第17話 コルト・ローマン

 わたしは1人、街を歩いていました。

 買い物を終えて、帰宅する途中です。ご主人様からは、必要なものを購入するために使うようにと、おカネを預かりました。必要なものについては、わたしが1番詳しいだろうからと、わたしに一任してくれました。

 大切なことをわたしに任せてくれて、わたしは浮き足立つような気持ちで、買い物に出かけました。ご主人様は、とてもお心の深いお方です。


「えーと……もうこれで、全て買い終えましたね」


 わたしは両手で抱えた袋の中身を見て、必要なものが入っているかどうかを確認します。

 袋の底の底までは見えませんでしたが、もうこれで大丈夫です。


「帰ったら、ご主人様に紅茶をお出しして――……!!」


 そんなことを考えながら歩いていたわたしは、目を見開いて立ち止まりました。



 前方から、遍歴学生の集団がやってきたのです!



 遍歴学生については、わたしも知っていました。

 遍歴学生は、各地を放浪しながら勉強している学生たちです。歳はわたしやご主人様とほとんど変わらない若い方が多く、街に出るとよく見かけることがありました。

 ほとんどの遍歴学生は、土地から土地へ移りながら孤児院や学校に通えない子供たちに勉強を教えたり、自分の学んでいることをさらに学ぼうとしています。真面目な方が、多いのです。


 しかし、中には非行へと走る遍歴学生もいると、わたしは聞いたことがありました。

 それに今、わたしに向かって歩いてきている遍歴学生は、全員が男性です。

 さらに悪いことに、わたしの両手は塞がっています。


 もしかしたら、わたしに襲い掛かってくるかもしれません。

 襲い掛かってきたら、とてもではありませんが、わたしは反撃することなどできません。

 両手が塞がっている上に、わたしには男性を返り討ちにできるほどの力は無いのです。


 そうなってしまったら、ご主人様とはもう会えなくなってしまいます。

 それどころか、ご主人様が使用人に対する安全配慮義務を怠ったとして、使用人保護団体に逮捕されてしまうかもしれません。

 そんなことは、わたしにとってご主人様と会えなくなるよりも耐え難いことです。


 逃げます!

 今の状況では、逃げる以外に最適な選択肢がありません!


 わたしはいつでも逃げられるように、片足をそっと後ろへと引きました。


 そしていよいよ、遍歴学生の一団がわたしに近づいてきました――!




「こんにちはー」


 遍歴学生が、わたしに挨拶をしてきます。


「こ、こんにちは……」


 わたしは遍歴学生に挨拶を返します。

 もちろん、まだ緊張状態です。


「メイドさん、最近は何かと物騒なので気を付けてくださいねー」

「俺たちも、これから宿に行きますので!」

「道中が安全なものであることを、祈っております」


 遍歴学生たちは、わたしにそう云って通り過ぎていきました。

 何事もなく、遍歴学生たちはそのまま角を曲がって、通りの向こうに消えてしまいました。


 わたしは全身から力が抜けていくような感じがして、その場にしゃがんでしまいそうになります。

 しかし、こんなところでしゃがんだら、注目の的です。


 急いで、わたしはご主人様が待っている家へと向かって駆け出しました。




「ただいま戻りました!」

「お帰り、マリア」


 マリアが、帰ってきた。

 オレは読んでいた新聞を畳み、イスから立ち上がる。


 マリアはすぐに居間に移動し、両手で抱えていた袋を置いた。

 袋の中からは、次々に物が出てくる。これだけのものを、1人で運んできたことに、オレは驚いた。


「あっ、大変!」


 突然、マリアが叫び声をあげる。

 こういう時、何があったのかは、もうだいたい察しが付くようになっていた。


「何か、買い忘れでもあったのか?」

「ご主人様、申し訳ありません!」


 マリアが、オレに向かって頭を下げた。


「夕食の食材を、買い忘れてしまいました!」

「なるほどな……」


 オレはチラッと、時計を見た。現在の時刻は、16時半だ。


「すぐに、もう1回買い物に行ってきます!」


 慌てて買い物かごを手にしたマリアを、オレはそっと引き留める。


「マリア、今日は行かなくてもいいよ。こんなに運んできたんだから、疲れているんじゃないか?」


 居間のダイニングテーブルに並べられた数々の品物を見て、オレは問う。

 全て1人で運んできたとはいえ、女性にはかなりキツイ重量だったに違いない。マリアは、そんなに筋力があるほうではない。


「しかしご主人様、このままでは夕食が作れなくなってしまいます!」

「心配いらない。たまには外に食べに行くのもいいだろう?」

「でも、おカネがかかってしまいます……」

「大丈夫。たまには、贅沢してもいいさ」


 オレのその一言で、マリアはようやく外食に同意してくれた。

 こうしてオレとマリアは、今夜の夕食を食べるために、夜の街へと繰り出すことになった。


 代書人事務所の営業が終わると、オレは事務所を閉めた。

 服を着替えて外出の用意を整えると、マリアと共に夜の街に出る。そしてオレはマリアを連れ、レストランへと向かった。




「ご主人様、ありがとうございました!」


 レストランで夕食を終えた後の帰り道。

 マリアと共に並んで自宅へと向かっていると、マリアがオレに頭を下げてきた。


「夕食、とっても美味しかったです。ご馳走様でした!」

「それは良かった。マリアの口に合ったようで何よりだ」


 マリアはゆっくりと、尻尾を左右に振っている。喜んでくれたのは、確かなようだ。

 しかし、オレはレストランにいるときのマリアを見て、悔やんでいることがあった。


「……マリア」

「はい、ご主人様」

「今度、メイド服じゃなくて……ドレスを買いに行こうか」

「そっ、そんなっ!」


 マリアが慌てた表情になった。


「わたしにドレスなんて、もったいないです!」

「マリア、ずっと浮いていただろ? 他の客から奇妙な視線を向けられていて、可哀そうに思って……それに、マリアにも外出用の衣服は必要だ。今度、買いに行こう」

「ご主人様……ありがとうございます!」


 お礼を云ったマリアの尻尾は、先ほどよりも激しく左右に振れていた。




 事務所の近くまでやってきたとき、路地裏からオレとマリアの前に、数人の男たちが現れた。

 若い声と身なりからして、遍歴学生に間違いなかった。


「おい、あんた」


 遍歴学生の1人が、オレに声をかけてきた。

 どうやら、無視してはくれないらしい。


「金持ちだろう?」

「……どうしてそう思った?」

「見ればわかる。メイド雇っている奴なんて、金持ちしかいない。それくらいは知っているさ」


 マリアを連れていたから、そう見えたのか。

 オレは自然と、マリアをかばうように手が動いた。


「メイドを雇うのは、禁止になっただろう? 悪いことは言わねぇから、持ち金とそのメイドを置いていけ」

「メイドは俺たちが、保護団体に連れていくからよ」

「金は罰金だ。代わりに俺たちが、保護団体に支払っておくぜ」


 遍歴学生たちは口々に言うが、それでビビッて持ち金とマリアを置いて逃げるほど、オレは腰抜けじゃない。

 ましてや、代書人はトラブルに巻き込まれることもある仕事だ。これくらいのことは、慣れている。


「ダメだ」


 オレはキッパリと、否定した。


「マリアは、メイド禁止法が成立する前に雇い入れた。だから保護団体に引き渡す対象じゃない。それに、置いていくようなおカネもない。さっき夕食を終えたばかりで、あいにく財布はスッカラカンなんだ」


 実際、財布は軽くなっていた。

 今のオレの財布には、大銀貨数枚しか入っていない。小遣いとしては心もとない金額だ。くれてやっても良かったが、さすがにこんな連中に与えるおカネを持ち合わせているほど、オレはお人好しでもない。


「さっさと帰って寝ろ。カツアゲなんかしてると、ロクな人間にならんぞ」


 オレがそう云うと、遍歴学生たちが近づいてきた。


「なぁ、あんた。あんまり煩わせるなよ……!」


 パチン。

 聞き覚えのある音に、オレの全身に緊張が走る。


 オレの目の前に居る遍歴学生が、折り畳み式のナイフを持っていた。

 こんなところで武器を取り出してくるとは、どうやら遍歴学生の中でも、かなりの不良だ。きっと札付きのワルとしてこれまでにも似たようなことをしてきたに違いない。

 下手すりゃ、殺人さえ厭わないような危険人物かもしれないな。


「ひぃっ……!」


 オレの隣で、マリアが小さな悲鳴を上げた。

 そりゃナイフなんて見せられたら、悲鳴も上げたくなる。


 いや、冷静にそんなことを考えている場合じゃない!

 マリアを逃がして、警察を呼ばないと大変なことになる!


「さっさと、出せよ!」


 苛立った声で、遍歴学生がさらに近づいてきた。


 くそっ。

 こうなったら、マリアだけでも――!


 オレがマリアに逃げるよう指示しようとした時。

 マリアがオレと遍歴学生の間に立ちはだかった。


「ご主人様、わたしに構わず逃げてください!」


 マリアが叫んだ。

 普段は大人しいマリアとは思えない行動に、オレは目を見張った。


 遍歴学生たちも驚いたらしい。

 しかし、すぐに笑いだした。


「はっはっは。こいつぁすげぇ忠誠心だ」

「さすがはメイドだな」

「いや、もしかしたら虐待を受けていて、逃げるチャンスができたとでも思っているのかもしれねぇぞ!」

「そうだな。こりゃ早いところ、保護団体に連れていった方がいいな!」


 勝手なことを騒ぎ立てる遍歴学生たちに、オレはイライラが募っていく。

 こんな奴らに、マリアを指一本でも触れさせてたまるか!


 どうやら、あれを使うしかないようだ。


「マリア、下がっているんだ」


 オレはゆっくりと、マリアの前に出た。

 正直、あんまり使いたくはないが、このままではマリアが危ない。

 それにこの遍歴学生たちにも、人に簡単に絡んではいけないということを、教えないといけない。


「おい、とっとと消えろよ!! このクソガキ!!」

「消えるのは……」


 オレは懐に手を入れた。


「……てめぇらだろうが!!」


 叫びながら、オレは小型のリボルバーを取り出し、遍歴学生たちに銃口を向けた。




「!!?」

「!?」


 オレが取り出したリボルバーを見て、遍歴学生たちは顔色を真っ青にしていく。

 取り出したリボルバーは、コルト・ローマン。

 銃身が短くて携帯するのに優れたリボルバーだが、小柄な見た目とは裏腹に、強力な弾丸を撃ち出すことができる。この距離で命中したら、十中八九助からない。

 法執行人の名を頂くコルト・ローマンによって裁きを下されるときは、果たして来るのか?


 しばらく遍歴学生たちはオレのコルト・ローマンを見つめていたが、やがて足が震え始めた。

 このまま撃ったら、たとえ命中しなかったとしても、恐怖のあまり小便をまき散らすかもしれない。


「ひ……ひぃっ!」

「に、逃げろっ!」

「助けてくれーっ!!」


 遍歴学生たちは、一気に逃げ出した。

 先ほどまでの威勢のよさはどこへやら。我先にと逃げ出すその姿は、まるで小動物のようだった。


 ものの数秒で、オレたちの前を塞いでいた遍歴学生たちは姿を消した。

 辺りが静かになると、オレはコルト・ローマンを懐にしまった。

 危ないところだった。


「さて、マリア。帰ろうか」

「は……はい!」


 マリアが少し遅れて、オレに返事をした。




「ご主人様」


 事務所に戻ってくると、マリアがオレに声をかけてきた。


「どうかした?」

「あの……その……」

「……あぁ、そうだった!」


 オレは肝心なことを忘れていた。

 そのことを思い出すと、オレはマリアに頭を下げた。


「マリア、さっきはありがとう!」

「え……?」

「オレを庇ってくれたのは、本当にびっくりした。だけど、もうあんな危ない真似はしないように。マリアに何かあったら、オレは使用人保護団体に逮捕されるからな」

「いえ、違うんです!」


 マリアが否定し、オレは顔を上げる。


「その……ご主人様が持っていた、拳銃なんですが……」

「あぁ、これのこと?」


 オレは再び、懐からコルト・ローマンを取り出した。途端に、マリアが少し後ずさった。

 怯えさせてしまったみたいだ。


「す、すいません。ちょっと、ビックリしてしまいました……。まさか、ご主人様が拳銃をお持ちだとは知らず……」

「無理もない。これまで一度も、話したことがなかったからな」


 オレはコルト・ローマンから弾丸を抜き取り、そっと机の上に置いた。

 オレの手からコルト・ローマンが離れたことで、マリアの表情から怯えが消える。


「これは、ベテルギウスから贈られたんだ」

「ベテルギウスさんって……あの探偵の方でしょうか?」

「そう、そのベテルギウスから、護身用として贈られた。代書人をしていると、時には恨まれるようなこともあったりする。だからいざという時に、これで身を守ってくれと云って、贈ってくれたんだ」


 オレはコルト・ローマンを、机の引き出しに入れた。

 弾丸も一緒に入れ、そっと閉じる。引き出しには、小さな鍵をかけた。


「今まで、一度も撃ったことがないけど、友人から贈られた大切なものなんだ」

「そうだったんですね……」

「さて、オレはこれから原稿を書いてから寝る。マリアも戸締りをしたら、早めに寝るように」

「はいっ、ご主人様!」


 マリアが笑顔で元気よく返事をした。

 その笑顔に似合うようなドレスを、今度探しに行こう。


 オレはそんなことを考えながら、書斎に向かっていった。

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最後のメイドと万年筆 ルト @ruto_kun

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