない構えだった。

 グループの女子達は、ワンワンと泣き出した。

 あまり似合っているとは言えない、ちょっと派手なメイクが崩れていく。

 男共も、しょげてうなだれていた。必死に謝る高校生達。



 車内からは拍手が上がった。

 「君、よくぞ言ってくれた!」 とハゲたオヤジも惜しみない賛辞を送った。

 明美は、その時はただ「すごいな。私も、あんな風に思ったことを素直に行動できるようになりたいな」と思い、感心しただけだった。

 自分の降りる駅に着いた明美は、興奮冷めやらぬ車内をあとにした。

 様子からすると、男は今回は若者達を許してやることにしたようだ。

 しかし。この出会いが、自分のその後の運命を大きく変えることになろうとは……

 明美自身、この時は夢にも思わなかった。



 それから数日後。

 明美は、駅の改札を抜けた外の広場で、一人の男が何やら演説をしているのを見た。

 そこは、大きなデパートとも連絡できるエリアとなっているため、人通りの多い場所ではあった。

 悲しいほど、男の話に耳を傾ける人はいない。当然、立ち止まって聞いている人など誰一人いない。

「宗教かな?」

 何だか、そうでもないようだ。

 不思議な興味を持って近付いてみると、演説していたのは何と、かつて電車の中で高校生達に勇気ある注意をした、あの男であった。

 近寄ってきてジロジロと自分を見る明美に、男は気付いた。

「えっと君、何か僕に用かな?」



「アハハハハ、なるほど。君はあの時車内で全部見ていたわけだ」

 明美と男は近くのミスドに入り、客席で向かい合っていた。

「ええ。最近ではああいうことはなかなかできないことなのに、って感心してたんですよ」

 コーヒーカップをトレーに置いた明美は、身を乗り出して聞いた。

「ところで……大沢さんは何の演説をなさっていたんですか?」

 さっき自己紹介を受けて覚えた男の名前を、さっそく使った。

「僕はね・・・『自分に正直に生きよう、ダメだと思って何もしないんじゃなく、とことん行動して世の中を変えていこうよ。行動する仲間になろうよ』って世間に訴えているんだ」



 明美には、感じるものがあった。

 私も、車内で迷惑な人がいても、自分からは何もしないだろう。誰かが何かしてくれるのを待っているだろう。

 いじめ、自殺、不正、犯罪、学校でも社会でも政治でも、どこでも矛盾やマチガイだらけ。

 そして格差社会。恵まれている人、かたや明日食べるものにも困っている人。

 お金はあるところにはあり、ないところには悲しいほどない。

 こんな世界で生きる私たちは、だからって何か行動するわけでもなく、ただ世の中からはじかれないように自分と、自分に関わる一握りの人の幸せだけを考えて生きている。

 誤解を恐れずに言えば、それ以外の人がどうなろうとさほど胸は痛まない。

 もちろん、建前はそんなこと言わないけどね。人は痛ましいニュース聞いても、すぐに忘れて楽しくできるでしょ?



 ……人は、何かを感じたり思ったりしても、自分をしばるものがあまりにも多いために、結局何もできない、流されて生きるしかない生き物なんだなぁ。



 次の日。

 大学の講義を聴講し終わった明美は、思い切ったことをした。

 何と大沢と待ち合わせて、駅前で一緒に演説に立ったのだ。

「皆さん! 日々流されて何気なく生きるのをやめて、私たちが心に思った素直な気持ちに従って、行動しませんか?」

 誰も振り向いてくれない。侮蔑の表情を見せて通り過ぎる人もいる。

 それでも、二人は叫ばずにはいられなかった。恥ずかしいとかツライとか、そういう感情はもはやなかった。



 三時間ほど経った時だろうか。

 大沢と明美の前に、一人の女子高生が立った。

 「私……学校でイジメられてるんです。先生も親も、助けようとはしてくれません。してくれても、ある程度までしか踏み込んでくれないから、結局余計、悪いことになっちゃうんです。見てください——」

 ブレザーの制服をまくり、シャツの袖のボタンを外した。

 あらわになった彼女の腕には、目をそむけたくなるようなリストカットの跡がのたくっていた。



 デニーズに場所を変えた三人は、長時間語りあかした。

 少女の名は佐藤久美、高校二年。

 実は、大沢が一人で演説している時から興味をもっていたのだが、なかなか声をかけにくかったのだそうだ。

 しかし、年もそう変らない同性の明美が増えたことで、思い切ってやってきたのだ、という。

 三人は、相談の末ひとつの作戦を考え出した。



 翌日。

 放課後の高校の校門前で、チラシを必死に配る三人の姿があった。



 「学校がツラい人大集合! 一緒に楽しく勉強しようよ♪」 



 チラシには、そう書かれていた。

 久美はもはや学校へは行かず、大沢と明美の二人と行動を共にした。

 マックやモスバーガーなどのファーストフード店に行き、そこで大沢と明美が彼女に勉強を教えた。

 その他の時間で駅での演説に立ち、時には映画に行ったり、テーマパークに遊びに行ったりもした。

 次第に、久美の表情に明るさが戻っていった。



 そしていつしか、いじめに悩む生徒、学校がツラいと感じている生徒が、久美にどんどんアプローチしてきた。

 一ヵ月後。

 男子生徒15人・女子生徒22人が仲間に加わった。



 ひとクラス分ほどの人数になったこの集まりは、組織化が必要になった。

 大沢と明美以外は高校生だったから、時間割を作った。

 そして、話し合いで月曜日はマック・火曜日はミスド・水曜日はロイホ……など、「授業の教室」も決めた。もちろん、昼食込みである。

 土日祝日でさえも彼らは自主的に集い、共に楽しく過ごした。

 そこには規則もイジメもなく、互いが互いを尊重した。皆が、イキイキとしていた。

 大沢は学生達から一定の金額を徴収し、それを管理して日ごとの活動や食費、行事費用などに当てた。

 彼らは喜んで金を納めた。中には、それを上回る金額を 「ぜひ使ってください!」と渡してくる者までいた。



 驚くべきことが起こった。

「学校さぼって何やってるの!」

 初めはそう言って大反対していた親達が、生き生きとした表情と素直さを取り戻した我が子の姿を見て、逆に大沢と明美に感謝しだしたのだ。

 教室に使ってくれ、と家に招待してくれる家庭、みんなの夕食を作って提供してあげる、という家庭まで現れた。その親達の中からも、大沢と明美の活動に協力したい、という者もいた。



 大沢は、この集団を「組織」として明確に位置づけを与える必要を感じた。

 そこで、メンバーの大集会を開いて、様々なことを決定した。

 集まったのは大沢と明美。高校生は久美を先頭に80人。親が35人。計117名。

 組織名は、「ハリケーン・チャイルド」(嵐を巻き起こす子ども達)。

 活動のコンセプトは、「行動あるのみ。行動によって世界を変えよう!」ということで全員一致した。

 メンバーはその印として、平和の象徴である「ピースマーク」のバッジを胸に付けることになった。



 仲間になった学生の一人に、龍二という男子がいた。

 彼は、そのいかつい名前に似合わぬ華奢な体つきと端正な顔立ちをしていたが、コンピューターの天才でもあった。

 「ハリケーンチャイルド」のホームページを作成。あらゆる手段を講じ、検索のトップに立つよう、有名なランキングサイトのトップに立つよう操作した。

 掲示板に書き込んできたりして興味を持った人物への対応も増えてきたため、龍二をリーダーとして10人の人員をつけ、『ネット対策班』を組織。

 彼らは、恐るべき人脈を駆使し、全国のネカフェ難民に訴えた。

「今こそ団結の時だ!」



 高校生たちは、15人がひとチームになって、ホームレスのいる地区を回り、「炊き出し」 を行った。

 初めはかたくなだったホームレス達も、可愛い女子高生の作るカレーに、そして憎たらしさの象徴でしかなかった男子高生も「あ、よろしくっす」と言って給仕してくれる様子に、心がなごんだ。

 この時は、大沢がかつて電車で注意した高校生グループも、仲間になっていた。



 組織はふくれあがった。

 高校生の『学校外授業』だけのことで言うと、九州エリア800名。中国・四国エリア80名。関西エリア1200名。中京エリア800名。明美がエリア長を務める関東エリア3000名。東北エリア280名。北海道エリア1500名。 生徒たちだけの数だけでも、そんなにもいるのである。

 元教師や塾の講師からも、彼らの活動に共感し「教える大人」として奉仕する者が現れた。

 彼らは決まった教室を持たず、あらゆる気に入った場所が教室となった。

 破綻した英会話スクールの外人講師を、一定の給与で正式に雇い入れた。

 彼らは大変感激し、なおいっそう子ども達への教育に励んだ。



 あまりにも組織の学生たちが増えたため、募金をつのり各地に『学生寮』を建てた。

「学生であり、なおかつ未婚である ハリケーンチャイルド」の会員は、希望すればそこで生活できるようになった。

 食事当番も皆で回し、全てが自分たちが主役で作っていく生活。

 学生たちはイヤイヤではなく、進んでそれをした。



「登校拒否」や「引きこもり」の子どもの家を訪問する活動も始めた。

 佐藤久美がリーダーとなって始めた奉仕活動である。

 すでに似たようなサービスが世の中にはあったが、ハリケーンチャイルドのそれは、既存の組織を凌駕する実績をたたき出した。奉仕員が、かつては彼らと同じであったが、組織に来て救われた者たちばかりであったため、目線が子ども達に近かった。

 恐れずに踏み込んだ関わりを持つ彼らの中では、訪問相手とカップルになる者までぞくぞく出てきた。

 そこは仕事として一線を引く従来のニート支援では、考えられないことだった。

 そして、我が子の復活に感激した親がさらに会員になっていき、もはやハリケーンチャイルドは、無視できない社会現象となった。



 教育界・つまり学校側は、ハリケーンチャイルドを敵とみなした。

 子どもにどんどん去られては、彼らの生計が立ち行かないからである。

 大手企業も彼らを憎んだ。

 ある時なぞ、賃金交渉・労働条件をめぐり、社員全員が団結して本当に誰ひとり出社しないというという事態を招いたことがったからだ。

 世間でよくあるストライキのレベルではなく、この時に動かないと大きな機会を逃し、ストどころでなく会社自体の存亡に関わる、というタイミングでも誰も戻らなかったのだ。

 これには、会社の理事会もド肝を抜かれた。

 もちろん、糸を引いていたのはハリケーンチャイルドの会員だった。



 裏社会も打撃を受けた。

 ハリケーンチャイルドの世界では、男女が健全に結ばれていくため、風俗やアダルトショップ、出会い系の類を必要としなかった。

 それどころか「そんなものなくても、ハリケーンチャイルドになれば幸せになれる!」と運動しだした。

 夜の繁華街で、プラカードを掲げた大規模な行進がねり歩いた。そして、お水の女や風俗嬢たちに訴えるのだ。

「そんなにお金が大切か? もっと大事なものがここにはある。求めよ!」



 広域暴力団は実力行使に出た。

 数度、ハリケーンチャイルドの支部を襲撃してきた。

 その事件で、全国で百名余りの犠牲者を出したハリケーンチャイルド側は、各支部で警察または自衛官職にある者・武道の心得のある者を選び、自警団を作ってこれに対抗しようとした。

 ある日の夜。意を決した明美は、歌舞伎町一帯を牛耳る『正和会』の会長宅に堂々と乗り込んだ。

 日本刀を首に突きつけられても眉ひとつうごかさずに鋭い眼光を放ってくる明美を、会長は見所のあるやつ、と認めた。

 そして、ハリケーンチャイルドを支援することを申し出た。



 あまりにも組織は強大になりすぎた。

 日本中どこへ行っても、街を歩く人の半分は、胸にピースマークのバッジをつけている、という光景が当たり前になった。

 明美は、関東を大沢に託し、関西エリアの長として赴任するべく別れを告げた。

 そして久美は、最も多くの人口が会員となった、北海道エリアのエリア長として元気に旅立って行った。

 もはや、彼らの勢いを止められるものは何もなかった。



 この事態を重く見た諸外国は、日本政府に圧力をかけた。

「国が国として国民を治めきれてないではないか。このままでは我々と等しい国家として認めるわけにはいかない——」

 政府は、『対ハリケーンチャイルド特措法』を起案。裏工作までして衆・参両院を通過させた。



「全ての国民は、ハリケーンチャイルドを脱退せよ。そのメンバーと認められる者に対しては、一切の社会的立場を剥奪される。社会福祉が受けられないことはもちろん、その者への物品の売買をも禁ずる。」



 ハリケーンチャイルド達は、地方に大移動した。

 そこで土地を買い、また地元の農家に協力するなどして自給自足の生活をしだした。

 若い労働力が突然沢山やってきた農家は彼らを大歓迎した。

 自分たちの学校・病院・市場、挙句は発電所まで建てだした。



 これでは生ぬるい、ハリケーンチャイルドの勢いを止められないと考えた政府は——

 とうとう目に見えた形での実力行使に出た。

 警察、軍事の総力を挙げてこれを叩くと決議した。

 実際、彼らの中にはハリケーンチャイルドをそれほど憎んでいない者も多くいた。

 だが敵対せざるを得ないのは、彼らが特権階級であり、かなりの財産を持っていたからだ。それを守りたかったのだ。

 なぜなら……ハリケーンチャイルドの社会では、みなが平等であった。

 金銭も、必要な分だけ平等に分け与えられた。それに従うことには、抵抗があった。



 明美の耳に、悲しい情報が飛び込んできた。

 「北海道消滅」——

 防衛庁は、ハリケーンチャイルドの士気をくじく第一撃として、その道民のほとんどがメンバーと化してしまった北海道に白羽の矢を立て、S.V.E大陸長弾道ミサイル(System of Valuable Energy cell の略。放射能汚染なく、核と同等の破壊力を与えられる。プラズマエネルギー理論を応用・開発された)を撃ち込んだ。

 後日談であるが、これは軍部の一部の幕僚の暴走であったと言われている。さすがに内閣総理大臣も、そこまでするつもりはなかったらしい。

 しかし、ともかく後に引けなくなった政府は、各地に配備中の全戦闘機・戦車部隊の出動を要請。イージス艦さえも、沿岸からの砲撃に借り出された。

 ハリケーンチャイルドの生活の拠点となっていた大分・鹿児島・佐賀・島根・鳥取・徳島・和歌山・福井・富山・山梨・静岡・栃木・秋田・山形・青森の各県に火の審判が下った。

 空は紅に染め上げられ、女子どもの悲鳴は天に轟いた。



 「しばらく、一人にしてくれる?」

 久美を失った明美は、その夜を泣き明かした。

 駅前で、リストカットの跡を見せてきた久美。そして活動を通して明るさを取り戻した久美——。

 明美の絶叫は、側近の者たちにも漏れ聞こえ、彼らの胸を打った。




 最期決戦の総司令部は、大阪城。

 ハリケーンチャイルドの残存勢力は、そこに結集した。

 国家側は、もはやS.V.Eなどの大型火力は使用してこなかった。国際世論を恐れてのことであろう。

 現在、日本の総人口は明美が平和に女子大生をしていた頃の1万分の一にまで減ってしまっていた。

 そんなことになっても、戦争は終わらない。



 大沢が死んだ。

 彼と、政策上の意見の違いから衝突した幹部の犯行だった。

 その情報は、明美の精神をさらにズタズタにした。

 大沢のゆえにこの道に来た明美は、心のより所を失った。

 彼女の好むと好まざるとに関わらず、明美はハリケーンチャイルドという強大な組織の総大将になってしまったのだ。



 明美の昔からの仲間は、もはや龍二だけになった。

 大阪城内の一角に設けた総司令室でコンピューターを操作していた龍二は、明美に声をかけた。

「準備オッケーだよ。いつでも始められる」

 もう、道は一つしかない。明美は宣言した。

「作戦開始!」



 レーダーはすでに、茨木・吹田方面から接近してくる国家側戦力のF14戦闘機の機影を捉えていた。

 北新地のビル群をつぶして建てた砲台が、うなりをあげて稼動する。

 機体の旋回能力や逃げ道まで計算して出した座標に向けて、地対空ミサイルの雨を叩き込んだ。

 見事にこれを撃破。問題は、戦闘ヘリと戦車隊だ。

 火力だけのことでいうと、圧倒的にこちらのほうが不利だ。 

「明美さん、東大阪の学研都市防衛ライン・天王寺~大宮基地が突破されてしまいました・・・!」



 それは正に、『阿鼻叫喚』であった。

 大人と子ども、男と女。あらゆる人たちが武器を取って戦っていた。

 戦車に轢かれる老人。銃を取る小学生。

 死んだことが理解できず、親の死体を揺すって眠りから起こそうとする幼子——

 もし、神という 「人類を生み出した親」 がいたとしたら、気が狂わずにはいられない光景であることだろう。



「S.V.E.が来る!」

 龍二は叫んだ。

「うそ……」

 政府は、ラチがあかないと思ったのか、ヤセがまんをやめたのか、最も楽に決着がつく最終手段を取ってきた。S.V.E.弾頭を搭載したイージス艦が動き出したのだ。

「明美さん! 生き残りを連れて地下のシェルターに避難するんや!」

 もはやこれまで、と観念した明美は、生き残り全員に退避命令を出した。

 ……500人が、三日は生きられるはず。



 シェルターに避難した生き残りたちは、身を寄せ合ってジッとしていた。

 明美は、その中に懐かしい顔を見た。

「あ、あなたはあの時のー」

 電車で、大沢に注意されて泣いていた女子高生。

「……そうですかぁ。あの時見てはったんですかぁ」 

 少女はエヘヘ、と恥ずかしそうに笑った。


 

 でも・・・何でですかねぇ。世の中を良くしよう、って始めたことやったのに。

 なんでこんな悲惨な結果になったんやろ? どこで間違ったんやろうね?



 龍二が、いない。

 それに気付いた明美は、通信機に向かい、周波数を合せた。

「龍二君、聞こえる? あなた今どこ? 帰ってこないと死んじゃうよ!」

 数秒のノイズの後、彼の声が聞こえた。

「明美さん、オレ今、飛行機で大阪湾上空」

 明美は言葉を失った。

「あなた一体、何をする気??」

「昔の戦争で、神風特攻隊、ってあったやろ? あれやってくるわ」

「戻りなさい! これは命令です」

 必死に叫ぶ明美。

「……止めんといて。あいつらまだ何発かS.V.E.持っとる。オレらがかなり軍事力削ったから、国がまともに動かせるイージスはあれ一隻だけのはずや。あれさえ叩いといたら——」

 龍二が一度何か言い出したら聞かないのを、今までの付き合いで明美はよく知っていたから、それ以上何も言うことができなかった。



 明美さん。日本のこれからを頼んだで。

 それから、最期に……好きやったよ、明美さんのこと



 レーダーをかく乱できるジャミング波を発しながら、龍二の乗ったセスナ機はイージス艦 「ニューホープ」 に接近した。

 座席に搭載したC2魚雷と共に、その機体は艦に激突していった。





「シスター、芽が出たよ! ジャガイモ、できたねぇ」

 ちっちゃい女の子の喜びの声に、腕まくりをしてクワで土を耕していた明美は、振り向いて笑顔を見せた。



 ……やっとこの土にも、作物が生えるようになった。



 第二次大戦後の日本はアメリカ、つまりGHQによってはじめ監督された。

 今回はそれが国連、という組織になったというだけで、また同じことが繰り返されようとしている。

 先進国だった日本は、影も形もなくなった。

 今では、政府側もハリケーンチャイルド側もなく、戦後の焼け野原で皆が肩寄せ合ってつつましく生きている、という現状だった。 

 明美は、国連大使から「日本のリーダー」としての位置を打診されていたが、熟考の末に断った。

 そして、もとは大阪であった焼け野原に、キリスト教会を建てた。

 シスターとして被災した子ども達を育てて、ひっそりと暮らしている。



 聖書には、こう書いてある。



 私は、火を投じるために来たのだ。

 私が、平和をこの地上にもたらすために来たと思っているのか。

 そうではない。むしろ分裂である。

 今から後は、一家の内で5人が相分かれて、3人は2人に、2人は3人に対立し、また父は子に、子は父に、母は娘に、しゅうとめは嫁に、対立するであろう。



 キリストは、地上で良いことしか言ったりしたりしなかったのに、最後には十字架で処刑された。

 私は、正しいことをしてきたはずなのに。そして、その信念に従って行動し、世を変えようとしてきた——。

 明美は、礼拝堂で大沢、久美をはじめとする尊い犠牲者に祈りを捧げた。

 ……龍二君、ごめんね。

 彼女に、悔いはなかった。しかし逆に、自分は絶対に正しいのだという確信もまた、なかった。

 何が正しく、何が間違っているのか。

 そんなことを考えるのに、明美は疲れ果てた。

 今の私に出来るのは、あの子たちのために生きることだけ——。



「シスター、カレーの準備ができましたよぉ」

 シェルターで再会した、あの女子高生が声をかけてきた。彼女も、明美の教会で子どもたちのために一緒に働いてくれているのだ。

「はぁい」

 明美は明るく返事をして、礼拝堂をあとにした。



 食堂では、あたたかい食事と共に、子どもたちがシスターを待っているのだ。

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ハリケーン・チャイルド 賢者テラ @eyeofgod

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